第二章 「胎動」 第三十四話 「医は仁なり」
「天眼 風をみる」
第二章 胎動
第三十四話 「医は仁なり」
一夜が明けた。
源庵は、旅の疲れと、寝付けない事もあり、四人の中では、
一番最後に起きた。
目覚めた時、すでに龍気は、永光寺へ修行に行っており、部屋の中には
お菊とお鈴、そして源庵の三人であった。
源庵「お・おはようございます。」
お菊「あら、おはようございます、源庵先生、よく眠れましたか?」
源庵「はい、どうも、私が一番、お寝坊さんのようですね」
お菊「いえいえ、長旅の疲れもあったのでしょう、
源庵先生、今日はどうされます?」
源庵「はい、まずは、この近くで、開いている長屋を探し、
医者の看板を掲げようと思っています
お菊さん、開いてそうな部屋は、ありますか?」
お菊「そうですね、それなら大家さんに聞いてみましょう。
すぐそこですから、待っていてください」
源庵「ありがとうございます」
お菊「お鈴ちゃん、源庵先生の、朝ごはんを頼めるかしら」
お鈴「はい、お母さん、わかりました」
長屋には、区画ごとに大家が居る。大家は、住人の家賃を回収したり、
住人間の「イザコザ」を聞いたり、時には仕事の斡旋など、
まさに「親」代わりの存在である。
お鈴「はい、源庵先生、朝ごはんですよ」
源庵「あ、どうも、ありがとうございます」
お鈴「ところで、源庵先生、ひとつお願いがあるのですが、
いいでしょうか?」
源庵「はい、私に出来ることなら、何なりと」
お鈴「実は、三軒隣のおばさんが具合が悪くて、
寝込んでいるのです、出来れば、 診て頂きたいのですが・・、
その・・、先立つものが無くて・・」
源庵「ああ、いいですよ、まだ、「看板」は出していませんから、
お代は・・、そうですね、看板を出したら、
「あそこの医者は、腕が立つ」
と、良い評判をふれ回ってくれるだけでいいです、ははは」
お鈴「あ、ありがとうございます、それでは、お願いします」
源庵「朝ごはんを食べたら、早速、行ってみましょう」
お菊「はい、ありがとうございます」
お菊「源庵先生、大家さんをお連れしました」
大家「そちらさんかえ、部屋を借りたいと言うのは?」
源庵「はい、私は源庵と言う医者です。
この長屋に空いている部屋はありますか?」
大家「へ~、お医者さんですかい、 ええ、空いている部屋なら、ありますぜ、
ちょうど、この家の裏すじにあたる角から二番目の部屋じゃ、
いつでも入れるようにしておくから、入る時は、
わしに一言いってくれればいい。
わしの家は、この筋の右端の角じゃ、目印は、火消し用の
「天水桶」(てんすいおけ)が角にあるから、すぐに判るじゃろう。」
源庵「はい、わかりました。 それでは、後で伺いますので、
よろしくお願いいたします」
大家「あ、そうそう、火の始末だけは、用心しておくれよ、
火が出たら、この長屋は、一巻の終わりだからね、
これだけは、本当に頼むよ。」
源庵「はい、心得ています。」
大家が出て行くと、源庵は、朝ごはんを済ませ、さっそく、
三軒となりのおばさんの様子を診る事となった。
源庵「では、お鈴さん、おばさん、の所まで、案内してくれるかな?
