異常者だと自覚のある私のお見合い顛末
自分の異常性に気づいたのはわりと早い頃だったと思う。おかげで、早い段階で『普通』の皮を被れるようになった。ただ、それでも多少『普通』よりはズレているようだが……。
「ダヴィデ団長! 後ろがついてこれていません」
「ん?」
副団長のエミリオから呼ばれ、振り向く。後ろを見れば、確かに他の団員たちとの間に距離ができていた。またやってしまった。だが、このままでは敵に逃げられる。
「私は先に行く。副団長はいつもどおりに」
「承知しました」
エミリオはすぐさま部下たちをサポートするべく、後ろに下がった。私は反対にスピードを上げ、敵を追いかける。前方にいるのは敵のみ。つまり、味方を巻き込む可能性はゼロ。思う存分暴れられる。無意識に口角が上がる。
――さあ、今日の獲物はどんな反応をしてくれるだろうか。
「ぐあっ」
「くっ」
「ば、化け物!」
「ふっ」
『化け物』、人によっては嬉しくないあだ名かもしれないが、私は違う。私自身もそう思うのだから。
「それにしても……君たちは全く可愛くないな」
残念だという気持ちが、声色に乗る。化け物だと言うくらいなら相応の反応を示してほしいのだが……。
不可思議な力を使う彼ら。そのせいか、追い詰められてもまだ己たちが勝てると信じている節がある。そんなもの……使う前に殺してしまえば同じだというのに。
「マモン様、どうか私に力を、目の前の敵を滅する力を私にっ、あ゛あ゛あ゛!」
よくわからない祝詞を唱えている間に、切る。これが一番手っ取り早い。
「な、なんと卑怯な」
「君たちがそれを言うの? 王太子殿下を暗殺しようとしといて?」
「う゛」
呆れたように呟けば、まだ生きている敵がビクリと体を強張らせた。じっと見つめれば震え始める。
――そう。そういう可愛らしさを見せてほしかったんだ。
「わ、私たちは彼の方のために」
「うんうん」
にこにこ、ほほ笑みながら近づけば、敵は後退していく。
――せっかくだから、この子は生け捕りにしようかな。
「だ、だから、私は……」
「私はなに? 聞いてあげるから最後まで話してごらん?」
小首をかしげながら尋ねれば、敵の目にさらなる恐怖が宿った。
「ひ、ひっ」
「あれ、過呼吸を起こしちゃったの? 可哀相に……大丈夫だよ。大人しくしていれば、優しくしてあげるから」
「あ、あ、く、くるな」
敵はパニック状態に陥ったせいで、お得意の力を使えないでいるようだ。これは好機、と敵を捕まえようと手を伸ばした瞬間……彼は死んでしまった。
「あーあ……。死んじゃった。可愛くない」
あんなに震えていたのに、自害する勇気はあったらしい。思わず舌打ちする。聞きなれた足音が、後ろから聞こえてきた。どうやら、部下たちが追いついたらしい。後の処理は彼らに任せようと、私は踵を返した。
◇
愛剣についた血をふき取っているとエミリオ副団長が近づいてきた。
「団長」
「なに? 報告書だったらいつもどおり頼むよ」
「もう済んでますよ。そんなことより、国王陛下がお呼びです」
「ああ、それなら仕方ない。行ってくるよ」
愛剣をエミリオに預け、国王陛下の元へと向かう。横を部下たちが駆けて行った。エミリオを囲み、なにやら話しかけている。――最初とは大違いだな。あの様子なら、私が声をかけずとも彼らも裏にきそうだ。
私も含め、第三騎士団のメンバーは皆一癖二癖持っている変人ばかりだ。エミリオが入団するまで、第三騎士団はほぼ無法地帯だった。圧倒的な力量差を感じ取っているのか、彼らは私の言うことならある程度聞く。が、私のいないところではやりたい放題。なにより、私自身も前線で暴れる以外の仕事は放棄していた。故に、部下を嗜めはしなかった。そういうのは全て副団長に任せていたのだ。けれど、歴代の副団長は皆「自分はこんな仕事をするために騎士になったんじゃない」と逃げるように辞めて行った。「このままでは騎士団として成り立たなくなるぞ」そう総長から苦言を受けた時に、私はエミリオを見つけた。私にはない才能を持っているエミリオを。
結果、エミリオを副団長に任命したのは正解だった。
最初は彼のことを馬鹿にしていた部下たちも、一緒に行動するようになってからその考えを改めるようになった。今ではすっかり彼を慕っている。
