前半(リーファス編)
「くくくく」
必死で笑いを込み殺していた王太子リーファスは、ついに我慢しきれず、外のテラスでると盛大に噴き出した。
「ははははは、久しぶりに愉快な夜だ、あいつの顔を見たか」
「ええ、いつも気丈なお姉様が、あんな醜く泣かれるとは」
リーファス王子の右腕に豊満な双丘を押し当てた女性も同じように声をあげて笑う。
「やっと、やっとだ。この2年間、あの女の婚約者としてどれだけ耐えてきたか」
「ええ、これで私たちは晴れて結婚できるんですね」
「その通りだとも、ミルフィーユ。君には随分我慢させてしまったね、さあ、おいで」
リーファスは両手でミルフィーユの小さな体を包み込むと、互い潤んだ瞳で見つめ合う。
今もなお扉の向こうで行われているパーティ会場から漏れる光を背にしながら、二人は勝利の口付けを交わした。
頭上に広がる無数の星々も彼らを祝福してるかのように煌めいている。
「ああ、愛しのミルフィーユ」
「ああ、リーファス様もっと激しく」
二人が熱く抱擁を交わしているその瞬間、パーティ会場の奥からガチャーンとグラスの割れる音が響いた。
「なんだ? あの音は」
甘美なひと時を邪魔されたリーファスは眉根を顰めて、会場に繋がる扉を睨みつけた。
「ふふふ、おそらく取り乱したお姉様が暴れているでしょ。なんせ、あれだけの公衆の面前で盛大に婚約破棄されのですから」
「それはあり得るな。よし、会場に戻って、あの女の乱れっぷりをもう一度見てみようじゃないか」
「いいえ、それよりも私はここでもっとリーファス様と愛を語り合いたいですわ」
上目遣いに見上げるミルフィーユの可愛さに、リーファスはもう一度唇を重ねる。
ほんの数分前、リーファスは婚約者であるプリテンダーに婚約破棄を宣言した。稀有な才女であり、聖女として王国に多大な力を持つプリテンダーに対して、リーファスの婚約破棄は一見無謀かに思えた。普通に考えればリーファスの主張は出鱈目ばかりで、プリテンダーなら簡単に一蹴できたであろう。
実際、最初のうちはプリテンダーはいつもの毅然とした態度でリーファスの言い分に冷静に応じていた。だが、どこから見つけたのか、あるいは捏造したのか、聖女にとって致命的な「確かな証拠や証人」が提示されると、状況は急変した。最後には、プリテンダーは床で泣き崩れながら婚約破棄の書類にサインをし、さらには聖女としてあるまじき行為として国外追放にまで至ったのである。
「あんな完璧超人のお姉様が、あそこまでやれるなんて初めてみましたわ」
腕の中で、小さく首を傾げるミルフィーユの表情を見て、リーファスはくつくつと笑う。
「だってそうじゃありませんか。お姉さまが私をいじめていると証言したご令嬢や、教会の寄付金を横領していた隠し帳簿や、あれには笑ってしまったけどお姉様が隣国の密偵として働いていたという証拠書類があんなに都合よく現れるなんて信じられませんでしたわ。全てがうまくいきすぎてちょっと怖いぐらいですわ」
「ふふふ、怖いか。確かに、事があれだけ思い通りに進むと怖くなるのもわかる」
何故かしたり顔で笑うリーファスに、ミルフィーユはぷっくとほっぺたを膨らませた。
「リーファス様は何か、隠しておいでですね」
「何も隠していないよ。あいつが稀代の悪女だった、それでいいではないか」
「リーファス様。教えてくださいまし」
「ふふふ、もう一度キスをしてくれたら考えてやらんでもないぞ」
「もう、リーファス様ったら」
しばらくいちゃついた後、可愛く詰めよるミルフィーユに、リーファスは降参とばかりに手を挙げた。
「わかった、ここだけだぞ。ちょうど、そろそろ来る頃だな」