私が急に行っても、 ご迷惑になるかも知れませんからね」
お鈴「はい、そうですね、では、行きましょうか、」
源庵は、医療道具が入っている、籐で編んだ籠を担ぐと、
お鈴と共に、三軒隣の「おばさん」の部屋まで向かった。
お鈴「おばさん、お梅おばさん、鈴です。 入りますよ。」
お梅「あぁ・・、お鈴ちゃんかえ、どうしたんだえ?」
お梅と言う女は、 三十路前の女で、気立ては良くて、
世話好きなのだが、体の線が細く、ちょっと無理をすると、
すぐに寝込んでしまうのであった。
若い時に、渡世人と夫婦になるが、旦那に女ができ、
女と出て行ってしまい、今は、一人で住んでいる。
お鈴「お梅おばさん、具合が悪いんだろう、 この人は、
源庵先生と言うお医者様なんだよ、縁あって、昨日から、
この町に来たんだけど、お梅おばさんの事を話したら、タダで
診てあげるって言うから、連れて来たんだ。」
お梅「え! お医者様かえ? 本当にタダでいいのかえ?」
源庵「私は、源庵と言います。 長崎で南蛮の医学を学んだ医者です。
こちらのお鈴さんのお父上、龍気殿に、昨晩は命を助けられましてな、
しかも泊めてもらい、朝ごはんまで、ご馳走になりました。
このご恩をお返ししたいと、考えていた所、こちらで、具合の
悪い方が居ると、聞きまして、せめてものご恩返しのつもりで
参りました。
ですから、え~、お梅さんと言いましたな、遠慮はいりません、
「ご縁」のある方ですから、お互い様です。
ご恩返しが、廻り、廻ったと考えてください」
お梅「あ・ありがとうございます、それでは、よろしくお願いいたします」
源庵「はい、わかりました、では、ちょっと失礼・・・、」
源庵が、そう言うと、昨日と同じように、襷をかけ、手を洗い、
お梅の傍に座り、色々と、これまでの病状を聞くのである。
その後で、目、のど、舌、腹や背中を軽く、小刻みに叩いたり、
例の「竹の筒」をお腹にあてたりして、診察するのであった。
源庵「うむ、これは、体の気の質が、滞っているようじゃ・・・、
具体的にどこが悪いという訳ではないのじゃが、
例えるのなら、「心の病」じゃの、お梅さん、もう一つ聞くが、
気分がとても良い時と、悪い時が、繰り返すような事が、ないかの?」
お梅「はい、その通りで、ございます。 気分が良い時は、何でもないのに、
妙にウキウキして、自分の仕事が終わっても、人の仕事まで
手伝ったりして、そんな日が二・三日続いたと思ったら、
今度は、理由も無く、何もやる気が起きなくて、
無理に動こうとすれば、吐き気がしたり、頭が痛くなったりするのです。」
源庵「やはりの・・・、それで、お梅さんは、そんな自分を、嫌になり、
いっそう、自分を嫌いになっているのであろう」
源庵は、「全てがわかっている」と、いった「目」でお梅
を優しく見ると・・・、
お梅「まさしく、その通りでございます・・・、」
お梅がそこまで言うと、急に「ボロボロ」と泣き出した。
今まで、こんな自分の事を理解してもらった事が無く。
「理解」してもらった事、 それが、うれしかったのである。
お梅は、ひとしきり泣いた後、まるで、憑き物が落ちたように、
晴れ晴れとした顔になり、源庵に言った。
お梅「すみません、急に泣いたりして、 でも、源庵先生に、
話を聞いて頂いたおかげで、何だか、すっきりいたしました。
不思議と、身体も楽になったようです。」
源庵「うむ、いいかい、お梅さん、気分が良い時も、悪い時も、
気にしなくていいのだよ、その事を、受け止め、あ、また、始まったな、
と、そんな感じで「流して」しまえば、良いのだよ、
無理して、溜め込まなくていいのだよ。
もし、それでも、だめだ! と、思ったら、何時でも、話相手になる。
そう考えれば、どうだい? 気が楽であろう」
お梅「はい、ありがとうございます。 おっしゃる通りでございます、
本当に楽になりました。
ありがとうございます。
お鈴ちゃん、良い先生を連れて来てくれて、ありがとう、感謝するよ、」
お鈴「いえ、 お梅おばさん、よかったね、元気が出て、あたいも嬉しいよ」
結局、「薬」とかの処方などは、いっさい無く、
ただ、診て、聞いて、話をしただけであった。
それだけで、お梅の顔は、源庵が、入っていった時とは、
別人のようになっていた。
お鈴は、この時、源庵が実は、長政と同じ力・「風読み」
(人の心を読む事が出来る能力)を持っているのかと感じた。
だが、そうではない。 源庵は、広く「医学」と言うものを学び、
人が何を訴えているかを色々と聞き、心と身体の両方で
治療しようとしているのだ。
お鈴は、改めて、長政と源庵が、長崎で意気投合したと言う事が、
判るのであった