二十五話 ずたぼろの決着
世界の終わりと捉えてしまっても決して過言ではない。そんな、世界。広がる荒野の中心は血で染まる海が支配し、生々しい血肉と鉄の臭いが充満している。
更にその中央。そこには荒れ狂う雷が血の空間全てに轟いていた。無造作に、縦横無尽に。青色に走る雷の軌跡は、貫いた全てを消し炭にしてしまう迫力がある。
――これが、僕一人が出した力だと自覚したのは、眼下で表情を引き吊らせるレイジの姿があったからだ。
「貴様、どこにこんな力を……」
舐めた口は終了か。打って代わって本気とも言える紅蓮を全開に掲げ、レイジは僕を睨めつけている。
「ルリさんの力は知ってるだろうけど、魂を使って雷――いいや、サインダの力を顕現したんだよ。安心しろよ、ここがよく通電する血の海とはいっても雷は僕の制御下。不用意に感電はしない」
「そうではないぞ。それだけの魂を使い、貴様の精神が無事で済むと思っておるのか!」
どうしてコイツが今更そんな戯けたことをほざくのかが理解できなかった。
無事で済むわけないだろうが。爆笑爆笑――愉快痛快――それだけでしかないんだよ。
圧倒的な力ってのは。ここまで。愉くて、悲しくて、憎たらしいものなんだな。
軽い気持ちで更に倍の量の雷を身に顕現する。
大丈夫、雷だけど力には変わりないから、悪戯に消えるなんてミスは冒さない。
「貴様、妾を侮辱している――」
「してねェよ、雑魚」
疾風迅雷の名を借り、正に神速のスピードでレイジの目と鼻の先に移動した。
ああ、今の僕なら雷本来の速度で動けるね。肉体の方も、雷じゃなくて魂を使って強化しているのだから、このスピードにも耐えてくれる。
魂さえ使えるなら、イメージする必要はなかったんだよ。ただただサインダを顕現しまくるだけでいいし、普段意識せずとも使っている筋肉自体を直接強化してやればいい。イメージは複雑な術式を組むなら必要だが、元々知っていることに応用すれば必要のないことだ。
少なくとも――相手が眼前で戦々恐々としている敵であれば。
「なぁ、テメェ。――《インビジブル・スレッド》――喰らってみるか? 知ってるだろ? 全力で避けてみろよ」
そして、これならイメージは要らない。
啖呵を切って、何かを言い返される前に始動。敵のオーラを全て掻い潜り、雷のように空間を裂きながらレイジの死角の全てに、“それら”をお見舞いした。一撃、一撃、世界を壊す程の全力で。
今の僕であれば、何発でも打てる。
――雷の圧倒的な補助も付加した一撃必殺の連撃が、レイジの身体中に十発と直撃した。ぐちゃぐちゃに潰れて花火のように破裂を繰り返して弾け飛んだレイジは、血の雨を降らせて遠くの荒野にごとりと伏した。
「はァ、ヘェ、よく生きていられるじゃあねえか」
びくんと硬直と微動を繰り返す生肉の側に、瞬時に移動。
絶望に歪む醜い顔面を拝んでやるとしよう。顔だけは殴らず無事にしてやったんだからな。喋ってみろよ。それで喋る行為ができるのならな。
「全身粉砕骨折、そんなところか。全く美しい肢体が台無しだぜ? 衣服も剥げて裸が見えちまってるが……こりゃあ人間には見えねえな。全ッ然興奮しねえ」
あんだけ大口叩いて調子に乗ってた女が、コレか。全く相手にならない。《インビジブル・スレッド》の一つも避けられないとは、残念だ。
「き、さ、ま……ああああああああ!」
「耳障りだなぁ。どうせすぐに修復されるんだろ? 早く治せよ」
乾いた地に腰を下ろして、胡座を掻きながらレイジが身体を治すのを気長に待つ。
そうしてある程度治った刹那、心臓が位置する左の胸に踵を叩き付けた。勿論雷の速度だ、とはいえあっさり心臓まで潰して肉体を貫通してしまったのは、やはり面白味に欠ける。もうちょっとじっくり丁寧に虐めてみるかな。
「――ギッ、ガ、――あ、や、め」
「あ? 聞こえねぇんだよ」
右肘を落として胸部を軽く破壊。折れた肋骨は身体から抜け、潰れた肉片と内臓は大地に赤い染みを作る。血を浴びるのが、肉を千切るのが、他人の苦痛を観るのが、憎悪と怒りで湛える表情を嘲るのが、とてつもなくブッ飛ぶくらいに気持ち良い。
