第10話 お茶にいたしましょう
ううう、と呻きながらアウロニスが身を捩る。
長い睫毛を水平にし、女は氷のような視線を彼に落とした。
「あら、人間のような声で鳴くのですね。珍しい虫ですこと」
「……レイシュ。何しに来た」
胡坐をかいたエンディは、はあと特大のため息をついて相手を見上げた。
女、レイシュは胸の前で手を組み合わせ、感極まったように眉を寄せた。たたと走り寄り、膝立ちとなってエンディの手をとる。仰け反り、逃れようとしたエンディだったが、相手が上回った。がっしりと両手を掴まれる。
「ああ、エンディお姐さま……寂しかったですわ、もう六日もお目にかかっておりませんでしたもの。なぜ、なぜに訪ねてくださらなかったのですか。酷い。あの日の、あの夜の約束をもう、お忘れになって……?」
「用事がなければ行かないし、約束など存在しない」
「ああっ……!」
身もだえをし、レイシュは丁寧に縦に巻かれた栗色の髪を揺らしてみせた。膝立ちのドレスの裾の右側が大きく割れている。白い腿に巻かれている革のベルトに鈍く光るものがいくつか収められている。細身の短刀と思えた。
「その冷ややかなお声……この胸を貫くような鋭利なお言葉……結婚……っ!」
息を荒くし、ぐいと腕を引いて抱きしめようとしたレイシュをエンディが全力で阻止しているあいだに、アウロニスは腰に手を当てたまま身を起こした。
「ひ、酷いじゃないですか……いきなり蹴りつけて。あなた、いったい……」
「黙れ外道」
ゆらりと首だけを振り向け、氷点下の視線とともに地の底から響くような声を出したレイシュ。アウロニスは縛られたように硬直した。
「こともあろうにお姐さまを狙うとは。扉を破壊し侵入しようとしたか……心配するな、すぐ殺してやる」
アウロニスに向けられたドレスの背は大きく開いており、そこに巨大な髑髏の刺青があることを彼は視認した。無意識に高度防御魔法の詠唱を始めている。
と、その時。
「にぅ……レイシュ」
大きな洗濯籠を抱えて裏庭から戻ってきたミャオフだったが、レイシュの姿を玄関のなかに見つけて籠をとり落とし、獣毛を逆立て、後ずさりして踵を返した。
が、レイシュは即座に跳んでいる。ミャオフも速かったが、逃れることはできなかった。背後から羽交締めにされ、ぴぃと声を立てる。その首筋に顔を埋めてレイシュは高速の深呼吸を繰り返した。
「ふすふすふすミャオフさんふすふす好きふすふすふすふす美味しいふすふす」
「にぅえええええ」
逃れようともがくミャオフ、しがみついたまま引きずられてゆくレイシュ。扉の内側からそれを見送りながら、アウロニスは呆然と振り返った。眉を寄せて小さく首を振って見せるエンディ。
「……口利き屋のレイシュ。情報屋も兼ねている。この街で仕事がしたかったらあいつを通す必要がある。通さなくても仕事はできるが、報酬を棺桶の中で受け取ることになる」
「……理解しました」
あの貴族令嬢ふうの装束はなんだ、武装の理由は、といくらでも質問は浮かぶはずだったが、アウロニスはふた晩にしてこの街の法を学んだらしい。呟くようにひと言だけを発して、腰のあたりに手をやりながら把手の部品を取り上げる。
エンディも沈鬱な表情をつくり、深くうなずいて金槌を手に取った。
が、ほどなくしてばたばたと足音が帰ってきた。
聞いた瞬間にアウロニスは身体を投げ出している。レイシュのつま先は彼の顔の右横を掠りながら通過した。回転を活かして放たれた踵はあらかじめ用意していた防御魔法が受け止める。
「レイシュ。そいつは敵ではない」
着地と同時に両腿から合計八本の短刀を引き抜き、両手を顔の前に交差させて必殺の構えをとるレイシュに、エンディはとんとんと扉に釘を打ち付けながら気怠げに声をかけた。
「あら……そう、なのですか」
「そうだ。たんなる悪人だ」
「まあ。でしたらそうと、仰ってくださったら」
照れたようにしなを作り、目に見えぬ動作で短刀を収める。いまだ必死の形相で防御を維持するアウロニスに、妖艶ではあるが人間を見るためのそれではない視線を送ってみせる。
「ごめんなさいねえ。あなた、お姐さまの玩具でしたのね。ふふ、そう思えば愛らしい虫ですこと。名前はあるの?」
「あくにんす」
