12:才能
オリヴァーが倉庫に向かうと、そこには半分ほどの村人たちが身を寄せ合って震えていた。
「ああ、オリヴァー!」
タイナーのおばさんが叫んだのを皮切りに、村人たちは次々とオリヴァーの元へ近づいて、代わる代わるオリヴァーを抱きしめたり手を握ったりした。
「ユゼックさんが助けてくれたんだ。ゴブリンを引き付けて、囮になって。だからこんなに大勢生き残れた。それに、魔人も――」
村人たちが悲しげな表情でオリヴァーに感謝の言葉を伝えてくる。
一方でオリヴァーは血まみれの剣をぎゅうと握り直し、
「父のおかげで助かったのは俺も同じです。父は護衛者としての役割を果たしたんですよ」
震える手を隠しながら笑顔を向けた。
「それと……、もう大丈夫だから、外に出て、みんなを弔ってくれないかな」
少女のことを話そうか迷ったが、結局口にはしなかった。村人たちに別の心配事を話すのは酷だ。少女についてはわからないことの方があまりにも多すぎる。彼女のことを話すのはもう少し後になってからでもいいだろう。
村人たちと共に家を出て、それからオリヴァーは適当に理由を告げて彼らと別れ、少女を探した。彼女はとある家の前で甕の水をすくいながら髪についた血を洗い流しているところだった。
「出会えましたか?」
オリヴァーに気づいた少女が問いかける。オリヴァーは「ああ」と素直にうなずいて、村人から借りた布を手渡した。少女はそれを丁寧に折りたたんで甕の淵にかけた。
「ところで、その中に変な行動を起こした人はいませんでしたか? 魔人の安否を心配したりだとか」
「え? いや、いなかったけど」
「あの魔人には結界を破るような力はありません。きっとどこかに協力者がいたのだと思います」
協力者。
村人だろうか。そう考えて、すぐさまありえないという結論に達する。村人がこんなことをするはずがない。ならば、考えられるのは、比較的最近やってきた人間だろう。
「……最近街から来た人がいた。彼女の名前は……、ああ。そうだ。フレンだ。なんで忘れてたんだ?」
「『いた』ということは、死んだのですか?」
「ああ」
他のものは損壊が激しかったが、彼女の亡きがらは比較的綺麗だった。殴打されたような痕もなかったし、魔人が直接手を下したのだろう。オリヴァーがそう自身の考えを伝えると、少女は「うんうん」と満足げにうなずいた。
「その方が魔人の信奉者でなければ、おそらくあの魔人の能力に掛かったのでしょうね」
「能力?」
「魔人はそれぞれ固有の能力を持っています。あの魔人には人や魔物をたぶらかす能力があったのだと思われます。その方は魔人の力に囚われてしまい、その影響であなたも彼女の名前を忘れてしまったのでしょう。そうですか。死んだのですか。いえ、その方がいいかもしれません」
自身の考えを整理するようにゆっくりと語ってから、最後に少女は安堵したような表情で息を吐き出した。
「死んでよかった、って……」
確かに村人が死んだのはフレンのせいだ。それはどうにも覆せない。だが魔人にたぶらかされたのならば、彼女一人を責めるわけにもいかないはずだ。
しかし少女はオリヴァーの言葉に一転して厳しい表情を浮かべ、
「魔人の能力は死と共にその効果が切れてしまうのです。つまり彼女は突然正気に戻ってこの状況を目の当たりし、いずれ自分のせいだと知るでしょう。その時の彼女は死ぬより辛い地獄を味わうことになります」
血の臭いがつんと鼻をついた。
最初に家を出た時、村人たちはあまりの惨状に嘔吐し、泣き叫び、神に救いを祈った。家族を殺された憎悪を吐き出す者もいた。もしその場にフレンがいた時、彼女はいったいどんな言葉を発するのだろう。もちろん死んだ方がいいなんて考えたくはないが、これは一人の人間が背負えるようなものではない。そう考えると少女の言葉が正しいような気がした。
