第19話 おめでとう、初仕事
目を開く。
身を起こそうとしたが、重い。
額に手をやる。傷が消えていた。頬も同じだった。
少しだけ頭痛が残っている。
なにがあったかは覚えている。
なぜ傷が消えているのかも、ぼんやりと想像できる。
ゆっくりと起き上がり、エンディはベッドの縁に脚を落とした。
しばらく自分の正気を点検してから、息を吐き、ぽんと立ち上がる。
さっと窓布を開けると、薄曇りの空。
いまの彼女の心境を映したような色だったが、その上に陽光が降っているのを知っている。雲を通した淡い光を捉えることができている。そのことを彼女は、喜んだ。
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
ぺたりぺたりと廊下を進むと、厨房から声が聴こえた。
「……そうそう、笑って、おはようって。いいかい、いつもとおんなじに」
「ん、わかった。あくにんす、おはよにぃいい」
「いやいや僕じゃなくて……って、ぷ、にらめっこでもないってば。変な顔じゃなくて、わらって、おはよう、って」
「おぅはぁよおおにぃぃ」
「あはは。怖いってば。あははは」
廊下で足を止めて、二人の声を聴いている。
少しだけ持ち上がっていた口の端が震えてくる。下の唇をぎゅっと噛み、俯く。銀の髪が彼女の表情を覆う。
しばらくそのままでいたが、それでもぐいと目元を擦り上げ、上を向いた。はっと息を吐く。
早足で食堂に入った。
「おはよう」
「あ、お、師匠……お、お、は、よよよ」
「あっ、おは、よ、ござい……す!」
笑いあってるところで後ろからふいにかけられた声に、せっかくの予行演習も無駄に終わってしまったようだった。振り向いてあわあわと声を出すふたりに、エンディは堪えきれずに吹き出しそうになり、ただ、違うものも喉元までせり上がってきたから、慌てて俯いた。
くしゃりとなった表情を髪に隠し、そうして、いきなりテーブルの上の刺し匙を三本とりあげ、右指に挟んで振り上げたのだ。
「……だれだ、貴様は!」
「ええっ」
「にぅっ」
アウロニスは手近の皿で、飛び退ったミャオフはまな板で、それぞれの顔面の防御を図った。その隙に表情を立て直したエンディは、ふふんというように眉と口の端を上げてみせたのだ。
「……冗談だ。ああ、腹へったあ」
そろりと各自の盾を下ろし、互いに目を見合わせて、かくりと肩を落とした二人。
エンディはもう食卓について、組み合わせた手のひらの上に顎を載せて配膳を待っている。足先がぶらぶらと揺れている。
「なにしてるの、冷めちまうよ。ほれほれ」
二人はもういちど目を見合わせて肩をすくめ、それでも笑って作業に戻った。
昨日のことなど、誰も口に出さない。
アウロニスが盛り付けて、ミャオフが配膳した。肉詰めと根菜の香草スープ、乳脂で炒った卵、チーズと黒パン。サラダがあるが、ミャオフは自分の分をふくめた二つをエンディの前に置いた。
「……道具、ありがとな」
匙を口に運びながら、そして野菜の皿をミャオフに押し戻しながら、エンディはアウロニスに声を向けた。ぴくんと肩を揺らし、背筋を伸ばすアウロニス。
「あ、はい。ええと、それについて先生から伝言です。短針の射出機構を変更した、ミル水獣の肺組織の不安定さを解消するためにエリム樹の内皮の外温反応による内気圧変化を応用したが、そのために地力との関係で応力反発の制御に課題が生じて」
伝言がまったく伝わらなかったエンディは片手を広げ、アウロニスの顔の前に差し出し、言葉を止めた。
「うん、わかった。とてもよくわかった。他に変わったことは?」
「え、いえ……特に」
ふいに声を潜めて皿に目を落としたアウロニス。エンディが見逃すはずもない。
「なんだ。教授がなにか言ったのか? あたしのこと」
「……いえ、そんなことは」
「ならなんだ」
「……」
不器用なのだな、と、エンディは肘をついた拳で顎を支えたまま、改めて相手の顔を見直した。眉根を寄せて、目を泳がせている。酸素が失われたように口をぱくぱくと動かしている。
「……レイシュ、さんが……店に、来られてて……」
「なに?」
「仕事……を、頼みたい、って……」
「誰に」
「僕に、です……」
エンディは椅子に背を預け直して、天井を振り仰いだ。
「……内容は」
「え、ええと……第百二十三孔、三級ダンジョンです。攻略はひと月前に終わってるけど、パーティの要員が装備を置き忘れた、それをとってきてほしい、って」
「装備? 公式パーティの、か?」
「だと、思いますが……」
「……あの、女……」
顔を上に向けたまま、エンディは眉間を揉みはじめる。
公式パーティが装備を現場に忘れてゆくことなどあり得ない。まして、その回収をレイシュのような裏街道の者に依頼するなど。
