9:ファビアンの過去
対魔軍の元部隊長。
そんな肩書を持った祖父は、金の霊質魔法を使える、村の中では唯一の魔法行使者だった。
だが父は魔法に関してはからっきしで、さらに剣の才能にも恵まれず、村の外れで黙々と農作業をする大人しい男だった。おかげで同じように穏やかな母と結婚した。
けれども、そんな両親から生まれた子どもは、どうやら祖父に似て魔法の才能があるようだった。
俺は幼い頃から一日中祖父の教えを請うた。
魔法の使い方、魔人の種類、普段寡黙な祖父は俺の鍛錬になるとひときわ饒舌になった。俺の霊質が祖父と同じ金であるのも幸いした。おかげで祖父の言葉を感覚でつかむことができ、ようやく基礎魔法を使いこなせるようになった頃、祖父が病死した。
流行り病だった。
祖父は時折無償で護衛者まがいのことをやっていたので、金のない村人からも慕われていた。村では一番の弔いが行われた。
魔人がやってきたのはその数か月後だった。
何の前触れもなく、突然男が一人訪ねてきた。
男は見たこともないような豪華な服を着ていた。分厚い生地をふんだんに使っている。しかしアクセサリーは何ひとつ身につけておらず、よく見れば着込んでいる服もサイズが合っていなかった。
けれども、村人たちにはそれを〝おかしい〟と判断できる者はいなかった。
村人たちは純粋無垢だった。
悪く言えばただひたすらに無知だった。
男が一晩泊めてほしいと言うので、村長の一家が総出で出迎えて歓迎した。男は村に入る瞬間少しだけ顔をしかめた。けれどもそれを怪しむ者もなかった。もし気付いたとしても何もかもが遅すぎたのだけれど。
そうして村の中に入った途端、男は本性を現した。
「わたしはグランクスという。早速で申し訳ないが、糧になって頂こう」
男はそう言ってニタリと笑った。その時の俺は祖父が遺した家の中からその光景を見つめ、やがて体の奥底から全身が冷えていくような感覚がした。
男の薄い唇からは牙が覗いていた。
人間の歯とは比べ物にならない、猛獣のそれが。
「わたしに傅け」
男が、魔人が言った。俺たち村人はそうするしか出来なかった。まるで抵抗する意思を丸ごと削がれてしまったみたいだった。
それから魔人は村で一番広い家に住み、村人たち全てを支配下に置いた。
目立った暴力はなかった。村を出ることがなければ仕事も娯楽も許された。ただ村長一家は頻繁に魔人に呼ばれていたので、何らかの別の仕事を命じられていたのかもしれない。俺は何もわからなかった。ただ絶対に「魔法が使える」ことを知られてはならないと思った。その瞬間なすすべもなく殺されるだろうことは察していた。
転機が訪れたのは魔人が住み始めてからひと月ほどが経ったころだった。
村の若い娘が一人死んだのだ。
俺はまだ子ども――村人の中では比較的若かったから、たぶん大人たちが隠してくれたのだろう。結局遺体を見ることはなかった。けれども、どれほど隠されても、娘の両親が嘆いている声はしっかり聞こえてきた。
「あの魔人に娘を喰われた!」
魔人が訪れてから村中が静まり返っていたので、その声はまるで鐘の音のように村中に響き渡った。
倒さなければ。
俺はそう決意した。あるいは決意するのが遅すぎたのかもしれない。しかし無謀に歯向かっても死ぬだけ、最悪の場合は村のみんなが殺されるかも知れない。だから夜な夜な鍛錬に明け暮れた。
どうやら魔人も夜になるとぐっすり睡眠をとるようだった。
俺は魔人が眠ったのを見計らって奴のいる家から最も遠い場所へ向かい、ひたすらに矢を射た。チャンスは一度きりだ。外せば殺される。そう思うと弓を引く手は止まらず、気がつくと手のひらの皮が破れて傷だらけになっていた。
霊質魔法が使えるようになったのは三か月が経ってからだった。
その間に何人かの村人と移住者が犠牲になった。
