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第11話 僕がいますから


 玄関を入って正面は水場で、その横に厨房と続きの食堂がある。

 かつて冒険者たちの宿所だった名残だ。汚れて帰ってきて、すぐに汗を流し、そのまま食事を掻き込んだのである。


 左右の部屋数は同じで、ともに三つずつ。大きさもすべて同じで、ベッドと棚をひとつ置けばいっぱいになるほどの空間である。

 その左端を、エンディは寝室としていた。ミャオフの個室はその隣だ。ただ、あまり使わない。寝るのはエンディといっしょだし、用事がなければ食堂にいた。


 こうした構造の建物だから、今朝も寝坊したエンディが背中をぼりぼりと掻きながら廊下に現れれば、玄関前の空間で朝日を浴びて膝を曲げ伸ばししているアウロニスにかち合うこととなるのである。

 彼にも自室がある。エンディたちの反対側、右端の部屋が割り当てられていた。割り当てたのはミャオフだが、家主たるエンディも苦情を述べなかった。

 だから運動であればその部屋で行えばよいものを、どんと廊下の真ん中で汗を流している彼に、エンディは眠気と困惑による細い目を向けている。


 「……なに、してる」

 「あっ、おはようございます」


 アウロニスは屈伸運動を止めず、顔だけをエンディに振り向けた。頭の後ろに組んだ腕。紅潮した顔に充実感あふれる笑顔が乗っている。額の汗がきらりとひかる。


 「今日のことを、考えてたら、気持ちが昂ってしまって、現場は、久しぶりなんです、でもご心配なく、身体づくりは、ずっと、怠って、ません、から……!」


 膝の伸縮にともない拍子をつけながら、アウロニスはエンディのほうへ顔だけを向けながら白い歯を輝かせてみせた。


 「……そうか」

 「はい!」

 「頼もしいな」

 「ありがとうございます!」


 屈伸の速度が上がった。ふっ、ふっ、という息を聴きながらエンディはよろよろと厨房に入る。


 結局、レイシュの依頼は断ることができなかったのだ。

 彼女がエンディに持ち込む仕事は、常にそういう性質のものだった。断っても構わないが、エンディではない誰かが命なり大事なものを失うことになる。


 あの後、レイシュは食卓まで上がり込み、ミャオフの秘蔵のクッキーを見つけ出してばりばりと平らげ、アウロニスが淹れた茶を飲み干して機嫌よく帰っていった。ミャオフは泣き崩れ、アウロニスはなにやら興奮した様子で自室へ籠った。エンディがテーブルに突っ伏したのは、正体のわからない疲労感に襲われたためである。


 ただ、道具がない、というのは本当のことで、先日の第二十八孔で短針をはじめとする装備をほとんど使い果たしてしまっている。伸縮索や防具類の整備も必要だ。が、いつもの道具屋にもっていけば話が長くなるのがわかっていたから、エンディはきのう夕方までかけて護身用のものを再利用し、できるだけの準備を整えた。


 そして今、厨房ではミャオフが黒パンを切っている。横に布が三枚ひろげられ、チーズやら果実を干したものが載せられていた。朝食はすでにテーブルに並んでいるから、弁当のつもりだろう。


 「おはようお師匠ぉ」

 「おはよう。ねえミャオフ」

 「あい」

 「弁当、三つあるね」

 「あい」

 「二つでいいよ。それと、朝食が終わったらすぐに出るから。寝室で待ってて」

 「にぅ……?」


 ミャオフは首を傾げたが、飲み込んだらしい。三枚目の布からチーズを取りあげて別のところに移す。ひとつが大盛となり、それはミャオフの分だと思われた。


 顔を洗って戻るとアウロニスがテーブルについていた。上気した頬に笑みを浮かべて向けられる。エンディは何も言わずに座った。ミャオフも来る。アウロニスは機嫌よさげに二人に朝食の内容を説明した。昨夜も今朝も彼が用意したのだ。

 食事を終えると、ミャオフは寝室へ向かった。皿はエンディが片付ける。洗いながらアウロニスに、今日は昼ころに出発しようと思う、と告げた。わかりました、と大きな声で返され、エンディはきゅっと顔を顰めた。


