5・やりたいことは
あれから、たくさんの人が駆けつけてくれた。お父様がテーブルを蹴ったのを目撃していた係員の方が、心配して色んな人に声を掛けてくださったみたいだった。
お父様は気を失ったまま運ばれていった。その後、褪せた髪の色は戻らず、炎系魔術の腕は以前とは比べ物にならないほど落ち、更にこれまでの素行や言動なども鑑みて、将軍職は免職となったそうだ。
……娘である私の前だけでなく、他の人の前でもあんな風に傲慢に振舞っていたのならば、その処分も当然だろうと思う。
同時に、ベルガー家当主も、息子、つまり私のお兄様に代替わりした。
私の縁談の話も、綺麗さっぱり立ち消えになったそうだ。
というのも貴族が他国の貴族との縁談を進める場合、国に申請が必要なのに、お父様はそれを怠っていたのだという。
更に、お相手の魔法伯は何やら後ろ暗いことをやっていたそうで、近々摘発される予定だとかなんとか。
この辺りの事情は、学校を訪れたお兄様とお姉様が教えてくれた。
かつてのお父様と同じ、赤い髪に赤い瞳の、若く麗しい男女。
それが、今までろくに顔を合わせたことのない、私のきょうだいだった。
「すまなかった」
開口一番、2人はそう言った。
今まで父が怖くて、私に会いに来ることすら出来なかったと。
父がおかしいのは、自分たちも魔法学校に通いだしてから段々と分かっていったが、それでも怖くて、一歩を踏み出せなかったと。
赦さなくても結構だ、けれど謝らせてくれと。
彼らはそう言って、私なんかに頭を下げた。
お兄様とお姉様の恐怖は、私にもよく分かる。
それにこうして今、2人が私に会いに来てくださったことが嬉しかった。
だから私は、今の気持ちをそのまま伝えることにした。
赦すとか赦さないとか、それはよくわからないけど、とにかくおふたりに会えて嬉しいです、と。
お兄様とお姉さまは、晴れやかな顔、にはならなかったけれど。
でも、こわばった顔を僅かに緩めて、私たちもだよ、と、そう言ってくれた。
かつてのお父様と同じ色合いをして、どこかお父様の面影を残す2人は、けれど恐ろしさなど微塵も感じない、とても優しい人たちだった。
そう、感じられたことが、とても嬉しかった。
2人は、好きに生きなさい、と私に言った。
ベルガー家はおまえに優しくなかった、だから家のことなど考えなくて良い、と。
私が返事に窮していると、2人はなぜか、私の隣をちらりと見て。
卒業までにはまだ少し時間があるから、ゆっくり考えると良い、と言ってくれた。
私は、その好意に甘えることにした。
面会が終わった後。私は、隣に座っていたジャンを見た。彼は、面会に付き添ってくれていたのだ。
最初はちょっと険しい顔をしていた彼だけれど、途中からは普段通りに戻り、後半はなぜかちょっと呆れた目線を、2人――というより、2人より少し上の、空間? に向けていた。
何かあった? と聞いたら、お父様と契約していた炎の精霊様が、次は兄と姉どちらかと契約したい、いやしよう、どちらにしようかな、ああどちらも素敵っ! とそれはそれは大騒ぎしていたらしい。
……お兄様とお姉様の頭の上で、そんなことが?
