10:初陣(後編)
「それにしても、死にかけですね。この村を狙ったのが悪かったのではないですか?」
少女が杖を振りながら魔人へと問いかける。その表情にはうっすらとした笑みが浮かんでいた。
「ははっ、まさか魔法を使える人間が二人もいるとはな。確かに計算違いだったよ」
「いえ、三人です」
少女が微笑みながら魔人の言葉を否定して、それからやおら杖を魔人に向ける。
直後、バシュン、と空気の破裂するような音がした。
一瞬何が起こったのかわからなかった。オリヴァーに感じ取れたのは音だけで、些細な空気の揺れすらなかったのだ。
ただ魔人だけは少女の攻撃に反応したらしい。大きく後方へ飛びのいて、「クソ!」と余裕を失った表情で悪態をついた。
「次から次へと! なんだ、貴様ら、対魔軍か!?」
「さあ。誘われたこともありませんね。彼とは初対面ですし」
それに、と少女がまた杖を魔人へと向ける。
「対魔軍が来ればこんな会話も許されませんよ。だって、あなた、とても弱いじゃないですか」
「なんだと!?」
「だって牙も翼も角もない。不変種ですよね。そんなもの、対魔軍を率いる人たちにとっては訓練用の的みたいなものですよ」
「貴様、言わせておけば……!」
またもや魔人の顔が憤怒に歪む。それから不意に片足を後方に引いたかと思えば、右手を前に突き出しながら少女へと疾走した。
(危ない!)
オリヴァーがそう感じた時には、魔人は少女の首根をつかもうと手を伸ばしていた。
凄まじい速度だ。視線で追うのがやっと、一度でも瞬きをすればそれだけで見失いそうになる。
だが魔人の右手は少女をつかむ前に宙を舞った。
「なにッ!?」
うろたえた魔人がのけぞり、傷口から噴き出す血飛沫を凝視する。その間に少女はぐっと身を屈めて魔人の懐に入り込んだ。
直後、再び空気が爆ぜ、右手のものとは違う血飛沫が飛んだ。
少女が放ったらしき魔法が敵に当たったのだろう。魔人は後方に吹き飛ばされ、そのさなかで左腕が分離した。どうやら左肩から胸辺りまでがごっそりとえぐられているようだ。
魔人が人形のように地面にごろごろと転がっていく。その様を見下ろしていた少女は不意に杖を下ろし、それからオリヴァーの方を振り返った。
「お怪我はありませんか」
「え?」
少女の問いかけに呆然と彼女を見つめ、「あ、ああ」とうつろな返事をする。ついで少女は「よかった」とつぶやいてから不思議そうな顔でオリヴァーへと尋ねた。
「魔法を使ったのですか?」
「わからない。ただ、その魔人は『れいしつ』って言ってたけど」
「霊質魔法をですか? へえ……」
少女が何かを考え込む。その間オリヴァーはじっと少女を見つめて、それから当然の疑問が湧いてきた。
(この子、だれだ?)
はちみつ色の髪、緑色の瞳。やや古びたローブを着ているが、その顔立ちは「可憐」そのもの、誰もが「美しい」と表現するほどに整っている。もちろん村にはこのような少女は住んでいない。見たところ旅人のようだが、護衛者を連れているわけでもないようだ。
「君は――」
いったい誰だ。
その疑問を口にしようとした瞬間、少女の背後で黒い影がむくりと起き上がった。
それは血まみれの泥人形のようで、だが残された右目だけは異様なほどに光っている。まるで血に飢えた獣だ。それが少女へと手を伸ばしている。正確に言えば手首から先を無くした右手の断面、その傷口がボコボコと盛り上がり始めた。
(まさか再生しているのか?)
そう思うが早いか、
「っ、危ない!」
今度は声が出た。
少女が目を見開いて、ついで何かを察したらしい彼女が魔人の方を振り向く。その間にオリヴァーは無我夢中で地面を蹴った。
走る。疾走する。間に合えとばかり願う。それから剣を振りかぶり、魔人に対して力任せに振り下ろした。
魔人の体は存外柔らかかった。
ずぶずぶと剣が体内へと沈み込む。そのまま力任せに振り切れば、唐突に抵抗がなくなって思わず前につんのめった。
足元の魔人は肩から脇腹にかけてを深く斬られ、ゾッとするような笑顔を凍りつかせたまま死んでいた。
「……油断してしまいました。ありがとうございます」
はあはあと荒い息を突き抜けるように声がした。至極あっさりした、それでいて感心するような声音だった。
真横に立っていた少女へと視線を向ける。血まみれだ。頭からローブまで大量の血をかぶっている。むせ返るような血の臭いだ。
(魔人でも血の色は同じなんだな)
他人事のように考えてから、オリヴァーはふと自身の得物を見下ろした。切先だけではなく自身の服にも返り血が付いている。血の臭いはするものの、自分が魔人を殺したという事実はどうにも受け入れられなかった。
「いや、違うんだ。体が勝手に」
「それでも大したものです。魔人に立ち向かうなんて、勇気のあるお方ですね」
少女が笑う。血飛沫がついているため危うさは拭いきれないが、それでも彼女の美しさは少しも失われていなかった。
オリヴァーは幼い頃に見かけた貴族の少女を思い返した。綺麗な髪、豪華なドレス、装飾をつけた肌。彼女たちも整った顔立ちをしていたが、だがこの少女の方がよほど美しいように見えた。
「あとは村に残っているゴブリンを倒さなければなりません。一緒に来てくれますか?」
少女が唐突に問いかけてきて、オリヴァーは「ああ」とうなずきながら息を吐いた。
まだ生き残っている村人を助けるべきだ。それにユゼックが生き残っているかもしれない。そんな一縷の望みを胸に宿しながら、オリヴァーは村のある方向へと駆け出した。




