4・電話帳
「どの機種に変更されますか? 当店ではスマートフォンをお奨めしておりますが」
女性店員は相変わらずの微笑で問い掛けてくれたが、僕は気も漫ろだった。
「どれでもいいです」
いい加減な僕の言葉を聞いて、渚が慌てて割り込んだ。
「あの、あたしと同じスマホにしてくれませんか?」
渚はそう言って、慌てて自分のバッグからスマホを取り出した。
「これです、これと同じヤツを。まだ三ヶ月前に変えたばかりなんです!」
女性店員は、渚の携帯電話をチラッと見ただけで機種を判別したようだった。
「その機種なら、現在〇円にて対応させていただいておりますが、在庫があるかどうか……。今調べて参ります」
女性店員は、そう言ってバックヤードに姿を消した。
「なに! 今は〇円だと! あたしはシッカリ二年返済じゃん!」
渚は怒り心頭の顔を僕から背けて小さな声で毒付いた。その様子に、僕はクスクスッと笑った。
「今、笑いましたね? 守さんはいいですねぇ、タダで。……フン!」
渚はそう言ってから、僕の顔を見て微笑んだ。
「笑えるようになったんだ。あたしはホッとしたわ」
その言葉に僕は照れた。
しばらくして、女性店員は箱を抱えて戻ってきた。
「一個だけ在庫がございましたけど、お客様と同じ『赤』なのですが。いかがいたしましょう?」
そう言って箱を開けて中身を見せてくれた。渚が持っている携帯電話と全く同じ、赤色のスマホだった。
「どうする? あたしと全く同じになっちゃうけど?」
渚が珍しく僕を心配そうに覗き込んだ。だが、僕は渚、女性店員の順にニコッと笑ってから答えた。
「それでいいです。渚と同じスマホで」
女性店員は微笑んだ。
「ありがとうございます。それではこれに変更ということで手続きさせていただきますね」
「はい、よろしくお願いします」
そう言って僕は渚を見た。渚は顔が壊れそうなくらいのスマイルを僕に見せてくれた。
手続きに入る前に、女性店員は一つの注意事項を僕に伝えた。
「お客様、大変申し訳ないのですが、電話帳のデータは移動させることが出来るのですが、カメラの写真データやメールのデータは、元の機種が古いために移行させることが出来ません。ご了承いただけますか?」
渚が不安そうに僕の顔を見たが、僕はもう決めていたので、動じることは無かった。
「はい、分かりました。それでいいです。それと、この古い携帯電話ですけど、完全に全てのデータを消去してもらって廃棄処分をお願い出来ますか?」
女性店員は深々と頭を下げた。
「承知しました。後ほどデータの消去を確認していただいてから、お引き取りいたします」
渚が僕の腕を突いて、僕に訊いてきた。
「ホントに消しちゃっていいの?」
僕は晴れやかにうなずいた。
「僕はもう決めたんだ」
渚は、僕の返事にうなずくだけだった。
僕はスマホのロック画面をフリックで解除する。
遠慮したのに、渚が親切丁寧にしつこく教えてくれたやり方で。すると、何の変哲も無い待受画面にアプリのアイコンが点在している画面が現れた。電話帳をタップすると一覧になって現れた、僕の連絡先。前の携帯電話なら連絡先の一件一件に、顔写真付きもしくはアイコン付きで表示されていたが、新しいスマホには、その機能があっても画像ファイルが無いので何も表示されていない。ただ濃淡で色分けされたシルエットが、そこにあるだけだ。
連絡先一覧を上下にフリックする。あいうえお順に並んだ連絡先の中に見付けて、フリックする指を止める。そこには『円』の文字と十一桁の数字があった。だが、そこにはシルエットしか表示されていなかった。もう僕のスマホの中には『形骸化した円』しか居なかった。
それでいいと、僕は思った。