今のジャンの髪と瞳の色は、普段の茶色に戻っている。
彼曰く、精霊を視る「目」を開くと、彼が契約している「精霊様」の色が瞳に反映され、更にお力を借りると、髪の色にも変化が生じるのだとか。
あの日、彼の髪の色が赤くなったのは、一時的に2体目の精霊――お父様と契約をしていた、炎の精霊様だ――と契約をしたからで、今は炎の精霊様との契約は解除されている、らしい。
その炎の精霊様は以前、人の姿をとって散策していた際、窮地に陥ったところを若き日のお父様に助けてもらったことがあり。
その勇ましさと優しさに一目惚れし、こっそりお父様と契約を結び、それからずっと力を貸し続けていたそうだ。
この辺りのことは、なんと、炎の精霊様ご自身からお話を伺った。
それなりに力を持つ精霊は、「目」を持たない人の前にも自由に姿を現したり、人の姿をとって人間に紛れたりすることもできるらしい。
『ああん、アナタ見れば見るホド、エレネアにそっくりだわァ!』
炎の精霊様は、私を真正面からじっと見つめると、そんな風に叫んで身悶えしていた。
エレネア、とは、お母様の名前だ。
頬を染めながらうっとりしているその様子は、私でも悪感情からのものではないと分かる。
「お母様、ですか?」
『そうよォ。顔もそうだけド、精霊に好かれやすい性質とカ、もうホントソックリ! まあ、エレネアはアナタくらいアカラサマでは無かったけれド』
「精霊、に、好かれやすい……??」
思わず首を傾げ、ジャンを見る。そうすると、何故か彼も首を傾げた。
「あれ、もしかして気付いてなかった……って、そっか、エレミアには見えないのか」
ジャンはちょっと笑いながら、人差し指を空中に向けてくるくる回す仕草をした。
「エレミアの周り、いっつも色んな精霊様が取り囲んでは粉をかけようと必死だぜ? 誰が一番に契約を結ぶか、ばちばちしてるし。俺もうっかり『目』が開かないように、ちょっと気ぃつけてた」
あんまり精霊様方がたくさんいらっしゃると、つられちまうんだよなぁ、と彼はのんびりと言った。
……軽く眩暈がする。だって、初耳の話が多すぎたのだ。
「で、でも、私の髪色は、白で」
「白というか、白銀だろ、エレミアのは。そういうやつって魔力の性質に偏りが無いから、いろんな精霊様に好かれやすいんだ」
『そうよォ! アタシたちにとって、アナタってホント魅力的なノ』
炎の精霊様が身体をくねらせながらそう言った。
『でもォ、下手にアナタと契約すると、嫉妬がすごいことになって大変なのよネ』
『アラ、じゃアワタシタチの里に来れバ良いワよ』
不意に新たな声が加わって、反射的にびくりと体を揺らしてしまった。
「精霊様!」
少し驚いたように、ジャンがそう言った。
こわごわとそちらを見ると、金緑の美しい精霊様が、こちらを見てにこにこ……いや、にやにや? していた。
『ワタシタチの里は、精霊樹サマの御膝モト。誰と契約したっテ、ミンナ精霊樹サマの眷属ナンダカラ、嫉妬とかナイわヨ?』
『あらん、アナタとっても由緒あるトコのお嬢さんだったのネ?』
『ンフ、まァネ!』
金緑の精霊様がえへんと胸を張る。
「せ、精霊様? 相談もなく、それはまずいのでは」
『えェ~? だっテ素質は十分だしィ、そレにジャン、アナタどうせあの子のコト』
「わーわーわー何口走っちゃってるんです精霊様!!?」
ジャンと精霊様が何やらわちゃわちゃしている。それをぽかんとしてみていたら、金緑の精霊様がその透き通った羽を震わせ、素早くこちらに来て、耳元で囁いた。
『とにかク、ワタシタチは歓迎すルわヨ、白銀の君。精霊樹の分身のひとり、この『ユグラ=イル=フェアルレーネ』が保証すルワ』
目を見開きながら彼女を見る。私の正面に陣取った彼女は、『ア、ワタシの名前は他ノ人ニは秘密にシてネ?』と、いたずらっぽく片目を瞑ったのだった。
「……エレミア? どした?」
「っ、あ、ごめんなさい」
少し前のことを思い出してぼんやりしていたら、ジャンに顔を覗き込まれていた。
「いや? それより、大丈夫か? 疲れたろ」
「え、あ、ううん。大丈夫。ありがとう」
「……やっぱり、悩んでる? 将来のこと」
「……うん。そりゃあ、ね」
知らず、視線が床を向く。
だって、今までどうやったらベルガー家のために、お父様のためになる行動ができるかと、ただそれだけを考えてきた。……家のために生きるなんて嫌、と、無意識に考えたことは、確かにあったにせよ。
でもやっぱり、突然これまでのしがらみから解放されたって、そうそうすぐには切り替えられない。
「うーん、じゃあ、さ。今、エレミアがやりたいことは、何?」
「やりたい、こと」
「そう! せっかく自由になったんだし、さ。まずは、楽しいことから考えようぜ?」
