第34話 幻
文字数:3355字
「お前を殺してやる」
【は? 笑えない冗談ですわね】
〘バサッ〙
これまで大人しく魔杖にぶら下がっていたコウモリの魔物が、メメルの殺気を孕んだ言葉に恐れ慄き急いで飛び立つ。
その青い顔に太い青筋を立て、小刻みに眉をひくつかせる魔術師の女。
メメルの言動から人一倍高い自尊心がありありと伺われる。
「黙れ、アバズレ女。殺すと言ったら殺す」
【このガキが!】
♢♢♢
――メメルの自尊心。
あらゆる魔術に精通し、並び立つ者がいないと言われるほどの天才魔術師。
勇者パーティーの一員として王様の守護者を仰せつかり、冒険者としては数多のダンジョンを踏破する。
メメル・フロストの存在は唯一無二として、人々の羨望の眼差しを一身に浴びていたのだ。
きっと、王族や貴族に負けず劣らずの優雅な生活を送っていたに違いない。
位の高い人が話す口調や身に着けている高価な儀礼服からも、自尊心が高いことが分かる。
だけど、そのことでメメルを非難する気など毛頭ないのだ。
自分の能力に見合う対価を貰っていたのだろう。
それをどう使おうが個人の自由だし、それなりに自尊心が高くなってしまうのも致し方ないのかなとも思う。
しかし、この女は人ならざる者である。
快楽の虜となった人間は、こんなにも簡単に堕落するのかと吐き気を催したほどだ。
メメルは快楽を得たいがために人を殺した。
あの夕刻の空に映し出された痴態。
それはゴブリン達に輪姦され、嬌声を上げていたものだけではなかった。
人によっては、こちらのメメルが胸糞悪いと感じるだろう。
俺は、その一人だった。
♢♢♢
メメル相手に精を出し尽くし、満足していたゴブリン達。
こいつらからしたら余興なのかもしれない。
ゴブリンが手に持っていた小刀をメメルの手に握らせると、こいつを殺せと言わんばかりに一人の若い男を道端に立たせていた。
これから何をされるのか薄々気づいて、恐怖で体をブルブル震わせている男。
あるゴブリンが、腰をカクカク振る素振りをした後に両手でバツを作る。
誰が見ても分かる、一連の動作。
〈こいつを殺さないとお前に快楽を与えない〉
首を何度も縦に振り、何の迷いもなく若い男に小刀を突き立てるメメル。
事を済ませるとこの女は満面の笑みを浮かべて言った。
「ご褒美くださいませ!」
ゴブリン達に惚けた顔をして無様に縋りつく姿は、今でも忘れ得ぬ最悪な光景だ。
自分の置かれた地位や立場、そして責務などすべて投げ捨てて、その快楽を得たいがために人ならざる行いをしたこの女が、偶然か必然か本当に人でなくなり魔物化した。
人間が魔物化することに驚愕したと同時に、目の前に立つメメルを見た時、因果応報という言葉を思い浮かべたのだった。
♢♢♢
【今の君の状況下でわたくしを殺す? 低脳は嫌いですわ。口の利き方に気をつけなさい!】
「胸糞悪い奴だよ、お前」
【な、何ですって! このわたくしをまたもや侮辱するとは、もう絶対に許しませんわ!】
〘バキッ! バキッ! バキッ! バキッ!〙
俺が蔑んだ目をし、バカにしたような口ぶりで発した言葉がメメルの逆鱗に触れたらしく、魔杖を大きく振りかざすと鬼の形相で力一杯殴りつけてきた。
〘ビチャ! ビチャ!〙
俺の顔から血が吹き出し、地面に飛び散る。
〘バキッ! バキッ! バキッ!〙
殴られている間、一つの答えに辿り着く。
メメルは、間違いなく言ったのだ。
【デバフをかけていなければ】と。
自分の体が思い通りに動かなくなった原因、それが分かったのだ。
今、目の前にいる女の魔法によってということが。
――デバフ。
バフと対をなす魔法の一つ。
相手の能力を低下させ、自分に有利な状況を作り出す。
メメルを何とかすれば、体は元通りになる。
【うふふ、無理ですわよ。君はわたくしに何もできないですわ。だって、デバフによって体が動きませんもの。それと、お仲間が助けに来るなんて期待しても無駄ですわよ。誰一人わたくし達を見つけることができませんもの。魔王様より賜りし上級魔法〈サイレント〉で、この空間は虚空ですのよ。つまり、何にもない空間になっておりますの。本当に残念でしたわね。ざまぁでございます! おっほほほほほほ!】
