第22話 紅の瞳
第三層にも同じような魔物がおり、同じようにアウロニスが対処した。
上層よりも数が多かったが、彼の催眠魔法は広範囲によく効いた。
また拍手を受けられるものと思ったのだろう。わずかに振り返ったアウロニスだったが、その時にはエンディもミャオフもすたすたと前に進んでいたのである。
第四層に降りると、四方からだっだっと走り寄る音が聴こえてきた。
ミャオフは下降路から出た時点で壁に逃げているし、エンディは空気の流れを感じてなかば自動的に伸縮策を天井に打ち、跳んでいる。
黒い山羊という外観のジアル獣の頭突きをまともに受け、跳ね飛ばされてごろごろと転がったのはアウロニスひとりであった。
岩壁に頭を打ちつけて停止する。
「いて、て……うあっ!」
頭を抱えている彼に、また数頭が丸い角を突き出して走り向かってきたのである。手を交差させて展開した防御魔法に、こんどは黒山羊たちがぽんぽんと弾き返された。
エンディとミャオフが中空から見守るなか、互いに弾いたり弾かれたりと、なんどか黒山羊たちとの熱戦が繰り広げられた。どうするのだろうと目を見合わせたエンディとミャオフだったが、やがてアウロニスが学習した。
弾く寸前に山羊の背にがばっと跨って、個別に催眠魔法をかけていったのだ。彼を背に載せたままとっとっと走って、やがて足をとめてころんと転がる山羊たち。
何回かその工程を繰り返したのちに、床面に転がった複数の魔体を抱え上げて隅の方へ移動してゆくアウロニス。王軍の通過に邪魔にならないように配慮したのだろう。作業のあいだにエンディたちを見上げて、ぐっと親指を立ててみせた。
二人もやむなく、おなじ仕草を返す。
第四層から最下層への下降路は長かった。
ひとつの独立した層ともいえるほどの経路を降りるうちに、エンディはふと、空気の重さが変わるのを感じた。気温も急激に下がっている。横のミャオフも髭をぴんと立て、ぶるりと身震いをしている。
「……なあ、この孔、さ。第四扉……ミリスティゲルの扉と近いわけじゃ、なかったよな」
エンディの声色がわずかに固くなっているのを察知したのだろう。アウロニスはすぐには答えず、持っている情報を頭の中で整理している様子だった。
「……ええ。ここ、第四十二孔は、第四扉への直接の経路ではありません。主の滞留空間に繋がっていると考えられている大型の孔への横穴のひとつ、という感じです。扉までの距離もあるし、主要な経路でもありません」
「……そうか」
黙って脚を出すエンディに、今度はアウロニスから声をかけた。
「なにか……気になりましたか」
「ん、いや。なんだか薄ら寒いような気がしてさ。なんだろ、風邪でも引いたかな。とっとと戻って、熱いものでも食べるとするよ」
「……なら、いいんですが」
明るい声で答えたエンディを、だが、アウロニスは見ていない。エンディの後ろで、自らの肩を抱いてわずかに震えているミャオフに視線を置いている。
誰も声を発しないままでしばらく歩き、ようやく最下層に到着した。
広い。が、これも事前の情報どおり、魔物の姿はない。討伐されたはずの主の遺骸も、ここからは視認することができない。
ひんやりとした空気は薄く霞を帯びている。
どこからか、ぽつん、ぽつんと、地下水が滴る音が響いてくる。
出発前にはここで弁当を開くとミャオフは主張していたのだが、背嚢を下ろす様子もない。エンディの手をぎゅっと握り、闇の向こうを見やるように目を向けている。
「……さて、さっさと終わらせましょう。ええと、指示された場所は、っと……」
アウロニスが声を張り、胸元から書付を取り出して探照灯で照らしている。色の白い頬が灯火に揺れている。もう見慣れたその横顔は、見つめるエンディの心が波打ちそうなのを鎮めるはたらきをしたが、同時に、波打つ原因でもあったのだ。
大丈夫。なにも、ない。
ぶるりと首を振ったエンディは、書付を一緒に覗き込もうと脚を踏み出した。
その、ときだ。
『おかえり、エンデラーゼ』
ばん、と、エンディは右の耳を強く叩くように抑えた。が、声がどこからのものか判断がつかない。右頬を掻きむしる。
同時に洞内が、わずかに光った。
昏い輝きが孔の奥から壁を奔る。
波のような、脈動のようなその禍々しい光の色は、銀。
「アウロニス!」
エンディが叫ぶ。
アウロニスは反射的に身体を捻って後ろに逃れ、その瞬間に天井から銀の槍が撃ち下ろされた。彼の立っていた位置の床面が粉砕され、破片が飛散する。
すでに伸縮索を使って中空に跳んでいるエンディ。ミャオフは硬直してしまっている。その身体に索を飛ばし、自分の隣に引き上げる。
数歩ぶん逃れたアウロニスは、なにが起こっているかを把握できないままに防御魔法を展開していた。見上げて首を振り、エンディたちの所在を確認する。目が合うが、互いに顔がこわばったままだ。
「……怪我は!」
「大丈夫です、あなたは!」
