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第26話 渡したかったもの


 ミリスティゲルの北西部、いわゆる前線地帯。

 いまだ攻略されていないダンジョンを無数に擁するこの地域は、ほぼ平坦な市街地と異なり、北部の山嶺に連なるごつごつとした斜面となっている。そこに大小の岩が転がり、いかにも死地への入り口という様相を呈しているのだ。


 エンディはいま、そうした大岩のひとつの上で、片膝を抱えて座っている。隣にはミャオフ。二人ともに、眼下に展開されている王軍本隊の要員が忙しく立ち働いている様子を眺めている。


 斜面の下、岩山に囲まれた細い広場というような場所に王軍は本拠地を展開している。その向こうには背丈の二十倍ほどもあろうかという岩壁が続いており、なかほどに縦に溝が切られているような場所がある。その渓谷状の入り口を奥に進めば、第二百五十二孔と命名された小さなダンジョンが口を開けているはずだ。

 王軍の選定による、大回廊第四扉、ミリスティゲルの扉への正規の攻略口。


 王軍の本隊は一昨日、つまりアウロニスと最後に会った三日後に出発している。ただ、その様子も、あるいは出陣式も、エンディは見てはいない。見ることができなかったのだ。

 

 アウロニスがふたたび去った夜、どこをどうたどったか記憶がないまま、エンディはいつのまにか住処に戻っていた。

 玄関をくぐって左が彼女の寝室だが、右へ向かった。突きあたりはアウロニスが使っていた部屋だ。人形のような動作で部屋に踏み入り、床にぺたりと座り込んで、彼女はそのまま朝を迎えたのである。

 翌日も、その次の日も、エンディは外に出なかった。仕事も入っていない。遠くに王軍の祝賀行進の楽奏を聴きながら、うす暗い自室でただ、天井を眺めていた。


 数えて三日目。アウロニスが出発すると言っていた朝、ミャオフは見送りにゆくことを主張した。が、エンディは応じなかった。ミャオフはひとりでも出かける様子を見せていたが、エンディの表情を見て取りやめた。


 そこからさらに一日を置き、ようやくエンディはこの場所に来ることができた。

 すでに本隊の姿などない。来る意味などあるはずもなく、誰にどのような利点ももたらさない。偽善にすらならない。みずからの愚かさを抱えたまま、彼女は朝からずっと、眼下で動く軍装姿を目で追っているのだ。


 ミャオフも大人しく傍にいる。エンディの肩に横顔を載せるように膝を抱えている。

 あの夜から、エンディに対する態度はなにも変わらない。ただ、時おりふと動きを止めてぼうと中空を眺めるようにすることがある。そのたびにエンディは、腕を伸ばして抱きしめた。

 自分にそんな資格がないことを、充分に自覚しながら。


 「……そろそろ、かえろうか」


 エンディが声をかけたのは、昼をまわり、薄くかかっていた雲が色濃くなってきたからだ。気温が下がり、風が小さく立った。雨が来る。

 湿度を含んだ大気の影響もあるのだろう。ミャオフはなかば眠るような表情で遠くを眺めていたが、エンディを見上げて、ん、と頷いた。

 その背に手をやり、さする。


 と、そのとき。

 彼女を見上げる黄金の瞳がふいに見開かれた。口の中央を少し開け、怯えたように左右を見る。鼻先を空に突き出し、それからなにかに呼ばれたように王軍が向かう岩壁に顔を振り向けた。

 ぐるる、と、喉の奥が鳴る。見開かれた目に浮かんでいた戸惑いは、怒りに似たものに置き換えられている。エンディの腕を掴んでいる指先に爪が生じる。


 「……ミャオフ」


 もういちど声をかけると、ミャオフは背をびくんと揺らし、耳を伏せた。叱られる、という様子でエンディを見上げる。が、王軍の向こうが気になるらしい。迷うように視線を交互に走らせる。

 エンディは、よくない、と考えた。ここに来たのはやはり誤りだったと後悔を持った。急いで帰らなくてはならない。立ち上がろうとする。

 が、そのときに天地が回転した。激しいめまい。


 『ふふ、よい子だね。敏い。君の子なら、僕たちの子だ。大事にするよ。さて……そろそろ始まるよ。だけど寂しいなあ、一緒に楽しみたかったのにね。五年ぶりの、お祭り』


 片膝をついて肩をおおきく上下させ、右の銀の顔を抑える。強い吐き気。


 それと同時に、揺れた。

 ずん、という重く深い衝撃。

 わずかな木立が葉を震わせ、鳥たちが一斉に飛び立つ。

 地面が振動したのではない。空間が歪む、その巨大な波が届いたのである。地の底から地上へ届いたそれを、二人も、展開している王軍の要員たちも受け取った。にわかに騒めき立つ本陣。