エミリオの稀有な能力は一見するとわからない。身体能力や技量は騎士としてはまだまだ未熟。けれど、彼の頭脳はそれを補って余りあるほど素晴らしいのだ。抜群の記憶力と、脳内処理の速さ。その証拠に、彼は私の動きについてくることができる。時には私の先回りをしてくるくらいだ。エミリオ曰く、「団長を研究した結果です」だそうだが、そう簡単にできるものではない。……まあ、そんなエミリオでも私の本質には気づいていないようだが。それも、彼が『普通』の感性を持っている故なのだろう。彼にはぜひともそのままでいてもらいたい。私のためにも。
――浅はかな連中から『第三騎士団団長の尻拭い係』なんてあだ名をつけられているようだが……それも好都合。彼にはこの先も私の下で働いてもらうつもりだからね。
「陛下、おまたせいたしました」
「いつもより早かったな……ダヴィデ」
「はい」
「着替えてきてからでもよかったんだぞ」
「……わかりますか?」
「ああ。血の匂いがする」
「匂いですか……」
返り血を思いっきり浴びた上着は脱いできたのだが、それだけでは足りなかったらしい。陛下の後ろに立っている護衛騎士からの視線が鋭くなったが、気づかないフリをして陛下だけを見つめ返す。
「では一度御前を失礼して」
「いや、いい。それで、どうだったのだ?」
「陛下のご想像通りでした」
今回の仕事。本来別の団がする予定だったものを、陛下が事情を知る私に振ってきたものだ。
「そうか……ユルゲンめ。やはり、いち早く裏部隊の発足が必要だな」
「お気持ちはわかりますが、まだ私は表の人間ですから」
「そうだった。で、見合いはどうなんだ? うまくいきそうなのか?」
「見合いはまだ先ですのでなんとも……ですが、絶対に成立させてみせますよ」
「……おまえに見初められたものはたいへんだな」
陛下の言葉に、ほほ笑みだけを返す。
先程陛下が口にした名前、ユルゲン・ハウスラー。陛下の甥でもあり、現公爵でもある。若くして公爵という地位を手に入れておきながら、それ以上のモノを狙っている欲深い男だ。彼が手に入れようとしているもの、それは次期国王の座。
現在、王位継承権第一位は、第一王子であるアントン様。第二位は第二王子フリッツ様。そして、第三位は第一王女マルティナ様。彼らは全員陛下の実子だ。
王弟の息子であるユルゲンは継承権を持っていない。王家の血が流れているにもかかわらず。それには相応の理由があるのだが、ユルゲンは納得していなかった。
「アントンなんかよりも私の方がふさわしい。なぜ叔父上はそんなこともわからないのだ」
陛下の前でもそんなことを平気で口にするユルゲン。その自信は彼の見た目と、血筋からきているようだ。
ユルゲンの父は王弟。母は、遠い異国の王女。王女の母国は小国ではあるものの、皆不可思議な力を持っており、今もなお、どの国からも占領されていない国である。そのせいか、王女はプライドが高かった。そして、その子であるユルゲンも。彼らは『不可思議な力を持つ自分たちは特別な存在だ』と信じて疑わない。特に王弟が亡くなってからはその思想を隠しもしなくなった。加えて、残念なことに彼らの考えを支持する者もいる。見目麗しく、不可思議な力を持つ親子に心酔する者たちが。
もちろん、大半は第一王子を支持している。順当にいけばこのまま彼が王位を継ぐだろう。そう、なにもなければ。
年々、増える第一王子を狙う暗殺者の数と頻度。このことを陛下は重くとらえていた。ご自分も狙われている立場だというのに。まあ、陛下の近くには腕の立つ騎士がいる。なにより、陛下自身が武術に精通している。平凡な見た目に皆騙されがちだが、あれは相当な手練れだ。それも先代の王妃の教育の賜物だろう。もしかしたら、こうなる日がくることを予期していたのかもしれない。
残念ながら、第一王子の敵は身内にもいる。第二王子は自分が狙われないようにと大人しくしているが、問題は第一王女だ。彼女はユルゲンと親密な仲にあるらしい。本人は隠しているようだが、裏で彼と密会しているという情報が上がっている。直接王女が彼に手を貸していなかったとしても、第一王子側の情報を流している可能性は十分にある。
この状況を打破するために、陛下はとある案を思いついた。
それは……裏部隊を作ること。もともとうっすらと考えてはいたらしい。陛下の都合の悪いものを秘密裏に処理する部隊の発足を。ユルゲンの件がその考えを後押しした。そして、その任務に抜擢されたのが私だった。