「狂信者じゃない」
せめてもの弔いとして、オリヴァーは昨晩の彼女を思い出した。勇者の話をするときのフレンは本当に生き生きとしていた。まるで目の前に楽園があるみたいに目を輝かせながら、かつて魔人に立ち向かった英雄たちの偉業を語っていたのだ。
確かに魔人は村の結界を破らせることは出来た。けれども彼女から信じるものを取り上げることは叶わなかったのだ。
「その人、ミディール教の信者だったんだ」
「そうですか」
少女は素っ気ない相槌を打つと、両手ですくった水で顔の血を洗い流し、それから甕にかけていた布で顔を拭き取った。血を流した少女はやはり息を呑むほどの美少女だった。
空色の瞳に見つめられ、オリヴァーは「あっ」とずっと心に留めていた言葉を吐き出す。
「もう、遅すぎるかもしれないけど。助けてくれてありがとう」
「構いません。私もグーベルクへ向かっている旅の途中で、ちょっと食料をわけてもらいに来ただけですから」
グーベルクとはこの村からも比較的近いところにある街で、他旅人がよく滞在するため護衛者も多くいるらしい。オリヴァーも数度グーベルクへ向かう旅人に出会ったことがあった。
「旅? 家族でもいるのか?」
「いいえ。魔王を討つための旅です」
はたと目を見開いた。
魔王? 今この少女は魔王と言ったか。まさか冗談を言う雰囲気ではないし、聞き間違いでないとすれば、この少女は魔王の討伐を目指していると。
「そういえば、さっきの魔人も、魔王の復活がどうとか言ってたな」
オリヴァーがつぶやくと、「そうです」と少女が大きくうなずく。
「数か月前からでしょうか。魔人があちこちで何らかの行動を起こし始めたのです。そして彼らは一様に『魔王復活』を掲げている。このまま放っておけば手遅れになるでしょう。ですから誰かが倒す必要があるのです」
「でも、倒せるのか」
歴代の勇者、すなわち国ひとつを守るほどの力を持っていた者たちでさえ、結局魔王の発見すら叶わなかった。魔王の側近だとされる魔人も数人が生き残っているという。そんな状況で魔王を倒すなどあまりにも無謀だ。
しかし、オリヴァーの不安をよそに、少女の表情はどこまでも穏やかだった。
「あなたのような仲間を集めて、もっともっと強くなれば、あるいは」
オリヴァーを真っすぐに見据えて言った。
「気づいていないかもしれませんが、あなたから途轍もない魔法の才能を感じます。歴代勇者の仲間、あるいは勇者そのものに匹敵する才能を」
とん、と。
その瞬間、何かがオリヴァーの心を強く押した。
才能。
母のリューディアもユゼックも言っていた。子どもに希望を抱かせるための建前ではなく、オリヴァー自身を信じるような声で、「才能がある」と。その言葉が少女の眼差しによってかっちりとした輪郭を得たような、そんな感覚だった。
「お名前は?」
「オリヴァー・ベルメールだ」
「私はエステルと言います。訳あって姓は名乗れませんので適当に呼んでください」
「ない?」
「旅に出る時に少しばかり邪魔で」
旅をするのに苗字が邪魔になることがあるのか。想像しづらいが、オリヴァーはそういうこともあるのだろうと素直に受け入れることにした。この少女――エステルに関してはあまりにも謎が多すぎる。いちいち疑問を抱いていたら何も進まない。
そんなオリヴァーの心情を察するように、エステルは「さて」と会話を切り上げて周囲を見回した。
「村長さんにお会いしたいのですが、存命でしょうか?」
少女の問いかけに、オリヴァーはようやくフレンを連れてきた村人のことを思い出した。
彼女をこの村に連れてきたのは、他でもない。バルト村長だ。




