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2・エレミア


 親友の言葉に衝撃を受けるのは、これまでだって何度もあった。

 でも、今回ほどのものは一度だってなかった。


「まあ、俺も最終的に結婚とかはしないといけないだろうし。王都にずーっとは、居れないだろうなあ」


 結婚。

 

 そんな言葉が、まさか彼の口から飛び出すなんて。



 魔法学校入学は、魔力を持つ貴族家に生まれた者ならば、ほとんど義務のようなものだった。それは私の家も例外ではない。

 エレミア・ベルガー。

 それが、私の名前。魔法騎士一族として有名な家の、三人きょうだいの末娘。

 けれどこの家の誰も、私を家族の一員として認めてはいないだろう。

 ……私は一人だけ、色を持たないで生まれたから。


 ベルガー一族には決まって生まれ持つ色がある。

 それは、赤。

 炎系魔法が得意な人が持つことの多い赤色は、ベルガー家ならば当たり前の色だった。


 現当主であり国の将軍の1人であるお父様は、歴代一の炎系魔剣術の使い手と言われている。

 事実、お父様は隣国との戦でそれはそれは大活躍して、王家の信頼を得た。だから、お父様は赤色に誇りを持っている。……そう、他の色を持つ人を見下すくらいに。

 そんなお父様だから、身内――それも、実の娘が赤どころか何の色も持たずに生まれてきたことが、余程受け入れ難かったのだろう。

 私は他の家族から離されて育った。

 同じ敷地内で生活していた筈の兄と姉の顔だって、よく覚えていない。

 そしてお父様は、隔離された私の部屋を時折訪れた。

 そして何かを期待する目で私を見、何の変りもないことが分かると途端に恐ろしい形相で、この出来損ないが、と罵った。

 幼い頃はお母様が庇ってくれていたというけれど、私が物心つく前に亡くなってしまった。

 お父様はお母様が早くに亡くなったのも私の所為だと思っているらしい。曰く、色無しの私が母に心労を掛けたからだと。

 覚えてもいない母の心情など私に推し量ることができる訳もないけれど、もしそうだったとしたら申し訳ないとは思う。

 でも、もう少し頑張ってほしかったとも、実は思ってしまう。

 ……だって、周りに味方が誰も居ないのは、淋しくて、辛い。


 味方が欲しかった。

 だから、褒められたくて、魔法の練習を頑張った。

 色が無くたって、優秀だという兄や姉みたいに、私も炎の魔法を使えたら。

 きっとお父様も、私のことを認めてくださるに違いない。

 そう考えたから。けれど。


 どうも、私は器用な方ではないらしい。

 炎の魔法は、少しずつしか習得できなかった。ほかの魔法も、そう。

 とても父親に見せられるものではなく、時折来る先生には毎回ため息をつかれていた。


 嗚呼、嗚呼、なんてどうしようもない存在だろう。

 何の役にも立たない、誰からも必要とされない、出来損ないの自分。

 不甲斐なく、悔しく、どうしようもなく、空しい。


 そして、12歳の時。私は魔法学校に入学した。


 周りは皆、きらきらしていた。

 自信にあふれ、胸を張り、自分の足でしゃんと立っている。

 嗚呼、なんて素敵なんだろう、と思った。

 けれどその分、出来損ないの自分が際立つようで嫌だった。

 どうしようもなく、逃げ出したいと思った。


 けれど、そんなこと出来ない。出来るわけがない。

 第一逃げたとして、どこに行くというのか。

 屋敷に帰ったとしても、あそこに私の味方なんて誰も居ないのに。


 そう、つまり。私はここで生きていくしかないのだ。

 少なくとも、卒業までの6年間は。


 深く俯き、下唇を噛む。

 そうしないと涙が滲んできそうだったから。

 そうして、入学してしばらく経った後、私は。


「~~~すっっっげえええええ!!! あんたの魔法、めっちゃくちゃ綺麗だな!!!」


 ――彼に、出逢った。



 彼は、この学校では数少ない平民だった。

 茶色の髪をざっくばらんに後ろで括り、茶色の瞳を好奇心できらきらと輝かせた彼は、当時の私よりも背が低かった。体格も男性にしては華奢だったけれど、生命力にあふれていて、むしろ圧倒されるほどだった。

