第30話 揺らぐ光
「……なん、で……」
死地といえる場面でも、ひとは呆けることができるのだ。
アウロニスはそのことを実証しながら、ぽかんと開けた口からようやくひと言を絞り出した。手元がおろそかになっている。他の数人と協力して維持している防御魔法の光輝がやや陰る。
エンディはそれを見て、吹き出すような顔をしてみせた。彼女にしても人類の究極到達点においてつくるべきではない表情だ。
「手、下ろすなよ。みんなに迷惑がかかる」
「……どうして……その、姿……なんでここに、どうやって」
複数の質問をぶつけられ、エンディは肩をすくめてみせた。蒼を帯びて光る羽根をぱたりといちど羽ばたかせることをもって答えとする。
「さあね。変わり者なんだよ、あたし。知ってるだろ」
「か、変わり者って……あっ!」
開けた口を引き結び、彼女の向こうに目を上げる。他の騎士たちも同様だ。後列の数人が手元に印を組む。隊列が入れ替わる。
よく統率された騎士たちの動きをエンディは目で追い、へえという顔で頷いてみせる。感心しているのだ。
その背で空気を切り裂く音が聴こえた。無数の切っ先が円弧を描いて飛来する。ひとの背丈ほどもある刃のようなそれは、ひとつでもまともに受ければ複数人がまとめて肉体を失うだろう。
「エンディさん、こっちへ!」
アウロニスが絶叫する。が、エンディは彼のほうを見たまま動かない。眉を持ち上げて首を傾げてみせた。迫る刃先。風圧が到達する。アウロニスは地を蹴る準備をしている。
と、エンディの姿が揺らいだ。
周囲が淡い光に包まれる。ぎぎん、という轟音。
突風に思わず目を瞑った騎士たちが次に見たのは、とん、と柔らかく降り立つエンディの姿と、彼女によって蹴り返され、はるか離れた岩壁を崩壊させながら突き立った数百の刃だった。
「……納得は、してないからな」
不貞腐れたような視線をアウロニスに置きながら、なにごともなかったようにそのまま会話を続けるエンディ。目を瞬かせて見返す相手に、彼女はきゅっと下の唇を嚙んでみせた。
「ずっと黙ってたこと。弟なんだろ、エリオスの。昔から知ってたんだろ、ずうっと見てたんだろ、あたしのこと。なんで言わなかったんだよ。なんで、隠してたんだよ」
「……っ」
「それに! それ、に……これ、だって……」
胸元に結び付けた絹地のスカーフをふわりと持ち上げる。彼女の全身を包む透き通った蒼の光は、その胸元においてもっとも豊かに輝いている。
この危急の場において、敵の姿よりも他の騎士の視線を集めることに我慢がならないのだろう。アウロニスは左右に首を振り向け、なにかを言おうと口をあける。
が、エンディが先だった。
「……ありがとう」
迷うように瞳を彷徨わせながら、彼女は口先を尖らせてそう発音した。結果としてアウロニスはさらに視線を集めることとなったが、エンディはもう彼を見ていない。そのまま踵を返し、遠くに目を向けた。
瘴気を含んだ湿度が霞ませる、ひときわ高い岩の台。錐のようになっているが、その先端は平滑なのだろう。なにものかが立っている。
小さい。ひとの女性ほどであり、溶解した氷柱のようでもある。
そうした姿をエンディは知っている。忘れるはずも、見誤るはずもない。
昏く輝く、銀の闇。この空間の支配者、境界の守護者、大回廊第四扉の主は、ただ、動かない。エンディの存在とその意味を見定めているのだろう。
彼女が見上げる表情は、この危地に相応しいとは言えないものだ。
恐怖はない。興奮も、澱みから浮かび上がってくる忌まわしい記憶も、いま彼女の胸の中には存在していない。もとより人外ではあるが、とうとう本当に壊れたのだろうと自分自身を可笑しく思っている。
「……あたしが跳んだら、すぐに退避して。全員」
「え、いや、なに言って……」
「標的はあたしにかかりきりになる。よそ見なんてさせない。ただ、防御は決して緩めるな。あたし、いま、加減できないから。流れ弾で怪我したくなければ」
「ちょ、ちょっと、待っ」
「元の孔への経路は掃除しておいた。今ならそう抵抗もないはずだ。だから……」
「ちょっと、待ってください、ってば!」
大声に、エンディは再びアウロニスに振り返った。肩を上下させ、唇をわなわなと震わせている彼の目元には小さな雫が溜まっている。首を振り、眉を逆立てている。
「だめです! 行かせません! もう、いい。いいんです。これ以上、苦しまないで。あなたは……あなたは、救われなきゃ、だめなんだ……!」
彼に向けた目を丸くしたままでしばらく沈黙し、それからエンディはふっと息を吐いた。ただ、その口元には微笑がある。俯いて、呟いた。
「……大丈夫」
と、背の羽根がふわりと大きく動いた。呼応するように身体を包む蒼の粒子の濃度が増す。もういちど、目を上げる。懐かしいものを見るような視線をアウロニスの薄い青の瞳に置いた。
その微笑は、未来に向けられている。
「あたしはもう、救われてる。あんたに」
