1:魔法を学ぶ(前編)
第2章開始です。
村から街までは森の間を縫うように細い道が続いている。
ただ舗装は行き届いていない。木が生えておらず荷馬車が通れるくらいの道が拓けているというだけだ。おそらく十年前にこの村にやってきた時も通っただろう。だがオリヴァーにはその時の記憶がほとんど欠落していた。
自分が暮らしていた街の名前すら知らないのだ。母と引き離されて、気がついたらこの村にいた、そんな感覚だ。
知らないことだらけだ。
街とはどんなところなのか。彼らはどんなふうに暮らしているのか。貴族とは、自分が生まれた家とは。次々と湧き上がる好奇心は尽きそうにない。ゆえに道を進む歩みは軽く、気がつけば背後の村は木々に隠れてもう見えなくなっていた。
そんなオリヴァーに対して、それまでダンマリを決め込んでいたエステルがようやく口を開く。
「ところでお尋ねしたいのですが、魔法についてはどのように習われましたか」
「うん?」
「これから魔法をお教えします。ですからまずはあなたの知識を把握しておかなければなりません。簡単で構いませんので、知っていることを教えてください」
エステルの言葉に促されるように、オリヴァーはかつてユゼックから聞いたことを思い出した。
「えーと、魔法には魂の種類によって使えるものが決まっていて、その才能は生まれた時から決まっている。それから使うには触媒が必要ってこと、かな。あとは触媒の形が剣だったり杖だったりする……」
「……それだけですか?」
「あ、ああ。それだけだ」
呆れた様子のエステルに対し、オリヴァーも何と返答すればいいのかわからなかった。
確かに彼女からすれば微々たる知識なのかもしれない。しかしあの村で誰よりも魔法について詳しいのは間違いなくユゼックだっただろう。そもそも一般人にとっての魔法とは「何でも出来る便利なもの」くらいの認識なのだ。あるいは魔人を倒せるすごい力、か。どちらにせよ魔法に詳しい者はそうそういない。
「不思議ですね」
そうつぶやいてから、エステルがオリヴァーの腰に差してある剣を指差す。
「それ、あなたのお父上の剣ですよね」
「そうだけど……」
「では、――これは私の考えですが、あなたのお父上は、元から自身が魔法を行使できることを知っていたのではないでしょうか」
「え?」
「その剣には触媒が付いています。それもかなり上質なものだと思われます」
触媒。つまり、魔法を使うためのもの。
まさか、とつぶやくオリヴァーに、エステルは何を驚いているのかといった様子だった。しかしユゼックが魔法を使えたという話は聞いたことがない。これまで何度も村人の護衛をしたはずだが、そんな彼らからも「魔法」という言葉は一切出てこなかった。
「その剣が盗品でもない限り、お父上はかなり高度な魔法まで行使できたと思いますが、……まさかご存知なかったのですか?」
嘘を吐く必要もないので素直にうなずく。エステルはユゼックの遺品から目を離して、「まあ」と納得したような表情を浮かべた。
「魔法が使えると知られると面倒ごとに巻き込まれる可能性もありますからね」
面倒ごと。そう言われて思い当たるものは確かにあった。それを告げる前に、エステルがあっけらかんとした表情でオリヴァーを見上げる。
「あなたには途方もない魔法の才能があるのです。それを知られると対魔軍が放っておかないでしょう」
「才能って、俺の何を見てそんなことを」
「習ってもいないのに霊質魔法を使うのは天才以外にあり得ません」
赤毛の魔人と同じ言葉を使ってエステルが断言する。けれどもオリヴァーは根本的なことがわからなかった。
「その、霊質魔法っていうのは」
「ああ。そうですね。まずは基本的なことから学びましょうか。字は読めますか?」
唐突にオリヴァーに問いかけながら、エステルが荷物をまさぐって一冊の本を取り出す。
「字?」
「村人は読めないことが多いのですが、あなたは貴族の生まれらしいので……そう村長さんに聞いたのです」
「ああ」
エステルの言う通り、村で唯一字が読めたのはベルメール親子だけだった。
オリヴァーがうなずくと、「よかった」と安堵したような表情でエステルが本を手渡してくる。
古びた表紙だ。長年使われてきたのか本そのものが大きく波打っている。冒頭あたりを適当にめくってみると読みやすく丁寧な文字がびっしりと並んでいた。ところどころに書き損じたらしくぐちゃぐちゃと塗りつぶされている場所もある。
「一時間もあれば読めるでしょう」
「え?」
「時間がもったいないので歩きながら読んでください。危なくなったら知らせます」
そんな無茶な。
そう思ったが、確かに文字を読むだけならば難しいことではないだろう。そう結論づけ、オリヴァーは改めて一ページ目を開いて読み始めた。
――魔法について。
書き出しはそれである。
その通り、最初から最後まで、その本には魔法にまつわる情報が書かれてあった。ただ他人のために書いたというよりは自分の考えをまとめるメモに近いのだろう。時には一ページを丸ごと無駄にしている。だから本の分厚さに反して読める場所はそれほど多くない。
そうしてオリヴァーはじっくりとその本を読み始めた。




