4.魔都
「魔が差した・・・か・・・」
各務署刑事課警部高崎宗佑警部は調書のページを捲りながら、背もたれ椅子にもたれる。
そのはずみでぎしりっと椅子が鳴った。
各務署は3F立ての鉄筋コンクリートの建物である。
外見は汚れてくすんだ灰色、中は雨漏りこそないが老朽化が進み、あちこちでひびが見受けられた。
耐久テストを受ければ、まごうごとなく不合格の印をもらうであろうことは確実である。
その中に、生活安全課、交通課、刑事課がある。
主に動いているのは前者二つであり、刑事課は窓際のような存在だった。
それも仕方が無いことだと高崎は思う。片田舎の各務は事件らしい事件が起こる事が少ないのだ。
そんな中で起きた女子高生の不可解な自殺未遂。
「事件か!?」と色めきたった刑事課だったが、件の女子高生に話を聞いてみれば何のことは無い。
「いきなり、飛び降りたくなった」
それこそ、魔が差したのだ。
学校と言うのは、警察も手が出しにくい機関であることは間違いない。
どうしたもんかねと彼は肩をすくめた。
「うちの若いもんは張り切っているからなぁ・・・」
高崎の部下、高井涼は各務に赴任して2年目の新米刑事だ。
これといった事件がなく、出番が無い出番が無いと落ち込んでいた。
高崎は高崎で「刑事の出番が無いのは平和な証拠だ」と思っている。
しかし、血気盛んな若者には不満だったらしい。
事件の報を聞くなり、勇んで署を飛び出していった。恐らく聞き込みに走っていることだろう。
若いっていいやね・・・
そんな後輩の後姿を高崎は、生温かい目で見守っていた。
俺にもあんな時代があったっけな・・・
高崎は高校卒業後、警察学校を経て警官になった、所謂たたきあげの人間である。
勤続40年以上、あと数年で定年を迎える。
3人の子供はとうに成人を迎え、それぞれの人生を送っている。
定年後は妻と悠々自適に、この各務町で暮らそうと兼ねてより決めており、妻もそれに同意していた。
しかし、調べれば調べるほどよく似ているなぁ・・・
勤続40年は伊達ではない。
ましてや、各務の勤務年数は20年以上になる。
その中で、今回の事件に類似する事件は過去、数回も起きていた。頻発していると言っても良い。
恐らく、高崎が知っている事例は氷山の一角に過ぎないだろう。
実際にはもっとあったと思われるが、ただの転落事故として処理されている可能性が高い。
この事件、過去の類似例にも死者はひとりもでていないのだから。
手に取った出がらしのお茶は既に冷めていた。
そのお茶を一気に呷ると、お茶の苦さが広がった。さめた出がらしのお茶は予想以上に苦かった。
新しくお茶を入れようと高崎は立ち上がった。
ゆっくりと部屋の扉が開いて、20代半ばぐらいの青年が顔を覗かせた。
黒髪に黒瞳、決して格好いいというわけではないが、愛嬌のある顔立ちをした好青年だ。
「高崎さん、お茶なら俺いれますよ」
にっこりと笑みを浮かべた彼に、「すまんな」と高崎は自分の湯飲み茶碗を手渡す。
上司のお茶汲みは部下の仕事という風潮がある。女性がいないというのにも一因の一つなのだが。
「聞き込みついでに買ってきたんですよ」と彼はコンビニ袋からスイーツやらなにやらを取り出した。
なるほど、そういうことかと高崎は納得する。
聞き込みではなく、あくまで世間話として、世間話をしてほしいということで聞き出したのだろう。
そのためには、何か買わないと、気まずいものがある。
「あ、俺の抹茶プリン、取らないでくださいよ!」
お茶を汲みながら、高井の発言。抹茶系スイーツは彼の好物だ。
戻ってきた高井は、ちゃっかり、自分のお茶も淹れていた。
嬉々として抹茶プリンのふたを開ける高井を尻目に、高崎は熱いお茶を口に運んだ。
「それで、被害者について聞いてきましたよ。この町でコンビニはあそこだけですしね」