 そんな彼が私の肩をがっしり掴んで、がくがくと揺さぶる。

 今まで私に好き好んで触れた人などいなかったのに。

 そんなことを気にする素振りもなく、遠慮容赦なく彼は私と距離を詰める。


「あんた、これ、どうやってするんだ!? すごいなー、俺は全っ然できなくてさ!」

「……え」


 ほら、と見せられた魔法は、確かにふらふらと安定しない。

 そうか、アドバイスが欲しかったのか、と思った。

 こんな出来損ないの私に聞くのは不適だと思ったけれど、幸い少しくらいの助言ならばできそうだ。

 私は恐る恐る、口を開いた。


「……多分、魔力の出力が安定しないのと……後は、魔法陣が歪んでいるのかも。……ええと、どうやって描いたの」

「え? えーっと、こうやって」


 彼は魔法を消し、紙に魔法陣を描く。

 魔法陣は、魔法を使う方法のうち最も一般的なものだ。まず円を、次いで円の中に必要な情報を描き込むことで、それに対応する魔法が使えるというもの。

 円は真円に近ければ近いほど良く、内側の情報は整理されていればいる程良い。

 彼が描いて見せた陣は円というより楕円で、彼の手癖なのだろうか、全体的に片側に歪んでいた。

 それを指摘すると、彼はほー、とため息をついた。


「そっかー、全然意識してなかったや。ありがとな!」


 にかっと、私に向かって笑う、彼。

 これまで誰かに笑いかけてもらうことなどほとんど無かった私に、それはあまりにも眩しくて。

 呆然とする私をよそに、彼は無邪気に訊ねた。


「俺、ジャン・エトル! あんたは?」


 彼が、俯く私の顔を覗き込むようにして見上げてくる。

 かつてないほど他人の顔が近くにあった。

 そのきらきらした、赤でもなく、他の人々のような鮮やかな色合いでもない、その、茶色の瞳を。


「……わ、私は、エレミア。エレミア・ベルガー」


 私は、世界で一番うつくしいと思ったのだ。



 そこから、彼と私はずっと一緒だった。

 彼は何でも私に訊いてきた。それは魔法のことから生活のことまで、様々だった。

 特に、彼はどこの田舎から出てきたのかというほど、世間知らずというか、少しずれているところがあった。

 それは、家から殆ど出たことのない私でさえ指摘できるほどの。


「なあ、エレミアは髪をどうやって切ってるんだ?」

「……髪?」

「そ! だって、お祈りのとき必要だろ? 俺、今までは適当に切ってたけど、せっかくこう、王都に来たんだし? もうちょっと身だしなみに気を使わなきゃかなーと思って! ほら、エレミアの髪って結ってないのに全然不自然じゃないから」