 寝室に戻るとミャオフが準備を終えていた。小さな背嚢を背負っている。弁当入りだ。エンディもあらかじめ用意しておいた装備を身に着ける。何千回も繰り返した動作であり、すぐに終えた。ミャオフに頷いてみせる。


 寝室からは立ち木が見える。十歩ほどの距離だ。部屋の窓は小さいが、エンディは立ち木に伸縮索を飛ばし、器用に潜り抜けた。ミャオフは窓枠からぽんと跳ぶ。二人とも大ぶりの枝に立ち、少しだけ笑いあって飛び降りた。


 第九十二孔はエンディの住処から歩いて行ける距離にある。すこし時間はかかるが、仕事にはそう時間を要すると思わなかったから、のんびりと二人で歩いて行った。成果は夜までに持ち帰ればいい。帰りはゴディオの店に寄り、そこにレイシュを呼ぼうと決めている。

 踏破され、封印されたとはいえ元の特級ダンジョンだ。魔物の棲息の現状を把握できていないから、危険度はむしろ増している。が、二人の態度と表情は、気楽な遠足に出かけるほどのものだった。

 入念に備えるが、危険の先にある結果を気にしていない。

 ミャオフには、自分の姿が見えなくなればすぐに地上に戻れと言い含めてある。ほかに気にすべきことなど何もない。明日に持ち越す価値を、彼女はミャオフ以外に持っていなかったのだ。


 目指す場所は、街の北部、最前線の後背地にある。

 のどやかな陽光に揺れる白と黄色の花々、ところどころにごつごつした小さな岩山。そのひとつの横にぽっかりと暗い穴が口を開けている。

 誰でも立ち入れるように見えるが、厳重な封印魔法が展開されている。攻略が認定されたのち、王都の役人がやってきて封印したのだ。虫が這い入ることもできない。


 その穴の横に、アウロニスはくつろいだ様子で腰かけていた。

 笑いながら小さく手を振ってみせる。


 「お待ちしていました」


 エンディはなにも言わずに彼の前まで速足で歩いてゆき、冒険者ふうの焦げ茶の行動衣の首元を掴み上げた。相手は持ち上げられるままに彼女に視線を合わせてくる。


 「……遊びでやってんじゃないんだよ」

 「遊んでいません。ふざけてもいません。僕は、本気です」


 薄青の瞳を真っすぐに向けられる。静かな声だ。エンディはそこに、銀の顔半分を見せつけるようにぐいと寄せた。


 「本気。そうかい。じゃあ、今日ここで命を落としても文句はないってことだな。廃棄ダンジョンのなかだ、なにが起こるか分からない。誰も見ていない。魔物に喰われるかもしれないし、後ろから誰かの伸縮索に間違って首を絞められることだってあるかもな」

 「あなたはそんなことはしません。そして僕は……いえ、あなたも、誰も、命を落としません。僕が、いますから。あなたの背に」

 

 エンディは反射的に拳を握った。聴いた言葉を、聴きたくなかった言葉を打ち消すように、強く。

 肘を引き、だが、引いたところでしばらく動けない。十を数えるほどもそのままだったが、やがてだらんと両手を垂らした。荒い呼吸のなかで俯いて、一歩さがる。


 「……言っただろう。あたしは生きてる人間とは組まない」

 「わかっています。僕は、自分の都合で入るんです。たまたま、そこに誰かがいることがあるかもしれませんが」

 「……援けないぞ、なにがあっても」


 アウロニスはしばらく間を置き、小さく笑って頷いた。

 

 「地上に戻るまで、僕のことは忘れてください。そして僕が戻らなければ、あなたの生活はそれで元通りだ。誰も困らない」


 エンディはしばらく黒と銀の瞳で見つめていたが、ふっと視線を外して踵を返した。少し離れたところで戸惑ったように待っているミャオフのところへ向かう。


 「……最下層には降りるな。手前までだ」


 背中でぽつりと呟いた言葉は、相手に届かせようとする音量ではなかった。それでもアウロニスは受け取ったらしい。少し時間を置いてから、よし、と小さく、だが嬉しそうな声が聴こえたのである。

 

 


 

 

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