「お断りします」
私は、最初そう答えた。
別に人を殺す仕事にいまさら抵抗はない。むしろ、私程の適任者はいないだろうとも思う。だが、それ以上の問題があったのだ。所謂、『秘密裏』という部分だ。殺すのは簡単。しかし、それをバレないようにというのは私には難しい。私と仕事を一緒にしたことがある人たちならわかるだろうが、私が仕事をした後は一面が血濡れになるのだ。なにがあったかなんてバレバレだ。後処理や裏工作をすればいいのかもしれないが、そんなのは面倒。私には裏の仕事は向かない。というのに、陛下は納得してくれなかった。
「この仕事は信用できる人間にしか頼めないのだ」
「他にいるでしょう」
たとえば、陛下についている騎士だとか。ちら、と陛下の後ろを見やったがすぐに却下された。やはりだめか。
「まあ、団長クラスの中で辞めても問題ない人物など私くらいしかいませんもんね」
事実を口にしただけなのだが、苦いものを噛んだような顔で陛下は黙り込んだ。
「はあ……仕方ないですね。その代わり、お願いが二つあります」
二つという言葉に護衛騎士が微かに反応する。「不敬だ」とでも思っているのだろう。が、仕方ないだろう。こちらも譲れないものがあるのだ。陛下は「わかった」と頷き返した。
「一つは、第三騎士団副団長にも私と一緒に裏にきてもらいます」
「副団長というと……例の男か?」
「はい。むしろ彼がいなければすぐに私がしたことは露呈するでしょう。ですから必要不可欠です」
「そうか。わかった」
「後、私たちが騎士団を抜けた後は、第三騎士団を解散させてください」
「解散? 他の者をつけるんじゃなくてか?」
「はい。副団長がいなくなれば、あの団をまとめるのは無理です。私としては(比較的まともな連中)数人を各団にばらけさせ、ハウスラー公爵派の動きを表から見張らせ、他は裏に引き込む予定です。ただし、一気に皆が辞めるとなると大幅な戦力減となるでしょうから、タイミングを見計らって……とはなるでしょうが」
「なるほど……そうだな。部下たちのことについては君に任せるとしよう」
「ありがとうございます。後一つは」
「二つじゃなかったのか?」
「先程のは、『第三騎士団について』で一つですよ。もう一つは辞める理由としてお見合いをさせてください」
「見合い?」
陛下はきょとんした顔になる。険しい顔をしていた護衛騎士も驚いている。
「ええ、そうです。最近、ちょうど総長の奥様がそのような話をしていたと思いますが……ご存じですか?」
護衛騎士に視線を向ける。つられて陛下も振り向いた。戸惑いつつも、「そういえばそんな話もありました」と護衛騎士は頷く。
「その話を利用しようと思います。ただし、私とエミリオ副団長のお相手は私が決めます」
「? もしや、気になる女性がいるのか?」
「はい」
にっこり笑って頷くと、目の前の二人の顔がまるで知らないナニカを見た様に固まった。
◇
こうして念願叶ったお見合い当日。
私は浮かれていた。今日、ようやく本物に会えるのだ。カルーゾ伯爵家の姉妹に。病弱な妹の看病に明け暮れる毎日で浮いた話の一つもない長女。そして、生まれつき体が弱く将来子どもを産むことはできないと医者から告げられている、ある意味貴族令嬢としてはすでに価値なしと見られている次女。
私の本命は長女、ではなく次女だ。
次女のうわさを聞いた時、『なんて可哀相な女性なのだ』と思った。同時に、そんな彼女を私が面倒みてやりたいと思った。真綿に包むように優しく、甘々に溶かして私なしでは生きられないようにしてやりたい、と。
一応、うわさが偽の場合も考え、こっそり調査した。その結果わかったのは、本当に彼女が病弱だということ。長女の献身的な介護のおかげで、屋敷の敷地内なら移動できるようになったこと。少々我儘な性格に育ったこと。
我儘、大いに結構。そんなところも可愛いじゃないか。それに、彼女の理想は本に出てくるような王子様らしい。己の見た目に感謝した。
「初めまして、ダヴィデ・ファルコです」
イラリア嬢の見合い相手、という体できたが……最初からミルカを見つめる。そうすれば、ミルカは嬉しそうに私を見つめ返してきた。作戦成功。うまくいったようだとほくそ笑む。
「わが家の庭園は素晴らしいのですよ。案内しますから、ぜひご覧ください」
「はい! あっ」
