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5:グーベルク

 宿に戻って支度を終えると、二人は早々にその村を出た。

 夕食の残りは丁寧な言葉と共に女性に返した。女性は何度も何度も頭を下げ、二人が見えなくなるまで村の入り口で見送っていた。


 その後はまた舗装されていない道をひたすらに歩いた。

 目的地であるグーベルクは徒歩で半日ほどの距離にあるらしい。道中何度か休憩のために木陰に寄ったが、オリヴァーは道端に座るエステルとは対照的に何度も剣を振った。


 魔法はまだ満足に使えていない。数回に一度成功して木の幹に傷をつけるものの、その強弱さえ一定しないのだ。微かな傷をつける時もあれば大木を大きく削ってしまうこともある。しかしエステルはその様子を見つめつつも何も言わなかった。ただ満足そうに微笑んでいるのでそれなりに進歩しているのだろうと、オリヴァーはそう思うことにした。


 それからグーベルクにはすんなり入ることが出来た。

 どうやら街を囲む城壁に結界が張ってあるらしい。街をぐるりと取り囲む城壁には所々に人が立っているのが見える。おそらく都市を守る対魔軍だろう。あまりにも遠いためそれぞれの顔は見えないが、くすんだ銀色の鎧を纏って長柄武器を持っているのはわかった。

 それをぼんやりと見上げていると、隣に立っていたエステルがおかしそうに笑った。


「そんなに珍しいものでしょうか」

「対魔軍は初めて見たんだ」

「心配せずとも、これからたくさん見られますよ」


 エステルが穏やかに言う。それに応えるように視線を逸らして人混みへと向けると、


「お嬢ちゃん、探し物かい?」


 不意に後ろから声がかかった。

 声のした方を見やる。中年の男がエステルに笑顔を向けていた。


「……探し物というか、人探しなんですが、ついでに街を見回っておきたくて」


 エステルが遠慮がちに言う。男は身なりこそしっかり整えているが、貼り付けたような笑みは下品ささえ感じさせた。適当に切ったらしい口髭がそれを助長している。

 こんな表情は見たことがなかった。少なくとも村人たちは一切見せてこなかった顔だ。

 じいっと男を眺めて、その粘りつくような笑みに薄気味の悪さを覚える。一方で男はオリヴァーには見向きもせずに舐め回すようにエステルを見ていた。


「じゃあ案内するぜ」

「はい。お願いします」


 エステルの言葉に、オリヴァーは男を殴り飛ばしたくなるのを懸命に抑えつける羽目になった。

 男の狙いはエステルだ。それは嫌でも感じ取れる。だがオリヴァーは男の目的を図りかねた。人さらいか、奴隷商人か、あるいはもっと別の目的なのかもしれない。ただどう考えてもエステルにとって良い結果にはならないだろう。


「ようこそグーベルクへ!」


 エステルの笑顔を受けて、男は大仰な仕草で両手を広げてそう語り始めた。


「知っていると思うが、ここは護衛者が多く集まるってんで有名な街だ。領主様が対魔軍にかかる金を浮かすために護衛者に対する取り締まりを緩めたとか、まあ噂はあるがな」

「へえ、そうなんですか」

「お、もしかしてお嬢ちゃんは知らないのか?」


 やや大袈裟なリアクションを取ったエステルに、男はわざとらしく目を見開いて彼女の顔を覗き込む。


「そうですね。知りませんでした。なので色々教えてくれませんか」


 エステルが眉尻を下げながら言う。隣に立つオリヴァーは口を閉ざしたままエステルを見やった。

 彼女の言葉は嘘であろう。少なくともオリヴァー以上に物事を知っているし、何よりも表情が薄っぺらいのだ。しかし男は何ら疑いのない様子であちこちを指差しながら大通りを歩き始めた。


「あそこは鍛冶屋。武器を売ってるな。一応触媒のある武器も扱ってるが、まあ普通の護衛者には無用の長物ってやつだ」

「緑色の屋根のあれは対魔軍の窓口。魔人を見かけたり、対魔軍の部隊に護衛を頼みたい時はあそこに行けばいい」


 エステルの隣に立った男が次々と建物を指してはぺらぺらと喋っていく。エステルはその都度相槌を打っていたが、ある建物を見かけると途端に男の言葉を遮った。


「あそこは?」


 話を遮られた男は一瞬不快そうな表情をしたが、すぐに元の明るい目つきを取り戻した。


「護衛者組合の窓口だよ。あそこに行って依頼内容を伝えてお金を払えば適した護衛者を仲介してくれるって寸法さ。もちろん個人に指名も出来るがその分高くつく。ついでに俺の仕事場だ」