そう言ってテラスに誰もいないことを確認すると、リーファスは指を慣らした。するとどこからともなくスーと音も立てずに一人の男の影が現れる。ギョッとするミルフィーユは、徐々に光に照らされる明らかになる男の顔を見て、さらに目を大きくした。 黒髪を後ろに束ねたその男は、端正な容姿を持ち、高級そうなスーツ身につけて、静かに佇んでいる。
ミルフィーユはその男を知っていた。いやむしろ知りすぎていると言ってもいい。
「あ、あなたは……クロフォード」
クロフォードはミルフィーユを一瞥すると、体を折り曲げ完璧な礼をつくった。
「これは、ミルフィーユお嬢様。今夜はおめでとうございます」
「……お前がどうして。なぜお前がこんなところにいるの」
「なぜと言われましても。使える主人を側を見守るのが執事の役目でありますので」
「どの口がそれを」
普段の可愛らしさはどこへ消えたのかミルフィーユは、なぜか憎しみに満ちた目でクロフォードを睨みつける。
「おいおい、こんな場所で喧嘩をするんじゃない。ミルフィーユも落ち着け」
リーファスは笑いながら、二人の間に割って入る。
「でもでも、リーファス様、こいつはお姉様が一番可愛がっていた男なんですよ、なんでここにいるんですの!」
ミルフィーユの言う通り、クロフォードはプレテンダーの直属の部下である。数年前にプレテンダーとミルフィーユの父である公爵に雇われ、その後卓越した能力が認められ、プレテンダーの専属秘書となった男だ。プレテンダーはクロフォードに絶大な信頼を寄せており、クロフォードもまたプレテンダーのため公私と共々支えてきた。
一時期、実直なクロフォードに想いを寄せていたミルフィーユは、この二人の関係に嫉妬し、何度か割り込もうとしたが、結局その強固な絆の前に諦めざるを得なかったという過去がある。
そんな、プレテンダーの右腕だった男が、何故かここにいる。しかも大事な主人を婚約破棄したリーファスに対し、クロフォードは片膝を立て跪いている。ミルフィーユでなくてもこの光景を見れば、誰もが目を疑うであろう。
「ミルフィーユが信じられないのも無理もない。しかし今回の婚約破棄が成功したのも全てはこの男のおかげなのだ」
「えっ」
ミルフィーユは驚きに満ちた目にもう再びクロフォードに視線を移すと、クロフォードはにこやかに笑みを返す。
リーファスはクロフォードの背を軽く叩きながら言った。
「正直、俺も事がここまで上手く運ぶとは思わなかった。認めたくはないが、あの女は弱みというものがほとんどなかったからな。でっちあげたところで、全て潰され、逆に追い詰められる可能性もあった。そんな悩む俺の前に現れたのが、このクロフォードなのだよ」
「いえいえ全ては殿下のお力ですよ」
クロフォードは恭しく頭を下げる。
「ははは、そう謙遜するなクロフォード。お前が偽の書類や証拠を用意してくれなければ、俺は婚約破棄宣言することも諦めていただろう」
「簡単な作業です。私はプリテンダーお嬢様の全ての書類と書簡を見れる立場にいますから。献金の帳簿から隣国の通話記録まで、捏造することは容易いことです。証拠人だって今は簡単にお金で雇えますからね。公爵家にいれば誰でもできるお仕事ですよ」
「ふふふ、まさかあの女も最も信頼していた男に裏切られたとは夢にも思っていまいな。うん? どうしたミルフィーユ」
ミルフィーユは冷ややかな瞳でクロフォードに近づくと、バシンッとクロフォードの頬を叩いた。
「……これがあなたの本性なのね。公爵家まで欺いてどうなるかわかってるの」
ミルフィーユの冷たい視線を受けながら、クロフォードは微笑みを浮かべたまま、叩かれた頬を優しく撫でる。
「欺くとは人聞き悪い。ただ仕える主人を変えただけですよ。あなたこそ実の姉を裏切ってるではありませんか。何が違うのです、次期聖女様」
