4:村長の家にて(前編)
それから数えきれないほどの打ち合いを繰り返して、ようやくその日の鍛錬が終わった。
もう陽はかなり傾いている。真っ青だった空はオレンジ色に変わりつつあり、西のあたりは二色のグラデーションになっていた。
鍛錬でついた泥を落とし、自身の家にある甕の水で手を洗ってから、オリヴァーは村の中央あたりにあるバルトの家を訪ねた。バルト家には数か月前にやってきた女性がいて、継ぎはぎのエプロンをつけた姿でオリヴァーを出迎えた。
「あ、オリヴァーくん」
「どうも、お邪魔します」
明るい茶色の髪を後頭部でまとめ、やや焼けた肌にオリーブ色の瞳が鮮やかだ。街ではあまり外に出なかったのか、あるいは農作業の経験がないのか、彼女の肌は村人たちの中では抜きん出て色白だ。それも〝美人〟だと言われる所以かもしれない。
招かれるがままに家の中に入る。奥の方に寝室に続くドアがあって、中央にはテーブルと椅子が一式と、その奥には台所を兼ねた暖炉が設えてある。この村の標準的な家だ。村長なんだからより大きく造りのしっかりした家に住めばいいのに、という村民からの提案は断り続けているらしい。
「よう。今日は何してたんだ?」
バルトは奥の方の椅子に座っている。どうやら酒を飲んでいるようだ。
「剣の鍛錬です」
女性に促されるがままに向かいの椅子に座る。バルトが空のコップに酒を注ごうとしたので、「酒は」と小さな声で断った。
しかしバルトはほんのり赤くなった顔をさらに紅潮させ、「おいおい!」と荒っぽくオリヴァーに顔を近づける。
「まさかまだ勝ててねえのか!?」
「義父さんは強いんですよ、本当に」
「まあ、片腕だけで護衛者やってるくらいなんだからな。でもちゃんと狙ってんのか? 闇雲に剣を振っても意味ねえぞ」
「……狙ってる、つもりなんですけどねえ」
そもそもはじめにオリヴァーに剣を教えたのはユゼックで、その後もずっとユゼックから剣を習い続けている。あるいはオリヴァー自身も気づかないような癖が染み付いているのかもしれない。
「早く独立しろよ。そしたら護衛として雇うがてら街に行って結婚相手を見繕ってやる!」
家の壁を突き抜けるんじゃないかというほどの大声だが、バルトは面倒見がいいのだ。要らない、と断るわけにもいかず、オリヴァーは女性が出してくれた水を一口飲んだ。
「そういえば、二人は結婚してないって聞いたんですけど」
「えっ」
オリヴァーは先のバルトの言葉から繋がっている話題を出したつもりだったが、当の二人にとっては寝耳に水だったらしい。まるではかったように同時に声を上げて、それから一瞬沈黙が室内を覆った。
「あ、ああ。いや、事実上はしてるっつうか」
あからさまに視線を逸らすバルトに、隣に座っていた女性がうふふと声を上げて上品に笑う。はじめは女性に目配せして助けを求めていたバルトだが、それも諦めたようで「俺たちのことはいいんだよ!」と居直った。
「ユゼックでさえ対魔軍に入れねえって、いったい勇者ってのはどれだけ強かったんだろうな」
「それは、本当に、そう思います」
勇者とは、魔人との戦いで功績を残した者に与えられる最上位の称号である。
たとえば単身で街ひとつを魔人の侵攻から防ぎきっただとか、新しい魔法を生み出しただとか、そういうものだ。さらにこの村に伝わる勇者の伝説は半ばおとぎ話じみてもいた。いくらなんでも一人で国を奪還したというのは考えづらい。
(まあ、魔法がどんなものかもわからないからなあ)
護衛者は魔物相手に必死で戦い、魔法が使える者は命がけで魔人に立ち向かう。
魔法が使えるだけで尊敬されるというのに、その中でもさらに力のある者が国中から認められるほどの功績を残してようやく「勇者」になるのだ。このような小さな村には魔人もやってこないし、魔法すら見たことがないオリヴァーにとっては違う世界の出来事のようだった。
「たしか、『耐えよ、耐えよ、朝はやがて来たる』、だったか」
バルトが何かを思い出すようなまなざしで言って、オリヴァーはふと別世界への想像から現実へと戻ってきた。
「なんですか、それ」
「勇者の言葉だよ。えーと、何代目だったか……」
「四代目のテルースですね」
そこでようやくバルトの妻らしい女性が会話に入った。
どこか楽しげに、わずかに頬を赤らめてすらいる。オリヴァーとバルトが揃って彼女を見たので、女性は上機嫌でさらに言葉を続けた。
「ですが街ではアロイジウスを崇拝している人も多いんですよ」
「アロイジウスって言やあ、初代の勇者だったっけか」
「二代目です。初代はミディール。とはいえ、アロイジウスの功績は一言では語り尽くせない――まさに人の世を救った英雄です。魔王討伐が叶わなかったこと、それがアロイジウスの人生で唯一悔やまれることでしょうか」
女性が悔しげに言う。オリヴァーは「魔王」と小さい声で彼女の言葉をなぞり、それから幼い頃に村人たちから聞いた話を思い出した。
魔人の王、名前は知られていない。魔人たちが魔王を語る際には一様に「あのお方」や「王」と呼び、その名は決して語らないためだ。ただ、これまでに魔人たちから得た情報を繋ぎ合わせると、どうやら魔王は全ての魔人の頂点に立つ存在らしい。
そんな魔王は、数百年前、一度だけ魔人たちを率いて人間の国に侵攻したことがあった。




