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断層世界のパラノイア  作者: くるい
第一章 誘われた者達編
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一話 物語の始まり

 曰く、それは恋物語なのだと。

 曰く、それは絶望へと橋掛ける道標なのだと。

 僕から言わせれば、何が起ころうと、どうでもよかったりする。


 ここ、しつこいようで申し訳ないのだが。

パラノイア――この世界は、どこか崩れている。物理的に崩れているとか、目に見えるとかなんて生易しい崩壊の話ではない。


 それが、元の世界に残されていた“ここ”の唯一の情報。


 ――『精神が崩れている』。


 それが、パラノイアという単語が押し付けられた由来でもあるのだろう。精神疾患。精神病。心の病。曰くそれはぽっかり空いた穴。曰く増大し過ぎた風船。曰く――傷付いたその物。

 それだけがこの世界の情報であり、常識だ。


「僕も例外ではない……」


 なんて、意味もないことを意味ありげに呟いてみる。恐らく誰にも聞こえることはないが。


 ここに来て、早一週間が過ぎようとしていた。どのようにして来たのかは今でも思い出せない。


 とまあ、即ち“彼女”と邂逅を果たしたのも一週間前で、時が経つのも早く感じる。

 それはこの世界の時間の流れが狂っているのか、単純に僕の感覚が年寄りと化しているだけなのか。


 ともかく僕は、その時間の中でこの世界に慣れ始めていた。

 それが良いことと言えるのか、はたまた悪いことなのだろうか。さてどっちなのかは、僕には分からない。


「彼女、どうしているんだろう」


 僕の来日その瞬間に出逢ったか弱き乙女。その名も入れ物。空虚で空っぽで、仮面という蓋で閉じられた異端の塊。――あの少女は、何をして。


 友達になるとか言っておきながら、あれから一週間音沙汰無しだ。

 僕は僕で自由にやっているが、暇過ぎてつまらない。

 これは言うところの浮浪者に当て嵌まってしまうのかもしれないが。


 仕方のないことだ。だって、僕は街でも家でもなく、個人単体、僕一人だけが着の身着のままにこの世界に呼ばれてしまったのだから。

 右も左も分からない状態でろくな生活もできまい。


 しかし人間という生物は見知らぬ環境に放り出されてもそれに適応する力を持っているようで。


 健康上には全く問題はない。衛生面では近場の“大浴場”という無料の温泉のお陰で清潔に保つことができているし、食料も“配布所”と言われる場所で規定の量が貰える仕組みだ。


 それでどうやったら世界が成り立つのかとは考えたが、直ぐにその問題は解消された。

 街ごと食料も落ちるって、そんな寸法もあったりなかったりなんてね。


 まぁ、つまり。それらのお陰でこの一週間“元”通っていた学校にも行かず――と言うか行けもしないが、加えてバイトにも仕事などにも行かず(元々やってすらいなかったが)、毎日毎日適当に鋪装された道やら草道やら泥道やら土道を歩いて、ある日突然運良く発見した大浴場と配布所に見事寄生を果たして生活しているわけだ。