完全回復を待ってやるつもりはない。ある程度治った腹をかっ捌くと、新しい内臓が顔を出した。こいつは大腸だ、珍しぃなぁあ、引き摺り出してみるか。
「や、やめ、てく……れ」
地に張り付き、必死の形相で回復を続けるレイジにも、そういう一面はあるみたいだ。
なるほど。
「人の絶望は楽しめる癖に、自分の絶望は楽しめねぇのか?」
大腸を丁寧に引き摺りだし、ぬらりとした粘液と剥がれた肉と血に塗れた臓器を持ち上げる。
「楽しいよな? 楽しいに決まってる。楽しくないわけがねぇ。食えよ、これ」
どうせ直ぐに治るんだ。腸の根本を掴み、内部から引き千切った先端を掴んで。力の限り、引っ張った。
「あっ、あ、あ、ああああああああああああああ………………あ、っが……あ」
断末魔を鳴らすレイジのBGMは、解剖作業には持ってこいだ。
「ほら、食べやすいサイズに分けてやったんだ。食え」
肉塊を握り潰した左拳を口元に突っ込む。ぱきりと骨の割れた小気味の良い悲鳴がした。あ、下顎砕いちゃった。うっかりうっかり。
と。
一方的な虐待と破壊と拷問の限りを数十分は繰り返していただろうか。流石に飽きてきた。
「なんか喋ったらどうなんだ?」
色んな臓器の欠片を口に突っ込まれ、地に仰向けで転がるレイジはいつからか声を上げなくなった。
回復は続くから死んじゃいねぇんだろうが、反応が無きゃつまんねぇ。
――あ、そういうことか。
「ただ解剖してるだけじゃ、いくら楽しくても“飽き”ってのが訪れちまうよな? 悪い、そこんとこ気付かなかったわ」
なんという名案だ。折角遊んでんだ、もっと過激にぱーっとやってやんないと。
そう言ってやると、突然目を見開き、活性化したレイジを一瞥して満足。
「貴様、かん、ぺきに、壊れ、て、しもう……アガアアアァ!!」
抵抗しないように念のため、手足を粉砕しておくことに抜かりはない。そうして裸体を嗜み、腹部を切り開いた。ちらりと覗かせたのは、すっかり元通りになった大腸。邪魔だから引っこ抜いて捨てる。胃の手前で千切れたけどそっちの方はいいや。
どうするかなぁ、奇抜で派手で、尚且つ繊細で興奮する、遊び……。
「いいこと思いついた」
かっさばいた腹部を踏み潰し血泡を吹くレイジの頭蓋を鷲掴みにする。力を込めて眉間から割り開くと、脳漿が飛び出て中からレイジの脳髄が表出した。
「や、やめろ、そこ、は……アッ、ガ、ああああ、いやあだあああ! やめろおおおお!」
うんうん、そんなに楽しいならお兄さんも大満足だよ。でもこれの横に引っ付いてる変なのは要らないよな。邪魔だし。
覆う骨を引っぺがす。
「さて。お前、人間じゃないよな? 元が人間じゃないんだったら、脳味噌なんて必要あるのか? 摘出してやるよ」
「あああっああああああ――! き、き、き、さまあああぁ――……っ!」
また暫く楽しんでいる内、意識が曖昧になってきた。ふわふわした感覚が、空を自由に飛んでいるような錯覚を思わせる。
――あぁ。
「あー、こっちもすっかり血の海だなぁ」
ふと。改めて周りを眺めると、血と臓器と肉と骨が累々と放置されている。僕は顔をしかめた。お楽しみも、飽きてきたな。
てか。
「……あのさ。僕とお前は、何をやってたんだっけ?」
忘れた。一体、こいつとはなんで遊んでたんだんだっけ。
確実に何かをしていたはずなのだが、記憶が曖昧であまり覚えていない。
「……ふ、ふざけるな……」
あれ。あれだけ傷付けたのに、もう肉体は傷を塞いでいる。
服はとっくに消しとんだけど、別に要らないな。人間じゃないし。
「ふざけてねぇことぐらい分かるだろ? 何してたんだ? 分かるだろうが」
舐めた台詞を吐き出したレイジに、雷を這わせた拳を顔面にお見舞い――。
「お?」
本来であれば、至極簡単にレイジの面を粉砕してしまう予定だったはずの僕の腕は。
何が狂ったか、それとも最初から狂っていたのか。レイジの両手に防がれていた。
「貴様、ようやく弱体化してきたな……。必ず殺す。泣き喚いても、懇願しても、死んでも許さんぞ。ここまで妾が屈辱を受けたのは貴様が初めてだ」
「ああ、戦ってたんだっけか。忘れてたわ」
