10:タイムリミット(前編)
「つまり炎の霊質を持つ有牙種ですね」
エステルの言葉に、それまで話し続けていたファビアンがようやく一息ついて小さくうなずいた。
グーベルクで一番の大通りだが、まだ太陽が上りきっていないせいで辺りは薄暗く、歩いている人々もまばらだ。そして話し声もほとんどないためファビアンの言葉が余計に周囲に響いている。さらにファビアンがしきりに「魔人」の言葉を使うので、すれ違う人々はうんざりしたような顔を彼に向けていた。
昨日、老婆に礼を言って店を出たときにはもう日も沈みかけており、その日はファビアンの紹介で宿を取って解散となった。そして早朝に宿の前で落ち合って今に至る。
ファビアンの過去は起きがけのオリヴァーにはあまりにも重すぎた。
魔人に村を支配され、時折知り合いが魔人に喰われ、中途半端に抗う力が残された分ひどく無念だったに違いない。そしてファビアンの村はさながら「エステルが訪れなかったオリヴァーの村」のようだった。
エステルがやってきたからオリヴァーの村はあれだけの被害で済んだのだ。もし彼女が来なければ魔人やゴブリンに荒らされ、殺され、もしかするとファビアンの村よりももっと惨い結末を迎えていたかもしれない。
だからこそ助けるのだ。力を持つ者が救いに来た時の驚き、それ以上に湧き上がってきた希望の何たるかを知っているから。
「それから、遠くからあなたを見抜いた力が魔人の固有の能力だと思っていいでしょう。問題はどうやってあなたを見つけたかです」
「耳がいいだけじゃねえのか?」
「確かに魔人は五感が優れていることが多いのですが、さすがに目の前で絶叫されている中で弓のしなる音を正確に聞き分けられるとは思えません。聴覚とは別の力を使っているように思えます」
「そうか……」
ファビアンがわずかに目を伏せる。それから彼は左手に持つ弓をぎゅうっと握りしめた。昨日は持っていなかった、ファビアンが最も得意とする武器だ。
「ところで、ファビアンの霊質魔法って」
オリヴァーが尋ねると、ファビアンは「忘れてたな」と苦笑いを浮かべた。
「単純なもんだよ。切れ味を鋭くするんだ」
「……」
「……今『それだけ?』って思っただろ」
「いや。思ってない」
「覚えておけよ。後で腰を抜かすほど驚かせてやるからな」
「思ってないって」
オリヴァーの言葉にフンと鼻を鳴らし、ファビアンはずんずんと早足で城壁の方へと進んでいく。どうやら城壁を出て道を逸れた場所にわずかに拓けた場所があるようで、魔法の鍛錬にはうってつけなのだという。
そんなファビアンを慰めるように、「でも」とオリヴァーの隣を歩くエステルが声をかける。
「単純な方がいいんですよ。あちこちに応用が効きますし」
「そうなのか」
「もちろん複雑な霊質魔法もありますが、仲間との連携を意識するならばシンプルなものの方が把握しやすいでしょう?」
「確かに」
エステルの言葉に納得したようにうなずく。するとファビアンが不意に勝ち誇った様子でオリヴァーたちの方を振り返った。
「ほら。物知りのエステルだってそう言ってんじゃねえか」
どこかにやついたその言葉は明らかにオリヴァーに向けられていた。
そんな様子を見て微笑んでいたエステルが、「ところでファビアンさん」と彼に声をかける。
「ところでその霊質魔法はおじいさまから?」
「いいや。俺のじーさんはもっと複雑な――、勇者が使ってた魔法を劣化させたモンを使ってたらしい。俺に教える前に死んじまった」
「そうでしたか」
勇者が使っていた魔法。
その言葉に興味が湧いたものの、オリヴァーがそれを口にする前にファビアンがエステルへと問いかける。
「ところでアンタの使うレイシツ魔法ってどんなだ? 確か土、だったっけ」
「私の魔法は準備が必要なので、……それに少し複雑で、説明するのも難しいんです。おそらく切り札はファビアンさんの霊質魔法になるでしょう」
「だけど俺の魔法はちょっと制約が多いんだ」
言ってから、ふと立ち止まったファビアンが道端に落ちていた石を拾い上げる。
「魔法をかけられる対象は俺が触れているものだけ。それから――」石を道端へと軽く放り投げる。「俺の手から離れたら十秒後に魔法は解除される」
「触れかたはなんでもいいのですか?」
「俺の手に触れていればな」
わかりました、とエステルが短い相槌を打つ。オリヴァーは二人の会話を聞きながら自身の拳を握ったり開いたりしていた。
ファビアンは文字通り血の滲むような努力で自身の霊質魔法を確立した。しかも祖父が対魔軍の元部隊長で、さらに霊質が合致していると言う幸運がついて、それほどの努力が必要だったのだ。果たして自分はいったいどれほどかかるのだろうか。
(しかも、グランクスも俺と同じ火の霊質だ)
炎の壁を立ち上らせたり、それを操ったり、やはり魔人の霊質魔法は人々の常識を超えている。そんな魔法を使うグランクスは有牙種――変化種の中でも比較的弱いといわれる魔人なのだ。果たして最上位の有角種はどのような魔法を使うのだろうか。それを遥かに凌ぐ魔王は? そんな奴らと戦っていた勇者とはいったい何者なのだろうか。
考えれば考えるほど魔王討伐が無謀に思えてくる。
しかしそんな魔王討伐も、この先に対峙するグランクスを倒せなければ夢のまた夢だ。まずは炎の有牙種を倒すのだ。そうして一つずつ強くなればいい。
そう自分に言い聞かせていると、ファビアンが「城壁だ」と声を上げた。
その声に釣られるようにふと前方を見上げてみると、すぐ近くに分厚い石の壁があった。
遥かに高い石の壁がぐるりと街を囲んでいて、その真下に立つと押し潰されそうな圧迫感がある。そして街から外へ出る出入り口には鎧を着込んだ兵士が両端に一人ずつ、それぞれ槍を持って立っていた。




