1・ジャン
世界は自分を中心に回っている。
そう思っていたのは、いったいいつの頃までだったろう。
恥ずかしながら俺は、ついさっきまで、だった。
小さな村で、同年代の中で俺だけ、魔法に欠かせない才能を持っていて。村の図書館で魔法書を読んで、自分なりに頑張って修練する度にじわじわと使えるようになる魔法を見せびらかしては、同じ村の人々に持て囃されていた。
そんな中、友達の一人が、王都にある魔法学校の話を持ってきた。
そこは魔法が使える者だけが集められた学校で、入学するには大変厳しい試験を突破しなければならない。けれどそこの卒業生は皆、それはそれは素晴らしい人生を歩んでいるのだと。
これだ! と思った。
王都にはもともと行ってみたかったし、魔法学校なんていかにも選ばれし者だけが行けそうな場所だ。
それに、何より、とても格好良い!
そう思って俺は、それから全力で頑張った。
役に立ちそうなものは片っ端から勉強したし、村の空き地でこれまで以上に魔法の修練を頑張った。
色んな人の力も借りた。
時折来る行商人のおっちゃんたちから学校の情報をもらって勉強の範囲を修正したし、図書館を管理しているおじさんには無理言って魔法書を多く入荷してもらった。
怖くて近寄り難かった村外れの魔法使いの爺ちゃんにも教えを請いに行ったら、思った以上に熱心に教えてくれた――スパルタだったけど。それはもうビシバシ鍛えられて死ぬかと思ったけど!
ともかく、俺は頑張った。もう本当に頑張った。
そして数年経ち、受験資格を得られる年齢に達したとき。俺は意気揚々と――いや嘘、がっちがちに緊張しながら――王都に出かけて行った訳である。
そして結果は勿論、合格!
何でも、辺境の村出身で一発合格は珍しいらしい。
流石、俺!
ともかくそういう訳で、俺は14歳の時、この王立魔法学校に入学したのである。
……そしてすぐに、現実を突きつけられたのだ。
王立魔法学校は、魔力を持つ者なら誰でも入れる。
だけど、魔力を持つのは結局のところ、やんごとない身分の人であることが多い。
そうしてそんな人たちは、まだ小さい時から、魔法の訓練を始めているのだ。そう、ここ数年頑張っただけの俺と違って!
最初の授業で、クラスメイト達が軽々と放った魔法は。
俺が全力で頑張ったものより、更に威力が高く、洗練されて、綺麗だった。
俺の魔法なんか、恥ずかしくて見せられたもんじゃない。
俺は、自分が滑稽でたまらなくて、恥ずかしくて、周りの奴らがうらやましくてたまらなくなって。
一週間くらい、それはそれは落ち込んで――落ち込み疲れて、ぼんやりと空を見上げていた。
頭上には村では見たことのない、空飛ぶ船――飛行船、というのだという――が浮かんでいた。下から見るとただの巨大な鉄の塊にしか見えないそれは、たくさんの魔法使いや技術者たちが集まって作り上げたものらしい。
飛行船だけじゃない、各地を走る魔法列車も、天を衝くような魔法塔も。
すべては、世の魔法使いたちが、たくさんの人たちと手を取り合って、作り出したものなのだ。
そう考えていたら。
なんて素敵なんだろう、と思った。
だって、俺はそんな素晴らしいものを生み出せる魔法使いの卵としてここに居るのだ。
今は、俺は他のクラスメイトより遥かに劣っている。いや、これからもどんなに頑張ったって、彼らとの差は縮まらないかもしれない。
けれど、今よりはずっとずっと、素晴らしい人になれるための場所に、自分は居るのだ。
そう考えると、途端に気分がすっきりした。
頑張ろう、と思えた。
そうだ、他の人と比べるからこんな気持ちになるのだ。周りと競うのではなく、自分自身と競えば良い。
昨日の自分より、今日の自分が勝っていれば良い。
そう、これまで通り、俺は俺なりに頑張れば良いのだ!
それから話は早かった。俺は俺と戦うと決めたのだから、出来ることは何でもしなくてはならない。
こういう時、俺はどうするのが一番早いか知っている。
そう、周りに助けを求めるのだ。
勿論自分一人で考えることはめちゃくちゃ大事だが、それに拘りすぎてもいけない。そして学校の授業はめちゃくちゃ難しい、やっぱり村に居て得られる情報には限りがあったのだ。聞いたことのない単語やら理論やらがいっぱい出てくる。
それとは逆に、村の魔法使いの爺ちゃんに習った魔法の話があんまり出てこない。一昔前の魔法使いだったのか、何かこう、魔法使いにも派閥とかあったのだろうか? その辺の判断はちょっとできないけれど、とにかく爺ちゃんから習った魔法のやり方が身についていた俺にとって、学校の魔法のやり方はめちゃくちゃ難しかった。
つまり、ひとりで藻掻くのに限界が来るのはたいそう早かったのだ。
幸い周りは俺よりすごいやつばかり、というかそういうやつしかいなかったから、俺は恥も外聞もなく色んな人に助けを求められた。
貴族の坊ちゃん嬢ちゃんと言っても、付き合ってみれば皆気安く良いやつばかりで、おかげでそれから数年、俺はなんとかこの学校でやっていけている。
感謝、感謝だ。
そして成績も、下の下から中の上くらいにはなった。
そこは流石、俺!
