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終幕の勇者 〜七度目の君は最後の英雄になりえるか〜  作者: 花鶏エナガ
第1章:村の襲撃と旅立ちの決意
9/21

8:初陣(前編)

(どうしてこうなったんだろう)


 父に背を向けて懸命に走りながら、オリヴァーはふと乾ききった心でそんなことを思った。

 視界の端には血溜まりと共に倒れ伏した村人たちがうつっている。あちこちから悲鳴が聞こえている。しかしそれら全てを助けられるはずがない。

 だから立ち止まるわけにはいかなかった。


(どうして)


 昨日の夜まで、あるいは今朝目が覚めるまで、この村は平和そのものだった。もしかするとこれは悪夢なのかもしれない。そうだとしたら一刻も早く覚めてほしい。そう考えるが、血のにおいも悲鳴も、まるで夢の出来事だとは思えなかった。


「オリヴァー!」


 ふと視界の外れから叫び声が聞こえて、オリヴァーは慌てて立ち止まりながらそちらを振り返った。

 建物の陰から女性が走ってくるのが見えた。

 タイナーのおばさんだ。

 だがその背後ではゴブリンが一匹、棍棒を振り回して彼女を追いかけている。


「っ!」


 考える間もなく足が向いた。

 走りながら剣を構える。こちらに駆け寄ってくるタイナーのおばさんの横をすれ違うと、オリヴァーは奇声を発するゴブリン目掛けて剣を振った。

 ゴブリンの短い悲鳴と同時に、剣を握る手に肉を切り裂く感覚があった。

 小さな怪物がオリヴァーの目の前で血を噴きながら倒れる。枯れ葉のような体が真っ赤に染まり、オリヴァーは命を奪うという感覚に小さく息を吐いた。


「あ、ありがとう。助かったよ……」


 タイナーのおばさんの震える声は、けれどもオリヴァーにはほとんど届いていなかった。


 こいつらは村人を襲った。隣人の、ほとんど家族といってもいいタイナーのおばさんを殺そうとしていた。これは仕方のないことだ。そもそも自分が目指していた護衛者も、こうして魔物を殺すことが仕事のようなものだろう。

 やれる。やるしかない。守るために。

 そうして血のついた剣を小さく振るったオリヴァーに、「ユゼックさんは?」とタイナーのおばさんが問いかける。


「……魔人からみんなを守るって言ってました。どうなったかはわかりません」

「そうか」


 オリヴァーの言葉に何かを察したらしい。タイナーのおばさんは瞬きするように一度目を閉じて、それから諭すようなまなざしでオリヴァーを見た。


「村外れの倉庫があるだろ? あそこは一際頑丈なんだ。そこに隠れよう」


 そんなおばさんの言葉に、オリヴァーは「いや」と否定しかけてぐっと口をつぐんだ。


 オリヴァーは着の身着のままで村の外まで逃げるつもりだった。隣村までは確かに距離はあるが陽が沈むまでには辿り着ける場所だ。

 だがそれはオリヴァーが一人で、さらに何の荷物も持たない身軽な状態だからだ。

 村には子どもも老人もいる。怪我を負った人だっているかもしれない。そんな人たちを連れて村の外に出た場合はほぼ間違いなく野宿になるだろう。魔物や魔人がいつ襲ってくるかわからない状況での野宿は危険だ。しかし、だからと言ってこの村に残るのも危険すぎる。

 

 この場合ならユゼックはどうするのだろう。

 わからない。魔人に襲われた時の対処法は聞いていないのだ。


(俺の選択がタイナーのおばさんを死なせてしまうかもしれない)


