11:感情
村はほとんど壊滅状態だった。
いや、少なくとも建物は無事だった。ゴブリンには建物を破壊するほどの力はない。あの魔人にもそういう意図はなかったのだろう。だがそれぞれの家の前には死体が転がり、その周りをゴブリンたちが彷徨していた。
明け方の襲撃だったのだ。たとえ起きていたとしても突然の襲撃に対して出来ることはそう多くないし、逃げようと家を出たところで襲われたのかもしれない。
ゴブリンたちはオリヴァーと少女を見つけるなり嬉々とした表情を浮かべ、ぎいぎい鳴きながら棍棒を振りかざして襲いかかってくる。
オリヴァーはその一体ずつを斬った。
ユゼックの言う通りだった。落ち着いて相手の動きを見切れば大したことはない。ゴブリンの攻撃は単調で、その小さな体のせいか足ばかりを狙ってくる。斬りつけるたびに血が噴き出て絶叫が聞こえたが、オリヴァーは何とも思わなかった。人の形をした魔人が死んだ時の方がよほど堪える。それよりも無惨に死体となった村人のことを思うと剣を振る手は止まらなかった。
(冷たいな)
オリヴァーは血の道を歩きながらそう思った。
実のところ村を襲撃したゴブリンの数はそう多くはなかったのかもしれない。もうほとんど敵に遭遇しなくなっている。
(俺も、この子も、随分と冷たいよな)
步を進める。そのさなかで小さな子どもの死体を見た。若い女性のものも、老人も、大人も、見境なく激しい殴打を受けて死んでいた。しかしオリヴァーはその亡きがらに弔いの言葉すら掛けずにひたすらに前へと歩いていく。血の臭いが壁のように立ちはだかるのに、彼はその臭いを何とも思わなくなっていた。
何だか自分が自分ではなくなっていくような感覚だ。もう一人の自分が頭の中で鎌首をもたげている、そんな気がする。
冷たいものが背中を伝う。このままではまずい。引き返すべきだ。そう思ったのも束の間、オリヴァーの視界に真っ赤な何かが映った。
そこにあったのは肉塊だった。
顔も、首も、腕も、足も、何もかもがぐちゃぐちゃに切り刻まれている。まるで人間の原型を留めていない。そもそもこれは人間なのだろうか。ゴブリンの死体がいくつか重なったものじゃないか。しかしそんな考えはすぐさま掻き消えた。周囲に十体ほどのゴブリンの死体が転がっているのだ。
ゴブリンたちはみな何かで斬られたような傷を負って死んでいる。一刀両断、なんら迷いのない剣筋だ。そしてそれを証明するように肉塊の傍らに剣が落ちていた。
なんら装飾のない剣。鞘はどこにもない。ただ血まみれの柄に見覚えのある傷があった。深く深く、持ち主の凄惨な負傷を連想させるような傷が。
父のものだ。
そう理解した瞬間、それまで凪いでいたオリヴァーの心に嵐のような感情が湧き起こった。
「――っ、あっ、あぁぁあああぁああ!!」
自分のものとは思えないほどの絶叫だった。
先ほどまで笑っていたはずの養父が、いや、父が、もはや人とも思えないほどの血肉の塊になり果てていた。
どのくらい叫んでいただろう。不意に鼻の奥を突くような血のにおいがして、唐突に込み上がってきた嘔吐感にうっと息が詰まる。それでようやく亡きがらから視線を逸らした。
「父さん……」
涙がこぼれる。視界が滲み、真っ赤に染まっていく。
「感情、戻ったんですね。よかった」
安心したような声音で少女が言った。オリヴァーはただ少女の方を見て、それから頬を伝う涙を乱暴に手の甲で拭った。
「あなたが随分と冷めた顔をしていたので、いつ戻って来られるか心配だったんですが」
「……」
「たまにあなたのようになる人がいるんです。たぶんあまりの状況に一度感情が麻痺してしまうのでしょう。でも、それでも人間の感情は無くなりません。ふとした瞬間に戻ってくるのです。たとえば、家族、とか」
亡きがらを見下ろす。そうしてオリヴァーは心の中でユゼックの顔を思い浮かべた。
「この人は、――俺の、育ての親だよ。本当の父親みたいだった」
「そうでしたか。そんな人が死ぬなんて、さぞお辛いでしょう」
少女が言った。慰めの言葉を吐いているというのに、彼女の声はなぜだかオリヴァーを奮い立たせているようにも聞こえた。
不思議な少女だ。対魔軍でもないようだし、いったいどこから来たのか見当もつかない。だがそれを尋ねていいものだろうか。よく考えればこの少女が人間であるという確証もないのだ。先ほど倒した魔人だって人間と変わらない見た目をしていたのだから、彼女が人間を装っている可能性は充分にある。
「助けてもらった上で失礼なことを聞いて悪いけど」
おずおずとオリヴァーが口を開く。
「君は、本当に人間なのか?」
ハッと少女が目を見開いた。
まさか不快にさせてしまっただろうか。汗が背中を伝う。けれども少女はすぐに困ったような笑みを浮かべ、
「……人間ですよ。魔人に見えますか?」
「いや、区別がつかなくて」
「まあそれもそうですね。ですが残念ながら証明する方法もないので、信じてもらうしかありません」
少女が真っすぐにオリヴァーを見る。そうして向かい合った少女はやはり息を呑むほどの美しい顔立ちをしていた。さらにその眼差しには何らかの強い意志が宿っているように見えた。それが何かはわからないが、少なくとも敵意はない。オリヴァーはそう結論づけた。
「信じるよ」
「ありがとうございます」
オリヴァーの言葉に微笑んでから、少女はついで「そういえば」と周囲を見渡した。
「逃げた村人たちはどこにいるのでしょうか」
「たぶん村の外れの倉庫だと思う。見てくる」
「お願いします」
そう言った少女が走り出すオリヴァーを見送る。一緒に来てくれないのかと思ったが、こうして会話をしていても襲われないところを見るに、村を襲ったゴブリンは全て倒したのだろう。
ならば村人たちに安全を知らせなければならない。
それから、魔人とユゼックの死を。