焦る気持ちを抑えながら、俺は魔人を倒すチャンスを窺った。魔人はほとんど家から出てこないが、ごくまれに村長一家が移住者を連れてきた時だけは村の入り口までやってくる。おそらくはそうして移住者たちを恐怖で支配して、村長一家には移住者を引き入れるよう命令しているのだ。俺は次に移住者がやってくる時を決行日と決めた。
数日後に新たな移住者がやってきた。
俺は村の入り口を見渡せる場所に身を潜めた。建物の陰になっていて見つけづらく、弓を射る際に障害になるものもない。
そうして魔人が出てきた。
家の中ではどうだか知らないが、魔人はここに来た時と同じサイズの合わない豪奢な服を着ている。そして不思議そうな顔をする移住者に対して何やら話をしていた。見る見るうちに移住者たちの顔から血の気が引いていく。
俺は大きく息を吸ってからギリギリまで弓を引いた。
狙うべきは頭。
それ以外にない。
『ファビアン』
頭の中で祖父の声がこだまする。
『お前は強い。だからこそ焦るな。焦ってその才能を無駄にするべきではない』
それは祖父の口癖のようなものだった。
幼い頃の俺は自身の才能を他人にひけらかしたくて堪らなかった。両親、村長、村のみんなを驚かせたかった。けれども祖父は「力はそんなふうに使うものではない」と時折俺をたしなめた。その意味がようやくわかった。
俺が霊質魔法を使えると村人たちに知らせていたら、もしかすると魔人は真っ先に俺を殺したかもしれない。俺は他の村人から「魔法が使えるらしい」程度の認識しか持たれていないはずだ。だから村人は俺の実力を知らなかったし、魔人の方もわざわざ村人の力を測るような真似はしなかった。それが幸いした。
きっと俺の力は今日この時のためにあるのだ。
弓を射る。狙いを定める。この時のために研いでおいた矢じりに霊質魔法をかける。それから魔人の動きがぴたりと止まった時、
「――」
標的と目が合った。
その瞬間俺は飛び上がった。
俺は一切音を発していない。確かに弓のしなる音はしたかもしれないが、普通の人間ならば聞こえるはずのない距離を取っていた。それに魔人は移住者に向かって話をしていた。移住者の一人が恐怖に甲高い叫び声を上げていて、それなのに奴は自身を狙う俺の存在に気がついたのだ。
体が震える。両足の震えのせいで立っているのかどうかもわからない。だが弓矢は落とさずに懸命に握りしめた。そうでなければ本当に戦うすべをなくしてしまう。しかし、俺の闘志は次の瞬間に簡単に打ち砕かれた。
魔人を囲うように炎の壁が立ち上った。
祖父を弔うときに見た炎、あんな無秩序なものではない。まるで何かに操られているかのように真っ赤な炎が薄い壁を形作っている。周囲に飛び散る火の粉に移住者や村長たちが一斉に身をひるがえして逃げ出したが、炎の壁はそれ以上動かなかった。それは決して俺の矢を通さない分厚い壁だった。
――失敗した。
そう悟るや否や、俺は魔人に背を向けて逃げ出した。
とにかく走った。走り続けた。元々脚力には自信があった。その足が折れるまで――いや、たとえ折れても走り続ける覚悟だった。
そうしてひたすらに街道を進み続け、グーベルクに着いた頃にはボロボロになっていた。けれども立ち止まるわけにもいかなかった。俺のせいで村人のみんなが死ぬかもしれない。早く助けを求めなければと、そう思ってすぐさま護衛者組合に駆け込んだ。
もちろんすぐに偵察に長けた護衛者を派遣してくれたし、対魔軍にも報告してくれた。
しかし戻ってきた護衛者たちは「魔人はいなかった」と結論づけ、護衛者組合も俺を嘘つきだと断定した。
ただおかげで村人たちの生存は知ることが出来た。
それが何なのかはわからないが、どうやら奴には村人を皆殺しに出来ない事情があるようだった。
それから俺はなけなしの金を使って護衛者組合に登録した。嘘吐き呼ばわりされている中での登録はかなり難航したが、俺の弓の腕前を見せれば組合の奴らも渋々受け入れざるを得なかったらしい。俺はどうにか護衛者になって、それから少しずつ情報を集めた。
そうすればいずれあの魔人を倒すことも叶うだろう。




