第21話 やわらかな時間
「……なあ。まだかよ」
アウロニスの部屋の前。
開け放たれた扉の外で、廊下の壁に背を預けて腕組みをしていたエンディは、ふうとため息をついて肩下までの銀と黒の髪を掻き上げた。
「……もう、ちょっと。すみません。この資料だけ……」
「ひと晩調べたんだろ。どんだけ見直したって変わんねえって」
「万全を期したいんです。だって、王軍の攻略ルートですよ、第四扉への。王軍が通る道をもう一度、拓くんです。僕が、この手で。しかもあなたと。それが……嬉しくて……」
部屋のなかで本をいくつも開き、書き付けをばらばらとめくりながら、アウロニスは彼女のほうを見ずに言葉だけを返す。声の最後が心なしか震えていた。恐らく目も潤んでいる。
また話が長くなりそうだったので、エンディはミャオフの方へ顔を振り向けた。
「ねえ、置いてっちゃおうか、アウロニス」
「ちゃおうにぃ」
ミャオフが目を輝かせたのは、アウロニスの分の弁当のゆくえに思いが至ったためだ。今日はごく簡単な仕事ということで、小ぶりの糧食をひとり二個ずつ用意している。麦に似た白い穀物を茹で蒸して、味の濃い小さな惣菜を中心に手で握り込んだものだ。
ミャオフはそのうちの四つをせしめる計算なのである。
苦笑しながらエンディは、ちらとアウロニスの横顔に視線を送った。口を引き結び、懸命に文字を追う、少年のようなその表情。
そこに向けている銀と黒の瞳にどんな色が載っているのか、そして自分の頬になぜ小さな笑みが浮いているのかを、エンディ自身は理解していない。
第百二十三孔での一件から、ひと月。
レイシュの依頼がアウロニスにも届くようになっていた。
今日の仕事も彼が受けたものだ。
攻略済みの二級ダンジョンである第四十二孔が、王軍のミリスティゲル第四扉の攻略ルートのひとつに選定された。が、街のギルドで記録を調べたところ、正しいやり方で討伐完了のしるしを刻んできていないことが分かってしまった。これは街の恥となる。よって最下層まで降り、所定の方法で壁面に当時の討伐パーティの刻印をしてきてほしい、と。
話を聴いたエンディは顔を顰めた。内容も動機も阿呆らしいと感じたためだ。
それでもアウロニスは目を輝かせ、いまエンディと一緒に王軍に関わることができるのがどんなに嬉しいかを力説したものだから、断れ、ということはできなかった。
それに、アウロニスが請けた仕事だ。エンディは見物人でしかない。ものを言う権利がないのである。
エンディ自身への依頼を含め、あれから四件の仕事があり、いずれも互いに同行した。理由はすべて、相手の仕事の見物だ。手は出すな、出さない、と言い合い、結果としてそうはならなかったこともまた同様である。
ミャオフは毎回、ふたりの行動を目を薄くして見やることとなった。
アウロニスがうまくやることもあり、エンディが尻拭いをすることもあった。後者の場合にはアウロニスはいつもどんよりと落ち込んだが、それでも仕事には慣れつつあった。エンディも、ミャオフ以外の誰かが仕事のおりにそばにいることに違和感を感じないようになっていた。
そうして送る日々のなかで、ちいさな変化があった。
エンディが、笑みをアウロニスに見せるようになったのだ。
初めてそうした日、驚いたような視線を向けられた彼女は、とたんに怒り顔を作って横を向いた。なにやらぶつぶつと呟いていたが、顔を逸らしたものだから、相手がもっと大きな笑顔を浮かべたことには気づけなかった。
それでも、それから。
エンディは表情を隠さなくなった。
あんた、としか言ってこなかったが、アウロニスと名を呼ぶようになった。
ミャオフがあくにんすと言えば、同調してからかいもする。
酒に強くなろうと努力しているのだろう。アウロニスが無理をして、ふたたび彼女の肩に支えられながら住処に戻った夜もあった。ベッドに彼を横たえて、薄くくちを開いて寝息をたてるその顔を、星あかりの下で彼女はしばらく眺めていたのだ。
その表情が十七歳のころのそれになっていると指摘すれば、エンディは全力をもって否定したであろうが。
アウロニスが風邪をひいたことがあった。
寝込んだ彼の代わりにミャオフが食事の支度をすると申し出たが、エンディが首を振った。あたしがやる、という言葉に、ミャオフは震えた。
できあがった漆黒の物体は、住人ひとりの熱を上げ、他の二人を新たに寝込ませることとなったのである。
