信長の思い
元々の菫堂のボロくなってるところを簡単に直し、若干暗い山小屋風だったのを少し明るく白く塗り直し、花を植えたりして気軽に入りやすい雰囲気に変えた。
そうして着々と店として体裁を整えていたら女子高生がやってきた。父も母も困っている人を放っとけなかったり、地域の支えあいみたいなボランティア活動によく参加していたから、きっとそのツテで女子高生はやってきたのだろう。まだ十五歳だというのに、母親から他人に預けられてしまう女の子なんて、少なくとも俺の周りにはそんな女の子は一人もいなかった。彼女が、鈴木芳乃が、母親のことを口に出すとき、毎回言い淀む。口に出したくないのだろう。だったら自分が母親代わりになってやる。と、おこがましく思いつつも一緒に生活し始めて少し経つと、また一人、困った客人が菫堂にやってきた。
相葉大地。最初見た時は芳乃ちゃんと同じく高校生くらいかと思ったらまさかの二十歳の成人男性というから驚いた。百万を一瞬にして騙し取られたという残念な男だが、ご両親がコツコツ貯めたお金、というフレーズにほろりときてしまってコイツはなんとか更生というか、しっかり社会勉強させてやりたいなと思ってしまった。
そうして三人で生活していくことになったが、大地が芳乃ちゃんに気があるのはすぐわかったのでおかしなことをしないよう再三注意をするのだが大地はあんまりお構いなしに仲良くするので一応保護者としてはヒヤヒヤものだ。
そして、芳乃ちゃんの俺への好意にも当然気づいているが、まぁあの年頃にはよくあることだろう。放っとくに限る。
しかし、恋か。ある朝大地に彼女の有無について聞かれたが、そういえばあの彼女のこと、俺はあんまり好きではなかったんだな、とその時自覚した。三年も付き合ったのに別れても涙の一つも出なかったもんな。本当に好きになったといえば、そうだなぁ。俺も芳乃ちゃんと同じ、十五歳の時に出会った年上の女性がいまだに夢に出たり、妄想しちゃったりしてるな。ああ、あの人は今頃どうしているだろうか。
なんて過去の女性について思いふけっているといつの間にか寝ていたようで、目覚ましが鳴った。うっと頭を押さえ辺りを見回した。あ、ヤバい。昨日大地にスゲー飲まされて俺またおかしな行動したんじゃないか。
ベッドから立ち上がりクローゼットを開けると、いつもどさーっと落ちてくるはずの衣類などが落ちてこず、綺麗に整理されていたのを見てあっちゃーとうなだれた。
以前、大学の新歓というやつで先輩に死ぬほど飲まされた時に、気づいたら家で、こういう風にクローゼットが綺麗になっていた時があった。聞いたら夜中に帰ってきた俺を部屋に連れてきた父と母がクローゼットをみかねて片付けてくれたらしい。
そして学校に行くと先輩達に俺が傍若無人な振る舞いをしていたと耳にタコができるくらい聞かされた。という前科があるので、それ以来酒はほとんど飲まないようにしてきたのだが、俺は久しぶりにやってしまったんだな、と深く後悔した。
その後いつも通り朝食を作っていると大地が降りてきて、気にしないでと優しく言ってもらえたので救われたが、もう二度とこのようなことが起きないようにせねばと心に誓った。
芳乃ちゃんも大地も夏休みになって、外出していることが多くなったなぁと思いながら過ごしていると、芳乃ちゃんが「明日母が来ます」と伝えてくれた。しっかり挨拶しなきゃなーなんて軽く思いながら翌日。
閉店間際になって裏口から「こんばんはー」と声がしたので早速向かった。こちらも「こんばんは」と声を出そうとしつつ、芳乃ちゃんのお母さんの顔を見た途端
あ、この人--と、記憶の中のある人物と同じ顔だってことに気づいた。口を開けたまま止まっていると、芳乃ちゃんの「信長さん?」という声がして、よくわからずに下を向いたらダンボールが崩れていた。あれ、いつの間に蹴ったんだろう、なんて思いながら片付けなきゃっと咄嗟に思っていたら「……お世話になっています」という声がしたので、あ、今何か喋っていたのか、と頭では思ったのだけれども、早くダンボールを直さなくちゃ、という思いでいっぱいだった。
「あれ、俺それやっときますよ。信長さんお客さんお願いします」
いつの間に大地がきてくれたんだろう、混乱しながらもダンボールは大地に任せることにした。
「あ、ああ」
「信長さん、私、母と部屋に行ってますから」
"私、母と--"その言葉が頭の中を大きく反響する中、急いでお店のこともやらなくては、と「はい」といい店内に戻って行った。
