第3話 運命の人
文字数:3333字
「はぁー」
いったい何度目のため息だろう。
私は一睡もせず、ベッドで横になっていた。
〘チュン、チュン、チュン、チュン〙
いつものように、いつもの小鳥のさえずりが聞こえてくる。
この時間に決まってさえずるから、今は朝だということが分かる。
いつもと変わらない日常だけど、昨日の一日で私の世界は一変した。
聖騎士スキルを覚醒、そして玉木奏の記憶を覚醒したのだ。
正直、聖騎士スキルのことなど忘却の彼方になっている。
私の中の天秤は、レイン・アッシュに大きく傾いて動かない。
世界の誰よりもレインが一番大事だからだ。
そう、だからクソ女の記憶の覚醒が今の私、エミリー・ファインズに地獄の苦しみを与えているのだ。
「玉木奏、お前をこの手で殺してやりたい」
♢♢♢
「あれ? あの時から何をしたんだっけ……」
記憶が飛ぶのとは少し違うと思うけれども、何をしたのかあまりよく思い出せない。
夕暮れの川沿いの道から家まで、どうやって帰ってきた? 泣きながら歩いてきたのだけは覚えている。
晩ごはんを食べたのは覚えている。だけど、何を食べたのか覚えていない。
お風呂は? いつベッドに入った?
「……ふふふ、そんなことどうでもいいや」
私は投げやり気味に言葉を吐き捨てる。
「こんな最悪な朝は初めてだよ」
陽の光が徐々に部屋に差し込んでくる。
いつもなら気持ちのいい陽の光。
でも、今日に限って言えば不快極まりない。
――私に光なんてない。
すぐさま手で顔を覆って目を閉じた。
「……うっ、うっ……うぅ……何でよ? ……何で私が玉木奏で、レインが森沢亮次なの……もうやだ……レイン、レイン……うぅ……」
私がいくら涙を流し泣いても、いくら嘆いてみても、何も変わらないのは分かっている。
それでも、泣かずにはいられないし、嘆かずにはいられない。
時間が経つにつれ、玉木奏の記憶がどんどん鮮明になっていった。今ではもう私と玉木奏の記憶は完全にリンクしている。
「あっははは。リンク、リンクね。そんな言葉はこの世界に存在しないよ。何の違和感もなく玉木奏の世界の言葉を使うなんて完全にリンクした証拠だよ。良かったね! レインを、森沢亮次を裏切ったエミリー・ファインズさん♪」
〘ガッシャン!〙
私は、枕元棚に置いてあったカップを鷲掴みにすると力いっぱい壁に投げつけた。
「はぁ、はぁ、はぁ……良くないでしょ、全然良くないでしょ! エミリー・ファインズ!」
この日を境に五日間、ベッドから起きるのもままならない状態となった私は、村を出立する前日まで寝込むことになるのだった。
♢♢♢
――玉木奏。
快楽に溺れ、大切な人を裏切り続けた挙句、殺人の共犯者に成り下がったクソ女。
最期の無様な死に方は、それはもう天晴!
私は涙が出るほど大笑いしてしまった。
男のイチモツを咥えながら圧死する気分ってどんな感じ? ねぇ、教えてよ? クソ女♪
ざまぁ、玉木奏!
