4:夜明けの襲撃
「おはようございます」
澄んだ爽やかな声で目が覚めた。
うっすらと目を開ける。それから薄暗がりに緑色の瞳が見えて、その瞬間飛び起きた。
「エステル!?」
「初めて名前を呼んでくださいましたね。ではお返しです。おはようございます、オリヴァー」
寝起きのオリヴァーに対し、エステルはもういつでも出立できそうなほどに服装を整えている。まさか寝坊か。そう思って窓の外を見やるが、東の空がわずかに白み始めている頃だった。
「なんでここに」
「目覚めが遅いので呼びに来たんですよ」
「え……」
まだ夜明け前だ。いくら何でも出立には早すぎる。そう思って声をかけようとしたのだが、
「あなたの村を襲ったゴブリンが近くまで来ています」
息を潜めたエステルの言葉に、オリヴァーは思わずぐっと息を詰まらせた。
あの日、村に残っていたゴブリンは全て殺したはずだ。だがオリヴァーたちを警戒して逃げたか、あるいはすでにあの場から離れたものだっているだろう。まさか仲間を殺された復讐で自分たちを追っているのか?
ベットから降りて窓の外を見やる。少しずつ明るくなる空に紛れるように、いくつかの小さな影が動いているのが見えた。村を囲う柵の内側に入ってこようとしないのは結界が機能しているからだろう。けれどもオリヴァーは言い知れぬ不安を覚えた。まるであの甲高い潰れたような叫び声がここまで聞こえてくるようだった。
「魔人に使役されて褒美をもらうはずが、期待していたものが何もなかったのです。しかも自分たちのリーダーまで殺されたのですから、その腹いせに他の村を襲おうとしているのでしょう」
「俺たちへの復讐は……」
「私たちの痕跡を辿ってここまで追ってこられるとは思えませんし、もしそうなら道中で襲った方が簡単です」
冷静な声で言って、エステルがオリヴァーの名前を呼ぶ。
「さて、どうしましょうか」
その問いかけでようやく気がついた。
エステルは魔人にも勝るほどの実力者だ。ゴブリンの接近に気付いたのなら一人ででも簡単に対処できただろう。それなのにわざわざオリヴァーを起こしたのだ。おそらく何らかの意図があって。
しかしオリヴァーは考える前にエステルの方を向き直り、
「ここの村の人たちを放っておけない」
窓に背を向けて壁に立てかけていた剣をふたつ手に取った。
そうして準備を進めるオリヴァーに、エステルが不思議そうな声音で言葉をかける。
「おそらく誰にも感謝されませんが」
まるで試すかのような口ぶりだった。
そもそも村人たちは二人を歓迎していなかった。もしここでゴブリンを倒したと喧伝しても、感謝されるどころか要らぬ疑いをかけられるかもしれない。しかしゴブリンがそこにいるのだ。放っておけるわけがない。
「……俺の剣は人を守るためにある。そう父に習ったんだ」
オリヴァーのはっきりとした言葉に、はい、とエステルがうなずく。
「一応申し上げておきますが、今回攻めるのは私たちの方です。あいつらにとっての私のように予想外の敵が出てくるかもしれません。警戒は怠らないように」
「わかった」
力強くうなずくと、オリヴァーは太陽が上り始めたばかりの外へと駆け出した。
外に出て柵まで近づく。鞘に収めた剣は引き抜かず、代わりにいつでも応戦できるよう右手をかざしながら、オリヴァーはそっと動く影を見やった。
甲高い叫び声は絶えず聞こえてくる。いかに人間を殺してやろうかと一種の期待すら感じさせる声音だ。
額を一筋の汗が伝う。
父の亡きがらは顔から肘まであらゆるところを殴打されていた。どうやって殺されたのかはわからないが、おそらく最期まで壮絶な苦痛を感じていただろう。胸が苦しくなる。少なくとも父はあんなところで死ぬべきではなかったはずだ。
――父は奴らに殺されたのだ。
「いけません」
唐突に後ろからエステルの声がして、オリヴァーははっと我に返った。
気がつくと剣をほとんど抜きかけている。朝の光に照らされた刃がオリヴァーの目に眩しく映った。
「冷静になってください。感情のままに突っ込んではこちらが殺されてしまいます」
「……あ、ああ」
やや冷徹とも言えるエステルの言葉に、オリヴァーは一度自身を落ち着かせるべく剣をしまう。それから彼はふうと大きな呼吸をした。冷たい空気がオリヴァーの思考までも冷やしていくようだった。
(復讐、か)
父の仇を討ちたい。その気持ちは否定できない。けれども今考えるべきは敵討ちではなく、この村に住む人々のことだ。護衛者とは文字通り護る者だ。ならばこの村の住人を守らなければならない。
「ごめん」
小さな声でつぶやき、息を吐く。それからなるべく足音を立てないように柵へと近づき、それを乗り越えた。
村の周囲には鬱蒼とした森が広がっている。朝の頼りない陽光では遠くまで見渡すことも出来ず、ただ小さな影がうごめいているのが見えるだけだ。こちらの様子を窺っているのだろう。
このままでは埒があかない。そう結論づけ、危険とはわかっていながらも、オリヴァーは剣を抜き払いながら大きく足を踏み出した。
一歩、また一歩。少しずつ森の境界へと近づいていく。そうして三歩目を踏み出したその瞬間、甲高い叫び声と共に眼前の茂みから数匹のゴブリンが現れた。
まるで血色の感じられない肌。手には棍棒を持ち、首からはお粗末な装飾品をぶら下げている。そのゴブリンは威嚇のような叫びを上げながらオリヴァーへと突進してきた。
ほとんど捨て身の突撃だ。受けるのはたやすい。けれどもオリヴァーは耳障りな絶叫に紛れた足音を聞き逃さなかった。
ゴブリンの攻撃をかわしながら身を翻す。背後に迫っていたゴブリンはオリヴァーに目を見開き、そのまま胸元を斬られて絶命した。
(大丈夫だ。ちゃんとやれる)
続けざまに初めに向かってきたゴブリンも倒してから、オリヴァーはわずかに安堵の笑みを浮かべた。
血の臭いには慣れない。命を奪うという感覚も、ふと思い返せば胸のあたりが重くなるほどだ。しかし〝守る〟とはこういうことだ。敵を殺して誰かを守る。父であるユゼックもそうやって死んでいったのだ。
「まだ来ていますよ」
背後からエステルの声が掛かる。オリヴァーは森の奥からやってくる複数体の敵を捉えると、右手に握った剣を一度振って血を落とした。
数匹のゴブリンたちが固まってこちらへ向かってくる。だが左右の茂みもガサガサと動いているので、おそらく挟撃をするつもりなのだろう。あるいは後ろにいるエステルを先に狙ったのかもしれない。どちらにせよ倒すだけだ。
剣を構える。それから片目を細めてゴブリンを視認し、いや、と無防備に切っ先を向けた。
体の中の炎が荒れていた。
何か大きな力が体の奥から溢れ出てくるようで、しかしオリヴァーに焦燥感はない。昨日の感覚がもっと鮮明に冴え渡っている。今ならこの火を完璧に制御できるだろう。
そして棍棒を振り上げたゴブリンへと冷徹につぶやく。
「守るために」
体の中で強い風が吹き荒れる感覚と共に、魔力の塊が矢のように敵の胸を貫いた。