「こ、こいつ」
ミルフィーユが再び振り上げた腕を、リーファスは掴んだ。
「もうやめろ。落ち着けミルフィーユ。確かにこの男は結果的には公爵家を欺いてはいたが、我々にとっては味方だ。この男がいなければ今の俺たち関係もなかったのだぞ」
「で、でも」
「もういい、パーティ会場に戻って、何か飲み物でも飲んでこい。少し熱を冷ますといい。」
リーファスに咎められたミルフィーユは不満を浮かべながらも、クロフォードを鋭く睨みつけて会場の中へと戻っていった。
「すまんな、クロフォード。ミルフィーユとお前を会わせるのは、少し早すぎたかもしれん」
「いえ、お気になさらずに。公爵家ではミルフィーユ様とも過ごした時間が長いですので、色々思うところがあったのでしょう」
「あいつは昔お前に惚れていたらしいな」
「昔のことですよ殿下」
「ふん、まあいい。プリテンダーは国外追放、そんな聖女を輩出した公爵家も代償を払うことになるだろう。そして、ミルフィーユも聖女になったとはいえ俺はあいつを一生飼い殺すつもりだ。……まあいわば奴隷だな。つまりは全てはお前の思い通りになったわけだな、クロフォード」
先ほどまで愛を囁き合っていたはずのミルフィーユを平気で切り捨てるリーファスの発言に、クロフォードは冷酷な笑みを浮かべた。
「私も殿下のおかげで公爵家への復讐が遂げられましたよ。少々時間がかかりましたがね」
「俺もお前のおかげで、教会の力を削ぐことができた。新たな聖女も俺の手中にある。これからは我が王族がさらに力を持つことになるだろう」
「おめでとうございます、殿下」
今宵の成功を受けて、二人は冷淡な笑み交わす。
リーファスとクロフォードが初めて出会ったのは、月に一度開催される城内のお茶会だった。プリテンダーに付き添われたクロフォードは、用事で席を外した彼女の隙を突いてリーファスに近づき、今日の計画を持ちかけたのだ。
最初は疑念の目を向けたリーファスに対し、クロフォードは冷静に実行の理由を語った。彼女の妹がかつて公爵家でメイドとして働いていた事。妹はプレテンダーの父である公爵に気まぐれによって犯され、捨てられた挙句、一人で命を絶ってしまった事。そして、クロフォードは公爵家全体に対する復讐心を燃やしていた事がわかった。
正直なところ、クロフォードの復讐の理由はリーファスにとってはどうでもよかった。貴族社会では似たような話は珍しくないからだ。しかし、クロフォードが描いた計画には大いに魅力を感じた。もし成功すれば、親の決めた美貌だけの退屈な婚約者や、王家と対立する教会、さらには強大な権力を持つ公爵家を一掃できるチャンスがあった。リーファスはその可能性に心を惹かれたのだ。
そして今日まで、クロフォードと協力する形で全てを思惑通りに進めてきた。そのおかげで、恐ろしいほどにすべてが順調に運んだ。
「今夜は最高だ、クロフォード、さあ、私たちの計画の最終フィナーレに向けて幕を下ろそうじゃないか」
リーファスが高らかに宣言すると、クロフォードは少し困惑した表情を見せた。
「殿下? 私たちの計画はこれで全て完了でございますが」
「いや、まだ終わっていまい、下を見ろ」
リーファスは、指し示す方向を見下ろすと、プリテンダーが馬車に乗り込む姿が見えた。テラスは二階に位置しているため、プリテンダーはこちらに気づいていないようだ。おそらく彼女は会場にいることが耐えられなくなったのだろう。かつて毅然としていた元聖女の姿が今は小さく見える。
遠ざかっていく馬車のランタンの灯りを見つめながら、リーファスは言った。
「あの馬車を燃やしてしまおう」
「えっ?」