アウロニスが口を開くまえに、玄関ではなく裏の方から戻ってきたミャオフが代わって答えた。扉の向こうでエンディの背に隠れている。アウロニスは反論のために口を開いたが、レイシュの声が被せられた。
「そう。あくにんす虫。あく虫、でよろしいかしら」
「よろしい」
ミャオフが即決した。たったいま人権をはく奪された元王軍の前衛設計者の形相に泣き顔の要素が加わったが、誰も気にしてはいない。
「よろしくねえ、あく虫。なにを食べるのかしら。菜っ葉?」
「……要件はなんだ。遊びに来たのなら帰れ。忙しい」
嫌そうな響きを隠さずに声を投げたエンディに、レイシュはあら、というように両頬に手を添えてみせた。
「あたくしとしたことが。お仕事、お願いしたくて」
「……おととい、終えたばかりだ。道具もない。他を当たれ」
「ま。あたくしがお姐さまに、他の誰かに任せられるお仕事を持ってくるはずがございませんでしょう?」
金槌を下ろし、エンディはふうと息を吐いてレイシュを見上げた。レイシュは目を弓型にして口に手を当てる。しめた、という表情だ。
「第九十二孔。先月、王都から攻略が認定されて、封印されたばかりの特級ダンジョンですわ。担当パーティはダンジョン主の爪を証拠として持ち帰って討伐を主張してるのですが、ここ何日か、少しだけ主の魔力反応が感知されたらしいのです。これでは攻略の認定も取り消しとならざるを得ません。ギルドもパーティも、街の顔役も、それは困ります。ですから……」
「みてこい、と」
「そういうことです」
歌うように語尾を上げて微笑み、小首を傾げてみせるレイシュ。みてこい、に含まれる意味を、エンディも相手もともに十分に承知している。エンディは小さくため息を吐いた。
と、横合いから声があがった。
「……九十、二……ミリスティゲルの第九十二孔、って……第四扉へのルートのひとつじゃないか。攻略作戦で撤退経路の選択肢にもなっている。討伐済みなのを前提としているんだぞ。今さら……」
アウロニスがまなじりを上げてレイシュを見上げている。視線を受けた彼女はエンディに振り向き、肩をすくめてみせた。
「いろいろ詳しいのですね、あく虫さん」
「そいつは王軍だ。元、だがな」
「ま」
指を四本そろえて口の前に当て、琥珀色の大きな瞳をアウロニスに向けている。
「もしかして、ゴディオの酒場でいろいろやらかして、街中の宿やら店に出禁になってるのって、あなた?」
「……やらかしてはいないけど、出禁には、なっている……らしい」
「それでお姐さまに飼っていただいているのね。ふふ、面白い虫さん。気に入りました。ねえお姐さま、持って帰ってもよろしいかしら」
「駄目だ。そいつは分解して遊ぶためのものじゃない」
「うふふふふ」
胡坐をかいて座り込んでいるアウロニスの膝先を、レイシュはつま先で突いている。突かれるまま左右に身体を揺らしていたアウロニスは、だが、眉根を寄せてなにかを考え込んでいるようだった。
やがて、すくと立ち上がった。男性としてはそう高い方ではない身長だが、レイシュも小柄であったから、彼女を見下ろすような視線となる。
「……僕も、行ってもいいですか」
「あら、ふふ。もちろん」
「はあ?」
「に」
少し驚きを浮かべながらも艶然と微笑んで頷いたのはレイシュで、大きく口を開け、その形のままで声を出したのはエンディだ。ミャオフは自分もなにか言わなければと考えただけらしい。
「おい。あたしはまだ、請けるとも言ってねえんだぞ」
「あら、よろしいじゃありませんか。ねえあく虫さん、しっかりお姐さまの盾になってくるんですよ」
が、アウロニスはその言葉を聴いていない。ぶつぶつと呟きながら俯き、視線を泳がせている。おそらく脳内にミリスティゲルの地下の複雑な経路図が展開されているのだろう。代替路は、他の孔も同様か、などという言葉が聴こえている。
「……期限は」
エンディは胡座のまま、顎を手に載せてぶすっと呟いた。レイシュは嬉しそうに大きな笑顔を作ってから、ぺろりと舌を出して片目を瞑り、自分の頭を小突いてみせた。
「あ、し、た」
「なに?」
「明後日までに討伐の証拠を提出するよう言われているらしくて。困りますわよねえ、どこにも引き受けてもらえなくて最後に持ち込んでくるんですもの。うふふ、でもお姐さまがいらしてくださってよかった! ああ、ほっとしたらお腹が空きました。ね、ミャオフさん。お菓子あるかしら。お茶にいたしましょう」




