十一話 共闘③
焼け野原と化した都市の入り口で、それは微笑んでいた。その狂喜に溢れた顔が薄気味悪い表情をして、眼前で焼け爛れる肉塊を見下ろしている。
「見ぃつけた」
一頻り、笑うことに全神経を注いでいた幼女は――、ぴたりと。今まで溢れていた感情を止めた。
「待ち焦がれていた。ずっと。ずっとずっとずっとずっと。私から何もかかもを奪った貴女を、見つけて殺してぐちゃぐちゃにして、そうして楽しむの。ねえ――アヤクスィダント」
今まで丸焦げになってケロイド状になっていた肉が、突然蠢き始めた。それを、最初から予期していたかのように待ち構えていた彼女は、地上に降りていく。触れるだけで気が狂ってしまいそうな狂気をそのままに、彼女は肉塊のそばで静止した。
「私はもの凄く悲しいです」
不意に、その塊から声が飛び出した。
すると突然、皮を破るかのように肉が破れ、中から一人の女性が現れた。脱皮の如く肉を退ける様は、蝶のような奇妙な美しさを醸し出している。
髪は黒。妖しく輝く白銀の目。幼女とは正反対の胸に、正反対の身長。纏う白銀の粉塵が、彼女の美しさを増幅させている。
“アヤクスィダント”。そう確かに呼ばれた女性は……不機嫌そうに小さく呟いた。
「どうして律樹さんが、貴女と一緒にいるんですか? ――思わず出てきてしまったじゃないですか」
極めて不愉快そうに、しかし微笑んだ彼女は、“エクサル”と一言発して粉塵を全身に纏い始める。少し触れるだけで震えてしまいそうな、邪悪な力。
二人の力は、確かに同種だった。
「やっぱりあの子から感じた災厄の臭いは、間違いじゃなかった。アヤクスィダント……貴女はあの子に何をしたの?」
「いいえ、何も。律樹さんは私の唯一の友達です。何もするわけがないじゃあないですか」
「そうなの」
エクサルは無表情のまま、静かに狂気を携えた。その力、穿つは一点につき。狙うはアヤクスィダント一択。彼女を殺すまで、もうそれが止むことはない。
「逆に、貴女は律樹さんに何かをしたんですか?」
「何もしてない」
「そうですか」
特に意味を成さないやりとりの後、アヤクスィダントが初めて構えた。
両手を広げ、何に対して構えたのかも分からない形。しかし、幼女は悟る。これから何かが始まるのだ、と。
彼女がその形を取ってから数秒のこと。白銀が、彼女の全部を喰らい尽くしてしまうように覆い始めた。
「結局変わらないのですね、この世界も、貴女も、何もかも――」
少しだけ嘆いたアヤクスィダントは、静かに吠えた。
「ならば、ここで殺しましょうか」
「それはこっちの台詞だよ」
二つの禍々しい力の塊が、衝突した。
◇
――大地は少しばかり、お腹が空いたみたいだ。
……などというなんとも言えないポエムチックなことを言ってみたが。
「派手にやってますねぇ、メリーさん」
ただ単純に、彼女がおっぱじめた戦闘が激しすぎるだけだった。まるで地震だ。大地が胎動して子供を産み落とすかのような……またポエムっぽくなった気がする。僕にはその道の才能があるみたいだ。実際にやったら恥ずかしくて精神的に死ぬと思うけど。
「やべえなアイツ。つい最近までただの気持ちの悪いガキだったのによ。蓋を開けてみればとんだ化け物だ。笑わせてくれやがる」
変な本音を吐露したエステは、不思議そうに言っている。
「それってエステが勘違いしてただけなんじゃ」
「んなこたねぇよ。あの野郎のあんな姿を見るのは、今日が初めてだ」
ううむ、彼が言うならそうなんだろう。僕から言わせれば彼女は最初から狂っていたので、もうそれ以外の印象が持てないが。
「メリーさんがああやって力を使ったりするのを見るのは、初めてなの?」
僕が訊くと、彼は頷いた。
「それもそうだがな、アイツ性格その物も学校にいる時とは大違いだぜ。お前にはその違いは分からんだろうが」
流石の僕でも分かるよ。あのわざとらしい口調もそうなんだけど、根本的な何かが違うことくらいは僕でも感じている。
それほど力を見せた後のメリーさんは、吹っ切れたように別人だった。
「おいおい分岐点かよ」
真っ直ぐ道を走っていると、とうとう現れてしまった二股に分かれる道。さっきの管理室みたいな部屋を漁ればここの地図があったかもしれないのに、何やってたんだ僕は。
「どっちに行く? 流石に二手に分かれたら僕は死んじゃうから遠慮願いたいけど」
「当たり前だ。分かれてんだったら、どうせこの先も分かれてるだろ。そんな数打ちゃ当たる方式じゃ圧倒的に人数が足りねえよ」
確かに、と僕は苦笑いした。だから最初にその手段をナシしようとおもったんだけど、最初から彼の頭にその選択はなかったみたいだ。
「俺に任せろよ。こう見て俺は土地勘がある方なんだ。一度目的地の方角さえ掴んでりゃ、迷路みてえに無駄な行き止まりでもない限り、道には迷わねぇ」