内密に、非合法に回収しなければならないもの。
こいつ、消されるかもな、と、エンディは天井を見上げて考えている。
「いえ、でも、三級ですし、目標の正確な位置もわかってるし、魔物の反応はほとんどないし、いたとしても五等級か六等級だから、初めての仕事でも大丈夫だって……」
エンディはしばらくそのままの姿勢でいたが、やがてふうと大きくため息をついて、がばりとアウロニスに向き直った。
「あたしも行く。いいな」
「え、でも、仕事は僕に……」
「仕事はあんたがすればいい。あたしは見物だ。手は出さない」
第九十二孔の際の意趣返しのような言葉を重ねられて、アウロニスは戸惑ったような表情を浮かべながら、それでもかくかくと頷いた。
◇◇◇
翌日の昼まえには、第百二十三孔の潜入口に三人の姿があった。
エンディは整備の終わったぴかぴかの装備を気に入ったらしく上機嫌であり、ミャオフは今日の弁当がアウロニスの手製の鶏の揚げ物であることにより上機嫌だった。
「……では、行きます」
例の封印解除の詠唱を試みるつもりなのだろう。両手を揃えて前に突き出しつつ、アウロニスは二人に振り返った。緊張した面持ちだ。
「いいよ、あたしらに声、かけないで。気楽にやって」
「おきらくにぃ」
「……はい」
エンディもミャオフも頭の後ろに手を組み、鼻歌まじりという様子だ。アウロニスはその表情をじっとりと見つめてから前を向き、俯いて詠唱をはじめた。
第九十二孔よりは簡易な封印だったのかもしれない。ぎゅん、という音と共に詠唱の中途で光の紋章が浮かび上がり、回転して、消えた。
世界をその手に収めたがごとき表情で振り返ったアウロニス。
ミャオフだけがはたはたと手を打ちあわせてその偉業を讃えた。
アウロニスが踏み込み、二人はあとに続く。
外部との緩衝層である第一層、半地下の空間の先に緩やかな下りの通路があった。抜ければ第二層。アウロニスが探照灯を点す。
「うぉっ……!」
彼の頭を掠めて飛び去ったのは、大型のとんぼ、という形の魔物だった。大型といっても人の上腕ほどだ。が、数がいるらしく、次々に三人に向かって飛来してきた。
「……ふたりとも……僕の後ろにっ!」
叫んで、両足を踏み張った。手を交差させて額の前にかざす。
とんぼをひょいひょいと躱わし、ときおり手の甲で跳ね返しながら、エンディはあいよと気の抜けた返事をした。ミャオフは一匹の尻を捕まえ、逃げようとするそれを引っ張り戻して遊んでいる。
「来たれ神聖なる光輪よ……我が名のもとに魔を鎮めよ……っ!」
叫ぶと、ばしんという音と共に一瞬、眩しい白の光が洞内を照らした。とんぼたちがふらふらと床に落ちる。魔力を一時的に無効化する術のようだった。
ふたたび世の頂点に立ったかのような顔で振り返るアウロニス。
今度はエンディが拍手をした。夏の虫除けにいいな、と考えている。
三層に降りると、無数の蛇が現れた。双頭の蛇だ。牙があるのが見えたし、おそらく毒もあるのだろう。が、小さい。手のひらほどだ。
ただ数が非常に多く、閉口したエンディは早々に短縮索を天井に打ち込んで中空に逃げている。ミャオフは壁に張り付き、詠唱をなんども早口で繰り返して追い払おうとしているアウロニスを薄い目で見下ろしている。
四層。低級ダンジョンとしては珍しい、不定形の魔物が棲んでいた。黒い霧とでもいったもので、小さな雷で攻撃してきた。が、移動速度はそう速くはなく、エンディとミャオフは瞬時に駆け抜け、はるか後方で律儀にすべての攻撃を防御魔法で受け止めているアウロニスを眺めていた。
ミャオフがもう弁当に手をつけている。
そうして到着した五層、最下層には魔物の姿はなかった。代わりに強い臭気。ミャオフが鼻に皺を寄せている。
主窟の奥に牛ほどの大きさの遺骸が見える。このダンジョンの主だろう。
「……やっぱり、リディム獣、か……」
エンディが呟いたが、アウロニスには届いていない。壁の凹凸を順に指さして目的物の位置を確かめていたが、やがて見つけたらしい。
「あった。けど……なんで、土の中?」
走り寄り、小さく積み上げられた石と土を除いてゆく。と、淡い紫の光が土の中から溢れてきた。
アウロニスに並んで膝を立てたエンディが覗き込む。
「魔耀石。リディムは稀にそいつを腹のなかに持っている。売れば十年は遊んで暮らせるお宝だ。知ってるだろう」
「……え」
「パーティが隠蔽したんだ。正直に報告したら持っていかれちまうからな、役人に。ほとぼりが冷めた頃にこっそりと回収する。よくある話だ」
こともなげに言うエンディに、アウロニスは歪んだ顔をゆっくりと振り向けた。その背をぽんと叩き、エンディは立ち上がる。
「その回収があんたの役目だよ。おめでとう、初仕事」




