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第29話 誕生


 『……いいよ』


 しばらくの沈黙ののち、ちいさな嗤いを含んだままの声が聴こえた。


 『僕も知りたかったんだ。君がほんとうは、なんなのか。あの方がなぜ君に執着するのか。なぜ、生かしておくのか。ずうっと僕に、監視させ続けたのか。その答え、見せてくれるんだよね?』


 エンディは返答しない。

 なかば意識が薄くなっているためでもあり、必死にしがみついているためでもある。自分の深いところから浮いてきた、この世でもっとも確かなものに。これから自分を襲う波のなかで、もう二度とそれを見失うことがないように。

 壁に背を預けたまま、見えない地上に顔を向けて目を瞑ったまま、祈るように浅い呼吸を続けている。

 

 ふっと息を漏らすような音がして、彼女の身体がわずかに揺れた。意識してのものではない。胸のあたりに痛みを伴った。瞬時、意識を失う。がくりと首を垂らし、膝を折りかけた。が、その身体を支えたものがある。

 薄く目を開けると、銀と紅のまだらの光を薄く帯びたゼオの姿が横にあった。眉を上げ、紅に輝く瞳を見開いている。驚いたような表情だ。そのまま彼女に見くだすような視線を置いていたが、やがて手を離し、肩をすくめた。


 『……参ったね。ずうっと君の右にいて、やっと核に触れさせてもらえたと思ったら……あはは。逆に喰われそうになったよ。力を貸せ、だなんてさ。君の方がよっぽど……ま、いい。解いておいたよ。あとはお好きなように。でも約束、忘れないでね。あとで、ゆっくり。ふふ、大事に齧ってあげる……』


 瞳の紅がひときわ強く輝いて、ふっ、と掻き消すようにその姿が失せた。微かな光の粒子のようなものが残ったが、それも流れる。


 垂れていた首を持ち上げた。

 ゼオが止めていたのだろう。遠巻きにするように、魔物たちが蠢きながらこちらを見ている。無数、というほかない。凝集した闇そのものが彼女を待っているように見える。

 その闇が、動いた。

 遠くはない。十歩、あるかどうか。人間であってもエンディに到達するのにひと呼吸分ほどだろう。そして相手は、魔物である。

 あらゆる方向から、爪が、腕が、牙が、即時に彼女に殺到した。

 その姿が闇に埋まる。


 埋めた闇は、だが、消失した。

 払いのけたのではない。打ち据え、倒したのでもない。

 そこに在ることを、彼女に触れることを許されなかった存在は、置き換えられたのだ。置き換わったのは、薄い蒼。淡い光が洞内を柔らかく照らし出している。

 その中心は、エンディだった。


 片膝をついている。

 背を丸め、交差した両手で肩を覆うようにして俯き、目を瞑っている。

 すう、と、細く息を吸い込むその身体を、たなびくように揺れる薄い蒼の光が覆っている。大きく吸い、ゆっくりと送り出す。動きのたびに蒼が濃度を増してゆく。


 やがてその背に、ふわりと光の帯のようなものがふたつ、立ち上がった。はじめは小さく畳まれたようになっていたそれは、ほんの少し震え、そうしてゆっくりと拡がってゆく。


 蝶。

 揚羽蝶の、淡く輝く美しい羽根だった。

 欠けてなどいない。禍々しい紅など、見当たりはしない。

 おおきく拡がったそれを、いちどふわりと羽ばたくように動かした。縁から光の粒子が舞い、零れ落ちる。白とも銀ともとれる輝きを帯びたその表面に、やがてうっすらと色が浮かんでゆく。色が、ゆっくりと羽根のぜんぶを染めてゆく。

 蒼で描かれたその複雑な紋様は、いま襟元に結び付けている絹地と同じものだ。ただ、穏やかな表情で俯いている彼女には、そうしたことはわかってはいない。


 彼女は、待っている。

 みずからが誕生するのを。


 洞のむこう、目指す場所から新たなざわめきが近づいた。先ほどの魔物とは匂いが違う。瘴気を帯び、彼女を目指す異形たちは、もう空間の摂理を踏まえて行動していない。壁を奔り、天井を蹴って、禍々しい欲望を彼女に向けてなだれ込んでくる。

 うちの一頭が、届いた。蝙蝠のような羽根を閃かせ、足先の爪を彼女に向けて振り抜いてくる。エンディは避けようとしない。動きも、しない。


 ただ、そうした観測は誤りなのだろう。

 彼女の背、振り抜かれた腕の向こうで、魔物はいくつかの部分に分かれて壁に衝突し、崩壊していったからだ。


 静かに立ち上がり、目を瞑ったまま、光を帯びた髪をふるんと振ってみせる。その背の羽根と同様に、穏やかな光の粒子が流れていく。薄く口を開け、ふううと、心地よさそうに息を漏らす。

 そうして、正面を向く。目を開く。

 蒼の光を湛えた瞳。それを魔物たちは遠方から捉え、そのすべてが行動選択を変更した。ただちに回避しなければならないと、全頭が本能で理解した。

 ただ、そうした選択は功をなさない。判断に基づいて動かすべき身体が、直後にどの魔物からも失われたためである。


 刹那のなかで討たれた数十の魔物。破片となって霧散するその向こうに、すでに彼女は立っていた。薄く輝くみずからの身体を見下ろしている。傷も、痛みも消えている。

 持ち上げた手のひらを顔の前でひらめかせ、エンディは可笑しそうに肩を揺らして見せた。


 「ふふ。めちゃくちゃだな。化け物ですらなくなっちまった……ま、いいや。あいつに届くんなら」


 独り言ちながら脚を出す。その背を、輝く羽根を追って、鱗粉のような光の粒子が彼女の軌跡を闇のなかに描いてゆく。

 こうした情景を目撃したものがあったとすれば、そしてそのひとが絵心を持っていたとすれば、神に連なるなにものかとして彼女を表現したかもしれない。


 すぐさま新たな闇が湧いてきた。周囲の岩壁に溶け込むように伏しているのは、おそらく扉の主の能力なのだろう。ニーデバルトで精鋭たちを全滅せしめたのもおなじように隠蔽されていた魔物たちだった。

