第二章 「胎動」 第三十九話 「太風子の結末」
天眼 風をみる
第二章 胎動
第三十九話 「太風子の結末」
話を「野鍛冶」の方に戻そう。
剛力が野鍛冶の元真の所で大金槌を振るい始めて、
その一日が終わろうとしている。
さすがの剛力も、夕刻まで、槌を振り下ろし続けるには、
限界が来ていた。
人の体とは、不思議なものである。
体力が無くなると、本能的に無駄な動作をしなくなり、
一つの動作を最小限の力で、動かそうとする。
元真には、それが判っていた。
そろそろ、陽が落ちようという頃に、剛力の動きは、
削ぎ落とされ、ただ、一心に槌を振るう
「からくり人形」のようになっていた。
元真(うむ、上出来じゃ! 今日のこの感じを悟れば、
明日からは、もっと楽に
仕事が出来るはずじゃ・・、
この剛力と言う者、確かに体力もあるが、
その心根がまっすぐじゃ、
わしの言う事をよく聞き、それを素直に実践しようと
思うておる。
その素直さが、技の吸収を早くしておる・・・。
これなら、すぐに典太に追いつくわい・・・。)
元真「よし、ここまでじゃ! 剛力殿」
元真がそう言うと、 剛力は、振り上げた「大槌」を
頭上に構えたまま、ピタリと止め、
一息、大きく息を吐いた・・・。
剛力「元真殿、いかがでございやしたか?
何やら、最後の方は力が抜け、
何も考えずに、この大槌を振り下ろしておりました。」
元真「剛力殿、その感じを忘れなさるな、その感じじゃ・・・。」
剛力「はい、おっしゃる通りでございやす。
あの感じでございやすな・・・。」
ここまで来ると、二人の間に、さほど沢山の
「言葉」は要らなくなっていた。
「職人」としての感覚が言葉以上の「繋がり」を
持っているのである。
元真「うむ、今日はここまでじゃ、明日も今日と
同じ時刻に来られよ、待っておるぞ・・・。」
剛力「はい、わかりやした。 ありがとうございやした。
では、これにて、失礼いたしやす」
簡単な挨拶をすると、剛力は、野鍛冶の小屋を
出て、正覚寺に向う
空には、夕闇が迫り、二羽のカラスが、
仲良く同じ方向に飛んでいる・・・。
その後、半兵衛の手下が、「ギヤマン」の材料を
「野鍛冶の小屋」に持って来ると、道願にギヤマン
の造り方を聞きながら、まずは、「ギヤマン」を造る
「道具造り」から始まった。
長い鉄の筒であったり、ギヤマンを固める「型」で
あったりと、何せ、初めての事なので、色々と試行錯誤
を繰り返し「道具」を造った。
さらに「ギヤマン」の材料もその配合を少しずつ変える事で、
より透明な「ギヤマンの板」となるように試作していった。
ある時は、元真の作業場に吾平を呼び、太風子の
木を育てる「ギヤマンの小屋」の見取り図を
三人で話し合いながら、工夫し改良したりもした。
「ギヤマンの小屋」は、普通の小屋と変わらない
構造であるが、壁や屋根をギヤマンの板にして、木の格子と
組み合わせていく構造である。
こうする事で、お日様の光は、小屋の中に入ってくるし、
信濃の寒い冬も温泉の熱を利用する事で、
年中「蒸し暑い小屋」となる。
これで「光」と「暖かさ」の問題は、解決できた。
後は「土」であるが、その辺は、吾平の「木」の
知識が大いに役立った。
普通の土に落ち葉の腐った物を混ぜ、水はけの良い
ように、少し大めの「砂」を混ぜた。
後は、吾平の「木との対話」で、少しずつ
色々な肥料を与えたりもした。
もちろん、「接木」の技術も利用し、本来であれば、
五、六年以上は、かかるであろう「実」の収穫も、
わずか二年程で、収穫出来るようになった。
これは、剛力が長崎から持ち帰った「実」(種)と
同じ完成度であった。
温暖の差と病気に強い木を母体に、太風子の枝を
「接木」して育てるのであるから、「収穫」が早くなる
のもうなずける。
剛力は、長政から、太風子の「実」から、不治の病の
薬の作り方を教わっていた。
その作成は、そんなに難しいものでは無い。
基本は、「搾り出し」、「煮詰める」だけである。
剛力が持ち帰った大きな「瓶」に入った、「不治の病」の
薬が無くなる前に、この信濃の土地でも、「不治の病」の
薬が造られるようになったのである。
「はぐれ村」の長となった長末は、はぐれ村の片隅
に温泉を造った。
近くの源泉から、竹の筒を組み合わせて、「湯」を送り、
深く掘った穴に石を敷き詰め、そこに、「湯」をかけ流し、
湯治場を造った。
どんな病気でも怪我でもそうであるが、体を綺麗に
すると言う事は、
大切な事である。特に不治の病の傷口は、見るも無残である。
不衛生にする事は、病気の進行を早め、また、違う病気にも
なりやすくなる。
「はぐれ村の長」長末は、 万が一の事も考え、使用した「湯」を
元の源泉の近くにある、「熱い空洞」の中に戻した。
これは、医者の源庵の考えでもあり、「熱」による「消毒」を
考えたものであった。
源庵に、確かな「理由」は無かったが、ある時、吾平と話していて、
「小さな虫」が、物を腐らすのでは、無いか?
吾平が言った、その一言が、源庵の中で、ある仮説を導きだした。
源庵には、その結論がどうであるかは、現時点で「答え」が出て
いなかったが、導き出した、「小さな虫」の仮説が正しければ、
それを「熱」で焼き殺そうと考えたのである。
「不治の病」をこれ以上増やしたく無い。
その事を第一に考えた為である。
かくして、長政の「蒔いた種」は、それぞれの人の知識や想いが掛け
合わされ、一気に、一つの方向へと、動き出した。
次は、信濃の河をどうするかである・・・