あちゃぁ、相手にならな過ぎて、途中から遊び始めたんだった。うっかりしてたよ、殺せばいいんだっけ。そうだったね。うん。
「じゃあ、死ね」
空いていた腕で顎先をぶん殴り、それでも受け身を取った体勢に対しての延髄蹴り。それも転がる動作にギリギリ躱されたので、雷を足に纏わせ、立ち上がろうとしたレイジの背後へ先回りした。
――が。
がくん、と。自由の効かなくなった身体が力を失い、膝から地に堕ちた。わけが分からない。両手を地に付け、力の入らなくなった身体を睨む。
「糞が」
使えないなと悪態を吐いて、遊んでいる内にすっかり使い潰してしまった雷を顕現。
――すると更に力が抜ける。なんだ? 意識が遠退いてくぞ、なんだよ。つまんねぇな。
なんだよ。
「次は妾の番、じゃな」
自由が効かなくなってきた手のひらを忌々しげに愁い、突如として零落した力の理由を鑑みてみる。
答えを出す前に、紅蓮の力を纏ったレイジが、決して失うことのない強い怨嗟を解消するかのように殴りかかってきた。
避けようと半身引こうとして、思い通りに動かずに強い痛みが顔から駆け廻る。続けてアッパーカット、鳩尾への肘鉄、紅蓮が後ろから襲い深って背中を穿たれ、ニヤリと歪に顔を歪めたレイジの貫手が腹を突き破った。
「……テメェ。やるじゃあねえか」
吐血がレイジの完治した顔を血に染める。まさか僕が傷を負わされるとは。
「灰も遺さぬ。木っ端微塵に消えて無くなれ」
――思い出してきた、思い出してきたぞ。戦いってのは、こうでなくちゃあいけないな。一方的じゃつまらないと、丁度嘆いていたんだ。
「さぁああてぇ! 第二ラウンド、おっ始めようぜええええ!」
朗々と元気良く叫んではみたが、身体の自由が利いてくれないのは事実だ。
動かないなら動かないで問題はねぇが、今のレイジの攻撃を真正面から受け止めていたらいくらなんでも勝ち目が薄くなりそうだ。
その美貌が台無しになる程に顔を歪ませたレイジは、地獄そのもののようなドス黒い赤色の力を無数の触手として形作っている。その気迫と心意気たるや、阿修羅と呼んでも差し支えがなさそうだ。
この力に貫かれれば、結構マズイことになるな。微塵も残さないという物言いは、口から出任せでも単なる虚勢でもなさそうだ。
ならば身体を無理に駆動させるのではなく、雷に任せよう。
「てか、隙だらけだぜ」
変換させていた雷を一点に集中させて、敵のモーションが始まる寸前、一気に放出した。驚愕の形相を表したレイジは、果てしない雷に貫かれて黒焦げと化していく。
……は、やべぇ。視界が定まんねぇ。
――このままじゃぁ――。
仕方、ない。なぁ。
消費した分はすぐに補わなければならない。絶対的な物量の雷を発生させ、次の攻撃への準備を整える。
ここで意識が、なくなった。
◇
びちゃり。のそりと起き上がり、血に染まる女性が一人。
足元まで沈むような血液の海が、延々と続いている。思うように力の入らない身体は、頭の中に警告を響かせていた。
「この胸騒ぎは、一体……?」
エルリア・アヤクスィダント。彼女は前後の記憶が曖昧になっていた。エクサルに倒された辺りから、起き上がるまでの短い間。たったそれだけの時間だったが、それだけに自らが生存していることに疑問を感じていた。
「んっ……」
彼女の後方。また別の誰かが起き上がる。その姿は、エクサルだった。
「……」
暫く互いを見つめ合っていた二人は、双方共に同じ境遇に立たされていることを理解する。最早、言葉を交わす必要はなかった。決して拳を交えようとはしなかった。
遠くでは、既にグリーフがその身を起き上がらせて一つの方向をじっと見ている。エルリアもエクサルも、遅れてそちらを見やる。そこで死闘を繰り広げていたのは、鈴峰律樹と――。
「……そ、んな」
まだ現れもしなかった、レイジの姿がそこにあった。レイジは真紅の力を持ってして、全力で鈴峰律樹と殺り合っている。鈴峰律樹は機械のように、迫り来るレイジの強襲を防いでは反撃を繰り返している。
三人はそれぞれ、自分に仕掛けられたレイジの“罠”は見破っていたが。