クロフォードは一瞬、何を言われたのか理解できずにいた。
「ふふふ、ご冗談を」
クロフォードは笑い飛ばそうとしたが、リーファスはいたって真剣な表情で、走りゆく馬車を見つめ続けている。
その姿を見て、クロフォードの額に汗がうっすらと浮かぶ。
「俺が冗談を言う人間に見えるか、クロフォード?」
リーファスは弓を引く構えを取り、「星狼弓!」と叫んだ。
すると、周囲の光が集まり、彼の意志に応えるかのように煌めき始めた。やがて、その光の渦が形を取り、鮮やかな赤い弓へと変わっていくこれはリーファスの固有スキル「弓聖」から生まれたものであり、王族のみが授かる最強スキルである。
「いいか、国外追放されたあいつが今後どこへ向かうと思う。おそらく隣国である帝国だろう。聖女を剥奪したとはいえ、あの女の力をみすみす帝国へは渡せん。お前もあやつが消えれば嬉しいだろ、よく見ておけ」
リーファスは、動く馬車の灯りに合わせて弓を引き絞った。ギシギシと弓が軋む音が、張り詰めた空気の中に響く。目標を定め、矢を放とうとしたその瞬間クロフォードが慌ててリーファスの腕を掴んだ。
「お、おやめください!」
必死でリーファスの腕を掴むクロフォードの顔に、焦りが色こく浮かんでいる。いつもの冷静さはそこにはなかった。
リーファスはその表情を見て、ため息をつくと弓を下ろした。
「ふっ、やはりな、報告通りだな」
リーファスが言うと、どこからともなくクロフォードの背後に、音も立てずに二人の影が現れる。彼らは黒布で顔を覆い、その姿は不気味さを漂わせている。
「で、殿下、これは?」
驚くクロフォードを尻目に、リーファスは薄ら笑いを浮かべた。
「こいつらは私の影の者たちだ。お前も聞いたことがあるだろう、花妖精と名乗る者たちを」
花妖精、その名は愛らしいが、実は裏の世界で暗躍する諜報と暗殺のプロ集団である。誰にも気付かれることなく、闇の中で王族に敵意を抱く者たちを抹殺する王家の影達だ。
「クロフォード、お前は本気に俺を騙せると思っていたのか?」
リーファスの声には怒りが滲むと、花妖精たちは静かにクロフォードを取り囲んだ。
「ど、どういうことです? 騙すなんて……」
「お前から話を持ちかけられた時点で、花妖精を使って周囲を徹底的に調べた。過去も含めてな。実際、お前には妹など存在しない。ただのハナタレの弟がいるだけだ。つまり、お前は公爵家への復讐など考えてもいなかったのだ」
汗をかきながら一歩下がるクロフォード。その動きに合わせて逃さぬように花妖精たちがさらに近づく。
「では、なぜこの計画を俺に持ち出したのか。それがわかったのは、お前が用意したのは捏造した書類や帳簿だ。死刑や終身刑ですらできたはずが、お前は王国規約第12条に基づく国外追放というギリギリのラインで攻めてきた。そこで俺は答えにいき着いた。お前の真の目的はプリテンダーを国外に逃すことではなかったかとな」
目を見開くクロフォードの動揺を楽しむように、リーファスは言葉を重ねる。
「お前は、俺がプリテンダーを疎ましく思っていることを知っていた。あの女がこの国にいる限り、暗殺の危険が常に付きまとうこともな。だが、プリテンダーは教会と王国の束縛から自ら逃れることはできない。だからこそ、お前は主人を守るために、敵である俺にこの大掛かりな計画を持ちかけたのだろう。俺を利用して婚約を破棄させ、国外に追放して逃がす……その策は確かに見事だ。ほめてやる」
リーファスはそこまでいうと、「だがな」と言って、馬車に向けて再び弓を引き絞った。
「俺を甘く見過ぎたな……爆裂矢!」
次の瞬間、リーファスは弓矢を放った。
「やめろ!」