「何かわかったのか?」
高井は首を横に振る。
「本当に普通の女子高生なんですよね」
都会に憧れているけれど、地元が嫌いではない。
周囲の女の子達にあわせて、流行を追いかけてみたり、化粧にも興味があったり・・・。
友達と一緒に格好いい男の子で盛り上がったり。
「その憧れていた男の子というのが、一之宮明良らしいですよ」
「一之宮明良、あのクソガキか・・・」
高崎の顔に皺が寄る。
「高崎さん・・・、クソガキって・・・」
「あのなぁ」と高崎は頭を掻いた。
「俺はあいつが赤ん坊の時から知ってんだぞ」
実際、彼は一之宮家の次男とは生まれる前から各務にいるので、生まれたときからの付き合いだ。
小さい頃は悪戯好きで、高崎はよくその悪戯の対象にされた苦い思い出がある。
その記憶を掘り起こしてしまい、「クソガキで十分だろ・・・」と彼は苦虫を噛み砕いたような表情を浮かべた。
「確かにあいつ、見目はいいからな・・・」
高崎は煙草を取り出し、一本くわえた。
「高崎さん、禁煙するって話じゃ・・・」という高井の声は無視だ。
一之宮家の当主夫婦は美男美女で有名だが、美の性質は違いがある。
当主の明継は艶のある美男で、妻の春香はほわほわとした癒し系美人だ。
明良はどちらかというと母親の春香に似ている癒し系、年上女性にもてそうなタイプである。
「その一之宮明良と四之宮季和が親しいという話がありまして・・・」
「それが原因というのは、おかしいな」
高崎は高井の考えを一刀両断した。
「一之宮と四之宮は父親同士が親友で仲がいいからな・・・」
早くに母親を亡くしている四之宮の一人娘は、一之宮に出入りしていて、春香にも可愛がられていた。
その中で、同い年である明良と季和が仲良くならないはずが無い。
クソガキのくせに、幼馴染みが近所の悪ガキにいじめられているのを見るとすっ飛んでいった明良を思い出した。
「両家が仲がいいのは、各務じゃ普通に知られていることだぞ」
「そうですか・・・、とすると・・・」
「事故だといいようがないな・・・」
奥歯に物がはさっているような言い方しかできなかった。
「事故・・・ですか・・・」
高井は納得していないようだ、無理も無い。
「過去にもこれと類似する事故が起きている。そういうことが起きやすい場所なんだよ、ここは・・・」
恐らく、原因は此処以外では通用しない。
「原因がもしあるとすれば、高井、お前にも心当たりがあるはずだ」
高崎の言葉に、一瞬驚いたような表情をした高井だったが、すぐに「そんな馬鹿な・・・」ととぼけた。
アタリだな・・・。
高井は高卒の高崎と違って、大卒のエリートだ。
大学を出て、警察に入ると、最初に警部補という役職を与えられる。
今の高崎の役職、警部よりひとつ下の階級だ。
そんなエリートが、わざわざひなびたこの各務に異動を命じられる、何かあったかと勘繰るのも無理はない。
聞き込みはなかなか堂に入っているし、何をやらせても器用にこなす。
頭の回転もいいし、知識も豊富。
有能で、しかも浮いた話もない有望なエリートをわざわざ、各務に飛ばすとは考えにくい。
つまりあれだ。各務の人間に馴染み深いあれに関わるのだろう。
各務に派遣される警察官は、何故か、あれ側に比較的寛容な人間が送られてくるのだ。
もちろん、高崎も寛容な警官だろう。
「高井、各務のカガミの由来知っているか?」
「えっ?いえ」と否定した高井だが、さもありなん。
高崎も各務に赴任してくるまでは知りえなかった。
「カガは古語で蛇、カガミは蛇身。蛇を冠する町の蛇は何を意味しているのだろうな・・・」
高崎は煙草をくゆらす。
「この町はよくも悪くも魔に魅入られた町なんだよ」
煙草の灰が手にした灰皿にぽとりと落ちた。
高崎さんの造詣はあれです、イージスの仙石伍長。
うちの小説のおっさん方は、この方の影響大きいです。