13:結界
村の外れで墓を掘っていた村人たちに尋ねてみると、村長はどうにか生き残ったが、自身の家に閉じこもっているのだという。オリヴァーはエステルを連れて昨晩ぶりに村長の家を訪ねた。
「バルトさん」
声をかけてみたが返事はない。仕方なくドアを開けて中に入ると、薄暗い室内の椅子にバルトが座っていた。昨晩の活気は全くない。まるで生気を吸い取られてしまったかのようだ。顔は青白く、目は見開いているのに物を映していない。ただ影のようにそこにいる。
「……フレンが、逃げろって、言ったんだよ。俺に。結界のもとを壊しながら」
オリヴァーたちが近づくと、ぼそぼそとバルトが言った。なんら感情のこもっていない声だったが、彼の頬には涙のあとがはっきりと残っていた。
「バルトさん」
「やめろって言ったんだ。だけど、あいつ、『やらなきゃ』って。そうでないと彼がよみがえらないって、そればかり叫んでよ」
オリヴァーは声も出せなかった。つまりバルトはフレンが村を裏切る場面を目撃しているのだ。それでなお生きのびられたということは、バルトの言うとおりフレンが逃がしたのだろう。
一度言葉を区切ったバルトの体がわなわなと震え始める。うつろだった瞳に涙が溜まっていき、それがぽつりと床に落ちた。
「取り憑かれていたのです」
それまで無言を貫いていたエステルが不意に言った。
「君は……?」
バルトがふとオリヴァーを、その後ろにいるエステルを見上げる。涙や汗でぐちゃぐちゃの顔だったが、先ほどよりも幾分か生気の感じられる表情だった。
「彼女は魔人の罠にかかって結界を壊すよう唆されたのでしょう。魔人の力ですから弾くのは不可能です。ですが、それでも彼女はあなたを逃がしたのです。彼女は魔人の力に侵されても人としての善性は捨てていなかった。それだけはどうか覚えておいてください」
相手の理解を待たず一気に話すエステルに、オリヴァーは口を挟まなかった。彼女の言葉に証明は必要ない。バルトが生きていることが何よりの証拠だった。
エステルの言葉の後は沈黙が覆った。
その間、バルトは何度か深呼吸をすると、唐突に汚れた袖で乱暴に顔を拭って立ち上がった。
「君が、あの魔人を倒したのか?」
バルトがはっきりした口調で問いかける。
「はい」
至極あっさりと肯定したせいか、バルトは「ああ、そうか」と呆気に取られたような反応を見せる。一人で魔人を倒すなんてとんでもないことなのだが、エステルはそれを誇るどころか当たり前だと思っているようだ。
「それで村長さんの許可のもとで結界を修復したいのです。お金なら必要ありません。ただ食事と外套の替えをもらえれば、それで」
言いながら、エステルは手にしていたドロドロの外套を掲げてみせる。血を吸って色の変わったそれを見て、バルトはぎこちない笑みを浮かべて遠い目をした。
「昨日の夜は難しい話だっつって遮ったが……、救世者ってのは、君のような人間のことを言うんだろうな」
――信じる気持ちが少しわかったぜ。
誰に向けるでもなくそうつぶやくと、バルト村長は改めてエステルに向き直った。
「わかった。結界まで案内する。それから、村を救ってくれて、ありがとう」
深々と頭を下げる。
その姿を見て、エステルは「もう大丈夫そうですね」と安心したように笑った。
*
バルトが案内したのは村人たちが隠れていた村長用の家の、その裏のあたりだった。
結界を越えてさらに進むと小高い丘があるが、それ以外はなだらかな草原がどこまでも続いている。街から村に続く道も舗装などされていない簡易的なものだ。バルトは家の裏を少し進んだその先の、何もないただの原っぱを指差した。
「フレンが探し当てるまでは俺もどこにあるのか知らなかったんだよ。隠してあったみたいで」
バルトに促されるがままに足元を見つめる。黒い杭が落ちていた。
よく目を凝らせば、それは単に黒いのではなく、隙間がないほどびっしりと何かが書かれていた。幼少期の母親からの教育のおかげで読み書きに支障はないが、そんなオリヴァーでも全く読めない。もしかすると呪文や魔法のための文字なのかもしれない。さらに深く大地に刺してあったのだろう、端から端まで泥で汚れ、隣には杭を刺してあったらしき穴があった。土は乱暴に掘り返されている。
「これですか」
エステルが杭に触れる。指先で軽く撫でて、それから中央のあたりをつかんで拾い上げた。
「触媒ですね。随分と古いですが充分使えます。気休め程度にはなりますが結界の強度も上げられるでしょう」
「本当か」
「はい。ちょっと離れていてくれますか?」
エステルがオリヴァーとバルトの方を振り返る。二人は彼女の言葉通りに距離を取り、それからエステルが杭を高く掲げるのをぼんやりと見つめた。
二人はその間じっと黙り込んでいた。
話題がなかったわけではない。村の再建、街への届け、対魔軍への報告など、しなければならないことは思いつく限り山ほどある。しかしオリヴァーは心の中に灯ったひとつの閃きを消しきれずにいた。
――止めなければならない。
魔王を倒さない限りはこういうことが国中で起こるかもしれない。自分のように親を亡くしたり、バルトのように罪悪感に押し潰されそうになったり、フレンのように自分の意思に反して人間を裏切るようなことが。
護衛者になるために剣を握った。それは人々を守るための剣だったはずだ。そして自分には特別な力があるらしい。母やユゼックはオリヴァーにそう言って死んでいき、単身で魔人に立ち向かえる少女も同じことを言ったのだ。
それがどういうものかはわからないし、実際道半ばでユゼックのように無惨な死体になるかもしれない。もちろん死ぬのは怖い。否定できないほどの確かな不安はある。けれどもずっと同じ感情を持ち続けていたら先に進めない。
ユゼックは「誇り高く自由に」生きろと言った。
今は亡き母は救世者になることを望んだ。
つまりもう逃げ続けるだけのオリヴァー・ベルメールではないのだ。
「俺、旅に出ようと思うんです」
「ああ。その方がいい。お前はこの村に留めておいたらもったいねえ人間だ」
「そうでしょうか」
「だって貴族サマの子どもだろ、お前」
チラとバルトの方を見やる。彼は何やら作業をしているエステルの後ろ姿をじっと凝視していた。
「……知ってたんですか」
「村人みんな知ってることだ。お前とユゼックさんが親子じゃねえってこともな。だからいつかお前が村を出ていく気がしてたんだよ。だけど、お前の故郷はこの村だ」
二人はずっと少女を見つめている。視線は合わない。けれどもオリヴァーにはバルトの表情が容易に想像できた。きっと昨晩のようにすっきりした顔をしているのだろう。
「村のことは任せろ。だからちゃんと帰ってこいよ」
「うん」
強く強くうなずくオリヴァーに、エステルの「終わりましたよ」という間延びした声が重なる。バルトはその様に声をあげて笑ってから、バシンッと強くオリヴァーの背中を叩いた。
「ありがとう。ところで、コイツが旅に出たいって言ってんだが」
「ああ、決心がつきましたか。よかったです。もちろん歓迎しますよ」
やけにあっさりとした返事をしてからエステルが微笑む。
「出立は明日にしましょう。その間に準備を済ませておいてください。村長さん、出来れば一晩泊めてくれませんか?」
「もちろんだ。ローブと食料だったな? 他に要るものがあればなんでも言ってくれ」
バルトの言葉に、エステルは満足げににっこりと微笑んだ。




