第12話 騎士の礼
「さて……と」
エンディとミャオフが改めて身支度を確認していると、アウロニスはちらと二人を見やり、なにやら口角を持ち上げて第九十二孔の潜入口に立ったのだ。
顔を伏せ、目を瞑り、両手をかざす。口中で詠唱を開始する。
やがて腕の周りが薄く光りはじめ、潜入口に流れ込む。周囲を回転しながら包み始めた。入り口を覆うように金で描かれた複雑な紋様が浮かび上がる。王都の技術者が敷設した、絶対不可侵の封印魔法だ。高度魔法であり、解除できるのは施術した当人か、より上位の魔法技術者のみである。
詠唱の声が高まる。やがてアウロニスは、かっ、と目を見開き、前に突き出した両腕の手首のところをあわせて、ぐいと捻った。金の紋がひときわ眩しく輝く。彼の得意げな顔を照らしたその光は、だが、ぷすんという音とともに消失した。
「……あれ?」
元の漆黒に戻った孔にそろりと片足を入れようとし、ばちん、と弾かれたアウロニスは、よろよろと数歩よろめき退がって沈黙した。十を数えた頃にエンディたちにゆっくり振り返る。眉を山形にしたその顔は真っ赤であった。
目を細くしたエンディは小さな息をひとつ吐き、孔の前に立った。腰の物入れから小さな箱を取り出す。中から現れた小指ほどの巻物をばらりと開き、無造作にかざす。
すぐに先ほどと同じ金の紋章が現れ、輝いたのちに回転しだした。やがてその速度が増し、中心部から消えてゆく。
「……お、王の、鍵……? なんで、そんなところ、に……?」
呆然と呟いたアウロニスにエンディは返答をしない。ミリスティゲルの裏街道で働く者たちにはあたりまえのように流通している鍵だったが、彼女もその出どころや由来は知らない。気にもしていない。すべての封印ダンジョンに出入りできるという効能のみが重要だった。
封印が光の粒となって消えたことを確認すると、エンディはミャオフを呼び、その背に手を当てて内部に踏み入った。
アウロニスが続いたかどうかは確認しなかった。
わずかに進んだだけですぐに急角度の下降路となった。エンディは岩肌をとんとんと跳ぶように降り、ミャオフは四肢で走る。
しばらくすると、やや重そうではあるが、確実に足場を捉えながら降りてくる音が背後に聴こえてきた。いったん立ち止まったエンディをミャオフは不思議そうに見上げたが、ふっと笑ってその頭に手をやり、脚を出した。
すぐに光が届かなくなる。地上から続く緩衝空間の下、いわゆる第二層だ。物入れから探照灯を取り出して灯す。洞窟蛍の原理を利用したほのかな灯りだが、エンディにもミャオフにもそれで充分だった。
第九十二孔は第二層以下、ぜんぶで四層。
層はいくつかの空間からなり、それぞれ上下に区切られている。その空間ごとに棲息あるいは発生する魔物の種類が異なるのは他のダンジョンと変わらず、下層に進むほど等級が上がってゆくのも同様だ。
そして最下層は、いわゆるダンジョン主、孔と背後の扉に続く経路を護る存在が支配する。今回は、その主の存否を確認することが目的だから、目指すのもおのずと最下層ということになる。
一度は踏破された孔であり、下層への経路も物理的には拓かれている。だからエンディは最短距離をとるつもりではいるが、状況の確認は怠らない。横に広がる第二層の各空間を順に確認してゆく。
(……魔物の気配はない。死滅したか、下層へ退避したか)
ミャオフもふんふんと鼻を使っているが、特になにも感じないようだ。ただ、攻略時にはここでも激しい戦闘があったらしい。壁面には無数の刀傷、そしていくつかの装備品が転がっている。
「お師匠」
ミャオフが先の暗がりを指さす。近寄ってみると、騎士が壁に身を預けて座り込んでいた。むろん、息をしていない。数か月は経過している。初期の攻略時に負傷し、ここまで戻ってきて息絶えたのだろう。
