2:魔法を学ぶ(後編)
魔法とは。
魔力と呼ばれる不可視のものを使用する術のこと。人間には見ることも触ることも叶わないが、一部の人間は生まれつきこれをわずかに感じることが出来る。また後天的に訓練を積むことで魔力感知が出来るようになる。
魂の種類とは。
魂は火、水、風、金、土の五つの霊質に分けられ、普通の人間はひとつの性質を有する。魔力を凝縮するだけの攻撃魔法や防御魔法(これらを「基礎魔法」と呼ぶ)を除き、個人が使用できる魔法はこの魂の種類によって決まる。
また魂を利用して発動できる魔法を「霊質魔法」と呼ぶ。霊質魔法は基礎魔法に比べて発動が極めて難解で、基礎魔法のみで一生を終える魔法行使者も少なくない。
(天才)
極めて難解という言葉に引っかかりを覚えて、オリヴァーは一度本を読むのをやめた。
魔人の腕を燃やしたあれが霊質魔法だというのなら、確かになんら魔法を習っていないオリヴァーが放つのはあり得ないことだろう。エステルが「天才」というのも納得できる。けれどもオリヴァー自身にはあまり実感がなかった。そもそもあれをどうやって撃ったのかさえはっきりと覚えていないのだ。
「この本……」
半分ほどまで読み進めて、オリヴァーはふと顔を上げた。エステルは背を向けて彼の数歩先を進んでいたが、オリヴァーの足音が止まったのを聞いて後ろを振り返った。
「私の師匠が書いたノートです」
「師匠?」
「もう随分前に死んでしまいましたが」
つまりその師匠もエステルに魔法の才能を見出したのだろうか。そう考えて、オリヴァーは再び本の見開きへと視線を落とした。
――次に触媒。
武器や防具に取り付けて使用する。空気中の魔力を体内に取り入れ、さらに魔法として弾き出すためのもの。人間はこれを使わないとろくに魔法が発動しない。触媒がない状況で無理に魔法を使用すれば反動が起こる。たとえば体内の魔力が暴走して肉体の損傷が発生する。
「触媒を持たずに魔法を使うと怪我するってことか」
「その通りです。ですから触媒は魔法を使う人間にとって必須の武器なのです」
「でも俺には何も反動がなかったぞ」
ぼんやりとした口調で疑問を口にすると、「そのことですが」とエステルがオリヴァーの持っていた剣を指差した。
「何らかの根拠があったのかはわかりませんが、お父上もあなたに才能があることを確信していたのだと思われます。霊質魔法を使ったということは、少なくともあなたの剣にも何らかの触媒がついている証拠ですから」
「……」
エステルの言葉に、オリヴァーはじっと自身の剣を見下ろした。
どこから見ても普通の剣だ。確かに綺麗に磨かれてはいるものの、彼女の言う「触媒」がついているとは思えない。そうするうちに彼の視界に白く細い指が飛び込んできた。
「そこまで読んだのなら充分です」
エステルがオリヴァーに手を差し出したのだ。
しかしページはまだ半分ほど残っている。ぱらぱらとめくってみた限りは同じような文章の羅列が続いていたはずだ。いいのか、と遠慮がちに問い掛ければ、「構いません」とあっさりした返事が返ってきて、オリヴァーは不思議に思いつつ本を閉じてエステルに返した。
それを袋にしまい込んだエステルが「では」と後ろの木を指差す。
「撃ってみてください」
「いや、『撃ってみて』って、なにを」
「攻撃の基礎魔法です」
「……は?」
意味がわからなかった。
呆然とエステルを眺める。「冗談ですよ」と笑い飛ばされるのを期待したのだが、ついぞ彼女は真剣な表情を崩さずにオリヴァーを見つめていた。
「空気中にある魔力を、触媒を通して体の中に入れて濃縮し弾き出す。それが魔力凝縮の攻撃魔法です。初歩的な魔法なので練習すれば才能がなくても習得できます。一度霊質魔法を放ったあなたならば簡単に出来るでしょう」
「で、でも」
「ではこうしましょう。出来るようになるまでここを動きません」