仕事がうまくいった夜、酒場でアウロニスが歌を披露したおりには、エンディも合わせた。数年前に王都で流行したという歌を彼女は知っており、最後は互いにぱんと手を打ち合わせたが、すぐに渋面をつくって横を向いた。
いくつかのことがあり、いくつかの笑顔が生まれた。
ミリスティゲルの街はずれに、孤独なサルベージ屋の周囲に、柔らかな時間がたしかに流れはじめていたのである。
「残ってる魔物の種類も数も、わかってるんだろ、今回は」
壁にもたれたままで背伸びをしながら、エンディはあくび交じりに呟いた。
「はい、レイシュさんが情報を持っていました。ええと……二層と三層に液体系の魔物、四層にジアル獣、いずれも少数だと聞きました。最下層にはいないそうです」
「それなら、楽勝とは言わねえけどさ、あたしたちならなんとでもなる。気負い過ぎるとかえって怪我のもとだぞ」
アウロニスが彼女の方に振り向いた。あたしたち、に彼が含まれていることを察したためだろう。ただ、エンディは自身の言葉に気付いていない。首を傾げて彼を見返している。
その表情に、アウロニスもふっと笑って、手元の分厚い本をばたんと閉じた。
「……そうですね。いつものように。うん、では、行きましょう!」
「ああ、行くか」
「えぅ……」
エンディは景気づけのようにぱんと手を打ち鳴らしたが、ミャオフは両肩と眉尻と獣髭を下げた。増加したはずの弁当が減り、無念に感じているのだろう。
◇◇◇
各層の状況はレイシュから得た事前の情報どおりだった。
緩衝層から降りると、黒と緑を混ぜたような色のどろりとした塊が地面を這うように近づいてきた。確かに少数ではあるのだろうが、体積、というより面積が広い。肌が触れれば火傷のような症状を呈するという、危険というより厄介な相手だった。
「……排除、したいの、ですが……」
アウロニスがおそるおそるという体裁でエンディに振り返る。
ここまでの仕事において、通り過ぎればよいのに律儀に魔物に正面から構おうとする彼を、エンディはなんどか叱ったのである。
が、今回はアウロニスの考えていることがよくわかっているエンディは、わずかに肩をすくめて、どうぞ、というように手のひらを水平に差し出した。
頷いて前を向くアウロニス。手印を組み始める。その指先が淡く発光する。
「……輝ける王軍のゆく手を遮るものは、この僕が許さない。照らせ神明よ、轟け雷光よ。討伐奥伝、清伏の波動……っ!」
合わせた手のひらを開くと、かっと光が迸った。孔の床なり壁に這っていた何体かの魔物たちがぽろりと床面に転がり、しばらく震えていたが、やがてすうと消えていった。
エンディもこれには拍手を送った。
「へええ。魔物を消滅させることができるのか。すごいじゃないか」
「あ、いえ……これ、眠らせてるだけなんです。ちょっと長めに。ひと月後の王軍の作戦が終わった頃には目が覚めて戻ってくると思います」
「へ」
「魔物の一部には、眠ると実体が見えなくなるものがありますから。たまたまあいつらは、そうだったんでしょう」
照れたように後頭部を掻いているアウロニス。エンディはしばらくその顔を呆れたように眺めてから、腰に手をあてて嘆息した。
「……な、アウロニスって、もしかして攻撃魔法、使えないのか?」
問われて、アウロニスは眉を上げ、それからふわりと優しい顔をした。俯いて鼻の頭をこりこりと擦る。
「……使えないことは、ない、んです」
「じゃあなんで、使わない。魔物への情か?」
「いえ、あの……苦手は、苦手で。攻撃魔法。だから、誓約したんです。神殿で。僕が攻撃魔法を使うのは、生涯ただ一度だけにする、って。その代わり、その時には僕の魂をぜんぶ、その魔法に載せてください、って」
「……そんなもん、いつ使うんだよ」
首を傾けたエンディ。それを眩しそうに見て、アウロニスはどうしたことかばつの悪そうな顔をつくり、くるりとむこうを向いてしまった。
小さくなにかを呟いたようだったが、エンディには届かない。
が、それを聴きとったらしいミャオフがアウロニスの顔をまわり込むように覗いて、頬に指を当てながら不思議そうに声を出したのだ。
「……あなたを、ときはなつ、ため……にぃ?」
「わあああっだめだってばああ!」
あわあわと抱きかかえられそうになり逃げるミャオフ。追いかけるアウロニス。
エンディはそんな二人の背に、首を捻ったままでのんびりとついていったのである。




