第10話 全身全霊
文字数:3493字
「えっ、ここって……」
俺は大聖堂の前にいたはずなのに、今は湖のほとりにいる。
「大湖に到着だよ!」
「あっ、カリン。これはいったいどういうことだよ? どうやって大湖まで来たんだ?」
「説明は面倒だから、また今度ね」
そう言ってあっけらかんと笑ったカリンは、俺の腕を掴んだと思いきや、どこかに向かって歩き始める。
「こうして二人でいると一年前を思い出すよ。あの一週間は、今でも最高の思い出なんだ」
「俺は最低の思い出だよ。」
「嘘だね。楽しそうにしてたじゃん、レイン」
「記憶を捏造するな」
なぜか分からないが〈聖女の託宣〉を終えたカリンは教会総本山にすぐ帰らず、一週間も村に滞在していた。
まぁ、そのおかげで俺は下僕みたいな日々を聖女様が村を去るまで味わうことになる。
思い出したくないし、思い出すと体が震える自分がいるのだ。
「じゃ、約束を守ってもらおうかな」
ニヤッと笑うカリンが指を差すところに視線を合わせると小舟があった。
その瞬間、俺は約束を思い出す。
「……約束って、釣り?」
♢♢♢
「ほらほら、もっと頑張って漕いで♪」
「これ以上どう頑張れと? ふざけんな!」
櫂を漕ぐ俺に笑いながら発破をかけるカリンに文句の一つも言いたくなる。
「この辺でいいのかな? どう? レイン」
「いいと思うけど、釣り道具なんてないだろ」
「あるよ!」
どや顔のカリンが、小さな魔法陣を展開し、ひょいと釣り道具一式を取り出した。
「な、何それ? 聖女って何でもあり?」
驚く俺の顔を見て、フフンっと気分良さげに鼻を鳴らすカリン。
「あはは。こんなの聖女とか関係ないから。ただの収納魔法だよ。レイン、わたしの凄さは魔王軍との戦いでたっぷり教えてあげる」
冷酷な表情を浮かべ、冷たく言い放ったカリンを見て俺は背筋が寒くなる。
(……凄い殺気だな)
「さぁ、釣りするわよ! てか、早く教えてよ。わたしに教える約束だったでしょ?」
「カリン、この釣り道具一式はどう見ても蔵人だぞ。釣りの経験がないなんて嘘だろ?」
「は?」
(あ、殺される)
先程のなんか比較にならないほど恐ろしい殺気を放つカリンに、本気で殺されると思った。
「騎士団に釣り好きの人がいたから、釣り道具を揃えてもらったんだよ。わたしがレインに嘘を言うわけないでしょ」
殺気を放つ顔から一転、悲痛な顔をして話すカリンを見た俺は、無思慮なことを言った自分を心底恥じた。
「ごめん。カリンが嘘を言わないのは俺が一番分かっているはずなのに。本当にごめん」
(そう、カリンは俺に嘘を言わない)
「ふん……わたし凄い悲しかったけど、レインが真摯に謝ってくれたから今回は許してあげる。でも、許すのは最初で最後だから」
「分かった」
♢♢♢
一年前の約束を守るべく、俺はカリンに釣りを教えた。
エサの付け方から、ウキの浮き沈みを見極め竿を引く頃合いなど。カリンは釣りの才能でもあるのか驚異的な釣果を叩き出す。
「わたし、漁師になるよ!」
「……ご勝手にどうぞ」
この日、漁師レイン・アッシュは死んだ。
♢♢♢
陽も暮れ始めたので、そろそろ岸辺に戻ろうと考えていた時だと思う。
カリンが信じられないことを言った。
――あの女、エミリーはヤバい奴だよ。
何の感情もこもっていない、まさに無機質な声でカリンは間違いなくそう言ったのだ。
「……えっ? どういうこと?」
カリンは、俺の問いかけに答えない。
少し悲しげな顔をして、俺をじっと見つめているだけ。
カリンのとても綺麗な翡翠色の瞳は、潤んでいるように見えた。
「陽もかなり暮れてきたし、釣りはここまでにしようか。岸辺まで小舟よろしくね」
「それはいいけど、あのさ」
俺が何を求めているのか、わたしは百も承知です。そう言わんばかりの笑顔になるとカリンは言う。
「ふふふ。今からここで話してもいいけど、暗くなってから岸辺に戻るの大変でしょう?」
「あっ、確かにそうかもな。ああ、分かった」
俺は櫂を漕ぎ出すが、小舟は重苦しい空気に包まれていた。
何を言われるのか、何と話そうか。
お互いにそんなことを考えていたような気がする。
結局、俺とカリンは岸辺に着くまで一切会話をしなかった。
いや、会話をできなかったのだった。
♢♢♢
「うーん、何から話そうかな」
今、岸辺近くの芝生の上に二人並んで座っている。
カリンは、どう話を切り出そうか悩んでいるようだけど、俺は静かに待つだけだ。
俺には、それしかできないのだから。
「うん、よし!」
意を決した掛け声と共に、カリンはゆっくり話し始めた。
♢♢♢
わたしは、貧民街で生まれ育った。
きっと貧しいながらも家族みんなが幸せだったに違いないと思いたい。
実際はどうなのか、物心つく前の記憶なんて分からないのだから何とも言えないよね。
ただ物心ついた時。
わたしが女であること、名前がカリン・リーズであること、流行り病で両親が死んだことが分かった。
それからは独り、本当に独りぼっちだった。
頼れる人は誰もいない。
天涯孤独なわたしの日々はいつも死と隣り合わせ。
生きるためにどうすればいいのか。
それは本能で分かった。
食べなければ、死ぬ。
わたしは生きるため、野原に咲く花を食べ、ゴミ置き場から残飯を漁ったり、店はもちろんのこと、他人から食べ物を盗んだりもした。
それでも、食べ物が手に入らない時がある。
そんな時、わたしがしたこと。
――物乞い。
人から食べ物やお金を恵んでもらう。
けれど、物乞いをする相手を一度間違えると命の危険に晒される。
事実、殴り殺されたり、大怪我させられたりした孤児が何人もいた。
わたしは何度も物乞いをしたけど、危険な目に遭ったことは一度もない。
それはなぜか?