えっ、本当ならかなり頼もしいんだけど、全然信用ならない。人を見た目で判断するのはよくないことだけれど、外見からして方向音痴そうな感じだもの。
「テメェその目は信じてねえな」
半分くらいは信じてますけど、もう半分はあんまり信用しちゃいませんね、はい。疑心暗鬼です。よく言うじゃないですか、自らそういう過大評価をする人は実際全然そうでもなかったりするってことが。
まあ僕は今回に関しては正直道に迷ってるも同然なんで、エステに任せることにしよう。
「この学校に来る時、最後の一時間は俺が案内したろ? あれは方角が分かってたから案内できたんだぜ。俺は一切こんなとこ来たことねぇ」
「そうなの? 凄いねエステ」
「バカにしてんのか」
というわけで。
エステ曰く左の道だということで、僕たちはそっちへ走り出した。
てか、正直疲れてきた。途中休憩したいのは山々だけど、エステが全く疲れてそうな雰囲気を出しやがらないので、とにかく走り続けるしかなかった。
あれから何度も分かれ道にぶつかったが、エステは何食わぬ顔をしてどんどん道を進んでいく。少しは考えて欲しい、その間に休むからさ。
「待て」
道の途中、いきなりエステが止まるもんで、勢い余って転けそうになった。
「ハッ、ハ……ハァ……どう、した、の? エステ」
「疲れすぎだろお前」
あれだけ走って全く疲れない方がおかしい。
「前の方から誰か来るぞ。警戒しろ、あと息も荒げるな」
全然気付かなかった。メリーさんの察知能力もそうだけど、エステも大概だよ。
言われた通り、疲れた体に鞭を打って気配を殺すことに接する。やば、辛い。
小声でエステが囁いた。
「敵は二人。俺達に気付いてはなさそうだし警戒もされてない。奇襲するぞ。左を頼む」
……えっ。
今、僕に敵を任せるようなことを言ったのかな。あんな連中を相手に、いくら奇襲とは言えども立ち回れる気がしないんだけど。
「ごめんエステ、僕が左から来る相手を奇襲するってこと?」
「そうだ」
簡単に言ってくれちゃったな。さてどうしよう。
「安心しろ。俺一人でもあんな奴らなら抹殺できる。これはお前の戦闘練習だ、こんなことぐらいやって貰わなきゃ困るぜ」
僕は少しばかり絶望した。何がって、エステの性格に決まっている。そう言えば忘れていたよ、エステがとある“狩り”の一員だってことに。
こいつはその狩りの中でもトップの座に居るような奴だってのは態度で分かる。そういう立場でなければ、僕を狩りの一員に誘うような真似はできない。
それだけじゃない。何かしらの連絡機器を用いて仲間に能力使わせたりしてるってのが、確たる証拠の一つだ。
そして、敵に武闘派とか呼ばれる実力を持ちながら……彼は実に頭がいいのだ。何をするにしたって、必ず先のことを見越して動いている。だから今回の発言も先のことを見た結果なのだろう。
彼は仲間達にも、こうやって戦術指導をしているに違いない。
僕に反論する余地はなかった。僕自身、自分の弱さはもう辟易するほど身に染みているのだから、尚更。
まあ、今から“特殊能力”を身に付けましょうだなんて馬鹿げたことはできないにしろ、筋トレしてエステみたいに筋肉達磨になったり、戦闘訓練をして身を守れるようにするのは僕にもできるはずだ。
しかし。
実践を練習の場に使うって、ちょっと頂けない。
顔が引き吊ってる僕の肩に、ポン、と悪魔のような手のひらが置かれた。
「お前みたいなやつでも敵を凌ぐことはできる。いいか? まず俺が不意討ちで一人潰すから、動揺したもう一人の脚を引っ掛けろ。今はそれでいい、後は俺が隙を見せたもう一人に止めを刺す。まずは戦いの空気を身体に叩き込むことが大事だ、分かったな?」
全く持って僕が必要じゃないことだけは分かったよ。
でも、それだけならやってみようって気になれた。できるかも、と思ってしまった。
エステって恐ろしい奴だな。
「分かった。やってみるよ」
小さく意気込んで、手に力を込めた。
「律樹。全体重をかけて、ふくらはぎの下辺りに一撃だ」
「了解。僕ができる範囲で頑張ってみるさ」
「おう」
エステが、走る速度を一気に上げた。だというのに、足音が全然鳴っていない。まるで“忍者”だ、流石に殺しを生業にしているだけはある。
「あとな。やってみる、じゃねぇ」
必然的にエステから離されていく僕に、彼は最後の助言を施した。
「――やるんだよ」
地を蹴り飛ばす、鈍い音が響き渡った。ただ走るにしてはうるさすぎる、そんな音が一度だけ地下に反響する。
僕はすぐに気付いた。彼が、ありったけの力を足に入れて床を踏んだのだと。
「うらぁあ!」
雄叫びを轟かせた彼は、最後の一踏みで僕からかなり距離を離して、分かれ道の壁まで到達すると左に地を蹴った。必然的に視界から消えた彼と同時に、知らない男の悲鳴が飛び込んでくる。
宣言通り、真っ先に一人を片付けたみたいだ。
わざわざ上げなくてもいい雄叫びを上げたのは、敵に“自分”だけを気付かせるため?