この中で、鈴峰律樹の“異常”に気付けたのは、エルリアただ一人であった。
「律樹さん……」
あの状態は、自らの力の限界量を超えて“魂を擦り切らせてしまった”状態だ。どんなに魂が強固でも柔でも、起こる現象は変わらない。
まず使い過ぎると人格破綻を起こし、物事を正常に捉えることができなくなる。次に、それでも使用を止めないと精神の枷が崩壊し、自らの暴走を止めようともしなくなる。末期まで陥ってしまったケースはエルリアは知らない。
自分が倒れてしまった後、鈴峰律樹一人にどれだけの重荷を背負わせていたのか――彼は、多分。もう、こちらには戻っては来れない。あそこまで魂が剥がれてしまうと、残された末路は肉体の崩壊だ。
いつからそれを会得していたのか。それは分からなかったが、果たして《インビジブル・スレッド》を何発使えばあのような事態にまで状態が悪化するのか。もしかすると、それ以外の何かに魂を変換させてしまったのかもしれない。
今更悔やんでも仕方なかった。こうして現実は非情に訪れ、鈴峰律樹という個の崩壊をエルリアに突き付けている。
「今、行きますから」
それでも。涙を流すような真似は絶対にしなかった。それをしてしまえば、彼を否定してしまったのと同じだ。ぐっと感情を堪えたエルリアは、今一度魂を“技”に変える。
「《オーバーロード》」
強制的な過重負荷により、能力を飛躍させる術式。軋む肉体に今回ばかりは我慢して貰い、エルリアは誰よりも早く鈴峰律樹の所へと走り出した。
もう手遅れだとしても。それ以上、彼に負担は掛けさせたくない。それが、エルリアの最期の覚悟だった。
「律樹さんっ!」
鈴峰律樹は、身に余る雷を操ってレイジを圧倒していた。今日この日のためだけに、凶悪に力を蓄え続けていたレイジが所有する“憤怒”の力。それが、ただの少年の手によって着々と削られていた。
エルリアが何度声を掛けようとも、鈴峰律樹は見向きもしない。命令を与えられた機械のように、無機質にレイジと戦うばかりで他の行動を一切行わない。
「アヤクスィダント――貴様、そこの子供に何を教えたっ!」
逆に、それに気付いたのはレイジだ。彼女は雷の化身と化す少年から一旦離れ、エルリアに詰め寄る。
出会えば戦う運命にあった、二人。それなのに、レイジは一切の躊躇をせずにエルリアの攻撃射程範囲に踏み入ってくる。
エルリアも、そこで取って喰らおうとはしなかった。何故なら、必死でこちらに向かってくる裸の姫に、エルリアと戦おうという意思がまるで存在しなかったからだ。
レイジの顔に浮かぶのは、焦燥。しかしそれよりも恐怖が先行してレイジを覆っている。一体、何が起これば“憤怒”を持つ一国の姫が、ただの少年だった者にこのような感情を持ってしまうのか――エルリアは、その顔をどんどん曇らせていった。
「貴女も、一時は私の身体に潜んでいたのだから分かるでしょう。私が知らない領域に踏み込まれては、どうしようもありません」
「どうしようもないもあるか! 貴様は……貴様は妾を生み出した時も、そう思っておったのか! ふざけるな、貴様の責任じゃ!」
矢継ぎ早に叱咤をするレイジに、エルリアは動きを止めた。動揺していた瞳が鈴峰律樹とレイジを行き来し、やがて焦点までもが合わなくなる。
「私が、レイジを……生んだ?」
エルリアには、三人の姫がどのようにして生まれて来たのかを知ることはできない。だが、彼女の脳には、グリーフの「お母さん」という言葉が反芻して焼き付いていたのだ。
「そうじゃ、そうじゃったな。貴様は憐れにも“記憶”がないんだった。だが、関係あるか! 貴様はやはり、生きていてはならんな」
「私の記憶を、知っているのですか……? 私は、過去に何をしたのですか」
エルリアも、悲願のためにずっとその身を削って動いてきた。エクサル、グリーフ、レイジ。三人の姫の争いを止めさせ、戦いを終結させるために。
それが。
「知りたいか? じゃが知れば貴様は、何とか出来ると申すのか? アレを」
薄々、予想は付いていたのだ。エルリアも、暴れまわっていた姫達が自分に限りなく近いということは、身に刻む程に染み付いていた。だからこそ、止めてやらねばならないと思う一心で今までやってきた。