 彼の指先がさらりと私の髪に触れる。

 うん、やっぱり綺麗だよなあ、と呟く彼の指の感触にびっくりして、頭が真っ白になりかける。

 彼は基本的に人との距離が近い。

 心臓に悪すぎるからやめてほしいと思う一方、私に自ら触れてくるのなんて彼くらいだから嬉しいと思ってしまう気持ちもあって……では、なくて。


「……ええと、お祈り? で、髪が必要、なの?」


 思わず首を傾げてしまった私に、彼も同じようにきょとんと首を傾げる。


「え、あれっ? エレミアはお祈り、しない?」

「……私は、お祭りの日とか、たまに。……ジャンが言っているのは、そのことじゃない、よね?」

「うん。俺が言ってるのは、毎日のお祈りのことで」

「……毎日、髪を切るの?」

「いや、髪を切るのは10日に一度くらいだけど……えっ、もしかして皆、お祈りしない? もしかしてこれって俺んとこだけだったりする?」

「……その可能性が、高いかも」

「う、うわぁ……良かったぁ。俺、エレミアの後は他の皆にも訊こうとしてたんだ」


 あっぶねー、と言う彼の顔を、しげしげと見る。

 ……屋敷での記憶を引っ張り出してみても、彼の言うように毎日お祈りをしていた人は居なかったと思う。

 というより、彼がお祈りするのは一体何に、なのだろう。

 この国での一般的な信仰対象は、現在の王族の始祖とされるヌヴィリス神だ。

 けれど彼が教会に通うところなど見たことが無いし、もしヌヴィリス神に髪を捧げるのが一般的であれば、この学校生活の中で少しは耳に入っても良いと思うのだけれど……。


「……念のため、何人かには訊いてみても良い、かも」

「うーん、そうかなぁ。分かった、そうする!」


 そんな風に言っていた彼だけれど、数日経って「やっぱこれ俺んとこだけみたい……」とちょっと落ち込み気味に話してきた。

 やっぱりそうなのか、と納得すると同時に、じゃあ、彼の髪を切るという行為にはどういう意味があるのだろう、とやっぱり不思議に思う。

 気になったけれど、「でも髪の手入れの仕方とか教えてもらったんだぜー!」と楽しそうに話し始めた彼を見て、話題を出すタイミングを失ってしまった。


 私は話すのが苦手で、いつもゆっくりとしか言葉を紡げない。

 彼はそんな私のペースに嫌な顔一つせず付き合ってくれるけれど、元がとても勢いがある人なので、こういうことは時々起こる。

 だから、彼と同じテンポで会話している他のクラスメイトを見ると、少し羨ましく感じてしまう。

 だから、いつか。

 私も彼や、他のクラスメイトのように、ぽんぽんと言葉を放つことができるような――自分の意見を、恐れず伝えられるような。

 そんな人になりたいと思っている。


 それはともかく、こんな風に、彼は少し変わっているところがある。

 それは彼自身も自覚していて、日々の生活で疑問に思ったことを、ある意味遠慮容赦なく、彼は私に訊いてくるのだ。

 その中には私もすぐ答えられないことがあって、それが申し訳なく、悔しくて、いつでも彼の疑問に答えられるように、私は以前にも増して、勉強するようになった。

 それは少し大変だったけれど、彼は必ず、あのぴかぴかした笑顔で、「ありがとう!」と言ってくれる。

 それが嬉しくて、大変であろうと少しも苦には思わなかった。


 それでも、彼の疑問に私一人で解決できないことも多かったから、そういう時は恥を忍んでクラスメイト達に訊きに行った。

 彼以外の人に自分から声を掛けることは、最初はとても怖かった。

 けれどいざ話しかけると、彼らはとても親切で、とてもにこやかに会話してくれた。

 こんな私と、だ。

 お礼に彼らが難しいという授業や課題を分かる限りで解説すると、何故かとても喜ばれた。

 それがきっかけになったのか、段々と、クラスメイト達は私に話しかけてくれるようになった。

 時々お昼や茶会に誘ってくれる人もいて、その度にどこかあたたかく、むず痒い気持ちになった。


 ……今ではもう、私はここを逃げ出したいとは思わない。

 誰も私を蔑みの目では見ないし、変に特別扱いもしない。

 あなたの成績であれば飛び級もできますよ、なんて先生方から何度か言われたこともあったけれど、その度に丁重に断った。

 ここを出来る限り、離れたくなかったから。


 だから、卒業があと一年後に迫った現在。

 私はとても憂鬱だった。だって、これからどうすれば良いのだろう?