お前みたいな女は、死んで当然だよ。
…………。
……私の大切な将来の夢は、もう叶わない。
きっと叶わない。
全部お前のせいだ、クソ女。
イヤだけど、本当はイヤだけど、絶対にイヤだけど……レイン、あなたが他の……他の女と幸せに暮らしていける平和な世界にするため、これから聖騎士エミリー・ファインズが魔王軍を一匹残らず駆逐してやるんだ。
私は決めたんだ……うん、決めたんだもん。
レイン、幸せになってね……。
♢♢♢
「エミリー様、お初にお目にかかります。教会騎士団ゲイルと申します。教皇様の命により、教会総本山までの案内役を務めさせていただきます。何なりとお申し付けください」
「ガスっす。よろしくお願いしますっす」
「このクソ野郎のノータリンが! エミリー様に失礼な言葉使いするんじゃねーよ! マジで殺すぞ!」
「……ははは。ゲイルさんとガスさんですね? エミリー・ファインズと申します。教会総本山までの案内、よろしくお願いします」
「「はい(っす)!」」
とうとうこの日が来てしまったって感じ。
今、私と挨拶を交わした二人。教会騎士団の騎士さんみたいなんだけど、本当に騎士ですかと疑いたくなる。
中年の髪が寂しいゲイルさんに、20代半ばのチャラいガスさん。
まぁ、白銀の鎧を身に着けているし、刺突剣を腰に差しているから、間違いなく騎士だろうけど。
〈人を見かけだけで判断するな、エミリー〉
……うん、そうだね……確かにその通りだ。
人を見かけだけで判断するのは、一番ダメなことだもんね。
私の愛しき人レインが言っていた言葉。
あぁ、もうダメ。愛しき人の声を思い出しただけで涙が溢れ出そうだよ。
私は決めたはずだよ。レインと……他の女が幸せに暮らしていける平和な世界にするため、魔王軍を駆逐するって。
…………やっぱりイヤだ。イヤ! レインが他の女なんかと幸せになるなんて……。
「エミリー様! エミリー様!」
「……! は、はい!」
両親にもよく茶化されたけれど、愛しき人を想っている時の私は、自分の世界に入り込んでしまうらしい。
そんなの当たり前だよ。
レインだけを想っていたいのだから。
「ご両親に別れのご挨拶は?」
二人は、誉れ高き教会騎士団の騎士なんだなと実感する。
その言葉を発したゲイルさん、隣のガスさん。
二人の騎士の顔が物語っていた。
〈遠足に行くのではなく、戦いに行くのです〉
(人は見かけによらないね、レイン)
私は、二人の顔をまっすぐ見つめて言う。
「両親には今生の別れのつもりで挨拶を済ませています」
私の言葉を聞いて、にっこり笑うゲイルさんとガスさん。
「分かりました。それではあちらに馬車を用意してあります。エミリー様は出発の時間まで、馬車の中でごゆっくりお過ごしください」
「えっ? すぐに出発しないんですか?」
「「???」」
二人の騎士は、首を傾げながら不思議そうに私を見ている。
(あれ? 私、何か変なこと言った?)
「半時後に出発です。出発前ならばエミリー様の自由になさっても問題ありません」
「そっすね、俺もそこらで飯でも食うっす」
「このクソ野郎のアンポンタンが! てめぇは馬車の御者だろうが! 馬たちの様子でも見てこい! 殺すぞ!」
(……半時か)
「私は教会に行きます」
♢♢♢
誰もいない教会。
今日は礼拝日でもないし、神父様は入り用で留守にしているみたいだ。
私は、祭壇の前で跪いて祈りを捧げた。
神様にお祈りすることは決まっている。
愛しき人のこと、父と母のこと、世界の人々のこと、最後に自分のこと。
祈りを捧げ終えた私は、スッと立ち上がると出口の扉に向かって歩き出すのだった。
♢♢♢
女の私が、女々しいなんて言うのは変かな。
諦めようと決めたのに、諦められない。
最後にもう一度、会いたかった。
「レイン、レイン、会いたいよ、レイン」
時は残酷だな。半時なんて、あっという間に過ぎ去っていった。
「……さようなら、レイン。行ってきます」
一歩一歩力強く、私は歩いていく。
たとえレインと結ばれない運命であっても、愛しき人のために戦っていく。
それが私の戦う理由になる。
うん、そうだ。
――レイン・アッシュのために。
「エミリー」
「!!!」
愛しき人が私の名を呼んだ瞬間、エミリー・ファインズの世界の時が止まる。
振り向きたいけど、振り向けない。
そのまま動けず棒立ちしていると、彼らしく無愛嬌な感じで、私に言葉を投げかけてきた。
「遅い、いつまで待たせる気だ? これだから女と出掛けるのはイヤなんだよ」
「……えっ?」
愛しき人の言葉の意味が理解できず、とてもマヌケな顔をして振り向いてしまう。
私の視線の先に、まさかここで会えるなんて思ってもいなかったレイン・アッシュが、素敵な笑顔を浮かべながら立っていた。
「えっ? えっ? あの、レインの言っている意味はどういうこと?」
「俺、レイン・アッシュも聖騎士様と一緒に教会総本山に行くからだよ」
「は?」
私が〈神の信託〉によって聖騎士に選ばれたことを知っているのは、お達しもあって両親と村長さん、それと神父様だけのはず。
「ま、俺に色々と聞きたいことがあるとは思うけど、後でゆっくり話そう。最東端に着くまで時間もあるしな」
そう言って、めちゃくちゃ不細工なウインクをするレインを見て、私は爆笑してしまった。
……あぁ、ダメだ。
やっぱり好き、大好き。
誰にも渡したくない。
誰にも渡さない。
レイン、あなたは私の運命の人だから。