 勿論、家はないのでそこらの路上で寝ている次第である。過ごしやすい気温のお陰か、まだ一度も風邪を引いたことも、体調を崩したこともない。


 つまるところ、暇なのである。本当につまったかどうかはさておき、暇であることがこんなに鬱陶しいというか、疲れるのは初めてだ。


 と、暇で暇で仕方なく下らない考えを張り巡らせて脳を活性化させていたところで――。


「お久し振りですね。友達さん」


 懐かしい声が前方から聞こえてきた。僕にとっては、楽しみにも待ち遠しにもしていた事象でもあるし、暇を潰す最高の場面でもあった。


 もっとも、今の僕には、そんなことをのうのうと考える暇も必要もなかったが。


「友達に友達さんって……その発言は、本当に友達だと思って言ってるのか、それとも馬鹿にして遊んでいるのか、どっちなんでしょうか?」


 勿論、向けた言葉の先には彼女が居た。そう、空っぽな、何もない、仮面で覆われた少女。

 作られた――僕にはそうとしか見えなかった――笑みを見せ、彼女は僕に答える。


「馬鹿になんてしませんよ。名前を知らなかったものですから」

「ああ、それもそうでしたね」

「分かって下さるのならそれが一番です。さてさて、そんな貴方に訊きたいことがあるんですが」

「そんなって、それは僕を馬鹿にしているように捉えられちゃうんですけど」

「いえいえ滅相もない、そんな心持ちで言ったわけではないんですよ?」


 会話をしながらも、彼女は一歩一歩と僕に近寄って来る。やっぱり彼女と会話をしていると、ひしひし伝わってくるものがある。


 これは作られた言葉なんだな、と。


 心が空っぽで、仮面だけを張り付けたような言葉。

 単純に僕に心を開いていないということも関係しているのだろうが――。


 そうではないのだ。感覚的になってしまうが、仮面の人格だけを有していて本来の心が存在しないような印象を受けるのだ。


 ここで例え話なるものをしようと思う。

 例えば水が一杯に入ったビーカーを満たされた心として、逆に空のビーカーを空っぽの心とする。であるならば、仮面を例えるならばこうだ。


 空のビーカーを覆うようにして氷という仮面が張られている、つまりは作られた人格であるということになるのではないか。


 何が言いたいのかというと、仮面は中身を満たすのではなく、外側を埋める、言わば作られた精神、別人格――いやこれは少し違うかもしれない。

 つまり、仮面は言葉通りそのままの意味で仮面であるということだ。


 心の仮面。


 もしそれがビーカーに満たされた水であるのなら、彼女がここに流される理由はないのだろう。


 だからこそ、僕は彼女が純粋無垢で、透明レンズのように透き通った心を持つ、か弱き乙女、ああきっと処女でもあるんだろうな――と。

 いけない、話が飛躍と同時に路線変更してしまったみたいだ。今の邪念はなかったことにしてしまおう。


「あれから随分とあなたのことを探したんですよ、散歩のついでにですけど。さて。この世界に来て、まだそれほど時間は経っていませんよね? では貴方にはこれをお渡ししたいと思います。きっと、年齢に見合ったこの世界の対処法であると思いますよ」

「ん、あれ、おかしいな。ついでに随分探したって、一体僕はどんな存在なんでしょうか……」

「立派な友達です」


 そうして出された手から見える代物は、ただの紙のようだ。中には何やら文字が記されている。

 僕の手元へ差し出されたその紙を取って記された文章を見る。

 どうやらこれは高校の入学説明らしい。


 簡単に略すと、高校生(十五~十八迄の人間に限られる)であった人間は、本校の学園、『アヤクスィダント』に入学するか否かを選択出来る。テスト等の適性試験は無いと。

 とりあえず。誰が決めたのこの学校名。


「これは、つまり学校に入学するのかってことですか?」

「ええ、そうです。幼稚園児なら幼稚園。小学生なら小学校、中学生なら――と、各々の年齢に合わせてこういったことが可能になるんですよ。因みに、大人なら仕事が与えられます」

「そこまでしてくれるのなら、この世界に来たその時に知らせてくれるよう設定でもしてくれればいいのに」

「そこまで、この世界は考えてくれていないみたいですね。第一、どういった基準で私達がパラノイアとしてこの世界に引き摺り込まれている――なんて現象ですら、正確に判断出来るものはないんですから。基準というか、何が異常なのかも私には分かりません。ですから、この世界はそこまで頭が回るようなところではないみたいです」

