1:憧れ
――魔法とか使ってみたいなあ。
剣の素振りを終えて、オリヴァーはふとそんなことを思った。
額に汗が滲んでいる。冬を乗り越えて種まきの日を控え、まだ肌寒いものの空は快晴だ。陽射しもある。それゆえに湧き上がって来るのはどこか爽やかな疲労感だった。
初めて剣を持った時にはその重さに驚いたのだが、今では片手で容易に振り回せるようになっている。そんな成長を実感しつつ師匠の方を振り向けば、
「魔法?」
近くに立っていたユゼック・ベルメールが少し難しそうに首をかしげた。
どうやら無意識のうちに声に出してしまっていたらしい。オリヴァーは剣を持ったまま取り繕うように笑みを浮かべて、
「だって義父さんも使えたら嬉しいだろ?」
少しだけ羨ましげにそうつぶやいた。
するとユゼックは困ったような笑みを浮かべて「そうですね」と空を見上げる。
「確かにそうですが、私には少し不釣り合いですよ」
「そうかな」
「不相応の力は持つものではありません」
ユゼックが微笑みながら言う。いまだにオリヴァーに対する敬語が抜けていないのは彼の忠誠心が厚すぎるゆえか、義理の親子という設定を受け入れられないからか。子どもゆえに柔軟だったオリヴァーと違って、ユゼックの精神はまだ十年前のあの夜にあるようだった。
十年前、二人がこの村に辿り着く前、オリヴァーはユゼックから「これから私たちは親子になります」と聞かされた。その時のユゼックは見ている方が罪悪感を覚えるほど辛そうな表情をしていた。オリヴァーも当時のユゼックが「不服かもしれませんが」と深々と頭を下げていたのを覚えている。しかし当時のオリヴァーは言葉の意味がよくわからなかった。
そもそも物心ついた頃から父はいなかった。母は父についての話を――まるでそれが禁句であるかのように一切口にしなかったし、生きているのかどうかさえ知らないままだった。だからこの人が新しい父親だと言われても実感が湧かなかったのだ。
父親とはどういうものか。母親とは何が違うのか。
そんな疑問は十年が経って解消されたか。
答えは否である。
「それに魔法にもいろいろあります。覚えていますか?」
「魂の質、だったっけ? 火とか水とか……」
幼い頃にユゼックから聞いた話を思い返す。
「そうです。元は人間が生まれ持つ魂の質を五つに分類したものですが、そもそも人は自身の魂の質にあった魔法しか使えないのです。あいにく私には他人の魂を見る力はありません。始めに自身に合わない魔法を選択し習ってしまうと、それだけで大きなロスなのです。属性によらない基礎的な魔法もありますが、習得できるかもわからない魔法を習うくらいならば剣を学んでいた方がいいでしょう」
それに、とユゼックが地面に突き刺した剣を引き抜きながら言葉を続ける。
「オリヴァー様には剣の才能があります」
そう言われるとくすぐったい気分になる。ユゼックは滅多なことでオリヴァーを褒めないが、剣の扱いに関しては初めて握った時からたびたび似たようなことを言った。
「そういえば母さんも言ってた。俺には特別な力があるって」
それは薄暗い部屋で何度も聞いてきた希望のようなものだった。
ぼそりとつぶやいた言葉に息を吐いて、ユゼックはまるで哀れみをかけるような目でオリヴァーを見た。
「母親というのは誰しもが我が子にそういう期待をかけるものですよ」
――それはそうなのだろう。
村人たちだってそうだ。母親はみんな子どもに大きな期待を抱いている。オリヴァーもたまに子どもの世話を頼まれるが、その時の母の言葉はいつも希望に満ちていた。だからユゼックの言葉が理解できないわけではない。
けれども、リューディアの言葉には何かを確信したような固い意思があった。辺境の村から英雄が現れるような夢物語ではない、何らかの根拠を持っていたかのように。
(まあ、勘違いかもしれないけどな)
何せ十年前のことだ。村での生活が長くなるにつれ、あの薄暗い部屋での生活も少しずつ思い出せなくなっている。そこで唯一の幸せな記憶である母の言葉を大袈裟に捉えた。充分に考えられることだ。
「それよりも剣は確実です。その刃は間違いなく敵を倒し自身を守ってくれる。だから私はオリヴァー様に剣を教えるのです」
ユゼックが剣を持ち直して、それから腰に差していた鞘にすっと収めた。鞘を繋ぎ止めているのは使い古されたベルトだ。傷だらけでところどころが破れかけている。以前に別の街に行ったときに中古のものを買ってきたらしい。一方で剣の鞘は綺麗に磨かれていて、装飾こそないものの洗練された印象を受けた。
オリヴァーはユゼックの出自を知らない。
ずっと前から剣を習っていて、縁があってリューディアと知り合った。以前に問いただしたときにそんなことを言っていたが、果たして本当なのかはわからない。オリヴァーにはユゼックの話を嘘と断じるほどの知識がなかったのだ。
八歳までは屋敷の一室で母と二人きり。それからの十年は村から出たことがない。
あの薄暗い部屋とこの小さな村がオリヴァーの世界のすべてだった。