クロフォードの叫びは、空気を切り裂く音に掻き消された。轟音と共に遠くで馬車が激しく砕け散った。次の瞬間大きな赤い炎が立ち上り、まるで生き物のように馬車を呑み込んでいく。
クロフォードは煙を上げて燃えゆく馬車を見つめ、絶望のまま床に膝をついた。
「ははは、お前のその顔を見たかったのだ。喜べ、あともう少しでこの計画も完了するぞ」
リーファスは首を振って合図を送ると、花妖精の一人が剣を抜き、クロフォードの前にたった。
「お久しぶりです、クロフォード様」
その花妖精は黒衣をひるがえし、顔を露わにした。
「お、お前は……」
そこに立っていたのは、かつてクロフォードとともに公爵家に仕えていたメイド長だった。クロフォードは公爵家にいながら、常に花妖精に監視されていたのだ。
「さようなら」
メイド長は冷淡に告げると、クロフォードの胸に剣を突き刺した。
驚愕の表情を浮かべたクロフォードは、血飛沫を上げながら床に崩れ落ちた。その様子を花妖精たちは無表情で見下ろす。
「お……お嬢様、あなたのもとへ……」
遠くで燃え盛る馬車に手を伸ばしながら、クロフォードの体は次第に力を失っていく。やがて、クロフォードの目から生気が抜け完全に動かなくなった。
「ははは、死んだか。よし、お前たち、当初の計画通りに進めるぞ。プレテンダーの馬車を襲撃した犯人はクロフォードとして処理しろ。主人を追い詰め、殺した後は罪の意識に苛まれて自死したことにすればいい」
リーファスが命じると、花妖精たちは頷き、床の血を消し去ると、クロフォードの亡骸を抱え、瞬く間に闇に消えていった。周囲には再び静寂が訪れる。
「これで全て終わったな」
花妖精が消えゆく闇を見つめながら、リーファスは静かに呟いた。その声には満足感が滲み出ており、やがて高らかな笑い声へと変わった。
彼の心は狂喜に満ちていた。たった一晩で全てが片付いたのだから。教会の力が失われた今、今後リーファスの手によって圧政はさらに酷くなるだろう。リーファスの心の奥には、支配者としての野望が渦巻いている。
「さて、会場に戻って、もう一度ミルフィーユの尻でも揉んでやるか」
リーファスは星空に向かって大きく伸びをし、勝利の余韻に浸りながらテラスからパーティ会場の扉を開いた。
「えっ?」
リーファスはそこで動きを止めた。
そして目をこすると、もう一度会場を見た。
そして再び動きを止め、口を開いたまま呆然とした。
なぜなら、そこには何もなかったからだ。
文字通り、全てが消え去っていた。
あれほど多くの紳士淑女たち、豪華な食事の数々、そして美しく盛り付けられた調度品、さらには壁に掲げられた王国の国旗までもが、影も形もなくなっていた。
静寂に包まれた空っぽの会場が、目の前に広がっている。
「な、なんだ、これは一体どうなっている?」
リーファスは慌ててテラスに戻り、扉を再び開けた。しかし、そこには誰一人としていない無人の会場が広がっているだけだった。何度も試みたが、やはり誰もいない。
彼は知っている限りの貴族の名を叫びながら、会場中を走り回ったが、誰の声も返ってこない。無人の空間に、彼自身の声だけが虚しく響き渡る。
「お、俺は、夢でも見ているのか?」
リーファスは会場の外に出ると、建物を見上げた。そこには王家の所有する別荘が佇んでいる。
「会場はここで合ってるはずだ」
リーファスは呟きながら、冷たい風が鼻を擦るのに耐えかねて大きなくしゃみをした。その瞬間、突然グラグラと大きな音が響き渡り、別荘がゆっくりと前方に傾いてくるのが見えた。
「うわっ!」
思わず目を閉じたリーファスだが、頭に当たったのはただの板切れだった。
周りを見渡すと、大きな薄い板が床に倒れ込んでいる。それは正面だけ別荘に見せかけた巨大なハリボテであった。
