第16話 みんなでお買い物
食堂には明かり採りがある。
天井の下、手の届くあたりに横長の窓が切ってあるのだ。
食卓について見上げれば、隣接する木立の先と空をゆく雲を眺めることができる。ことに今朝は、ミリスティゲルらしいからっとした快晴だ。空の蒼さも一段深く、目に染みる。
ただ、いま窓を見上げるアウロニスには、爽やかなその色さえも痛みに変換されて脳に届いているらしい。ぐったりと椅子にもたれて眉をしかめている。
手には痛み止め入りの水。口をなかば呆けたように薄く開いている。
「……たべる、に……?」
ミャオフが木皿を彼の前に置く。目玉焼きと黒パンが乗っている。
アウロニスは首を起こし、小さく頷いた。その動作にも顔をしかめている。
今朝、彼は寝坊したのだ。というよりベッドから身を起こすことができなかった。疲労もあったろうが、昨夜の酒のため、というべきである。
「……いた……だき、ます……すみません」
「……ったく……だらしねえな……うぅ」
エンディはアウロニスに言葉を投げたが、当人も頭を抱えている。自分の声がまたずきんと響いたらしく、眉根を寄せて呻いた。
昨夜はアウロニスが粘ったのだ。
最後までエンディの言葉に納得していない様子だったが、口には出さなかった。エンディも正解は教えない。その代わり、酒を付き合った。はじめは香草入りの軽い酒だったが、最後はやはりダル酒、指三本。
臭い仲の二人は、二日酔いを共有することにも成功したというわけである。
ミャオフが配膳を終わって椅子に座り、アウロニスを真似てするようになった食前の礼をしていると、二人もゆっくりと身体を起こした。
はじめは食が乗らなかったようだが、痛み止めも効いたのだろう。エンディはパンをおかわりした。アウロニスもなんとか平らげる。
「今日は、どうされるんですか?」
食後の茶はアウロニスが淹れた。茶出しの器とカップを運びながらエンディの背に声を向ける。
そのエンディはミャオフに監視されながら気怠げに皿を片付けていた。二日酔いの朝は皿洗いが免除されるという前例が作られることをミャオフは警戒しているのだ。手は動かしながら、あくび混じりの声を返す。
「……仕事は入っていない」
「じゃあ、ずっと家にいるんですか」
エンディが返事をしないので、アウロニスはその顔を覗き込むようにした。目を逸らすエンディ。
「……街に出る。道具屋だ。仕入れもしなきゃいけない」
「あ、なら、ぼ」
「付いてくるな」
僕も行きます、とアウロニスが続けようとしたが、エンディが遮ったのだ。
アウロニスは口をつぐんで肩をすくめたが、眉を上げ、なにやら嫌らしい笑みを浮かべた。巻こうとしても無駄ですよ、という意味であることはエンディに伝わっている。
数日前のエンディであれば一喝で終了というところだが、第九十二孔のことがある。主を倒したのはエンディだが、無理やりについてきたアウロニスの防御魔法がなければ成立しない戦法だった。どちらも口に出さないが、互いによく分かっている。
ため息をついて、ぼそりと続けた。
「……仕事じゃない。付いてくる意味がない」
「荷物を持ちます。道具屋っていうところにも興味がありますし」
「めんどくさいんだよ、あの道具屋。あんたなんか連れてったら、面倒が倍になる。勘弁してくれ」
「大丈夫。この街の雰囲気、皆さんのこと、なんとなくだけど分かってきました。うまくやります。やれます、たぶん。それに食材も仕入れしないとならないし」
「ミャオフも行く。食材はこの子が選ぶ。ねえ、ミャオフ」
振り返ったエンディに、ミャオフは口を小さな山形にして、ぽつんと目を瞬かせながらふんふんと首を振ってみせた。
「あくにんすの、ごはん……わかんない。しおしお、きゅうきゅう」
後半の言葉はミャオフなりの味の表現のようだ。その意味はエンディにも取れていないが、アウロニスの料理を前提にしていることは伝わった。横でアウロニスがにんまりと頬を持ち上げているのに気づき、全力で渋面をつくって、横を向いた。
