12.祓詞
明良の重心が押されて下がる。
押されて下がった分だけ、力一杯押し返す。
隙を見せれば、即座に勝負は決する。死亡の可能性を考えれば、気を抜くわけにはいかなかった。
じわりと木刀を握る手に汗が浮かんだ。
まずっ!汗で滑る・・・!!
内心焦りつつも、表情には出さない。
相手に手の内を悟られないのも兵法。あくまでポーカーフェイスを貫かなければならない。
押しつつ、押されつつ、一進一退の攻防が明良と亡霊の間で交わされる。
その均衡を破ったのは、ばしゃりという水音だった。
それと同時に、亡霊が鎧から流水を滴り落としながら、硬直した。
からからという音が、洞内に木霊する。音の正体は転がったペットボトルだ。
ペットボトルを所有していたであろう人物を確認すれば、その手はペットボトルがなかった。
『うぐぬぬぬ・・・』と苦しむ亡霊は隙だらけだ。明良はその機会を見逃さない。
「せやっ!!」
裂帛の声と共に、力一杯押し返す。背後によろめいた亡霊にすかさず蹴りを入れる。
どかりと亡霊が地面に倒れこみ、『ううっ・・・』と呻いていた。
「季和、今だ、やれ!!」
叫ぶ声に、
リン――
鈴が返事をした。
「掛けまくも畏き 伊邪那岐の大神――」
季和の朗々とした声が、滔々と祝詞を奏上する。
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓へ戸の大神たち
「諸々(もろもろ)の禍事・罪・穢れあらむをば」
祝詞にはあまり詳しくはない明良でも、この辺りで、季和の祝詞が祓詞だと気付く。
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
「恐み恐みも白す――」
ぱんっと音を立てて、季和が柏手を一回。一陣の風と共に、「リン」と鈴が鳴った。
亡霊の姿が消えても、虚空を睨む彼女に「終わったか?」と尋ねる。
くるりと振り返った彼女は、「終わったよ」と微笑んだ。
「明良、帰ろうか――」
転がっている空のペットボトルを拾い上げる。
星井戸の水は、全ての罪穢れを祓う清めの水、現世に留まり続け、現世の罪穢れを背負った亡魂となった霊にとっては重かったのだろうと、明良は先程の亡霊の動きを推測していた。
そのまま、ペットボトルを季和に手渡す。「ありがとう」と彼女はペットボトルを受け取った。
往路と同じ経路を辿り、梯子を上って、地上に出る。入り口は季和が手で閉めた。
開け方とは違って、何とも地味である。
その思惑が表情に出ていたらしく、明良に対し、彼女は苦笑いを浮かべていた。
プラットホームの下を通り、廃駅の中を通過、道路に戻ると、日常が戻ったような気がする。
見上げると闇夜に木造立ての廃駅が浮かび上がっていた。ふと気になり、
「この駅って、大正時代に作られたんだよな・・・?」
「大正十二年」と簡潔な回答。納得しかけた明良だったが、何かを思い出し、目を見開く。
「ちょっと待て・・・」
大正時代というのはあっていた。問題は、その年号だ。
「大正十二年って、関東大震災じゃねぇか!!」
1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(以下日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生。マグニチュードは7.9。
被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか液状化による地盤沈下、崖崩れや沿岸部では津波による被害、東京では火災が多発。
神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。
現在、関東地震のあった9月1日は「防災の日」と1960年(昭和35年)に定められ、政府が中心となって全国で防災訓練が行われている。
「明良、よく知っていたね」
「まあな・・・」
「関東大震災の際には、アメリカからの多大な援助があったらしくてね。その援助を受けて、駅建設に至ったといわれているけれど・・・」
いつになく季和の言葉が歯切れが悪かった。
「大正十二年、9月に地震が発生した割には、3ヵ月後に完成しているのが不思議なんだよね・・・」
早すぎる、それが明良の第一印象である。
「公文書、それから宮家の当主の日記に記述があるから間違いないとは思うけれど、早すぎる・・・」
震災の被害が関東、東京近辺に集中していたとはいえ、この各務にも影響が無かったとは考えにくい。
直接的な被害はなかったかもしれないが、ショックは大きかっただろう。
「当主の日記の中で、関東大震災の後、政府から駅を作るようにと命令があったと書かれていた」
季和は、日記程度の古文書なら解読できる。宮家当主の日記を解読したのかもしれない。
「何故に駅?」と明良は首を捻る。
「表向きには、倒壊してしまった建物の復興のため、加工した花崗岩をいち早く東京へ輸送するため」
各務の花崗岩が脚光を浴び始めたのは、西洋風の建物が増え始めた明治以降。
明治以降、主要都市には鉄道が整備されたが、地方の一農村でしかなかった各務はその恩恵を受けることはなかった。
各務で取れた花崗岩は、持ち運べる大きさに加工され、主要都市に運ばれた。
移動手段は徒歩、江戸時代に整備された東海道を使用していた。これも当主の日記で判明している。
「表向きということは、裏の事情が絡んでいるんだな?」
にやりと明良は笑った。それはつまり、各務には欠かせないもの。
「呪術臭いな。大方、龍脈絡みだろう?」
季和は肩をすくめる。
「明良は、へたれのクセに、肝心なところは勘が鋭いね」
「へたれは余計だ・・・!」と明良は嫌な顔をした。自分がへたれだということは重々承知している。
宮家の人間なのに、幽霊が怖いとかね・・・。
「各務の龍脈は、大本の富士山から分かれた分流のひとつと言われていて・・・」
日本最大の龍脈は富士山だといわれている。そこから分流が日本各地へ方々に散らばっている。
その分流を溜め込むであろう場所こそが、現代で言うところのパワースポットなのである。
各務はその分流がかなり太く、長いと言われている。分流の中でもかなりのパワーを有しているのだ。
「龍脈が吹き出ている場所に、駅を立て、鉄道でそのパワーを首都に流したのかも・・・?」
疑問系にならざるを得ない。もう90年以上前の話で確証があるわけではない。
加えて、呪術系の話はどうしても、裏に回りがちで、表に出ることは皆無に等しい。
東京にもパワースポットはいくつかあるが、関東大震災のパワーは、そのパワースポットすらも凌駕する力だったのかもしれない。
疲弊した東京近辺のパワースポットの地力回復に、ほぼ無傷だった各務の分流が選ばれたとも考えられる。
関東のはずれにあるとしても、関西から分流のパワーを引っ張ってくるよりかは幾分か楽だ。
「地形的に見ても、この場所に駅、交通網を作るのは四神相応に適っているし・・・」
四神相応の理に適っているためか、近くには東海道の跡地が残されている。
「あっ・・・」と明良は思い出した。
「確かこの近く、古戦場だよな・・・」
同意を求めるという以前に、それは確証だった。
龍脈に惹かれて、亡霊がやってきた理由が判明してしまった。