リーファスがもう一度見上げると、そこは別荘とは全く真逆の位置にある、古びた教会が立っていた。
「何が、どうなっているんだ」
リーファスは混乱したまま、リーファスは夜の森の中をさまよった。パーティ会場に向かう道中、馬車の中でミルフィーユと甘い時間を過ごしていたため、ここがどこなのかまったく把握していなかったのだ。途中で繋がれていた農夫の馬を奪い、勘を頼りにお城の方向へと疾走した。
そして、遠くにお城らしきものが見えた瞬間、その周囲が真っ赤に染まっている光景が目に飛び込んできた。
「なぜだ……俺の城が燃えている!」
信じられない光景に、リーファスは馬を止め、呆然とその情景を見つめた。すると、馬の蹄とともに、遠くから兵士を乗せた馬が駆け寄ってくる。王国軍の兵士だ。
兵士はリーファスを見つけると驚きの表情を浮かべ、次いで怒りに満ちた表情を見せた。
「リーファス様、探しておりました! 今までどこにいたのですか! たった今、我が王国は陥落したのですぞ!」
「か、陥落だと?」
「隣国の帝国軍がいきなり攻め込んできたのです!」
「ふざけるな、帝国とは不可侵条約を結んでいるはずだ!」
「ですが、どこかの愚か者が帝国領の神森を攻撃したのです。条約では一方が攻撃の意図を示した場合、条約は無効になることは常識なのに! 王国はもう終わりです。王城も制圧され、王を含め重役全て捕らえられました!」
「神森にだと! どこの馬鹿だ! そいつは」
神森は、帝国が信仰する女神ブリアナの生誕地とも言われ、帝国にとって最も神聖な場所である。その神森に、どこかの愚者が攻撃を仕掛けたという。
怒りに震えるリーファスに、兵士は続けた。
「しかし、リーファス様が戻られた今、ここから状況を逆転させることができます。どうか、リーファス様の弓聖の力で帝国の兵士たちを一掃してください!」
兵士が剣を空に突き上げると、他の兵士たちも一斉に剣を高く掲げた。それほどまでにリーファスの力は際立っていた。彼が全魔力を込めて放つ矢は、一撃で帝国の一個師団を壊滅させる力を秘めていた。
「帝国の奴らめ、俺がいないことに好き勝手しおって」
リーファスは兵士を引き連れて城へ急いだ。頭の中は混乱が渦巻いていたが、同時に激しい怒りが心を掻き立てていた。早く城の門が視界に入ることを願いながら、馬を全速力で駆けさせた。
その時、ふと空を見上げると、数十匹のドラゴンが飛んでいるのが目に入った。帝国軍の空竜部隊だ。彼らは威圧感を漂わせながら、まるでリーファスを狙う獲物のように、低空を滑空して近づいてきた。
「いたぞ、王国の王子だ。生け捕りにしろ!」
帝国の空竜部隊の指揮官の合図とともに、数匹の竜が地上を滑空しながらリーファスに向かって急降下してきた。
「帝国の愚か者どもが、全てを消し炭にしてやるわ!」
リーファスは星狼弓を出すと、帝国の竜部隊に向けて弓を引き絞った。彼は最大の魔力を込め、自身の持つ最強の奥義を放つために声を張り上げた。
「くらうがいい! 星狼崩天」
王国の兵士たちは、帝国の竜部隊が一瞬で壊滅する光景を期待し、歓声を上げた。
しかし、待望の瞬間は訪れなかった。何も起こらず、リーファスは馬から転げ落ち、苦痛にのたうち回っていた。
「リーファス様!?」
部下の兵士たちは呆然とした表情でリーファスを見下ろす。
リーファスは嗚咽をあげ、「痛い、痛い」と腕をおさえながら、地面を転げ回っている。口から泡もふきはじめた。
帝国の空竜部隊は竜から降り、その光景を冷ややかな目で見つめ、ついにはリーファスの頭を一発殴りつけた。
その衝撃で、リーファスは白目を剥いて気絶してしまった。
前半です、後半に続きます。