わたしには視えるのだ。
纏う色が。
人が、その身に纏う色は三種類。
纏う色が白の人は、善人であり、物乞いすると食べ物やお金を恵んでくれる。
黒の人は、悪人であり、物乞いをした時点で終わりを意味する。
灰色の人は、その日その時の気分次第で白になったり黒になったりする。
これはわたしの経験則と他人の物乞いの結果から、百発百中の精度の自負がある。
生き抜いていくための処世術の能力。
そして、今日。
わたしは、自分の目を疑ってしまうような色を見る。
聖騎士エミリー・ファインズの色だ。
♢♢♢
〈神の信託〉で、三聖である聖騎士が選ばれたことはもちろん知っていた。
教皇様や枢機卿から名前も聞いている。
エミリー・ファインズ。
彼女の出自を聞いて、驚愕する。
一年前に、わたしの〈聖女の託宣〉によって選ばれたレインと同じ村の出身で、黒髪黒目の18才。
彼とは旧知の仲とも聞く。
心がざわついた。
♢♢♢
聖騎士、教会総本山に到着の一報が入る。
一年ぶりにレインを見て、心がときめく。
彼はとても不思議な人。
レイン・アッシュの纏う色は、白でも黒でも灰色でもない。
無色透明。
その綺麗で儚い色にどんな意味があるのか、わたしには分からない。
だけど、分かることが一つだけある。
――カリン・リーズは、レイン・アッシュに惹かれている――
淡い恋心を胸に秘めたわたしは、大聖堂の陰に身を潜め、愛しの人レインを見つめていた。
ふと、ある人物に視線を移した時、わたしはたじろいでしまう。
「何よ、あれ……」
エミリー・ファインズの纏う色は、真っ黒。
光沢のある綺麗な黒ではない。
ドス黒い汚らしい黒なのだ。
こんな真っ黒な人が、本当に存在するのかと何度も目を凝らして確認したくらいだ。
わたしがあの頃の子供であるならば、絶対この女には近づきたくない。
確実に死が襲ってくるからだ。
それほど、ヤバい奴だと感じた。
この女が聖騎士? 魔王軍と戦う?
嘘でしょ?
人々を裏切り、仇をなす存在になるよ。
聖女スキルも、この女には気をつけろと警告している。
わたしの全身全霊でヤバい奴と判断した女。
それが、エミリー・ファインズだった。
♢♢♢
「わたしが嘘偽りなく話した今の話が、聖騎士エミリー・ファインズをヤバい奴と言った理由だよ」
陽が完全に落ち、岸辺はもう真っ暗だった。
カリンが白銀の聖杖を顕現し、魔法石を光らせていたので、俺達は互いの顔を認識できている。
美しき聖女は、伏し目がちに座っていた。
「俺は頭が凄い混乱している。どう思ってどう答えたらいいのか……でも、ありがとう。カリンは俺を信用してすべてを話してくれた。今はそれが一番嬉しいよ」
俺の言葉を聞いたカリンの顔が、なぜか急に真っ赤になったけど、それに触れようものなら最後、癇癪を起こされるのが明々白々なので、何も言わないでおく。
♢♢♢
静寂に包まれている岸辺。
この静寂がとても心地よい。
聖女カリンはきっと何かを考え、その答えを出そうとしているのだろう。
俺はこれからどうすればいいのか。
すぐには答えを出せそうになかった。