最後のお客が帰っていき、戸締りをして片付けもそこそこに二階に上がった。芳乃ちゃんの部屋のドアをノックすると、芳乃ちゃんがドアを開けた。
「あ、終わったよ」
「うん! じゃあ下行く」
奥に座るあの人には目を合わさないようにすぐに下に向かうと、後から二人分の足音がついてきた。四人掛けのボックス席に立ち、あの人が座るのを眺めた。
「何か、お召し上がりになりますか?」
「じゃあコーヒーを」
あの人が俺に向かって微笑みながら言う。やっぱり、あの人だった。俺はコーヒーを淹れにカウンターへ向かい、芳乃ちゃんとあの人の分を淹れた。
「芳乃ちゃんも、どうぞ」
「あ、はぁい」
コーヒーを置きあの人の向かいに俺も座る。
「娘がお世話になりまして。というかお久しぶりよね? 信長君」
「はい」
隣に座る芳乃ちゃんが不思議そうに俺とあの人を交互に見た。
「会ったことあるの?」
「昔、ここのお宅のご夫婦にお世話になった時に、信長君もいたから。あの頃信長君いくつだったんだっけ?」
「十五だったと……」
「そうかー、今の芳乃と同じだったんだー。あ、お父さんとお母さんのことは、ご愁傷様でした」
「はい」
あの人、京子さんは十五年前、ボロボロになりながら菫堂にきた。母がDV被害者の保護団体のボランティアをしていた時に知り合ったDV被害者で、京子さんはシェルターにいたのだがそこも当時の旦那に見つかったかなんかで菫堂まで助けを求めに来た時に俺と出会った。
京子さんは当時本当にボロボロで身体の見えるところあちこちに痣があり服なんかもみすぼらしかった。だけどそれが逆に京子さんの綺麗さを際立たせているような儚い美しさを俺は感じてしまい、惹かれてしまった。
数日間、京子さんは菫堂にいたのだが……ある日俺と一線を越えてしまった次の日には忽然と姿を消してしまった。俺のせいだと思うと、父にも母にも京子さんのその後を聞くことができず……。
「では、まだしばらくこの子のこと、宜しくお願いしますね」
京子さんの声にハッとして前を見ると、笑顔の京子さんと横にいる芳乃ちゃんが目に映った。芳乃ちゃんは十五歳、まさか、という胸騒ぎがした。
また少し、混乱した思いを抱えながら、京子さんが店から出て行くのを見送って店内に入って京子さんのことを考えた。
「私、お風呂入っちゃうね」
芳乃ちゃんがそう言ってパタパタと二階に駆け上がって行くのを見て、やっぱりちゃんと確認しなくては、と思い急いで店から出て、京子さんを探した。最寄り駅の方へ走って行くと、歩いている京子さんがすぐ見つかった。
「あの! 京子さん!」
京子さんは振り向くと俺を見つけて微笑んだ。
「信長君。あ、そうそう忘れてた」
京子さんはバッグから封筒を取り出すと俺に差し出した。
「これ、あの子の生活費。これ渡さなきゃ何のためにきたのかわかんないよねぇ」
「いや、別にいいんですけど、あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「芳乃のこと?」
京子さんは意地悪く微笑む。
「知りたかったら、今日一晩付き合ってくれる?」
近づいた京子さんから、あの頃と同じ京子さんの匂いがした気がした。
-------------------------------------------
ぼんやりとした明かりだけが照らす室内で、横にいる京子さんがため息をつく。
「信長君ももう三十かあ」
「京子さんは」
「やめて私の年を言わないで」
「変わりませんよ全く」
「うーん信長君は真面目だからなぁ」
それが京子さんにとって良いことなのか悪いことなのか、判断が付かないまま次の言葉を待つ。
「私あの頃、旦那とは全くしてなかったのよねー」
その言葉の持つ意味とは、なんて考えて、自分はバカかと思った。
「でもこんな私の言葉信じてたらバカをみるよ、信長君は」
京子さんを見ると昔出会ったときのボロボロの京子さんと表情が重なった。
「私犯罪者になりたくないし。可哀相な女の戯言だと思って」
京子さんは目をつぶり眠りに入っていった。起きたらまた目の前から消えてしまうのかなとあの頃を思い出しながら、俺もいつの間にか眠っていた。
朝起きるとやっぱり京子さんはいなかった。自分も部屋から出て、菫堂へ帰った。裏口から入って、店内を見ると、席に芳乃ちゃんが座っていたのでギョっとしてしまった。
「あ、おかえりなさい。スマホゲームしてたら朝になっちゃった」
俺は、何も言えずに芳乃ちゃんの瞳を見つめた。