 その移動も目で追うことができない。瞬時にして彼女の背に、左右に、あるいは頭上に位置している。そのすべてが彼女を間合いに捉えている。あらゆる方向から攻撃が降ってくる。

 だが、エンディの表情は動かない。

 穏やかな視線を前に向けたまま、音を超えた速度で振り抜かれた巨大な腕にとんと手を突き、次を肩で流れるように受け、わずかな隙間を捻るように回転しながらすり抜ける。同時に繰り出された複数の爪をくるりと躱して魔物たちの背に回り込む。

 

 「邪魔」


 ひとこと呟いたのち、周囲の魔物たちの姿は消えた。辛うじて部分のみを残すことができたものも、地に落ちて黒い粉のように崩壊してゆく。

 彼女の攻撃動作はもはや視野に捉えることができない。腕をどう振るい、脚をどうつかったのか、なにをもって相手を裂いたのか、魔物たちにも見えてはいない。残ったものはわずかに怯んだ様子を見せてから、それでも同時に彼女に向かった。


 蒼の光が、明滅する。

 彼女がみずから発する淡い光が岩壁に、床に揺れる。 

 揺れているのは、彼女に近づいた魔物がその光のうちに消えてゆくためだ。戦闘とは呼べない。彼女がその存在を否定したものは、此岸に姿を結んでいることができない。ただ、それだけのことだ。


 魔物たちを退けながら進む。時おり岩床をとんと蹴って舞い上がる。飛翔は羽根を使うが、揚力に依らない。彼女の意思を、望む位置と姿勢とを、その蒼い紋様がただちに現実化しているのである。

 

 そうするうち、魔物の姿で埋まっていた洞の先が見えた。長い時間であったように彼女は思っている。が、実際には息をいくつか継ぐほどしか経過していないのだ。

 洞が狭く、細くなる。魔物の姿が少なくなり、やがて失せた。


 静かだ。

 自分の浅く穏やかな呼吸の音だけを聴きながら、エンディは進んでゆく。ただそれは、蠢く魔物たちが遠ざかったためではない。行く先に平穏が広がっているからでもない。そのことを、彼女はよく知っている。

 世界の境界が、間近にあるのだ。


 その時は、ふいに訪れた。

 ぶん、と、彼女は身体のぜんぶで抵抗を感じた。凝集された空気の膜を通過したという感触のそれを、彼女は過去に体験したことがある。

 五年前に、こことは違う孔の底で。


 世界が切り替わった。

 音が蘇る。視野が、埋まる。

 眩むような銀。女の悲鳴のような、巨大な鉄の爪で岩を掻くような轟音。

 あらゆるものを焼灼し尽くす絶対零度。

 感じた瞬間に、彼女は跳んだ。


 銀の、煉獄。

 身を踊らせた広大な地下空間、眼下に広がる光景を、彼女はそう印象した。

 無造作に抉り取ったような岩壁から、巨大な棘のような岩がいく筋も、あらゆる方向を向いて突き出している。そのすべてがまだらに銀を纏い、奥行きも幅も身体の数百倍はあろうかという空間を埋めている。

 薄く霞のようなものがかかるその奥に、ちいさな孔が見える。周囲の空間が揺れている。昏い銀に沈んでいる。ひとの棲む世とそうでない場所を隔てるその門は、ただ、名前など持たない。

 大回廊第四扉、ミリスティゲルの扉。

 触れてはならない世界の臨界点をそう呼ぶことで、あたかもそこを通過する資格があるかのように、人類が思い込もうとしているに過ぎないのである。


 落下するように身をひらめかせるエンディ。

 即時に音もなく、あらゆる方向から百もの銀の触手、千もの槍が殺到した。だが彼女は、そのことを意識に入れていない。夢を見るような表情でふわりとすべてを躱しながら、その蒼の瞳はただ一点を捉えている。


 壁際、左右の巨石に挟まれた場所に、騎士たちが固まっている。

 互いに背をつけ、すべての方向に防御と剣を向けている。

 よい選択だった。

 おそらくそれは、集団の先頭で両脚を踏み張り、腕を突き出し、決死の表情で最上位の防御魔法を維持し続けている金髪の男がなした判断だったのだろう。


 彼らの頭上に、岩床から生じた巨大な銀の鎌がふたつ、振り上げられた。数人が上方の防御を強化する。止められるかもしれない。が、次はどうか。

 凄まじい勢いで振り下ろされた鎌は、ただ、彼らに到達したときにはいずれも黒い霞のようなものに置換されている。

 彼らの目の前、中空から即時に地に降り立ち、舞うように回転しながら敵手を切断したエンディ自身も、その一瞬に行ったみずからの斬撃の回数を百ほどまでしか数えていない。 

 彼女が地に降りたことによる衝撃波が後からついてきた。


 黒の霞と、彼女自身が振り撒いた蒼の光が入り混じり、星のように舞っている。

 そうした情景のなかでゆっくりと振り返った彼女は、騎士たちの先頭で目を見開いて小さく首を振っているアウロニスに、照れたように笑ってみせた。


 「悪いね。今回は、見物だけってわけにはいかなさそうだ」




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