 ミャオフがふたたび岩壁、孔の方向へ目を向ける。首筋の虎柄の毛が逆立っている。エンディが手を伸ばすが、届かなかった。触れる前に岩を蹴っている。


 「……ミャオフ!」


 エンディは即座に足元に索を打ちこみ、四肢を踏み張って宙へ身を躍らせたミャオフに追随した。

 ひといきに眼下の王軍のただなかに降り立ったミャオフ、たんたんと岩を跳ねるように後を追って着地したエンディ。潜入口のほうを見やっていた王軍の後方要員たちが一斉に振り向く。


 「な、なんだ、君たちは……!」


 が、振り向いた時にはもう二人の姿は彼らの頭上にある。男のひとりはミャオフに背をぽんと蹴られ、他のひとりはエンディのつま先を肩で受け止めた。

 ミャオフはまっすぐに岩壁を目指す。エンディは左右の壁を利用して鋭角に移動し、いずれも目指す渓谷状の場所に即座に到達した。


 「ミャオフ、だめ、とまってっ!」


 エンディは飛び掛かるようにミャオフを止めようとしたが、聴こえていないのだろう。獣人の子はそのまま王軍の歩哨たちが立つ岩場の谷あいへ奔った。

 歩哨は抜刀している。騒ぎに気付いたのだろう。エンディは唇を噛み、短針を三本とりだした。ミャオフの背後で岩壁の上部へ索を打ち、地を蹴った瞬間に身体を捻りながら鋭く投擲する。いずれも精確に歩哨の刀に接触し、ぎん、という音を立てて彼らの指先を痺れさせた。

 その隙にミャオフは駆け抜け、頭上をエンディが越えていく。


 「お願い、そっちは、だめ……!」


 エンディの声はもはや叫びとなっている。

 岩谷の先は大きな板状の巨石が谷に受け止められるような形になっており、その下に口を開けた潜入口への光を遮っている。第二百五十二孔、その開口部の周辺に、彼女の声は大きく響いたのである。


 ミャオフは風を伴って孔に突入した。孔口に封印は施されていない。エンディも続き、洞内の生臭い空気を受けて咽込んだ。

 緩衝層には誰の姿も見えない。装備なり備品が積まれているだけだ。その隙間、壁なり天井をミャオフは疾走してゆく。エンディは脚で、あるいは索で追う。迷っている様子がない。匂いで追っているのだろう。

 ここでミャオフが追える匂いは、エンディの他にはひとつしかない。


 わずかな時間でいくつもの階層を降下した。

 第三層には戦闘の痕跡が残されていた。魔物の遺骸も見える。ただ、騎士たちの姿はない。同じ状況の四層を通過し、この小規模ダンジョンとしては最下層となる第五層に降り立った。

 下降路は縦穴で、縄梯子がかけられていた。ミャオフがとんと跳んで降り、そこで足を止めた。エンディはようやくその背に追いつき、ぐいと振り向かせようとしたが、薄闇に浮かんだ情景に動きをとめた。

 幾人もの騎士たち。

 息はある。が、ここまで這うように進んで力尽きたというようにぐったりと横たわり、あるいは岩壁に背を預けている。上層に上がれなかったのだろう。

 うちのひとりが、エンディとミャオフに顔を向けた。なにか口を動かしたが声になっていない。

 それでも、にげろ、と、読み取れた。


 ミャオフが再び疾駆した。

 エンディも岩床を踏み蹴ったが、ミャオフの後を追っているとはもう言い難い。ほとんど並走し、最下層の端部、大回廊への経路へ疾風のように突入した。

 元孔とは構造が異なる。天井が低く、幅が広く、空気の重さも異なった。

 そこに踏み入り、と、とん、と脚を止める。二人、共にだ。

 

 第五層と同様に、倒れ伏す騎士たちの姿がある。

 異なるのは、頭部を含めた身体のぜんぶが残っているか否か、という点だった。


 エンディは数歩、後ずさった。首を振る。押し寄せるものを、込み上げるものを、どうにか手足の震えのなかに閉じ込める。

 ミャオフはそれでも、上を向いた。鼻を鳴らす。無数のうめき声の中で、あちこちに散乱する探照灯の光に照らし上げられながら、ひとつの方向を見つけた。エンディも遅れてその背を追う。


 進んだ先には、薄い黄金の光の壁。

 洞を垂直に切断するように、淡く輝く霞が揺れている。魔法による極めて強力な結界と見てとれた。

 その障壁の手前に、ひとりの騎士が横たわっている。

 ミャオフはひざまづいて、その胸元を鼻先でくんくんと探っているのだ。


 「……夢でもみてるのか」


 ミャオフに喰われると思ったのだろう。怯えた顔を浮かべていたその見知らぬ騎士は、それでも口元を抑えてよろめくように近づいたエンディに顔を上げ、目を見開いた。脂汗の滲む頬を緩め、口角を上げてみせる。


 「顔の右半分が、銀……はは、賭けに負けた。そんなひと、本当にいるわけがないだろうって、俺、あいつに言っちまったんだ。まいったな。それとも俺は、もう、死んでるのか」


 そう言い、騎士は出血に塗れた胸元から、小さな包みを取り出した。

 彼女に向けて震える手で差し出す。


 「エンディさん、だろ。アウロニスから預かった。戻れなかったら、探し出して渡してくれ、って」



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