それが。
「まあよい……教えてやる! 貴様はな、戦争に勝つために禁術を使用して、自らその身を崩壊させたのだ! 対価として貴様の存在は四つに分断され、貴様自身は霊魂とボロ屑同然の身体になった。都合のいいように記憶を失っているようだから、貴様はどんな大罪を犯したのか自覚はないようじゃがな!」
自らが招いた“災厄”だとしたら。
「今の貴様にどんな理由があれ、燐華という女の身体に魂を定着させているのは分かっておる。ソイツは鈴峰律樹の最愛の人じゃ! 偶然か? 必然か? そんなことは知らぬ。だが、鈴峰律樹という男は――貴様に利用されて心酔してしまった可哀想な子供なのは確かなんじゃぞ! 妾に奴を天国へぶち込んでやることができないのなら、貴様が責任を持ってやれい!」
自らがその元凶なのだとしたら。
思考の果てに、全ての辻褄を合わせてしまったエルリアは、地に崩れ落ちた。
「思い出したか。馬鹿者め」
そこまで引き出しの鍵を開けてやれば、エルリアは自ずと記憶を引き出していく。レイジはそこまで分かっていたが、憤怒の性質故に、今になるまで“教えてやろう”とはしなかった。
「ふん。最初からこうしておれば、良かったのかも知れぬな」
地に頭を擦り付け、後頭部を手で覆い隠して滑稽にガタガタ震えているエルリアを眺めるのも、レイジからすれば一興ではあった。最初からそのようにして潰れてしえばよかったのだと、吐き捨てる。
レイジは、他人を叫ぶように謗っていた自分が全裸だったと思い出して、自嘲気味に笑った。
そこに、エクサルとグリーフ、【ローンギング】も集結する。
「ほう……これはこれは、何をしに来たんじゃ? ここで全面戦争でも宣告して雌雄を決するつもりか?」
「そんなものいらない」
「全く、予想を大幅に裏切る結果となってしまいました。少なくとも私には、どうすればいいか判断をするのは無理です」
狂喜の姫、エクサル。
悲哀の姫、グリーフ。
憤怒の姫、レイジ
元はエルリアの一部だった者には違いないが、今は一人の個としての存在を確立させていた。そのための、自分という存在を示すための、戦争だった。
そして今。元凶である災厄の姫――アヤクスィダントは、三姫の眼下で精神を参らせて無様に身体を震わせている。
最早、互いに争う理由は無かった。エクサルも戦争以外に生きる意味を見出だし、グリーフも同じく別の居場所を掴んでいる。レイジですらも、アヤクスィダントを消し去ってしまえば後の二人をどうこうしようとは考えなかった。
「物事の終わりなんて、全てこんなものではないか。明確に敵と言えるような都合の良い終着点があって、それを倒して幸せを掴む……だなんてのは最初から無理な話じゃ。妾にも判断できん」
レイジは三人の魂に割り込み、全員分の記憶を鑑みてその結論を放っている。だから誰も、意見をしない。
じゃが、と。レイジは胸糞悪そうに奥歯を噛み締める。
「今回。妾も貴様らも、がむしゃらに自分の成すべきことをやった。アヤクスィダントもそれは同じじゃ。だからこのような結果になっても、全て受け入れなければならぬ」
「そうだね、でも私は納得してない。何も解決してない」
「ふん。妾とて同じ気分だわ。そう、これでエルリアが引き起こした顛末はエルリアの死亡で幕を降ろす。しかし、鈴峰律樹という人物の物語は終わっていない。妾はあそこで猛威を奮っている鈴峰律樹は大っ嫌いだが――同時に、不憫でならないんじゃよ」
問題は、エルリアが巻き込んでしまった鈴峰律樹にあった。誰がどう見たって、彼は不憫でならない人生を歩んでしまっている。
断層世界パラノイアに転移する前の彼の事など、レイジは知る由もない。だが、彼はこの世界に来てからはエルリアの問題に引っ張られ続け、こうしてあのような状態にまで堕ちてしまっている。
しかも彼は、エルリアが燐華という女の身体を使っていることなど、レイジが伝えてやらなければ最後まで知ることはなかったのだ。それも分からずにエルリアを好きになり、挙げ句の果てに真実を知らぬまま命を擲って終了、とはどうなのか。