◇◇◇
「これはね、カボチの実。皮を厚く剥いて、薄切りして炒めると美味しいよ」
「いためる」
「ああ……ええと、油で、ころころと焼く、かな」
「ころころ! わかった!」
「あとは……これはどうかな。ディーコ。香草と干し肉と一緒に煮込むといい。あ、ホレンゾの葉もある。こっちは乳油で炒めたり、スープに入れる」
「ほぬぅ……」
ちょうど昼時だった。
ミリスティゲルの北部、街を南北に走る大通りからひとつ入った狭い裏路地に、長く天幕のようなものがかかっており、そこに露天商があちこちから集まっているのだ。これをミリスティゲルの住人は市場と呼んでいる。
混雑するのはやはり昼頃で、さまざまな格好の客でごったがえしている。そこを三人は泳ぐように移動して、野菜を扱う店が集まるあたりにやってきたのだ。
「なあ……それ、人間の食い物か……?」
柱に背を預けて腕を組んでいるエンディ。緑と白と茶と、色彩ゆたかなミリスティゲルの地場野菜に囲まれ、いかにも不満げである。ミャオフと並んで売り棚を覗き込んでいたアウロニスは、顔を振り向けて笑った。
「はい。牛も馬も、虫も食べますけどね」
「……買うな。そんなもの」
「あはは。栄養も旨味もたっぷりですよ。あなたもきっと気に入ります」
「ますにぃ」
アウロニスとミャオフが顔をならべてにんまりとしてみせる。
どちらかといえば野菜嫌いの等級はミャオフが上だ。作ってみても口に合わなければエンディに押し付けるであろうことを、彼女は知っている。
野菜売り場を離れるころには、アウロニスが下げる袋はいっぱいになっていた。エンディはげんなりとした様子でそれを覗き込む。
「……千年分くらい、あるな」
「四日分です」
「ですにぃ」
エンディは黙って先導したが、途中で一行の足取りが二度とまった。
はじめは串焼きの露店の前で、ミャオフが動かなくなった。アウロニスが買って与え、エンディにも差し出した。
二度目は小難しい魔法書を並べた店先で、アウロニスが停止した。覗き込むミャオフに嬉しそうに指差しながら解説した。
予定の時間を三倍ほど超過していたし、なんどか文句を言おうとしたが、エンディにはできなかったのだ。理由は本人にもわからない。ふん、と後ろを向いた彼女の口元がほんの少し綻んでいたことを、誰も見てはいなかった。
目指す道具屋は、市場を過ぎてしばらく南下した先。武具なり荒物なり、工芸を扱う古い店が軒を連ねる小路の隅に、ぽつんと看板も出さずに営業をしていた。
その扉を開けるにあたり、エンディは何度もためらい、何度も中止し、口中で練習を繰り返した。が、やがて覚悟が定まったらしい。
ぎい、と、軋む扉を押し開ける。
「……なんじゃ、エンディ。まぁだ生きとったのか」
彼女にかけられた最初の言葉は、それである。
しわがれた、いかにも面倒だという声。
すぐ後ろにいたアウロニスの顔が引き攣り、身構えた。そうした声を受けたエンディの反応を想像したためである。
店は倒壊するであろうし、声をかけた鼻眼鏡の老人も、明日を迎えることはなかろうと思われたのだ。
だから、エンディが返した言葉にもういちど引き攣ることに無理はないのである。
「……はい。おかげさまで」
手を前に組み合わせ、ぺこりと頭を下げるエンディ。アウロニスはその背に立ち、世界の終焉を見たような顔になっている。
老人はじっと視線を向けていたが、鼻に皺を寄せて向こうをむいてしまった。
「なんの用だ」
「……道具の補修と、補充を……」
「道具だと!」
顔を振り向けた老人に、エンディはきゅっと目をつむって肩をすぼめた。アウロニスもなにがなにやらわからぬまま、倣った。ミャオフは店の隅で小さくなっている。
「わしの可愛い子供たちを……ろくに使いこなせもせんお前が、道具と呼ぶか!」
「……申し訳ございません」
「……ふん」
ため息を吐き、老人は眼鏡を外した。
エンディの胸元から腰の辺りまで、じっとりとした視線を走らせる。
「はやく脱げ。我慢ならん。全部だ」