エンディは応えない。壁の一部がふたたび薄く発光するのを横目に確認し、鋭く声を発した。
「いいかよく聞け! いますぐ逃げろ!」
「……え」
「走れ。絶対に立ち止まるな。あたしたちのことは気に……」
言葉を中断させたのは、壁面から伸びたいくつかの銀の触手だった。そのすべてがアウロニスの胸元を目指す。ぎん、と防御に弾かれるが、その帯びる強い瘴気が身体の前に展開した魔方陣を焼いた。
片手を触手の方へ掲げ、目を左右に走らせながら、アウロニスも声を張った。
「あなたたちこそ、僕の後ろに! 防御が効いてる、しばらく保ちます、こんな魔物、見たことはないけど……討伐された主の残留魔力かなにかでしょう。鎮めて見せます!」
「ばっかやろう! 相手にするな! いいから走っ……」
再び射出された触手は十を超えている。空気を切り裂く音とともにアウロニスだけを狙い、背からも侵襲する。すでに全方位防御を展開していたが、打たれるたびに彼を包む薄い光の膜が濁ってゆく。瘴気のゆえに、防御耐性が急激に減じている。
エンディは、理解した。理解することができてしまっている。
浸食しようとしているのだ。アウロニスの魔法を取り込み、同化し、その持ち主の身体へ入り込もうとしている。
銀の呪いが、右の目が、そう告げたのだ。
『……ああ、あの日と同じじゃないか。ここは大丈夫、心配ない、そう思ったんだろう、君たちは。あはは。哀しいよね。脳と心臓に縛られる存在というものは。どうかな。ひと足はやく、彼を、さ……僕たちと同じ所へ……ふふ。ふふふふ』
銀の頬に爪を立て、皮を刻む。滲む血が彼女を繋ぎ止めている。
「……くそっ!」
離れた場所に降り立ってミャオフを置き、動かないで、と目で告げて即座に石床を蹴った。
跳びながら間合いを測り、アウロニスに向けて射出された次の触手へ索を打ち出した。巻き付け、ぐいと引き、握る。急激に引き寄せられて激突した彼女の身体は、触手の方向を大きく変えた。そのまま共に石壁に衝突する。
呻きながら触手に縋り付き、別の索を壁面に打ち込んで、束ねられたような形の触手に接続した。壁面に打ち付けられて固定される触手。
床に降り立ち、だが頭を激しく打ちつけているエンディは、そのままがくりと膝をついた。
「お、おし、しょお……!」
洞の隅でうずくまっていたミャオフが叫ぶ。エンディに向けて地面を蹴った。
「だめ、ミャオフ、逃げ……!」
鋭敏な感覚を持つはずのミャオフが、無防備にまっすぐにエンディを目指す。その背に複数の触手が迫る。鋭い錐の先をふおんと振りかぶる。
が、それが届く寸前に、ミャオフの身体を覆ったものがある。
アウロニスの背に、錐のいくつかが到達した。効力が減じた防御魔法を突き破ったのだ。全力で走った勢いのままで飛び縋るようにかばったアウロニスは、ミャオフとともに身体いくつか分、転がった。
「……あ、ぐぅ……!」
「アウロニス!」
踏み出そうとしたエンディのその脚に、別の触手が絡みついた。ぐん、と引き上げられ、背と脇腹を地面に打ちつけながら持ち上げられ、そのまま、床に叩きつけられた。
呻き、それでも身を捩って背の武装装甲を展開する。すべての短針が目の前に迫った触手の束に向けて斉射されたが、ぎぎんという音とともに弾かれた。
さらに触手が巻きつく。幾重にも絡まり、持ち上げ、締めつける。
薄い意識のなかで、口角に血を溜めながら、エンディは声を絞り出した。
「……なんで、だよ……なんで、いるんだよ……ここに……」
『余興だよ。戯れ。この孔なら油断するだろう? あのときだって、そうだった。こっちにきてみればわかる。あの方と、いっしょになればね。退屈なんだよ。すべてが』
エンディを埋めるような触手の束、その縁にゆったりと腰掛け、脚を組んでいるゼオ。慈しむような視線を落としている。手を伸ばし、彼女の前髪を掬い上げるように指を通す。
その瞳は翠だが、中心に紅の点。
「……喰う、なら……あたし、だ、け、に……しろ」
『断るよ。君は、喰べられない。君から望まない限りね。だってもう、君はすでに……ま、少し待ってて。片付けてしまうから』
声とともに、巨大な触手が彼女のすぐ横の地面から湧いた。昏い銀。ぼつりぼつりと、紅い火が目のように無数に浮いている。
ゆらゆらとその先端が向かう先は、身体を丸めて苦悶するアウロニスと、泣きながらその肩を揺するミャオフ。
「……や、め……」
『どちらに、しようかな。ねえ、どっちがお気に入りなの?』
「……ゆるさねえ……手を、出したら……ぜった、い、に……」
『そうだなあ、じゃあ、あの小さな獣人にしようか。ね、一緒に食べよう。あの子の、はらわたをさ。君だってずうっとお腹が減っていたろう? ねえ、エンデラーゼ。銀と黒の、魔物さん』
触手が振り上げられた。
気づいたミャオフの目が見開かれる。
ぱき、ん。
エンディのなかで音が響いた。
なにかが壊れ、失われた。
銀の瞳が、紅に染まった。