にかっと、彼が笑う。私の大好きな、彼の笑みだ。
ぼっと、身体の底が火で炙られたように温かくなって――同時に、くぅっとお腹が鳴った。
「……私、は。……おなかがすいた」
「ぷっ、あはは! じゃあ、食堂行こうぜー」
ジャンが立ち上がり、私に手を差し出す。
恥ずかしくて頬に熱が上るのを感じながら、私は彼の手を取った。
「……まずは、ご迷惑をかけた方々に、謝罪と……あと、ありがとうって、伝えたい」
「エレミアらしいなぁ! 良いと思う。他には?」
「……お兄様と、お姉様と、またお話ししたいな、って」
「良いんじゃないか? せっかくのきょうだいだもんな。他には?」
「……食堂で、デザートを食べたい。あの、いつも躊躇してた、大きいやつ」
「あれをか! 良いな、食べきれないときは俺も手伝うぜ! 他にはー?」
ジャンが楽しそうに相槌を打ってくれる。食堂に向かって歩きながら。
私の手を、引いたまま。
「……あの、ジャン?」
「なんだー?」
「……ええと、……手、は、つないだ、まま、なの?」
「ん? ああ。……嫌?」
「い、嫌じゃない、けど……」
「……良かった。じゃあ、良いだろ」
ぎゅっと、ジャンが私の手を握る。さっきよりも、強く。
「ジャン……」
「エレミア、他には? 他には、何かやりたいこと、ないのか?」
ジャンとつないだ手が、あたたかい。
彼は基本的に、人との距離が近い人だけれど。
ここまでの触れあいは、したことが無くて。
さっきから頭がぼんやりする。
くらくらして、身体の芯があたたかい。
あつい。
不意に、目頭が熱くなる。
ああ、と、ため息をつきたくなるほどの、こみ上げてきた、それは。
「……わた、し、このままがいい」
「エレミア?」
「このままがいいの。ここだったら、私、出来損ないで、色無しじゃない。皆優しくて、毎日楽しい。それに、……ジャン。あなたが、居る」
いつの間にか、歩みは止まっていて。
人も少ない、庭園の小道の片隅で、私の手を引いていたジャンが、こちらを振り向く、気配がする。
「ジャン。ジャンは、卒業したら、村に帰るんでしょう」
「……うん」
「いつか、あなたの村のお話を聞いた時。普通の人は誰も近寄らないくらい、国の隅っこにあるって、言ってたわね。それにそもそも、認められた人以外、村に入ることはできないって」
「よく、覚えてるな」
「当たり前でしょう。あなたの、お話なんだから」
「……」
「認められる、ということが、どういうことか、分からないけど。でも、私、頑張ろうと思うの。頑張りたいと……思う」
「……」
ジャンは、黙っている。
いつもはあんなに明るくおしゃべりの彼が。
何かを問いかけるような、真意を探るような、そんな、静かで、でも、何か色々なことを考えているような。そんな表情。
そんな彼を見ていると、数日前の、あの出来事を思い返す。
金緑の瞳を輝かせ、表情は凪のように静かで。
いつもより低い声、ぶっきらぼうな仕草と口調、圧倒的な魔法――正確には、精霊術になるのだろうけれど――の、才。
いつものジャンとは、全く違うその姿も。
でもやっぱり彼は、ジャンだから。
いつもと変わらず、格好良いと、素敵だと思ったのだ。
「魔法学校の生活は、もう少しで終わってしまう……このまま、もう長くは続かない。変わるものだって、分かってるの。だけど、その中でも、たった一つ、諦めきれないのは……ジャン。あなた、だけ」
繋いだ手を、ぎゅっと握り返す。
私は、口下手で。
自分が思っていることのほんの一部ですら、相手に伝えることがひどく難しい。
でも、この気持ちだけは。
彼に、だけは。
伝えたい。
それでも足りない部分は、繋いだ手から伝われば良い。
「あなたは村に帰ってしまう……それはとてもあなたらしいって思う、引き留めるようなことはしたくない……でも、離れたくないの。これは、私のわがままで、わたしのやりたいことで、ええと、だから、私、はっ」
私はそれ以上、続けることができなかった。
強い力で、繋いだ手が、引き寄せられる。
何かにぶつかる。温かい。
彼の温度、と、においに包まれる。
それは重く爽やかな、緑と土と風のにおい。
彼の腕が私の背中に回り、私の身体を閉じ込める。
……身体の芯がいよいよ熱い。気が遠くなりそうだ。
「……―――」
混乱の真っただ中、彼が何か言った気がした。
彼の言葉は、聞き逃したくない。
頑張って上を向くと――かつてないほど近くに、彼の顔があった。
ともすれば、表情が読み取れないほど、近く。
不意に、彼が、くしゃりと笑った。
それは、見たことのない笑い方だったけれど。
でも、やっぱり、私は、彼が、彼の笑顔が。
「好きだよ」
……?
きき、まちがい?
「好きだよ、エレミア。きみが好きだ」