エンディは立ったままそれを見下ろしている。遠くから彼女を呼ぶ声が聴こえている。胃の腑の底からなにかが上がってくる。
それらを噛み潰すように奥歯を喰いしばり、エンディは小さく呟いた。
「……よく眠れ」
と、ちょうどその時、別の探照灯が二人を照らし出した。追いついてきたアウロニスだった。
灯りを掲げ、彼女らの足元にあるものに気づき、目を見開く。呼吸が荒い。しばらく硬直し、後ずさって、皮手袋で口元を覆った。吐き気を堪えているように見えた。
ちらとエンディに目をやり、踵を返す。もと来た方向へ走り出した。かんかんと岩肌を駆け上がる音が遠く聴こえる。
(……はい、ごくろうさん)
アウロニスは、現場、と言っていた。久しぶりの現場だと。が、安全が確保された場所で、見えない前線に指示を出す。そういう現場に、僚友や冒険者たちの遺骸は転がっていないのだろう。
エンディは彼が走っていった方に顔を振り向けて、息を吸い、吐いた。その息に失望が含まれていることに気づいてしまったから、彼女は自らに驚いた。首を振る。ミャオフを促して先に進んだ。
しばらくは似たような空間が広がっており、その先は行きどまりになっていた。どうやら途中にいくつかあった小さな横穴が下層への経路になっているらしい。正解はミャオフの鼻に頼って見つけることとして、二人は引き返した。
と、先ほどの場所に明かりがある。
アウロニスが遺骸の前に片膝を立てていた。
その手には、黄色と白の小さな花。
走って地上に戻り、採ってきたのだろう。ひと握りほどの花束を、彼は遺骸の膝のあたりに置き、立ち上がった。
背筋を伸ばし、がん、と踵を打ち付け、胸に手を置く。騎士の礼をとった彼の頬が濡れているのは、ほのかな明かりのもとでも充分に見て取れた。
その様子をぼうと眺めているエンディは、声を聴いた。反射的に呪いの右顔を抑える。が、声には、温度があった。自身の記憶の向こうから届いていた。
行こう、エンデラーゼ。
がんばろうね。元気で戻ろう、みんな。
伸ばされた手は、誰のものだろう。
笑顔で応えたのは、誰だろう。
「……おし、しょ……?」
ミャオフの声に引き戻され、エンディはしばらく呼吸を忘れていたことに気づいた。大きく吸い、吐いて、歩き出す。
アウロニスの背に声はかけずに、通り過ぎた。
下層への経路はすぐに見つかった。やはり横穴のひとつだった。
少し降りるとミャオフがさかんに鼻を鳴らし出す。
「いる?」
「いる。これくらい。かさかさ」
腕、あるいは前足を持ち上げて肉球のある手のひらを開いてみせる。そう多くはないのだろう。かさかさ、というのは多足歩行の魔物を呼ぶときのミャオフの言い回しである。
(蜘蛛か……蟻、かな)
しばらく進むと、エンディにも気配を感じ取れるようになった。顔の右、銀の皮膚がひりひりと反応するのだ。銀髪が逆立つ。不快な感触に頬のあたりをごりごりと搔きむしりながら、腰回りの固定具を外してゆく。とととんとすべての装備を叩いて最後の確認をし、ミャオフに振り向いた。
「走るよ。次の入り口、見つけてくれる?」
「あい」
それでミャオフにはすべて伝わっている。
虎毛の獣人の子はいったん立ち上がり、エンディにしがみついた。エンディもその背に手を廻し、ぽんぽんと叩く。危地に入るときには必ず行う儀式だ。込められた無数の意味を言語で表現することはできない。
腕を外し、互いの目を見て、互いに微笑む。
そのままでエンディは、いち、に、と、小さく囁いた。
さん、とは言わない。
その瞬間にはすでに二人ともに地を蹴っているからだ。
匂いが変わる。
空気が重くなる。
足元が、途切れる。
巨大な地下空間への横穴。
その端を二人は踏み切り、身を躍らせた。
殺到したのは、巨大な顎を持つ黒い魔物だった。
一瞬前に射出していた索により踊るようにその牙を躱しながら、エンディは口の端を持ち上げているのだ。
「やっぱり、蟻。ふふ。当たった」