頬を上気させたミルカがふらついた。さっと支える。
「大丈夫ですか?」
「申し訳ありません。体が弱いせいで……せっかくお庭を案内してくださるのに」
「可哀想に。もし、よろしければ私が抱き上げて庭を案内しても?」
「! ええ、ええ。よろしくお願いいたします」
おとぎ話に出てくる王子のようにミルカを抱き上げれば、それはもう心底嬉しそうにミルカは目を輝かせた。先程から表情がくるくる変わって面白い。他人がなにを考えているのか読み取るのが苦手な私でもわかる程だ。
――ああ。やはり、ミルカしかいない。
この前殺した男の三分の一くらいの重さしかないミルカ。気をつけないと傷つけてしまいそうだ。この日のために、力加減の練習をしてきた。その成果が今日こうして出ている。
「私またダヴィデ様に、会いたい」
「ミルカ嬢……私も同じ気持ちです」
「本当ですか? 嬉しい。私、次はピクニックに行ってみたいです。今まで行ったことがなくて。お姉様がダメだと」
寂しそうに視線を逸らすミルカ。正直に言うと、イラリア嬢の判断は正しいと思う。ミルカの体力ではまともにピクニックなど行けないだろう。私のように常に抱きかかえて移動する騎士と、それとは別に数人の護衛。そして、万が一を考えて医者も連れて行かなければならない。普段ミルカの言うことをきく両親が、その時ばかりはイラリア嬢の肩を持ったのもそのため。でも、ミルカの中では『姉の意地悪』ということになっているらしい。場合によっては、イラリア嬢を共通の敵にしてミルカと距離を縮めるのもアリか。
「それは可哀相に。わかりました。次はピクニックに行きましょう。ご両親は私が説得します。そうだ。せっかくだから狩りも一緒にしましょうか」
「え? 狩りですか? でも……」
「狩りは私の趣味の一つなんです。ミルカ嬢にいいところをみせたかったのですが……ミルカ嬢がどうしても嫌だというなら仕方ないですね」
想像どおりの反応に上がりそうになる口角をなんとか下げながら、悲しそうな表情を作って見つめる。すると、ミルカの顔が真っ赤に染まり、彼女の心が揺れたのがわかった。
「ちょっとだけなら」
「ええ、もちろんです。ミルカ嬢に無理はさせません。実際に狩るのは私とエミリオだけですから、ミルカ嬢はイラリア嬢と二人でピクニックを楽しんでいてください。期待していてくださいね。ミルカ嬢のために立派な獲物を狩ってきますから」
「は、はい!」
嬉しそうなミルカを見て、今度こそ私の頬も緩む。ミルカに夢中な私は、イラリア嬢が私たちのことをじっと見つめていることには気づかなかった。
◇
何度か目のデートの時、イラリア嬢から声をかけられた。毎回ミルカと私がどんなに仲良くしていても特に気にした様子はなかったため、これには驚いた。しかし、その内容はさらに驚かざるを得ないものだった。
「あなたの本性をミルカに黙っていてほしいなら、私に協力してくださる?」
「私の本性? なんのことかな?」
「説明が必要なの? 時間の無駄だと思うけど……」
イラリア嬢は溜息を一度吐き出すと、私の本性について語り出した。『普通』の顔の下にある異常性について。その証拠となる言動についても。以前の狩りの際、ミルカの前で血がついた上着を着ていたのはわざとだろう。とそんなことまで。驚くほど、細かく、的確に。素直に驚いた。こんなに驚いたのは、エミリオの時以来だ。
――これは、思った以上にいい見合いになるのでは? イラリア嬢は優秀な女性……未婚にしておくには惜しい女性だということは知っていたが、想像以上だ。陛下にも一言お伝えしておくか。
「もう結構。ばらされたところで……ではあるけど、できればミルカには嫌われたくはないからね。利害の一致ということで協力関係を結ぼうじゃないか」
満面の笑みで手を差し出せば、イラリア嬢は胡散臭いとでもいうように眉間に皺を寄せつつも、手を握り返してきた。こうして、私たちは己の目標のため、互いを利用することにしたのだ。
父上の説得は、容易だった。私が、ミルカ嬢に惚れたこと。彼女を支えるためにカルーゾ伯爵家に婿入りしたいこと。彼女以外とは結婚するつもりはないこと。そして、イラリア嬢もこのことは承知で、それなら彼女とエミリオの縁談がまとまるように手伝ってほしいと言っていた、と伝えればすぐに動いてくれた。