どん、という衝撃波。
エンディが地を蹴ったのだ。
アウロニスたちがその姿を見失った刹那、すでに彼女は中空にある。
銀の凝集体、扉の主を見下ろしている。輝く鱗粉を帯びながら、羽根を水平に広げ、両腕を身体の斜め下にゆるりと伸ばしている。穏やかな表情。
主もまた、彼女を見上げている。むろん目も、顔もありはしない。が、両者を間近に捉えられるものがあるとすれば、誰でもこう表現しただろう。
これから舞踏に臨むふたりが、互いに目礼を行っている、と。
次の瞬間。
「……っ!」
瞬間的に正面に防御を張ったが、それでもアウロニスは背を打たないように受け身を取ることしかできなかった。騎士たちのいくらかは岩壁に打ちつけられ、何人かは身体五つ分ほども飛ばされ、転がった。
表現の方法はない。似ているものは、雷だろう。
ただ、万ものそれが間近に炸裂するのを見たものはいないだろうから、現象としてただしく捉えているかを検証することはできない。
エンディが放った膨大な光を、主は正面から受け止めた。受けて、即時に銀の錐を斉射した。エンディから見た正面の空間をすべて埋める数量だ。至近である。避けられるものではない。
が、エンディはそれを透過した。羽根を畳み、身体を捻りながら前進する彼女の周囲で銀の悪意が崩壊してゆく。砕けた錐の破片をみずからの光に巻き込みながら、彼女は摂理を超えた速度で相手の直近に到達した。
振り上げた腕、揃えた指先は、鋼鉄が沸騰する温度を帯びている。
その手刀は主を両断したかに見えたが、相手はみずから四散した。背後の壁面に凝集し、全身を刃として彼女に突進する。脚を上に回転したエンディの頬を擦り、巨大な岩柱を砕いた。破片が舞う。
(早く……!)
目をアウロニスたちに向ける。破片の一部が向かったのだ。そのエンディの歯噛みはわずかな隙となる。主が見逃すはずもない。触手は彼女の脚を巻き込み、おおきく振りかぶって岩床に叩きつけた。同時に複数の触手が彼女に向かう。鋭利な先端のいくつかは彼女の腹なり胸に到達した。
「ぐ……っ!」
貫かれる。先端が背の岩床に到達する。が、その触手を掴み、相手を正面の中空に固定した。背の羽根をだんと展開する。その表面に膨大な光の針が生じ、射出されたそれは触手ごと相手の半身の形状を失わしめた。
身体の穴は、身を起こすと同時に塞がっている。そのことを彼女はもう、意識すらしていない。口元をぬぐい、立ち上がる。
主はふたたび洞の中央、扉の正面に位置する岩場に戻った。
エンディは目を周囲に走らせる。騎士たちの姿はない。聴覚とすらいえない感覚が、轟く残響のなか、洞の横穴まで戻った騎士たちの行動音を捉えている。
ふう、と息を吐く。
(……よかった)
口元に微笑が載ったことを、対峙する主は捉えただろうか。
彼女は両手を高く差し上げた。顔を振り上げ、なにかを呟く。指先でいくつかの象徴を描き、腕をぶんと振った。その腕から生じた光が洞内のすべてを覆ってゆく。
攻撃ではない。彼女がなしうる、最大強度の防御の展開だ。アウロニスが用いる全方位防御に構造と作用がよく似ている。ただ、そのことを彼女は意識してはいない。
みずからを護るためのものではない。
彼女が生む地獄から、世界を護るために。
二体の化け物を、ふたたび世に解き放たないために。
そうして、エンディは跳んだ。
形状を再生しつつある主は、恐らく感覚が鈍るのだろう。あるいは、エンディが描きつつある新しい世界のことわりを追うことができないのかもしれない。
いずれにしても、主はその銀の体躯を歪めながら彼女の存在を覚知しようともがいているように見えた。伸縮し、岩壁の銀から突き出た触手を迷わせる。
その姿を、エンディは直上から見下ろしていた。
洞の天井に背をつけるように、眼下の主にまっすぐ両腕を伸ばしている。
「……退場の時間だ。おまえも、あたしも」
呟いた刹那。
正と負の双方に極限値を持つ膨大な熱量が射出された。指先から放たれたそれは精確に主の身体とその足元の岩場を貫く。大気が灼け、同時に凍結する。岩は溶解し、揮発と収縮をともに生じて爆裂した。
その紅蓮を縫うように新たな光の矢が主に到達する。二度で終わらない。三度、四度、五度。徐々に間隔が早くなる。やがて光より他の存在がこの空間にあることを許されない状態となってもまだ、エンディは手を緩めなかった。中空から、横合いから、下方から、あらゆる方向から。
主の姿が揺らいだ。いや、形状はすでに失っている。その核、存在の中心が、この次元においてみずからを維持できなくなりつつある。
そう見た刹那、エンディは跳んだ。跳んで、間合いに入る。
手には剣。彼女が生成した光の剣は、五年前、まだひとであった彼女が最期に握ったものと同じ意匠を持っていた。
胸元に構え、願いと覚悟とを載せる。
そのときだ。
声が、エンディの胸に落ちたのは。
『……また、殺すの? 僕を』