 考えあぐねて、オリヴァーは「俺は」と低く声を絞り出した。


「俺はまだここに残ります。逃げ遅れた人たちを助け出さないと」


 ――逃げた。

 そう言われても仕方のない言葉だが、今のオリヴァーにはどうすることも出来なかった。

 それから倉庫へと走っていくタイナーのおばさんを見送りながら、オリヴァーは汗の滲む手でしっかりと剣を握り直した。


 自分に残されたものはもう剣だけだ。

 逃げ遅れ、怪我を負った村人を助けるのだ。魔人には対抗できなくともゴブリンなら何とか出来る。この剣で一人でも多くの村人を守らなければ。


 やがてタイナーのおばさんが建物の奥へ入って見えなくなる。その光景を見届けてから後ろを振り返ろうとした瞬間、


「まだ残っているだろう。しっかり探してくれ」


 唐突に背後から声がした。

 聞いたことのない男の声だ。まだ若く、軽やかで、後ろで起こっているであろう惨劇にはあまりにも不釣り合いだ。だがオリヴァーはそれ以上に男の声にゾッとした。

 小さい村だ。知らない村人などいるはずがないのに、その男はまるで聞いたことのない声音をしている。


「――っ!」


 その疑問に答えを導き出した瞬間、ほとんど反射的に、オリヴァーは近くの建物の陰へと飛び込んだ。

 見つかったかもしれない。心臓が口から飛び出そうなほど激しく脈打っている。タイナーのおばさんは大丈夫だろうか。他の村人は。いや、何よりも。


(父さんは?)


 心臓の鼓動と共に呼吸が荒くなった。

 ゴブリンは人語を解さない。出来るとすれば魔人だけだ。つまりあの声の主は魔人で間違いない。魔人がここまでやってきたということは、魔人に対抗すると言っていた父はどうなったのか。


「……」


 何も考えが思いつかないわけではない。しかしそれを考え出してしまうと今度こそ足が動かなくなるような気がして、オリヴァーは自身にまとわりつく不安を取り払うようにそっと建物の陰から声のした方を覗き込んだ。

 一匹のゴブリンを連れた赤毛の男がゆったりとした足取りでこちらへ歩いていた。


 真っ黒なローブを着込んで左手で顔の左半分を覆っている。やはり知らない男だ。男が連れているゴブリンは他のものよりも一回りほど大きく、なんらかの骨で作られたらしい装飾品を身につけている。おそらく村を襲ったゴブリンたちのリーダーなのだろう。赤毛の男は先ほどからそのゴブリンへ話しかけているようだった。


 オリヴァーは思わず男を凝視した。

 あれが本当に人間を虐殺するような残酷な怪物なのだろうか。見たところはなんら人間と変わりがないし、この状況にそぐわないにせよ、その態度もまるきり人間そのものだ。


「うーん。これだけだとは思えないんだ。だって魔法を使える人間もいたからねえ」


 言いながら、赤毛の男が忌々しげに顔を覆っていた左手を下ろす。

 手のひらに覆われていた皮膚には真新しい大きな傷があった。


(……父さん)


 オリヴァーはふと一人の男を思い浮かべた。

 どういうわけかほとんど出血は止まっているようだが、左目を巻き込んで縦に斬り込んだような傷だ。村人の中でそんなふうに剣を扱える人間といえばユゼックしかいない。だが男は「魔法」と言った。父は魔法が使えなかったはずなのに。

 もしかするとオリヴァーの知らないところで別の何者かがいるのかもしれない。そんなことを考えながら、オリヴァーは慌てて顔を建物の陰へと引っ込めた。


 顔にあんな大きな傷を負って、普通の人間はあんなに呑気に歩かない。会話も出来るはずがない。

 やはりあれはヒトではない。

 魔人だ。


「それで、どうしようか」


 赤毛の男――魔人が薄っぺらな声音でわざとらしくつぶやく。

 ゴブリンには人の言葉は理解できない。魔人が何らかの特殊能力を使用していない限りは、あれは全て魔人の独り言ということになる。その声音から悲壮や絶望は一切感じられない。魔人は村人が死んでいくこの様子をなんとも思っていないようだった。


(みんな、そんな奴に殺されたのか)


 不意に、体の中に一つの風が吹いた。

 幼い頃にこの村に来てから、村人たちはオリヴァーのことをまるで自分の子どものように可愛がってくれた。時には叱りつけ、共に喜び、悲しんだ。ユゼックから剣を習うのだと宣言した時には「頑張ってね」と優しい声をもらった。

 そんな彼らが、なんの抵抗も許されないまま死んでいく。


(ゆるさない)


 心の中でそんな声が響いたと同時に、オリヴァーは静かに立ち上がった。

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