第二章 「胎動」 第四十ニ話 「お産」
「天眼 風をみる」
第二章 胎動
第四十二話 「お産」
時は、昼の四つ(午前10時) 場所は、龍気親子が
住む長屋である。
龍気は、朝、早くに永光寺に修行に行き、その後、山へ
「杣人」(そまうど・木こりの意)の仕事に出かけていた。
長屋の奥から「小さな叫び声」が聞こえたと思ったら、
お鈴が、部屋から一目散に飛び出し、同じ長屋に住む、
源庵先生の部屋に飛び込んだ。
すぐにお鈴と源庵が龍気親子が住む長屋に向かうと、
お菊が下腹を押さえ、厨の前で這い蹲っていた。
厨の土間は、濡れており、うっすらと血が混じっている。
源庵「いかん! 「おしるし」じゃ! お鈴さん、布団じゃ、
それに、かまどに火をくべて、湯を沸かしてくれぬか、
それから、龍気殿に繋ぎを頼む」
お鈴「は・はい!」
源庵は、お菊を担ぎあげると、お鈴の敷いた布団の
上にお菊を寝かせ、襷をかけ、手早く、
手を洗うと、お菊に声をかける。
お鈴は、かまどに火をくべ、湯を沸かし
「犬笛」を吹いた。
源庵「お菊さん、予定より、早いが、いよいよじゃ、
どんな感じかの?」
お菊「はい、朝から繰り返し、痛みがありましたが、
その間が、段々と短くなってきております。
まさかとは、思っておりましたが、厨でお釜を
持ち上げた瞬間に暖かいものが、
降りてきました」
源庵「そうか、案ずることは無い。 お菊さん、
悪いが、腹を軽く押さえるぞ、
痛みがあれば、言うのじゃ、よいか。」
お菊「はい、わかりました。」
源庵がお菊の腹を軽く撫でるように触ると、
すぐに顔色が変った。
源庵「いかん!逆子じゃ・・・、」
その言葉が合図かのように、忍犬小鉄が
お鈴のもとに、飛び込んで来た。
源庵は小鉄の事も聞いていたので、即座に
お鈴に伝える。
源庵「お鈴さん、龍気殿に伝えておくれ、逆子じゃと、
ちと、やっかいな事になるかも知れぬ」
お鈴「はい、すぐに戻るように伝えます。」
お鈴は、書いた手紙を小鉄の首輪に付いている
竹筒に入れ、「龍気」と唱え、「行け!」と 命ずると、
小鉄は脱兎のごとく、龍気のもとに駆けた。
源庵 「お菊さん、聞いておくれ、やや子は逆子と
なっておる、先日診た時は
何とも無かったので、安心していたのじゃが・・・。
通常は、頭の方から降りてくる「やや子」が、
足が下となっておる。
おまけに、へその緒が普通とは違う場所に
あるようじゃ・・、
無理に足から引っ張ると、首に「へその緒」
が巻きつき、首を絞める事となる・・・。
上手く「へその緒」が「袈裟懸け」(けさがけ)
になればまだ良いのじゃが、何せ足から引っ張る
となれば、万歳の格好になるから、
首に巻きつく事が多いのじゃ・・・。」
お菊「源庵先生、私はどうなっても構いません。
この「やや子」だけは、どうか・・、
この世に産まれさせて下さい。
どうか、どうか、お願いします。」
源庵「うむ、わかっておる。何としてもやや子とお菊さんの
両方を助ける! 任せておけ!
お鈴さん、「蚊帳」はあるか? あれば、それを
吊るしておくれ、
それから、部屋中の戸を閉めてお湯をどんどん
沸かすのじゃ、その沸かした湯気を部屋中に
充満させるようにするのじゃ、
よいか! 頼んだぞ!」
お鈴「はい! わかりました!」
お鈴は、蚊帳を吊るしながら、「医者の顔」
になった源庵を見て、 動揺していた。
その横顔に長政の面影が重なったからである。
お鈴が、初めて源庵を見た時、どことなく、
頼りが無い印象を受けた。
それは、長政と比較しての事であったので、
仕方が無い事なのではあるが、 「今」の、
医者としての源庵は、ある意味、長政を超えていた。
「人を助けたい」と言う意志の下、長崎で南蛮の
医学を学び、その道を窮めてきた。
恐らく、長政もこの源庵の「本質」を見抜いていた
のであろう、それゆえ、意気投合したのかも知れぬ。
お鈴は、改めて「人」の本質が一つでは無い事を
実感するのである。
一方、源庵は、悩んでいた。
出来れば、普通に産ませるのが、一番なのだが、
三十路を過ぎてからの出産で、しかも逆子と
来ては、危険すぎる。
源庵(やはり、切るしかないか・・・、)
「お菊さん、やむを得ん、このままでは、両方危ない。
先日、話した通り、朝鮮朝顔の秘薬を使い、眠った間に
腹を切る。
痛みは無いが、一つだけ問題がある。
切った腹を縫うのじゃが、表面の腹の糸は、
後で取る事が出来るが、
腹の中は、縫う事が出来ぬ、後で取り出す訳には
いかぬからの、
そこで、この「焼きごて」で、焼いてくっつける。
もちろん、痛みは無いが、もしかすると、「二人目」は、
出来ぬかも知れぬ、 それでもよいか?」
お菊「それでもかまいません。 総て、源庵先生に
お任せいたします。どうか、 お願いします・・・。」
源庵「うむ、わかった。」
源庵は、薬箱から、「秘薬」を取り出すと、
それをお菊に飲ませた。 お菊は、秘薬を一気に
飲み干すと、「スーッと」眠りについた。
源庵「さて、お鈴さん、手伝って貰えるかな、
お母さんとやや子を助けるよ」
お鈴「はい! わかりました」
かくして、お菊とそのやや子を助けるための術が
はじまるのであった・・・。