九話 共闘①
――次に気付いた時、また精神世界のような場所に来ていた。
場面が変わった。ここは、何だろう?
どこもかしこも真っ暗な暗闇の世界。僕は、水面に浮くようにふわりと漂っている。
何もない。鮮明に見えるのは、自分の身体だけ。
“お前は誰だ”。
ふと、脳裏にそんな言葉が現れた。
数分考えた僕は、今自分が置かれた状態を何となく察していた。
「……ああ、そうかそうか。僕は、奪われていたんだな」
一人しかいない。あの薄気味悪いのっぺらぼうに、だ。何を持ってしてどんな能力を使って僕をこんな目に遭わせたのかは、いくら思考しても答えは出なさそうだが。
……やられた。悪口君が言うには、彼の“敵”らしいのだが、じゃあどうして僕を狙った? 弱そうだから? だとしたらのっぺらぼうは頭が良かったな。
恐らく、奴は誰かを奪わなければ直接的な戦闘は行えないようなタイプだろうし、かといってメリーさんや悪口君をターゲットにしていたら完膚無きまでに叩きのめされていただろう。
さて、どうかしようにも身体が自由に動かない。音も何も聞こえてはこないし、痛みは愚か暑さも寒さも感じない。
なのに、こうして正常に頭脳は回っている。普通こういう状態に陥ったのならば、僕が“僕”で居られる方がおかしい。
のっぺらぼうは、確実に僕へ精神攻撃を仕掛けていた。何故、一番邪魔になりそうな僕自身を残しておいたんだ。
解答は得られないけど、それから推測するに、僕が“脳味噌”を正常に働かせなきゃいけない理由が、のっぺらぼうにはあるのではないのか。
だとすると、そうでないと僕を奪えない。若しくは、脳は奪えないか。――いや、両方の可能性も考えられる。
のっぺらぼうにも、同じように脳はあるはずだ。その脳が使っている力なのだから、僕の脳を使ってしまうと僕の自我に邪魔されてしまう――? いや、これじゃおかしい。
そうだ、もしかしたら言い方を変えた方がいいのかも。例えば“奪う”のではなく、“乗っ取る”のだとしたら。
僕にあって、のっぺらぼうに無い何か。若しくは、のっぺらぼうが自らに必要とした何か、それが僕の脳味噌を除く全てなのだとしたら。
これなら理屈も論理も通る。
僕が死ねば、ただ乗っ取っただけの身体は使い物にならなくなる。確証はないけれど、あの時“取られた”感覚で言えば、そうだ。僕と身体はまだ繋がっている。しかし、それを所有して動かせるのは、のっぺらぼうだ。
じゃあ、僕はどうする? のっぺらぼうの敵が悪口君である限り、戦いは続いている。僕の推測が合ってさえいれば、何かやるべきことがあるに違いない。
どうにかして、のっぺらぼうの“邪魔”をする方法は何か。
解決策は、僕が自殺すること。……しかし、身体が動かないのに死ぬことなんかできやしない。気絶も同様で、理論的には合っているが所詮は“できれば”の話だ。そんなことを言い始めたら、「僕がのっぺらぼうをぶち殺せばいい」とか言ってるのと同じになってしまう。
――何か、方法は。
「……? なんだ、これ」
急に右腕がぴくりと動いた。それを皮切りに、今まで何の反応も示さなかった四肢が僕の命令通りに動き始める。
次に、僕を阻むような、ふわりと浮かぶ得たいの知れない感覚が消えた。
ピキリ。何もなかった世界に、白いヒビのような筋が何本も刻まれていく。僕は、為す術もなく世界が変貌していく光景を見ているしかなかった。
真っ暗の視界が、音を立てて崩れ落ちた。
◇
「――んぐっ?」
言葉に出そうと思ったら、息が詰まって口に出せなかった。
え? なにこれ。次に場面が変わったと思ったら、僕の目と鼻の先にメリーさんがいた。目と鼻どころじゃない、というか――。
唇と唇、繋がってません? 気のせいかな、僕の意識がまだ混濁としているせいか。かなり生々しい音が聞こえ、平然とメリーさんの顔は遠ざかって行ったが――。
「何してるんですかメリーさん?」
キスされてた。見間違いでもなんでもないよ、確実にされてたよ。
ファーストキスだったんですけど。
「その言い方は何? 私は、貴方が奪われた“存在”を取り返したの」
――状況は上手く掴めないが、悪口君曰くこうらしい。
僕の形を成したのっぺらぼう――“カオナシ”ってのが暴れ始めた。本来ならその時点で僕は助かるはずがなかったが、メリーさんがカオナシから強制的に僕という存在を奪い返して、キスを手段にもう一度僕に吹き込んだ。
半分くらい意味は分からないが、そういうのは別にいい、元々僕では辿り着けない概念だ。だからとりあえずは。