そう宣言すると、エステルは近くの倒木に腰かけてしまった。
(無茶だ。無茶苦茶すぎる)
才能があるからといって努力もせずに出来るようになるはずがない。心の中でそうごちてから、オリヴァーは目の前の木に対してゆっくりと剣を抜き払った。
「ほら。やってみてください」
エステルが言う。オリヴァーは仕方なく剣先を木へと向けた。
やり方もわからないのでとりあえず念じてみる。
出ない。
剣を握る手に力を込めてみる。
出ない。
何かを絞り出すように全身を力ませる。
出るはずがない。
小さな声で「魔法よ」と願ってみる。
やはり何も起こらない。
「なあ、これ、本当に」
「攻撃魔法が出来ればあとはだいたい同じです。防御魔法はそれを自分自身に向ければいいだけですし、霊質魔法については追って教えますから」
(だめだ。聞いてくれない)
はっきり言って絶望である。
助けを求めるように空を仰げば、木々の隙間から風が吹き鳥が鳴いている。まるで自分だけが別の世界に紛れ込んでしまったみたいだ。それに追い打ちをかけるようにエステルがつぶやく。
「もしかするとセンスがないのでしょうか。霊質魔法の方がよほど難しいし習得できないものなんですが」
「センス……」
果たしてそういう問題なのだろうか。
「では、火をイメージしてください。体の中を流れる大きな炎、それを操るのです。……ほら、聞いているだけでは出来るようになりませんよ」
微笑みながら手で払われて仕方なく木へと向き直る。大きく息を吐いて、ゆっくりと目を閉じた。
「あなたにはその炎を操る力がある。あなたの力があればその勢いを強めることだって出来るでしょう」
暗闇の中でエステルの声が聞こえてくる。不意にまぶたの裏に父の最期の姿がよみがえって、それからユゼックの遺体を焼いた火を思い返した。
火は何時間も消えなかった。その間じゅうずっとオリヴァーは火を見ていた。煙に乗ってユゼックが天へと昇っていくような、そんな気がしていたからだ。
(あの炎を操れたら、本当に父さんを天に上らせることが出来るかもしれない)
そうするうちに、頭の中の火にまぎれて、何かがオリヴァーの体の中にくすぶり始めた。
小さなものだった。少しでもぼんやりしているとすぐに見落としてしまうだろう。だが体の中にあると確信すればたちまち大きく燃え上がっていく。
その瞬間オリヴァーは体の中で何かが弾けるのを感じて、そして一つの確信にたどり着いた。
――わかった。
きっとこれが魔力だ。
バシュン。
不意に森の風を裂くような音がして、オリヴァーはハッと目を開けた。
目の前の木の幹に、右から左へ向かって、まるで巨大な刃物で斬りつけたような亀裂がある。そして今まで体の中で荒れ狂っていたものは嘘のように消えていた。
「これ、俺が?」
「そうですよ」
――やっぱりあなたには才能があります。
続けて放たれた言葉に、オリヴァーは遅れてぎこちない笑みを浮かべた。
「さて、あとはこれの繰り返しです。今の感覚を体に刻み込んでください。あなたなら霊質魔法を会得するのも早そうです」
告げてから、エステルが軽やか動きで「さて」と倒木から立ち上がる。
「グーベルクまではまだ距離があります。その間に村があるはずなので、そこで泊まらせてもらいましょうか」
「グーベルクか。そこには何があるんだ?」
「うーん。『ある』というより『いる』と言った方が正しいかもしれません」
服装を整えながらエステルが興味深げに笑みを深める。濃い金髪が木漏れ日を浴びてきらきらと光っていた。
「魔王を倒すには仲間を集める必要があるでしょう。だから噂程度でも確かめたいんです」
微笑みながらも、エステルの眼差しには強い意思が宿っていた。やはり魔王を倒すという彼女の決意には並々ならぬものがある。オリヴァーは改めてそう感じた。
「グーベルクにはたった一人で魔人と戦った護衛者がいるらしいのですよ」