一歩どころか二歩も三歩も遅れた僕は、気を引き締めて右へ曲がった。
「ひ、ひぃ……ひ、やめ」
そこに映ったのは、エステが“もう片方”の頭を潰している姿だった。僕の標的と言えば、情けない悲鳴を溢して僕の方へ後ずさっている。目の前の不幸に夢中で、僕には一切気付いていないみたいだ。
左も何もないな。そう苦笑いし僕は、なるべくエステを見ずに敵に向かい、右脚を振り回した。後ずさる相手に、駄目押しと言わんばかりのローキック。エステの狙い通りの位置に蹴りがヒットすると、相手は驚きながら後ろへ倒れた。
尻餅をつく重たい振動が伝わったのだけを確かめて、僕は振り向かない。そこで、エステは止めををさすべく、僕の横を通り過ぎた。
「……」
今更だ。本当に今更だが、人が死ぬって、気持ちが悪いな。
思い切り蹴り飛ばした右の脛がヒリヒリと痛むのを感じて、現れた感情を胸に仕舞い込む。
気持ち悪いっても、何も頭を潰された死体を軽蔑するような気持ちの悪さじゃない。
今すぐ口から嘔吐してしまいそうな、そんな嫌悪感やら寒気やらが全身から走って身震いしてしまうのだ。
エステの方を見ないようにしたのは、そんな感情で足がすくまないようにするためだった。
首から上が無い、死体。生まれて初めて見た“死”にセットで付いてきた、夥しい量の血液。生々しい肉の破片。
「う……っ、ぷ――……」
吐き気がした。次の瞬間、堰を切るように様々な感情が滲み出す。時間が経過するごとに、それらが僕の精神を擦り減らしていく。
胃酸が食道まで上ってきた。込み上がる吐き気を、焼けるような熱さを、我慢して両手で必死に押さえる。
さっきは冗談を吐ける程度には平静だったのに。これと“同じ死体”を見た時は何ともならなかったのに、どうして。
直視しなかったからなのか? 無意識下に目を逸らしたからか?
いや、そんなんじゃない。
――そうか。
僕に、責任がなかったからだ。あの時は瞬く間にエステが倒したから、どこか他人事のように思っていただけなんだ。
でも今回は、違う。
僕は、敵を殺そうとした。それが戦闘の練習だったとして……いや、だからこそ、か。そんなことのために、ただ逃げ惑う“人”を死に追いやったんだ。
頭では分かっていた。それでも、心の底では本当の意味で分かっていなかった。
人を殺すことの重大さを。人を攻撃したら、その分自分にも痛みは返ってくるってことも。
――人は死んだら、本当の意味で終わりなんだ。
まずい。気が狂いそうだ。
「……最初はそんなもんだよ」
今にも発狂してしまいそうな僕の肩に、手が置かれた。分厚く固い、しかし優しい手が。まるで全てが分かっていたかのように……そうしてきたエステに、僕は一方的に語り掛けられる。
「だから、気にすんな」
こいつは、一体どこまで予測してやっていたのだろう。僕がこうなることも見越してなければ、こうまでも適切な言葉はすぐには掛けられない。
「なんとも言えない、それが僕の心境だね」
吐き気だけは抑えた僕は、辛うじてそう言っておいた。死体はもう見ていない。幸い、彼のお陰で少し救われたから、その内に直視するのは止めた。
エステが僕の元に戻ってきているってことは、もう一人も処理したのだろう。
今回は、僕が責任を背負っている。戦力になろうがなかろうが、それは自覚しなければならない。彼が“それだけのこと”をしても平然といられる理由を考えるのは、その後だ。
僕は仮にも計画犯。実行犯を動かす首謀者、敵を倒す――いや。皆殺しを計画した、重大責任者。
受け止めなければならない。先程自分が何を言ったのかを。
「ごめん。行こうか、エステ」
ここには殺しちゃいけない法律は存在しない。だからと言うのも変だけど、殺される覚悟はしなきゃならない。
それでも。殺されるからって、殺していいのか? 相手は正当防衛、僕らは“スパイ”。彼らは自分を守るためにやってることだが、僕は違う。
「距離で言えばもうじき建物の地下に着く、お前はもう戦わなくていい、後ろにいてくれ」
なんて不甲斐ない。
あれほど口が達者でペラペラ持論を展開させるのに、何もできやしないだなんて。
足がこんなにも震えてるのを実感したのは、今日で初めてだ。
「……頼んだよ」
泣き出しそうな声で、僕はエステに汚れ役を擦り付けた。
彼なら、何人でも何十人でも殺すに違いない。そこに彼の信念や覚悟が重なっている限り、殺される相手は“殺しの対象”だ。
……押し付けるのか、僕は。
複雑に絡まった頭を両手で掻きむしって、少し落ち着くことにした。




