9:初陣(中編)
恐怖はある。きっとここで死ぬだろう。ユゼックが捨て身で逃がしてくれた命を無駄にしてしまう。けれどもこのまま村人たちが殺されるのは見ていられなかった。
「魔人だな」
建物の陰から魔人の視界に入る場所へと歩み出て、オリヴァーはじっと赤毛の男を睨みつける。赤毛の男は右目を大きく見開いてオリヴァーを見つめ返して、それから馬鹿にしたように笑った。
「この村には魔人に抗う馬鹿者が多いな」
「ばかもの?」
「ああ。そうだ。お前みたいな奴のことだよ」
魔人がせせら笑う。その間に魔人の隣にいたゴブリンが濁った奇声を発した。どうやら魔人に代わってオリヴァーを殺そうとしているらしい。しかし魔人はそんなゴブリンをじろりと睨みつけると、まるで石ころを蹴るような動作でゴブリンを蹴飛ばした。
オリヴァーはほとんどなんの反応も出来なかった。
防御の姿勢を取る暇もなく鈍い音が響く。ゴブリンは近くの建物に激突し、そこに扇状の血飛沫をこびりつかせてべとりと落ちて動かなくなった。
「邪魔だよ。ほんとうに、うっとうしい」
ゴブリンの死体を見やりながら魔人がつぶやく。オリヴァーは呆然とその血飛沫を見つめて、それからゆっくりと魔人の方へと視線を戻した。起こること全てに理解が追いつかなかった。
困ったように肩をすくめる魔人に、オリヴァーは両手が震えるのを必死に堪えながら口を開く。
「どうして、お前は、この村を」
「ああ、それは、供物にするんだよ。魔王様の復活に必要なんだ」
その言葉に、がつんと頭の後ろを殴られたような感覚があった。
魔王。
その言葉と共に必ずついてくる、数百年前に北の大国が滅んだという事実。おそらくこの村で起こっているようなことが国中で行われた、言葉に表すことの出来ない惨劇だ。それを引き起こした魔王が復活する。
復活とはどういうことか。魔王はいったいどのような状況にあるのか。
魔人の言葉のほとんどは理解できないが、いずれにしろ人類にとって喜ばしいことではないはずだ。
オリヴァーはぎゅうっと強く剣を握った。
恐怖、死への不安。そういうものはずっと背中にまとわりついているのに、魔人への怒りはそれらを押し潰してしまうほどだった。
体の中が熱い。まるで炎が荒れ狂っているようだ。これを「憎悪」だというのだろうか。
――違う。
感情ではない。本当に何かが体の中で吹き荒んでいるのだ。ごうごうと、炎か、濁流か、それに似たものが今まさに外へ飛び出さんと体中を駆け巡っている。
オリヴァーは目がくらむのを感じながら、無意識のうちに剣の切先を魔人へと向けた。
「ほう、戦うつもりか。威勢がいいな!」
魔人が無邪気に、嘲るように言う。オリヴァーはそんな言葉も無視して、剣を握る手にさらに力を込めた。
その瞬間、ばちん、と何かが体の中で弾け飛ぶ。
直後にオリヴァーの視界にうつったのは、魔人へ目がけて飛んでいく炎の矢だった。
「っ!」
それを捉えた魔人が左へと飛びのく。
だがそれよりも早く、オリヴァーの手から発せられたらしい炎の矢は火の粉を撒き散らしながら魔人の右腕へと突き立った。
「ぐ、ああっ!」
魔人が苦痛に叫ぶ。
魔人の右腕は瞬く間に炎に包まれ、ローブも服も、その下の皮膚も巻き込んで燃やし尽くす。やがて炎の勢いが弱まっていくと同時に肉の焼けるにおいが鼻をついた。
「霊質魔法……? こんな、田舎の村のガキが……?」
困惑げにオリヴァーを見つめる魔人に、オリヴァーは呆然と自身の手のひらを見つめた。
魔法。あれが魔法だというのか。確かに何もないところから炎が起こっているように見えた。そして先ほどまで自分の中に荒れ狂っていた何かは跡形もなく消えている。
(でも、俺は、魔法なんて習ったことがないし)
もし奇跡が起こったのだとすれば、一生に一度出会うかどうかくらいのものであろう。だがそれが今起こったのはこの上幸運だ。
オリヴァーは自身を落ち着かせるように息を吐いてから、痛みを抑えようとしている魔人へと声をかけた。
「出ていってくれ」
「は?」
「この村から出ていくんだ。それから二度と来ないでくれ」
そもそも魔人を殺せるとは思っていない。今起こったものと全く同じことが出来るとは限らないし、もし出来たとしても初回のように上手く当たるわけがないのだ。けれども、もしここで魔人を撤退させることが叶えば、少なくとも今生き残っている村人たちを救うことが出来るはずだ。
しかし、魔人は「はあ?」と片目を吊り上げた憤怒の表情でオリヴァーを睨みつけた。
「つけ上がるなよ人間。どうせ魔法は何度も撃てんのだろう? この世で最悪の苦痛を味合わせて殺してやるからな」
「……」
(やっぱり、だめか)
苦痛、その言葉に忘れていたはずの恐怖が次々と湧き上がる。
だがここで逃げるわけにはいかない。倉庫に隠れているであろうタイナーのおばさんや、まだ逃げている村人たちを確実に死なせてしまうからだ。
少なくとも、自分が殺されている間、彼らにはほんのわずかでも逃げるための時間が生まれる。
(父さん、ごめん)
本当はもう少し長く生きていたかったが、それも難しそうだ。
そうして心の中でつぶやいたオリヴァーの背に、
「――似ていますね」
今度は少女の声だった。
凛と澄んでいて、魔人のものとはまた別の意味でこの状況に見合っていない。オリヴァーは慌てて後ろを振り返って、それから「逃げろ」の言葉も出せずに固まってしまった。
そこにいたのはとんでもない美少女だった。
「ここまでよく耐えました。あとは私がやります。どいていてください」
おそらくオリヴァーと同年代であろう。朝日に照らされた少女はくすんだ茶色のローブをまとい、手に一本の杖を持っていた。彼女は目の前の状況にも一切怖がっていない様子で、むしろオリヴァーに退避を促してすらいる。
――耐えよ。耐えよ。
不意にオリヴァーの脳裏に昨夕のバルト村長の言葉が浮かぶ。その言葉を何度も頭の中で繰り返しながら、オリヴァーは少女の言う通りに建物の方へと少しだけ逸れた。
少女は臆することもなく魔人へと近づいていく。はちみつ色の髪が強い日差しに照らされて黄金色に輝いていた。
――耐えよ。耐えよ。
朝はやがて来たる。