しかしながら現実は非情だ。このまま放置していれば勝手に死に、鈴峰律樹の物語は終わるであろう。エルリアを問答無用で殺せば、同じく振り回されていた、最愛の人である燐華の物語も終わるであろう。
果たしてそれで本当に良いものなのか。まだ終わってない今だからこそ、最悪の終わりは未然に防ぐことができるのではないか。と、レイジは考えていたのだが、エクサルとグリーフも考えは同じだったみたいだ。
「では、どうするのですか?」
冷静に状況を把握しているのはグリーフだ。これといった手立てなど誰に用意できるものではない。エクサルに至っては燐華の存在すら知らず、今回に限り打開策を練るのは至難だ。
従って。
「ふうむ。言い出しっぺである妾が、一肌脱ごうではないか」
全裸のお姫様が、エルリアを睥睨した。
エルリアを捉える視線は唾棄して尚止まない軽蔑の目だが、真紅と漆黒の混ざる吊り目の瞳は、そんな下らなぬ細事を挟むほど曇ってはいなかった。
「起きろ、アヤクスィダント。妾は特別に貴様を許してやろう、そして命令だ。鈴峰律樹を、その身を持ってして“止めろ”」
レイジの策は、賭けに近かった。
要は、自分の撒いた種は自分で回収しろ、ということに他ならないのだが。
意図したかしてないかは別にして、一人の人間を愛に狂わせた張本人が止めに入れば、結果を変えられる可能性もある。
それで呆気なくエルリアが殺されてしまえばそれでも良し、そうなってしまえば、もう誰にも止めることのできなかった“災厄”として受け止めるしかないのだ。
エクサルも、グリーフも。こくりと頷き、見守ることに徹した。
エルリアは、よろよろと立ち上がった。そして、三人の姫を順々に一瞥していく。その姿は、まるで懺悔でもしているかのようだ。
最後に、エルリアは鈴峰律樹と対面した。彼はじっとこちらの面々を見つめ、荒れ狂う雷をそのままに静止している。あの場に誰かが立ち入れば、たちまちうねる雷に標的とされてしまうだろう。
エルリアは――最初からそうするつもりだったと言わんばかりに、何も告げずに鈴峰律樹の傍まで歩いて行った。満身創痍、何の準備もなく、生身のままふらついた足取りで、エルリアは歩く。
その背中は、悲壮を漂わせるものであった。たった一つの間違いから、最終的にはこの世の総てを背負ってしまうことになった、女の姿。
「……ったく、腹立たしいのう」
憎々しげに、レイジは呟いた。それもそう。鈴峰律樹は、エルリアが近寄るのも眼中になく、ひたすら“レイジ”を見据えていたのだ。視線でレイジは理解した。
「あの子供。自らの完全崩壊の直前、妾だけを狙うように細工したな」
ということは。あの男に接近して被害を受けるのは、レイジだけなのである。憮然として殺戮機械を睨み返し、レイジは溜め息を一つ。
「……だから、妾は貴様が嫌いなんじゃ。予定通り、エルリアを手向けにくれてやったぞ。後は勝手にせい」
それから、三人の姫は誰一人として口を開かなくなった。
エルリアは、鈴峰律樹の目の前に立ちはだかった。お陰で彼の視線は遮られるわけだが、ぴくりとも反応しない。
「律樹さん」
口を開けば“律樹さん”、どれだけ溺愛しているのだ、と。それを聞く者は、何人中何人が思ったのだろうか。
「律樹さん」
ひたすら、何度も何度も。名を呼び続けるエルリアに、しかし彼は反応を返さない。瞳も動かさなければ身体も動かない。強いて言えば、無造作に暴れる雷が進行上に位置するエルリアをしばしば叩くことだけ。
「……」
エルリアは、とうとう名を呼ぶのを中止する。だが諦めたのではなかった。そして――誰もが、固唾を飲む瞬間が起こった。
彼女が、鈴峰律樹を抱き締めてキスを交わす。強く、強く、抱き着かれた彼がバランスを崩してしまい、二人共々荒野に倒れる。
その光景を見かねて。
「うっわぁ……あっついのう……見てられんわ。妾まで、火照ってくるではないか」
呆れたレイジが空気を壊すように、仄かに苦笑をした。
その日、鈴峰律樹が操っていた雷の消失により。戦いは、静かな終わりを迎えた。




