信長と芳乃の決心
自分に子どもがいた。それももう十五になる娘が。
平々凡々な生活を送り、出会う人には優しくをモットーにしているこの自分に。……いや、基本的にいい人を演じようとしていただけで、中身はちっともいい人なんかじゃないんだよな。京子さんのことだってあの後探そうと思えばいくらでも手段はあったはずなんだ。俺はなんていい加減なやつなんだ。
何がひどいって、芳乃ちゃんが今生きてる環境があんななのは全て俺のせいじゃないのか。俺のバカな行動があの子の不幸になってしまったのだ。
それでも、目の前から去って行った芳乃ちゃんを追うことができないのはなぜか。心のどこかでは実は父親なんかじゃないのではと思ったりしてるからか。父親だったとしてもなんの責任もないと思ってるのか。
すると突然歯が急激に痛み出した。あまりの痛さに目から涙が出てきた。
「信長さん?」
大地が起きてきたのか、やってきて俺に駆け寄ってきた。
「ちょっと、歯が。あー、痛み止め取ってくる」
二階に行き、薬を探し出しすぐに飲み込んだ。その後歯医者の診察券を財布から取り出し受付時間を確認した。一階に行き大地に声を掛ける。
「ごめん今日朝ごはん無理、あと店もちょっと任していいかな。歯医者行く」
「はい! 大丈夫っすよ!」
痛みがだいぶ治まっているうちに、歯医者へと向かった。
「菫さーん、残ってる親不知抜いちゃいましょうねー」
また親不知かよ、と落胆しながら、歯医者の言う通りに抜歯を受ける。
しかし、親が知らない歯だから親不知か。親を知らない芳乃ちゃんと、親が知らなかった子どもの芳乃ちゃん。抜いておしまいか。捨てておしまいか?なかったことにして、本当にこのまま生きていていいのか……。
二回目の抜歯は案外早く終わった。歯を割らずにも済んだので形がちゃんと残った歯と対面することができて、思わず持って帰ることにした。店に帰る途中、持って帰ってきた親不知を袋から取り出して、しばらく眺めていた。
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赤ちゃんって小さい。特に手や足が小さすぎてホントにビックリする。あととにかくふにゃふにゃしていて、本当にこれは人間なのか?とも思ってしまう。自分の妹である0歳2か月児を抱っこして、マジマジと赤ん坊を見つめる。
「はいミルクー」
母が哺乳瓶を持って私に渡した。菫堂を出た私はすぐに母の新居にお邪魔し、赤ん坊の面倒を任されていた。母の再婚相手とも会って挨拶したが、いい人が服を着て歩いているような人で、母と同い年らしい。
哺乳瓶を赤ん坊に近づけると、すぐに吸い付きゴクゴクと飲み始める。色々複雑な思いはあるが、さすがに可愛いものだ。
「信長君、なんか言ってた?」
あっけらかんと唐突に話し始める母を見つめてため息をもらす。
「何も」
「あっそ。まぁーイキナリ隠し子がいるってわかっちゃあねぇ」
「てゆうか!!」
思わず熱くなってしまい、アッと思って赤ん坊を見るが、赤ん坊は微動だにせずミルクを飲み続けていた。
「こんな小さな赤ちゃんがいて、こんな家まで用意してくれる再婚相手がいるのに、どういうつもり?」
「どういうつもりって?」
母はいつの間にかアイスを取り出し食べながら聞いてくる。
「わざわざ、衝撃の事実をバラしたこととか、その……一晩一緒にいたこととか」
「うーん。深い意味はなかったんだけど。流れで?」
「ハァ?」
「いやまぁ、赤ちゃん産んだからこそ、逆によ逆に。アンタの父親のことハッキリさせてあげようかなとか、久しぶりに会ってみたくなったって感じよ」
取ってつけたような話に、あきれるしかなかった。いくつになってもよくわからない人である。わかりたくもないが。
それから体よく赤ん坊のお守り役を任されつつ、日々は過ぎ、夏休みが終わりに近づこうとしていた。そろそろ新学期か。菫堂も新味のロールケーキが出る頃かな。なんて思っているとスマホが鳴った。画面には"菫信長"と表示されていた。
「もっもしもしっ?!」
『あ、芳乃ちゃん? 信長です』
「はい」
『あのさ、今度三十日にうちの父と母の百か日法要をするんだけど、芳乃ちゃん来れないかな』
「法要?」
『うん、法事ってやつ』
「あ、はぁ、行けると思いますけど」
『良かった! じゃあ菫堂で九時に待ってるから!』
電話が切れ、なぜ信長さんが法事に呼んでくれたのかはよくわからないが、これでまた以前みたいに仲良くしてもらえたらいいなと思った。
三十日、菫堂に行くと菫堂の前に自家用車が置いてあって、そこから信長さんが顔を出し、「乗ってー」と言ってくれた。信長さんは笑顔だった。その笑顔に単純に、わーいドライブだなんて浮かれながら助手席に座った。
お寺について車を止め降りると、信長さんの親戚らしき人が寄ってきた。
「叔母さん、こんにちは」
「信長君、お店順調みたいねぇ」
「ええ、おかげさまで」
さらにお寺の中の、待合室みたいなところに入っていくと、さらに親戚の人たちが集まっていた。信長さんが入っていくとみんなが信長さんをみて、やいのやいのと声を掛ける。信長さんは笑顔で挨拶して、そして入口で立ったまま息を吸い込んだ。
「あの、お話があるんです」
「どうしたよ~、信~」
既に酔っぱらってるかのようなおじさんが声を掛ける。みんなが信長さんを見たと思ったら信長さんは突然
「この子、僕の娘を紹介したくて」
私の肩に手を置き、親戚の方達の前に突き出した。
「え?」
「ええ?」
私も驚いて声を出したし、親戚の方達も驚きの声を出した。
「ど、どういう……」
「僕の、れっきとした血のつながった娘です。なので今後ともよろしくお願いします」
どよめく親戚の方達を前に、信長さんは笑顔で私を見て頷いた。えええー?
帰り道、車に乗り込み信長さんが運転しながら話す。
「さ、これからどうする? お母さんのとこに戻る? それともお父さんとまた暮らす?」
「えっ」
「俺は芳乃ちゃんを、娘としてちゃんと迎えたいなって思ったんだ」
「でもそしたら信長さんこんなでかいコブつきになっちゃいますよ」
「いいじゃん。それの何か問題が?」
「いや、ホラ彼女とかできて結婚ってなったら」
「当分その予定はないしな。俺芳乃ちゃんのお母さんのこと未だに好きだし」
「え?!」
「だから芳乃ちゃんを餌にまた京子さんと会えるかも~みたいな下心もあるってわけ。こんな男だけど、どう?」
さすが、うちの変な母が気に入った人なだけある。そうしているうちに菫堂の前で車が止まった。
「さ、どうする?」
菫堂を前にして、返事は一つだった。