「ありがとうございます」
まあ、結局。僕は何もできなかったってことか。
「それじゃあ、先を急ごう」
貴女にとってのキスはその程度の物なんですね、はい。
何事もなかったかのような立ち振舞いで、メリーさんは悪口君に向かい合う。
「さっきの、使えないの?」
「ああ、使えん。だが学校まではあと一時間くらいで着くからもう要らねぇよ」
あの短い期間にそこまで距離を稼いでたんですね。
まだ戻ったばかりの身体は自由には動かせないみたいで、なんとか立ち上がってから深呼吸を一つ。身体が慣れてくれるまで時間が掛かりそうだ。
……あれ? 右腕が痛くない。
触るのも痛かった腕が、打って代わってピンピンしてる。気になって添え木を外してみたが、骨折も何も怪我の一つもしていなかった。
僕に治癒能力はないんだけど、メリーさんが治してくれたのかな。そうだとしても、原因は彼女なのでこれについて感謝する必要はないか。
「生ゴミ君」
あらら、“律樹”から“生ゴミ君”に戻ってしまったみたいだ。その前に一体どうやって僕の名前を知ったのかは謎な部分だけど。
「僕は律樹ですよ」
今まではそれでよかったが、今回ばかりはやんわりと否定した。名前を知っているなら、できればそっちで呼んでくれた方がありがたいですね。悪口君。
「ああ、律樹。カオナシの件……悪かった」
妙にしおらしい雰囲気の悪口君は、素直に僕のことを名前で呼んだ。いや別に可愛くないよ、ただ他に適切な表現がなかっただけで。
にしても、僕が彼に謝られなきゃいけない要素がどこにあるんだ。
「貴方は悪くないですよ、貴方の敵であろうが何だろうが、僕が対処できなければ僕に非があります。誰だって死ぬ時はころっと死んじゃうもんですよ。僕は見ての通り弱い、なのにここは理不尽な無法の世界です。僕なんかの死で一々感情移入していたら、何も行動できませんよ」
無駄なことを語りながら、相変わらず自分の口だけは立派なんだなぁと悟った僕だった。何って、別に僕に死ぬ覚悟なんてのはないのだから。口だけ、正しくそれに尽きる。
「お前に言われねぇでも、分かってるよ」
そっぽを向いた彼は、明後日の方向へ顔をやりながら吐き出した。どこか気恥ずかしそうに、けれども真剣な口調で、僕よりも遥かに真摯に告げる。
「だが。もしもお前が死んだ時、俺は悔やむからな。それぐらいはしてもいいだろうが、律樹」
「……ありがとうございます」
随分と格好いい台詞を吐く奴だ。やっぱり訂正、“アイツ”と悪口君は似てすらいない、僕の勘違いだ。
「そうそう。僕も貴方を名前で呼びたいところですが、残念ながら知りません。教えて貰えませんか?」
例え頭の中だけの呼び名だとしても、いつまでも悪口君じゃ失礼だ。
「俺はエステだ、そう呼んでくれ」
「了解です、エステさん」
お肌が綺麗になりそうな名前ですね、と言いたいところだったが、伝わらないので止めといた。
「敬語は止めろ、ウザってぇからな」
それから。
特に何事もなく学校に到着した僕らだったが、相変わらず僕だけは学校の巨大さに絶望していた。
何これ。確かに巨大な柵で囲われていて学校だとは分かるんだけど、デカ過ぎる。明らかに学校のスケールを超越してるよこの広さ。例えるなら街そのものだ。頭狂ってる。
「おい、ガキ。お前はこんなところに何忘れて来たって言うんだ?」
相変わらず悪口を飛ばしているエステが、余りにも巨大な学校の全貌を見据えて質問した。
これ、メリーさんが作った(らしい)学校の何倍もでかいな……。
「うん、あそこの中央に高い建造物があるでしょ。あれの地下にちょっと、大切な物をね」
淡々と説明するメリーさん。どうやらエステの悪口は丸ごと無視する方針のようだ。
って。ありゃ、メリーさんいつもの演技はどうしたんですか? もしかして、もうエステ相手には必要ないと思ったのかな。だったら目的の詳細を教えてしまった方がやり易いとは思うのだけれど。
「――二人とも気を付けて。今度は私の“敵”が、つけてきてる。さっきカオナシと戦闘を終えた後、一定間隔離れた距離からずっと監視してきてるから」
中に突入する直前、メリーさんはこんなことを言い始めた。
「あ? 何にも感じねぇが」
エステが後ろの方を見た。僕も同じように後ろへ首を回したが、見えるわけはない。
「多分、私からしたら願ったり叶ったりの敵だからさ、期が熟せば私から消しに行く。向こうも私だけを狙っているみたいだから、私が合図したら遠くへ逃げて」
それってまさか。
「メリーさん、相手はアヤ――もがっ」