 魔法学校を出れば、この陽だまりのような温かい場所を失ってしまえば。

 私はまた、ベルガー家の出来損ないに戻ってしまう。


 もう、実家に、あの寂しい場所に戻りたくは無かった。

 けれど貴族の家に生まれた以上、家の意向を無視して好き勝手に動くことはできない。貴族は平民より恵まれた生活が約束されているのと同時に、相応の責任も負っているのだ。

 私の場合、普通に考えれば代々のベルガー家がそうしてきたように、魔法騎士になるのが妥当なところなのだろう。

 けれど正直、私は武術はからっきしだし、炎系魔法に長けているというよりは全属性を満遍なく使える、といったところで。

 ……つまり、魔法騎士より普通の魔法使いになった方が、自分の力をまだ活かせる気がするのだ。


 けれどこんなことを話したところで、あのお父様が理解してくださるだろうか?

 入学当初と違い、今の私はもう、お父様の考え方が非常に偏ったものであることを理解している。

 髪の色だけですべての価値が決まるわけではないし、赤が、炎系魔法が最も優れている訳ではないことも。

 そう思えるようになったのは、彼が、いつも私の隣で、自信を持てと、励ましてくれたからで。

 

 ……そう、何より、私は彼と――ジャンと、離れたくなかった。

 今では彼の身長は私を抜かし、体格も以前より随分と逞しくなったけれど。けれど笑顔だけは、あの時と変わらぬままで。

 低くなった声で名を呼ばれる度、ぴかぴかした笑顔を向けられる度。

 切なく、甘やかに疼く己の胸を、私はもう無視できなくなっていた。


 魔法学校を出たら。

 私は貴族の娘で、彼は平民の、それも辺境の村の跡取り息子だ。

 そこには純然たる壁があって、どうやったって今までのように隣に居ることはできない。

 分かっている、私は家の為にこれから生きなくてはならないということも。

 けれど。


 ……あの家が、私の為に何をしてくれただろう?

 冷たく恐ろしい記憶しかない、あの家の為に。

 私は本当に、何かしなくてはならないのだろうか?


 そんな考えが頭にちらつく。

 ああ、いけない、と思いつつも、どうしても考えてしまう。

 どうしよう、どうすれば良い?

 動かなくてはならない、でも、どうやって動けば良い?


 ぐるぐると、うじうじと、考える。

 自分一人だけで悩んだって答えの出ない問いを、けれど誰にも相談することが出来なくて。


 だからまず、彼の考えを聞いてみようと思った。

 彼が、将来についてどう思っているのか、と。


 彼が村の為に力を役立てたいと考えているのは、すごく納得できた。

 とても、彼らしい。


 けれど、結婚。


 ……結婚? 彼が? 

 彼が、私以外のひとと、けっ、こん?


 その時、私は気づいた。

 気づいて、しまった。

 多分無意識のうちに、自分が結婚というものについて考えないようにしていたことを。

 自分の周りでも当たり前に、婚約や結婚について話す人は沢山いたのに。

 でも、私は、考えないようにしていた。

 自分にも関係がある話だと、そう認識しないようにしていたのだ。


 だって。

 私が結婚するとき。

 

 きっと相手は、彼じゃないから。


 ……嗚呼……。


 自分の愚かさ加減に吐き気がする。

 今になって、どうしようもなく失恋を自覚し、それにこんなにも衝撃を受けていることを。


 彼は素敵な人だ。

 探せばきっとすぐに、彼に相応しい人が見つかるだろう。


 でも、嫌。

 彼と、他の誰かが結婚してしまうなんて、嫌。

 

 そんな相反する感情が暴れまわり、いつも以上にうまく言葉を紡ぐことができない。

 

 どうしよう、どうすれば良い?

 結局、私の悩みは晴れない。

 それどころかもっと辛く、苦しくなってしまった。


 彼の視線が外れたとき、そっと唇を噛む。

 僅かに血の味がする。

 それは久しく出ていなかった、私の悪い癖だった。



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