幼いころから私の異常性に気づいていたからこそ、この展開にはホッとしたことだろう。父上が動いてからは、話はとんとん拍子に進んで行った。
◇
カルーゾ伯爵家に三家が集まった。主に今後についての話し合いのため。この場にいるほとんどの者たちはその内容を知っている。ただエミリオを除いて。
「お姉様。こんな結果になってしまって……本当にごめんなさい」
私の腕の中で、ミルカがイラリア嬢に謝罪する。抱えている私にはミルカの表情は見えないが、きっと楽しそうな顔をしているに違いない。それに対して、イラリア嬢は予測していたかのような反応を見せた。
「ダヴィデ様、ミルカをどうぞよろしくお願いいたします」
ミルカを無視して私に頭を下げる。ミルカが体に力を入れたのがわかった。すぐさま「もちろん」と返す。そうすれば、ミルカの体から力が抜けたのがわかった。しかし、イラリア嬢が追撃してくる。ちっ、余計なことを。
「まあ、心強い。これからはミルカの側にはダヴィデ様がいてくださるのだから、私がいなくても大丈夫ですわね」
「ああ。ミルカのことは私に任せてほしい。私の生涯をかけてミルカを大切にすると誓うよ」
にこやかに、はっきりと告げる。イラリア嬢がなにを考えてその発言をしたのか、深く考えもせずに。後々になって理解したが、きっとこの時わかっていたとしても同じ答えを返したと思う。だって、ミルカが喜んでくれたからね。
「あ、あの質問をいいですか?」
皆が祝福ムードの中、手を挙げたのはエミリオ。
「なにかね?」
父上が応える。エミリオは恐る恐る質問を口にした。
「婚約相手が当初と替わるとなると、困ることがあるのでは? その、たとえば私の婿入りの話だとか」
「エミリオ!」
エミリオの父親が声を張り上げる。が、エミリオは質問を取り消さない。二人の間に険悪な空気が流れ始める。が、それを父上が遮った。
「エミリオ君が不安になるのも当然のことだろう。謝罪の意味をこめて、君には公爵家が抱えている領地と爵位の一つを譲ることとした。爵位は男爵とはなってしまうが……すまないね」
「いや、それについてはかまいませんが……」
どうやら、エミリオが気にしていたのは自分のことではなく、イラリア嬢のことらしい。ちらちら気遣うような視線を向けている。以前の私だったらそんな視線にも気づくことはなかっただろうが、ミルカという特別な存在ができてからは多少はわかるようになった。それにしても、エミリオはわかりやすい。
「あの、お話の途中で、申し訳ないのですが」
声を上げたのはミルカ。――しまった。エミリオたちに気を取られていた。
父上に視線を向けると、父上は心得たように頷いた。
「ああ。そろそろ限界だろうね。後は私たちだけで話をまとめるから、君たちはもう行っていいよ」
その言葉を聞いて、すぐに部屋を出る。エミリオたちへのあいさつもそこそこに疲れた様子のミルカを休ませるために部屋へと向かう。……ミルカの誘惑に負けて、唇を重ねてしまったが、今度からはもっと自制心を身につけようと心に誓った。
◇
結婚というものがこんなに幸せだとは思わなかった。ミルカとの結婚生活を存分に楽しむために、私はすぐさまミルカのご両親を遠く離れた場所にある別邸へと押しやった。この日のために観光地に新しく建てたのだ。最初は戸惑っていたご両親も、すっかり新しい土地での生活を気に入ってくれたようだ。ミルカの様子を手紙で聞いてくることはあっても、直接会いにくることはない。
この屋敷にはミルカと最低限の使用人しかいない。そのことにミルカが気づいたのは、結婚してから数カ月たった頃だった。
「本邸には私と、ミルカ。それと、最低限の使用人だけしかいないよ」
「……なんで?」
「必要かい?」
「え?」
「私がいるのに、他の者が必要?」
首をかしげると、ミルカの顔が強張った。ああ、その表情。よく知っている。追い詰められた敵と同じだ。
「ひ、必要よ。だって困るでしょう? 私たちの世話をしてくれる人がいないと……」
「そうでもないよ。私は自分のことは自分でできるから。たしかに、掃除や洗濯をする人は必要だとは思うけど……逆を言えばそれくらいだ。今この屋敷にいる人数で十分足りる。それに、今後はもっと減らすつもりだし」
「もっと減らす? え、で、でも、私の世話をする人は? さすがに残しておいてくれるんでしょう?」
「いや。最終的には出て行ってもらうよ」