「言われて見ればそうでした。まず、僕は気が付いたらこの世界に居ましたしね。そこで貴女と出会えたのは嬉しかったですよ」

「いやいや、恥ずかしい。そう言われてしまうとこちらも嬉し恥ずかしなんとやらですよ」


 終始彼女の表情に変化はなかったが。


「ちっとも嬉しそうには見えないですけどね」

「嬉しいですよ。さてさて、私は入学していますが貴方はどうですか?」


 出された提案。

 今の僕には断る理由があるだろうか? 答えはノーだ。今の僕には、彼女の提案を蔑ろにするだけの目的を所持してはいない。


「喜んで入学させて頂きます」


 僕の肯定、それと共に彼女は微笑む。可愛い――と思ったのはこれで初めてなわけではないんだが、やはり可愛かった。作られていると分かっていて尚、そう思う。


「ところで、貴女はここに来てからどの位経つんです?」


 率直な意見を持ったので、別に訊いて悪いことでも何でもないだろうと思った僕は、躊躇もせずに問う。

 黒髪を靡かせ、彼女の真剣そうな瞳が僕を真正面から捉えた。


「はい、私ですか? そうですね――ざっと二年目です」

「……へぇ、随分と長いですね。僕はまだ元々居た世界のことは割と記憶しているんですが……貴女はまだ覚えてますか?」


 その問いに彼女は少しばかり悩んでいた様子だったが、微妙な返事が送られてきた。


「うっすらとなら。しかしながら私は元の世界に興味も未練もないので、覚えている必要性もないのですよ」


 僕が元々居た世界とは別物の、断層世界――パラノイア。


 パラノイアとは、分かりやすく言えば精神疾患の名称である。偏執病と言われる部類の精神病らしいのだが、何故そんな、不名誉で差別するような言葉を当て嵌めたのか、気になるところだ。


 何から何までが精神病という括りなのか、普通なのかという判断ですら曖昧なのに……まるでこの世界の人間が全員精神が狂っていたり、どこかおかしいんじゃないかとでも言いたげな名称だ。