「護衛者なんですか?」

「そうだ。若え時からな」


 男が自信ありげに笑う。確かに服の袖から覗く腕は逞しく、よく見れば所々に小さな傷跡もあった。若い時から護衛者をやっているということは、それなりに腕に覚えのある男なのだろう。「俺の仕事場」なんて言葉からもその誇りが窺える。それに対してエステルは男の言葉など全く気にしていない様子だった。


「強い護衛者さんがいると聞いたのですが。なんでも魔人と戦ったとか……」

「ああ、あいつか」

「ご存知なんですか?」


 男が表情を曇らせる。極力触れてほしくなさそうな表情だが、エステルの機嫌を損ねる態度は避けたいらしい。彼はエステルの更なる問いかけにも苦笑いですらすらと答えた。


「あいつはホラ吹きだ」

「ホラ吹き?」

「魔人と戦って生き延びたなんて嘘に決まってる」


 うんざりしたような男の言葉に、エステルがチラとオリヴァーを見やった。フードの影に隠れて見えづらいものの空色の瞳を細めて満足げな表情をしている。だがオリヴァーは男の言う「ホラ吹き」という言葉を払拭しきれずにいた。


 護衛者の中でも力のある者は対魔軍に引き抜かれることがある。対魔軍に入れば家族にも一定の暮らしを保障してくれるらしい。何よりも国が身分を保証する点で様々な恩恵がある。つまり魔人と戦って生還できるほどの者ならば護衛者に収まっているはずがないのだ。

 なんらかの目的で護衛者を続ける場合もあるそうだが、そんな者は一握りであろう。


「そうなんですね。その人の名前は?」

「確か、ファビアン、なんとか、だったかな」

「そうですか」


 しかしエステルは男の言葉をそれ以上追及せず、むしろ全く別の話題を出した。


「宿屋はありますか?」

「宿屋?」


 男がニンマリと笑う。待ってましたと言わんばかりの顔つきでオリヴァーをチラッと見やってから、建物裏に続く細い通路を指差した。


「こっちだ。あんまり知られちゃいねえが安くていいところがあるぜ」


 そこでようやくオリヴァーは男の目的を理解した。

 男はおそらく自身の欲望を発散するためだけに彼女を路地裏に誘い込もうとしている。オリヴァーに見向きもしないのは護衛者である自分の腕を信じているからだろう。だが、どうやら男は彼我の力量差を測る目を持っていないようだった。


「ありがとうございます」


 エステルが貼り付けたような笑顔を向ける。それから男に促されるがまま三人で細い路地に入った。

 路地は建物の影になっていてやや薄暗い。突き当たりには建物の壁があって、そこから左右に道が開けているようだ。

 男がどんどん奥へと進んでいく。それから突き当たりの近くで立ち止まると、「ここを左に曲がったところだ」と右手でさらに奥を指した。どうやら二人を先に行かせるつもりらしい。


「わかりました」


 エステルが早歩きで男の指す方向へ歩いていく。オリヴァーも男を背後に置き去りにしたまま彼女の後ろを進んだ。

 左に曲がる。その先はより薄暗く細い路地になっていた。もちろん人の気配はない。その上宿まで案内するはずの男の足音も聞こえなかった。

 代わりにわずかな空気の揺れがあって、振り向くより早く、オリヴァーはとっさに身を屈めた。


「なにっ」


 後ろから驚いたような声がする。一方で腰に差した剣に手を伸ばしながら背後へと身を翻し、それと同時に男の足を払えば、視界の端で男が後ろ向きに倒れるのが見えた。

 ドンっと鈍い音が薄暗い路地に響く。


「いってェ!」


 背中から地面に転がった男が苦痛の声を上げる。間髪入れず剣を抜きかけたオリヴァーに、「降参だ!」と男が投げやりな言葉を吐いた。


「お前っ、ただの旅人じゃねえのかよ!」

「旅人ですよ。でもここで終わるわけにはいかないんです」


 オリヴァーの背後でエステルが静かな声で言う。彼女へと視線をやった男は悔しそうにエステルを睨みつけて、それから転がるように向こうの大通りへと消えていった。


「わかって付いていったのか」


 オリヴァーが剣を鞘に収めながら尋ねると、エステルは「ええ」と簡潔に肯定する。


「ああやって向こうから声をかけてくれると助かるんです。案内を頼むとお金を要求されたりされますから」


 なるほど、と息を吐いたが、オリヴァーは納得できずにすぐさま「いいや」とエステルの言葉をやんわりと否定した。


「お金なら払えばいいから、今後は危ないことはやめてくれ」

「そうですか。わかりました」


 あっさりとした声音でエステルがうなずく。

 それから彼女はローブについたホコリを払って微笑みを浮かべた。


「さて。護衛者用の窓口へ行きましょうか」

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