「そんな。じゃ、じゃあ誰が私の面倒をみるの?」
不安がるミルカを見て、思わず笑ってしまった。――ああ、なんて可愛らしいんだ。
「ああ、ごめんね。ミルカは不安なのに。大丈夫。私が面倒をみてあげるから」
「ダヴィデが? でも……」
「安心して、私は医療の心得も多少ある。今、担当医からいろいろアドバイスを聞いているところだよ。あと、普段ミルカのお世話をしている人たちからもね。ミルカも嬉しいだろう。私とずっと一緒にいられて」
「……う、うん」
納得してくれた。よかった。ミルカが危機感の薄い子で、本当に。まあ、逃げ出そうとしても無駄だけど。これから、ミルカの筋力はどんどん落ちていくだろう。本人が気づいた時には、もう自力では逃げられないくらい。誰かを頼りたくても、私以外誰も頼る相手はいない。残っている使用人はすべて私に忠誠を誓った者ばかり。
ああ、想像しただけで、胸が幸せな気持ちでいっぱいになる。
はやく気づいておくれ。ミルカ。君はもう私なしでは生きてはいけないんだよ。
そのことにミルカが気づいたのは結婚してからちょうど一年たった頃だった。
「お、姉さま」
「ミルカ」
イラリア嬢を屋敷に呼んだのは私ではない。ミルカだ。何度もイラリア嬢に手紙を書いていた。ミルカはおそらくイラリア嬢に助けを求めるつもりなのだろう。今までのようにイラリア嬢を頼って……でも、残念ながらイラリア嬢はミルカの助けにはならない。むしろ、ミルカに現実を教えにきてくれたのだ。姉として、最後に。私は久方ぶりの姉妹の再会を静かに見守る。
「お姉さま」
「なにかしら?」
「お姉さま、おねがいがあるの」
涙を流しているミルカ。――ああ。その涙は私を見て流してほしいのに。ダメだ。まだ我慢だ。
イラリア嬢は困った子を見るような目でミルカを見つめ、首を横に振る。
「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」
イラリア嬢の問いに「ああ」と頷き返す。
「私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」
ミルカの頭を撫でると、途端にミルカがプルプルと震え出した。最近のミルカはよくこうなる。ああ、可愛い。まるで、昔飼っていた子犬のようだ。――成犬になる前に亡くなってしまったけど。
私が手をどけると、またミルカは話し始めた。
「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」
「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」
「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」
「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」
イラリア嬢の台詞に笑わなかった自分を褒めたい。イラリア嬢は本当にすごい。的確にミルカが嫌がる言葉を発し続けている。それでいて、他の人からはそれが嫌みだとはわからない言葉選び。見事だ。
「ちが、ちがうちがうちがうちがう」
ミルカが必死に首を横に振る。慌ててミルカの肩に手を置いた。
「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」
二人を見やれば、イラリア嬢は心得ているように頷く。
「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」
「ま、まってお姉さま」
イラリア嬢はミルカを無視して、部屋を出て行った。追いかけるつもりだったのか、体を浮かせようとしたミルカ。そのミルカの両肩を手で押さえ、耳元でささやく。
「無駄だよ。イラリア嬢とはそういう契約を結んでいるから」
その言葉でミルカは理解できたらしい。大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
「あ、ああ……お姉さま、そんな、あああ……」
「ミルカ、大丈夫だよ。私はずっと君の側にいるから、ずっとね」
そのために、私は陛下とも取引をしたんだから。だから……できるだけ長生きしてね。ミルカ。そのためなら私はなんでもするから。