 実際そうなのかもしれないが、それは勝手に決められることじゃない。彼女が先程言った通り、曖昧なのだから。


 あれ、そういえば。

 なんでこの世界は僕の居た世界――地球の人間から認識されているのだろう。あの世界に居た頃は毛ほども疑念を抱かなかったが、初めてそう感じた。


 ただまぁ、それを知るにはこの世界を認識させた張本人からお話を話して頂かなければならず、どうやって知ったのかなんて興味すらない僕には無駄な考えだったのだろう。


「そうですね。僕もあっちのことは未練とかないんで、忘れるのも時間の問題ですかね」

「私と同じですね」


 彼女はにこりと微笑む。


「それでは行きますか、早速学校に行って入学手続きをしておきましょう。そう言えば貴方の学年はどちらなのでしょうか。それによって入るクラスも変わるので」

「僕は高校二年生なんですけど、それは高校生としての肩書きは二年からのスタートということになるんですか?」

「そうですよ。これまた私と一緒の学年ですね、つくづく気が合いますねというか」

「学年に気が合うも何もないとは思いますよ。ただまあ……ええ、確かに気が合いますね」


 できれば彼女と一緒のクラスになりたいね。


「ではでは向かいましょうか」


 僕に背を向け、彼女は歩き出した。揺れる黒髪と、僕が今から学校に入学する制服だろう――紺のスカートが揺れる姿はまた可愛らしい。

 そこから伸びるしなやかな脚も舐め回すように直視していたいが、自重。


「あ――それはそうと」


 彼女が、ふと思い出したように動きを止めた。お陰で、僕の遅い歩行でも彼女の横に到達するまでに至る。


「せっかく友達なのですから、敬語を使わなくてもいいのですよ? 私の敬語はただの癖なんですが」


 それは、僕も後で言おうかなとは思っていたところだった。敬語を使わなくてもいいのなら、そちらの方が楽なのでそうさせて貰う。

 さっそく実行させて頂こう。


「よし、ならこれからはタメ口で会話をさせて頂くよ。じゃあ、ことのついでに」


 と、次は僕が話を振る。


「名前を知りたいんだけど、いいかな?」


 貴方だとか彼女だとかってのは堅苦しいし、何より彼女の名前ぐらいは知っておきたい。今訊かずとも、時間が僕に知らせてくれるのだろうけど。


「そういえば教えてませんでしたね。私はエルリアです。可愛らしいのでルリって呼んで下さい。じゃあ、貴方の名前は?」

「可愛らしい名前だね。じゃあ御言葉に甘えて、ルリさん。僕は鈴峰(すずみね) 律樹(りつき)って言うんだけど、下の名前で気軽に呼んでくれて構わないよ」

「分かりました。律樹さん」


 ――と、まあその後も色々話しながらも。


 とうとう僕達は『アヤクスィダント』という学校に到着した。


 それにしても。

 彼女、ルリさんは意外にもお喋りで中々に物知りだった。一目見た時は正反対の、そもそも無口で生まれたての赤ん坊のように無知なのではないかと思ったくらいだったのだが。

 やっぱり人は外見では判断できない、正にこの言葉に尽きると実感した僕だった。


 さて、ここらで学園の様子を挙げよう。

 とりあえず、デカイ。遊園地が一つ丸々入ってしまうんじゃないか。そして、今僕達が居る校門前。置かれた噴水の水が優雅に空を舞い、涼しげな印象を与えてくれる。

 そのサイドに佇む厳つい戦士の像。余程精魂込めたんだろうなと言えるレベルで細かい鎧の細工。奥には整えられた自然が。


 再び視線を前に戻せば噴水の先に校舎があり、横やその後ろやもっと遠くだろうか、とにかく様々な形をした建物の数々が聳え立っていた。

 それらのどれもに豪華なお飾り(先程の噴水や像など)が設置されて、少々恐縮。


 一言だけ感想を。


「……でか」


 それだけかよ。と、どこからか誰かの声が脳内に響くけれど、完全無視。発せる言葉はただ一言。僕は口達者なレポーターでも何でもないので、そうなるのは当然だ。


「でかいね。ルリさん」

「そうですか? 私としては慣れ過ぎていて何とも思わないんですが、改めて拝見すると大きいですね」


 ――と。なんだか圧倒されたままに校内へと入り。

 いとも簡単にアヤクスィダントへ入学した。


 制服一式を気の良さそうな学校長から有り難く頂き一礼して、校長室から失礼する。色々細かいことは言われたものの、そこらの校則と何ら遜色ないので聞き流した。


「ここまで簡単に入学できてしまうと、高校受験の時に必死に勉強する必要があったのか、あの時間はなんだったのかって思うよ」

「入学者を選びたいわけではないようですからね。さて、今日は帰りましょう。律樹さんはどうします? 入学祝いとして、私の部屋で盛大にパーティーにでも洒落込もうと考えていたのですが」

「えっ、本当に? なら、是非お邪魔させて頂こうかな」


 ルリさんの部屋? 行く以外の選択肢が見当たらない。


「ただ……二人でパーティーって表現は何とも言えないけど」

「いつ、私が二人でと言いました?」

「え?」


 何か間違ったことを言っただろうか。確かに二人でとは言ってないが、ならば一体どこぞの連中を連れてくると。まさか僕の知らない人が僕を祝うなんてことはあり得ない。


 折角彼女が祝ってくれるというのだから、二人きりがいいな――自重。


「よくよく考えたら私に友達は居ないんですけどね」

「そ、そうなんだ」

「はい、全く」


 照れながら紅潮させた頬を見せてはにかむ姿は可愛らしいと言うか、男心を刺激される。にしては口調は一切変わらないのだけど、なんなんだ。


 というか。二年も生活していて友達が居ないというのはどういうことなのか。きっと彼女なりの冗談かもしれない。


「大人数でするとも言ってませんけどね。例えば律樹さん一人とか」

「一人!?」

「冗談ですよ。私と二人で盛大に祝いましょう。入学記念と――友達記念に」





 そうして果たした僕の出会い。

 堕ちた魂は異の世界であるはずのなかった邂逅を遂げ、輝き始める。

 物語でしか語られなかったような幻想が、今ここで。きっとこの先二度とないであろう破滅的で物語的で現実味のない現実の幻想を。


 僕の物語は、今日で初めて始まったのだ。


「――はい」


 了承の意を伝えた僕は、鼻唄混じりにルリさんの背中を追い求める――。

 その瞳は、燦々と輝いていた。

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