魔杖についた赤い血を舐めずり回した後に、俺の心をまるで読んだかの如く、嘲笑いながらそう言った。
デバフで体は動かないし、エミリーの助けも期待できないが何の問題もない。
なぜなら、この女に負ける気がしない。
オレが言ってるんだよ。
―この女にだけは絶対に負けるな。この世で一番胸糞悪いタイプだ。物事の優先順位を快楽によって決めやがる。脳みそが頭の中じゃなく子宮の中にある女だぞ。快楽を得るためならば人を裏切り、死に追いやっても何とも思わない輩だ。そんな奴等には死が相応しい。玉木奏を殺る前に、まずメメルを血祭りに上げてやる! そうだろ? レイン・アッシュ―
フフフ、そうだな。そうしよう、森沢亮次。
俺の眼光がバカ笑いしている女を射殺す。
【っ!】
ただならぬ視線を感じた魔術師メメルの体がビクッと身じろぐ。
俺は赫怒の表情で、静かに言うのだった。
「お前を必ず殺す」
♢♢♢
日の出を迎え、朝の木漏れ日が木々の間から金色に輝いて幾筋も差し込んでいた。
「うわっ、すごい綺麗! ……レインと一緒に見たかったよー!」
私は地団駄を踏んで悔しがる。
純真な私の乙女心など無視して、木漏れ日が照らす道を馬車は颯爽と走り抜けていく。
うん! 今日は無理でも明日から一緒に見るチャンスはたくさんあるんだ! とポジティブな気持ちに切り替えることにした。
周囲に魔物の反応はないし、あとはレインと合流するだけだなと思った時、ふとある異変に気づく。
あれ? 周囲に魔物の反応はなし? えっ?
うん……それはいい……だって……レインがコウモリの魔物を駆逐したってことだもん。
けどさ、何でレインの反応もないのかな?
おかしいよね……これ……ははは……。
さっきまで、レインの反応だって魔物の反応だってあったよ?
どうして今は何も反応がないの?
何でよ!
聖騎士スキルは、コウモリの魔物達はおろかレインの反応まで示さないのだ。
このあり得ない状況に、私は一瞬でパニックを起こしてしまう。
「ガスさん! 馬車の速度上げて! レインがいないんです! いないんですよ!」
「へ?」
ガスさんのマヌケな返事にイラつき、御者席に向かって身を乗り出し、大声で叫んだ。
「早くスピード上げてって言ってるでしょ!」
「ス、スピドってなんすか?」
素っ頓狂な顔して聞き返してくるガスさんに余計にイラついてしまう。
「スピードですよ! ……あっ! ……馬車の速度を上げてください、お願いします」
「は、はいっす!」
〘パシッ! パシッ!〙
御者のガスさんが、二頭の馬に鞭を入れると馬車の走る速度が格段に速くなる。
バカ。
スピードなんて言葉、この時代のガスさんに通じるわけがないのに、テンパって口に出してしまった。
バカバカバカ。
ヘナヘナと力が抜けたかのように座り込む。
ゲイルさんとガスさんは、今の状況の説明を求めているだろうけど、私自身が何も分かっていないのに説明のしようがない。
それに正直言うと、そんなのどうでもいい。
本当に、本当に申し訳ないけれども、二人をこの場に残して一刻も早くレインのところに行きたい気持ちなのだ。
二つの気持ちがせめぎ合う。
行くべきか残るべきか……。
……私の中で結論が出る。
ごめんなさい。ゲイルさん、ガスさん。
無理! もう無理だ! 我慢できない!
私は勢いよく立ち上がり、身体強化の〈疾走〉を発動させ、馬車の屋根から走り出そうとした時、グッと腕を掴まれる感覚に陥るのだった。
馬車の屋根の上には、私一人だけ。
なのに、私のことを止めるレインがいる。
幻のレインが言う。
〈ゲイルさんとガスさんを置いていくのかよ。 万が一のことも考えろ。無責任な行動は絶対に許さないからな! 俺を探しにくる気なのか? そんなの望んでないけど? エミリーは二人のそばにいろ。ちゃんと約束を守れよな〉
今、私のそばにいてくれないくせにお説教?
ちょっと、ひどくない?
何よ、クソ真面目男! ふん! 分かった。
ちゃんと約束は守る。
だから、レインも約束してよね。私のところに帰ってくるって。
〈分かった〉
幻のレインは、にっこり笑って消え去った。
私は身体強化の〈疾走〉を解除して、ひとり馬車の屋根の上に立つ。
レインが私のところに帰ってくると信じて。




