3・悲劇
それから円との交際が始まった。
最初の頃、僕はひどく戸惑って女の子を上手く扱えなかったので、円がうまくリードしてくれた。そのお蔭で、円と一緒に居ても全然笑えなかった僕が、くだらないギャグで円を笑わすことが出来るまでになった。もちろん、円は僕に合わせて無理に笑ってくれたのだろうけれど。
円と付き合ってみて、ただ見ていた頃の円とは全然違っていることが分かった。賢くて機転の利くところはそのままだったが、優しくて気が利く女の子だった。そして、芯が強くて努力家で、そのせいか気が強いところもあったけれど、少し天然ボケなところも見受けられた。
僕はといえば、少しだけ奥手が無くなって、ちょっとだけモノを言えるようになった気がする。円と一緒に居ると少し自信が持てるようになった。
円は、あの日に二人で買った携帯電話で毎日、僕に電話してきた。電話のない日は僕から電話したり、メールを送ったりした。他愛も無いことばかりを一時間くらい話すだけだが、それが楽しい。明日またキャンパスで逢うと分かっていても、今この瞬間に円と話すのが楽しくて堪らない。
二人で遠出のデートもした。桜の花見、新緑の森林浴、夏の海水浴、秋の紅葉狩り、冬のスキーと四季折々の行楽を円と楽しんだ。もっとも、秋は紅葉狩りと言いつつ、キノコと木の実を食べるばっかりだった気がするのだけれど。
しかし、僕と円の交際は長続きしなかった。
今から三年前、付き合い始めて二年と少しの頃だ。円は交通事故で亡くなったのだ。それは、凄惨で悲惨な事故だった。
トラックの後で信号待ちをしていた円の車に、居眠り運転のトラックがノーブレーキで突っ込んで大破、円が乗っていた軽自動車は前後に圧縮され、まるで煎餅のようにペチャンコだった。挙句の果てにガソリンに引火して炎上したのだ。円の身体はほとんどが炭化してしまい、押し潰されて圧縮されていた部分が辛うじて焼け残ったという感じだった。
その遺品の中に、半分だけに焼けてしまった携帯電話があった。半分赤くて半分真っ黒になった携帯電話。あの日、二人で買った携帯電話も無残な姿と化してしまったのだ。
僕は途方に暮れた。
寝ても覚めても、思い出すのは円のことばかりだった。僕の口からは溜息しか出てこなかった。
そして、自分の携帯電話を見る度に、僕は円を思い出して仕方がなかった。なぜなら僕の携帯電話の中は円の写真でいっぱいだったからだ。待受画面、着受画面、メール通信画面、全ての画像を円の写真が占めていた。もちろん、電話帳の円のプロフィールにもちゃんと写真が貼り付けてあった。
僕はそこまで円のことを愛していた。
なのに、どうして事故なんかに遭っちまったんだ。
僕の男友達にも円の取り巻きだった女友達も僕を慰めてくれた。彼達や彼女達にはかなり助けてもらった。すごく嬉しかったけれど、僕の心に開いた穴を埋めるまでには至らなかった。
彼達や彼女達の中で、塞ぎ込み続ける僕にしつこく纏わり付いたのは、円の友達だった『渚』という女の子だった。背の高さは僕と同じくらいで、茶髪のショートボブ、いつもボーイッシュな服装で、円と同じで化粧気のない娘だった。
渚はいつもキャンパスで僕を見つけては駆け寄ってきて、こう言うのだ。
「守、いつまでも落ち込まないの。元気出して生きましょ!」
そして必ず、僕の背中を思いっ切り張り倒すのだ。
「いい加減、止めてくれよ」
僕がそう懇願すると、渚は決まってこう切り返してくるのだ。
「いつまでも円のことを引き摺ってるからよ。もう忘れてあげたら? その方が円も喜ぶって」
僕は渚にそう言われ続けて、既に三年が経過していた。
三年の間に大学を卒業して就職し、一年が過ぎていた。
それでも週末になると、渚から電話が入る。
「今週も暇なんでしょ? あたしが付き合ってあげるわ」
渚は、僕を映画やスポーツ観戦に連れ出した。そして僕を楽しませてくれた。もっとも一番楽しそうにしているのは、渚だったりするのだが。
ある土曜日、野球観戦を終えてショットバーに立ち寄った。僕はギムレット、渚はマティーニをカウンターで並んで飲んでいた。渚は、カウンターに置いた僕の携帯電話をジーッと眺めていた。グラスを置いておもむろに口を開いた。
「その携帯電話をいつまで使うつもり?」
そう言われて、僕は携帯電話を手に取った。
「そうだなぁ……」
僕のいい加減な答えに、渚はキッと睨んだ。
「それ、電波の切り替えとかでもう使えなくなるわよ。知ってる?」
「知ってる」
僕が曖昧にうなずくと、酔った勢いも加勢したらしい渚が、ポロッと毒を吐いた。
「いつまで円を引き摺れば気が済むの? あー、もー、口惜しいわね!」
渚はマティーニを一気に飲み干し、携帯電話を握り締めた僕の右手を掴んでこう言った。
「明日、機種変更に行くわよ! あたしが一緒に行ってあげる! 分かったわね?」
渚の勢いに押されて、僕はつい返事をしてしまった。
「あ、はい。お願いします」