6.筒井筒
各務は古来、花崗岩の産地であった。
戦後数十年までは県下でも随一の生産地であったらしく、そのときの名残が宮神社のお手水である。
参拝者はこのお手水で手を洗い、口をすすぎ、本宮へ参拝するのが通例。
そのお手水は花崗岩の一枚岩をくり貫いて作った大層なものであった。
寄贈は戦後30年ほど後なので、当時の宮神社の権威をうかがい知ることが出来る。
今でも、近所の人や氏子さんには、「お宮さん」と呼ばれ、親しまれている。
参拝用に整えられた石畳は、綺麗に掃除がされており、塵ひとつ落ちていなかった。
境内の掃除は主に父親、季直の役目なので、自分が学校に行っている間にせっせと掃いているのだろう。
その石畳に沿って歩みを進めると、本宮がある。
そこに、見覚えのある後姿を季和は認めた。
染めていないのに、日本人離れした明るい茶色い髪。その肩には鉄紺色の布袋が置かれていた。
中身は恐らく竹刀か木刀だろうと彼女は推測する。彼女が推測するであろう人物であれば・・・。
境内に入る自分の気配に気付いたのか、彼の人物が振り返る。
振り返った彼の人物は予想通り、季和の思い描いていた人物であった。
くりっとした大きな瞳は女の子にとっては可愛いと思えるパーツであろうが、彼にとっては童顔と言うコンプレックスを刺激するものらしい。
童顔のクセに、やたら背だけは高いんだよな、こいつ・・・
自分より頭ひとつ分は高い身長は、中学になってからぐんぐんと伸びたため、季和が小学生の時代はほぼ身長は変わらなかった。
それこそ、背の比べっこをしあった仲だ。
そう、彼の人物は季和の幼馴染みである一之宮明良。彼女が宮様と呼ぶ一之宮明継の次男だ。
年齢は17で同い年。ひとつしかない高校も一緒だが、クラスは違う。
部活は剣道部で2年でエースらしい。
明良の明るい茶髪や、童顔は母親の春香譲りであり、思春期を迎えた中学生からは、同年代から「年上キラー」と賞されるほど、年上の女性に人気があった。
顔は童顔だが、身長は高いし、剣道部のエースというギャップがたまらないらしい。
父親が龍脈の守護者という特殊な事情もあり、季和は小さい頃はよく一之宮家に出入りしていて、同い年の明良とは一緒に遊んだ仲だ。
逆もしかり、父親がいない場合は明継や春香が気を付かせ、明良を宮神社に赴かせることもあった。
宮神社の境内、しかも古井戸の近くで遊んだ。
そのことを後で父親に聞かせたら、苦笑されたのだが、その当時は何故なのか理解できなかった。
その苦笑の理由は、中学に入り、古典を学び始め、「筒井筒」と呼ばれる言葉を知ってからだったが。
しかし、何度も言うように、季和は彼に対し、幼馴染みという感情以上の感情は持ち合わせていない。
明良も同様に、幼馴染みの危機を救おうと協力してくれているのだろうと思う。
「よう」
正門から境内へ入ってた季和の姿を認め、彼はぶっきらぼうに手を挙げた。
「やあ、明良」と彼女も気安く挨拶をする。次いで、出た言葉は、
「珍しいね、宮神社に直接来るなんて・・・」
明良が宮神社にちょくちょく出入りしていたのは中学生にあがるまで。
それ以降は足が遠のいていた。それにあわせて、季和もまた一之宮家から足が遠のいていく。
「親父に無理やり連れてこられた」
明良は不機嫌そうだ。「第一・・・」と彼の愚痴が始まった。
「俺が学校終わったからといっても、季和が同時に学校終わるなんて確定しているわけじゃないのにさ」
云々。
彼の話からすると、授業が終わったところで、父親に拉致され、無理やり連れてこられたようである。
剣道部に出れなかったことも、彼の不機嫌さを助長させているのかもしれない。
「明継さんは中?」と彼女が向けた視線の先は社務所だった。「ああ」と明良は頷く。
季和は普段、明継を宮様と呼ぶが、明良の前では気を使って、「明継さん」と呼ぶ。
誰だって、自分の父親を~様と神聖視されるのはかなわない。
「いきなり宮神社に行く言われて此処まで来たけど、季和、お前わかるか?」
俺にはさっぱりだぜとおどけてみせる彼だが、事の重大性は重々承知しているようだ。
「まあ、大体はね」と彼女は応えてみせた。
「龍脈の開放について」
おのずと彼女の声は小声になる。龍脈の開放は極一部、限られた人間にしか公表されない。
悪意のある人間が開放中に、龍脈を得たらと考えると恐ろしいこと、この上ないのだ。
はからずしも、守護者を守る守人である明良は「ああ」とようやく納得したらしい。
「龍脈は強大な力を持っていながら、不明なことが多すぎるからな・・・」
小声になった彼女に合わせるように、明良は神妙な顔つきになった。
龍脈に関わる家系という自覚はあるらしい。
「各務の自然現象に関わっている可能性があるから、うかつに行動できないのが辛い」
龍脈に各務の住人達を人質に取られているようなものである。
よく考えて動かないと、各務の全てを失うことにもなりかねない。
「とりあえず入ろうか」
と季和は明良を促し、社務所に向かって歩き出した。