口に出そうとした瞬間、口を押さえられて中断された。
「喋らないで。もしも相手が会話で私の正体に確信を持ってしまったら、かなり厄介。今は私と敵で腹の探り合いをしているけれど、その膠着状態がこっちの後手で回るような壊され方だけはしたくない」
極めて小声で僕に伝えた。これじゃエステにも聞こえたかは定かではない。
「それに、その言葉を出したら“貴方”から先に狙われちゃうかもしれないよ。だからもう、二度と言わないで」
「わかりました」
その通りだ。敵がアヤクスィダントで、その目的が“メリーさん”及びアヤクスィダントを知る関係者の始末なのだとしたら、僕の発言は愚の骨頂だ。頂けないにも程がある。
ただでさえ、僕の救出の為に彼女は何度か能力を行使しているんだ。これ以上迷惑は掛けていられない。
「それじゃ、行くよ」
「ちょっと待て」
エステがメリーさんに静止をかけた。彼も頭はよく回る。ここまで違和感のある会話をされちゃ黙っていないってことは、分かってたよ。
「敵がいんなら外で迎え撃って叩きゃいいじゃねーか。中に連れ込んじまったら、不利になるのは確実に俺らだぞ」
そう。少なくとも学校の地理を全く知らないのが僕とエステ、そんな僕らからすれば、敵と対峙が上手く行くはずがない。メリーさんだって、あの話から察するに詳しく知ってるわけじゃない。
普通に考えたらそう。僕もただ忘れ物を取りに行くだけだと思っていたなら、そう言っている。
でも、本質が違う。取りに行くのは合ってるけど忘れ物ではないし、これから向かうところは得体の知れない学校なのだ。
つまるところ、敵は一人ではないと考えられる。じゃあ尚更叩ける内に叩いた方がいいとは思うが――実際それは少しだけ頭に過ったが、それは駒戦に置いては悪手でしかなかった。
メリーさんの言葉から、彼女はアヤクスィダント、または別の刺客と正々堂々渡り合える力を持っていることだけは把握できる。
しかし渡り合えるだけであって、実力は拮抗しているか、メリーさんが若干不利な状況なんだろう。
という戦況でもしもメリーさんと敵が戦えば、負ければ普通に全滅、勝っても重症の負け戦になってしまう。
加えて、学校は敵の手中に堕ちていると考えるのが妥当だ。勝ったとしても、戦闘時の異変か救援信号を受け取った相手は総力を上げて僕らを潰しにくる。
どの道良い方向には繋がらない。 今やるべきは、一早くメリーさんの“核”を取り戻して、“最終兵器”手中に納めることなのだ。そうするのが一番有効な手だとメリーさんは思っている。僕もそう、それしか方法はない気がする。
しかし、今の作戦を話し合わないで実行するとなると、流石に無理があった。僕はともかく、エステは何も知らないのだから。
そもそも彼は学校に送ってくれるだけで、手伝ってくれるとは言ってないんだけどね。
「ううん、それは大丈夫」
やたら自信ありげに答えたメリーさん。
「私しか狙ってこないって言ったでしょ。もしも私が戦闘になるようなことになったら、二人は知らんぷりして逃げればいい。敵は二人には来ないよ」
「そうじゃない、んなことしたらお前がヤバイじゃねーか。分かってんのか?」
エステがつくづく優しい人間だってのが心に染みてくる。嫌いな人間の安否まで考えてくれるだなんて、一体どこまで優しいんだ。
「数でどうにかなる相手じゃないんだよ、今追ってきているのは」
まさかこんな場所で口論を交わすことになるとは予想してなかったんだろう、メリーさんは若干焦燥しながら、どうすれば良いのか考えていた。
「あのよ、じゃあ何で律樹を連れてきた? どう考えても足手まといにしかならねーだろうが。テメェがんなことほざくんだったら、今この場で逃げさせて貰う。律樹、帰んぞ」
正論でしかない。遠回しにではあるが、僕ら二人はメリーさんに戦力外通告をされたも同然なんだ。僕は最初から分かり切っていたことだが、エステは違う。
とにかく根本の話が食い違ってちゃ駄目だ。
ならば、どうやって敵に悟られず、エステに“本当”の現状を説明しようか。
――さっきまでの僕だったら、エステと一緒に戦線離脱していただろうに。何をやっているんだろうか、僕は。
どう言葉を組み立てようか迷いながらも、僕は脳味噌の端でそんなことを考えていた。
メリーさんが助けてくれたから、僕は変な情に流されたのか? いや、僕は彼女に感情移入はしていない。ゼロとは言わないけど、少なくとも恋愛感情とか友情とかは一切ないつもりだ。
本来ならば、少しでも早く帰るのが得策な判断なんだろうし、今ならメリーさんも帰してくれそうだけど……。
「ごめん、エステ」
僕はそれを拒否した。何故かって? もう答えは出ていたからだ。
元々、エステはこの件に全く関係ない人だ。そのエステがここまで着いてきてくれたこと自体が奇跡に近い。
僕の考えてたことは根っから間違ってた。彼に、わざわざ死線を潜らせてメリーさんの目的に加担させる必要は最初からないのだ。
僕はこう、彼に返事をする。
「僕は、ここで確かめなきゃいけないことがあるから帰れない」
ここに“アヤクスィダント”がいるかもしれないんだぞ。確かめるなら、今しかない。ここで逃げ帰れば安全なのかもしれないけど、そんなことをしていたら謎は謎のままで全てが終わってしまう。
僕はルリさんに惚れているんだ。彼女の全てを知りたい、折角の機会を自ら失うのは阿呆のやることだ。
どうせ事実は事実としてあるんだから、僕はこの目でしっかりと見届けたい。するべきことは、大分前に“決めている”。それが、今になるかもしれないだけ。
「……チッ」
エステは二人に聞こえるくらい舌打ちして、眉間に皺を寄せた。
「ごめん。ここまで送ってくれてありがとう、後は僕らで上手くやるよ」
「上手くやる、だって?」
あ、マズった。どうやら僕の発言が気に食わなかったらしい。鬼神のような形相で僕に詰め寄ったエステは、人差し指を僕の心臓の方の胸へ突き立てる。
「テメェら、さっきから引っ掛かってたが、何か大事なことを隠してんだろ。いいだろう、今は何も言わずにそこのガキの言うことを聞いてやる。だが終わったら全部話せ」
……へ?
続いてその刃はメリーさんへ。
「ガキ、テメェも分かったな? 自分が強いからって、あんまり俺を舐めるんじゃねえぞ」
てっきり僕にも愛想を尽かして一人で帰ると思っていた僕は、呆然と突っ立っていた。自分が弱者扱いされたのが結構頭に来てたみたいだ。
「そもそもテメェら俺が居なくなったらどうやって帰るつもりだ? 徒歩か? 後のこと考えやがれ」
筋肉質で馬鹿そうな見た目から発される数々の先を見据えた発言に、僕は笑うしかなかった。
「えっ、結局着いてきてくれるの?」
頭に血は上っていそうだが、それでも彼は冷静だ。その証拠に、エステは他人の先の心配ばっかりしている。その行動力といい判断力といい、エステは根っからのリーダー気質だよ。
「あぁ、行くよ。お前が行くんだったら尚更な」
着いてくる理由も僕の心配か。しかしまあ、着いてきてくれるならそれが一番心強い。僕は彼の実力を知らないけど、僕の百倍は強いに違いない。
要は結果オーライってやつでしょ、多分。
「そうだね。貴方のことは少し勘違いしてた。着いてきてくれるなら……ありがとう」
えっ、おや。メリーさんがエステのこと見直してる。実は僕もさっきかなり見直したんですけど、メリーさんと僕の波長合いましたかね。
「気にすんな。いつものテメェは嫌いだが、今のお前は嫌いにはなれねぇ。それが今俺がここにいる理由だ」
彼は臭い言葉を恥ずかしげもなく言うのが趣味らしい。いやそういう場面にあるから全然格好いいんだけどさ、異性に軽々しく“そういうこと”言うのは止めといた方がいいと思う。
後これは全く関係ないけど、この人、気に食わない時とかにテメェって使うのかな? 臆測だけれど、そういう根本的なところは単純なんだな。逆に好印象。
さて。
僕は、大事な場面になればなるほど頭の中で「どうでもいいこと」を考えて自分の気持ちを紛らす癖があるみたいだ。
――分かってる。散々言っときながら、僕も情に流されているってことくらいは。
彼が言った、僕とメリーさんが隠している“大事なこと”。あれは、僕とメリーさんでは全く違う。そして、僕の下した結論は“最悪”だ。
こりゃあメリーさんが言った「災厄」ってのは、あながち間違ってはいないのかもしれない。本質的な意味では全く異なるけど、もたらす結果で言えば同じことだ。
「メリーさん」
僕は、彼女に何を言う?
「行きましょう。あんまり立ち止まってても不自然に思われるかもしれないです」
――答えは現状維持でしかなかった。それが最善だけど、僕が言いたいことは別にある。
「そうだな」
「うん」
二人は頷いたが、僕の本質に気付いているんだろうか。僕が何を考えてどう動こうとしているのか、その本質をだ。
知るわけがない。教えてもないし、気付かせる素振りもしてないのだから。
僕の答えはとうに決まっていた。後は、自分勝手で意味のない罪悪感潰しをして、自己満足に……浸っているだけだ。
僕は。