まあ特に仲の良いやつらは漏れなく俺より遥かに優秀なので、時々落ち込みはするのだけれど。
俺は俺と戦っているとはいっても、他の人と比べることを完全にやめることはできないし、めちゃくちゃ悔しくもなるのだ。
「ぐぬぬぅ……!」
そう、そして今はまさに、その瞬間だった。
学校に入学して、早5年。
学校も残すところあと1年となったこの時期、定期的に開催される学内試験。その順位が出たのだ。
今回俺はめちゃくちゃ頑張った。
以前の中の上から、ぎりぎり上の下くらいにはなったのだ。
間違いなく成長はできている……のだが。
「はっはっは、今回も1位はベルガーか!」
「流石だなあ」
「……いえ、そんな」
「ぐぅっ……」
俺の隣でみんなの賞賛を受けている、彼女こそが問題だった。
これまで学年上位をキープし、最近ではぶっちぎって学年1位を取り続けている、俺の親友。
魔法騎士として高名な貴族家の末娘、エレミア・ベルガーである。
「……ジャン。大丈夫? 体調でも悪い?」
「ぐっ、問題ない、不甲斐ない我が身を嘆いていただけだからなっ……!」
「……なにそれ」
くす、と笑う彼女は、色素の薄い瞳をやんわりと細める。
日の光を反射してきらめく髪は銀に近い白で、赤や青、緑などの鮮やかな色彩を持つ者が多い魔法学校の中では結構変わっている、らしい。
今まで自分も周りも茶髪が普通だった俺からしてみれば、魔法学校のやつらは皆変わった色だなあとしか思わないので、エレミアの色が人とは違うと言われてもピンとは来ないのだが。
「やっぱりすごいし、悔しいな、と思ってさ! 俺も、おまえに勉強、教えてもらってるのに」
「……ジャンも、前より成績は上がってるでしょう」
「それはそうなんだけどさ! せめて卒業までには、おまえに追いつきたいっていうか。だって、あと1年しかないんだぜ?」
「……卒業」
エレミアの表情がふ、と曇る。
彼女は時々、こういう表情をする。
昔は毎日だった。
いつも暗い顔をして、とぼとぼ歩く白髪の少女。
けれど彼女が操る魔法は正確で美しくて、俺はものすごく感動してしまった。
それから毎日、魔法についてあれこれ質問攻めにして、いろいろ教えてもらって。
今では穏やかな表情の方が増えてきたのだけれど。
卒業。
あっという間だよなあ、と俺もしみじみした。
これまでの5年間、長いようでいて短かった。得るものはとても多かったし、未来へのビジョンも、5年前と比べて随分はっきりしてきた。
けれど、この場所を出ていきたくないなあ、という思いもある。だって、とても楽しかったのだ。
魔法学校は貴族の子どもたちがほとんどだ。けれど学校内では貴族も平民も皆等しく魔法使いの卵であり、そこに違いは何も無い。
けれど一歩、学校を出てしまえば。
そこにはやはり、身分の壁が厳然と存在するのだ。
俺の友達は、平民も多いけど、貴族も多い。ちょっと恐ろしくて訊けていないけど、やんごとない人たちの中でも特にやんごとない身分のやつもいるようだ。
つまり卒業後、彼らに会うのはとんでもなく難しくなるということだ。
だって俺、平民の中でも特に田舎の貧乏育ちだし!
そして今隣に居るエレミアも、貴族だ。しかも王族の近くに仕える、由緒正しい貴族。
彼女が将来どのような道を選ぼうとも、今までのように会うのは難しくなるだろう。
それを考えると、正直、ものすごく寂しい。
けれどまあ、世界ってそういうものだよな、と思うようにしている。
同じ魔法使い界隈にはいるだろうから、まさか一生会えない、ということもないだろうし。
「……ジャンは、卒業したら、どうするの」
「俺ぇ? うーん、まあ一回村に帰ろうかな、と」
「……村、に?」
「そう。俺、ここに来るまで、村の色んな人たちの手を借りてきたからさ! やっぱり、ここで学んだことを、村の皆の為に役立てたいんだ」
えへん、と胸を張る。これは紛れもなく本心だ。
でも、それを聞いたエレミアはそうよね、と頷きながらも、恐る恐る、といった感じでこう訊いてきた。
「……お、王都にはもう、帰ってこない、の?」
「いやいや、そんなことはないって! 村の様子見て、やっぱり知識が足りないと思ったら、王都でまた修行積みに戻るかもしれないし」
もしかして俺と同じように、寂しく思ってくれたんだろうか?
そうだったら、ちょっと嬉しい。
「……でも、最後はやっぱり、村に戻るんでしょう」
「そうなるかなぁ。まあ、俺も最終的に結婚とかはしないといけないだろうし。王都にずーっとは、居れないだろうなあ」
「け……け、けけけ結婚?」
エレミアがかつてないほど動揺してる、気がする。なんでだろ?
「うん? まあ俺の父ちゃん、村長やってるから。ゆくゆくも俺は、継がないといけないかな、って」
「あああ相手はもう居るの」
「相手って、結婚の? あはは、そんな訳ないじゃん! 俺5年も村離れてるんだぜ!?」
「……そ、そっか」
「あーでも、そっか、村のやつらはもうぼちぼち結婚してる時期だよなぁ。相手……どうしよう、今からでも父ちゃんに頼んどくべきか」
「駄目」
「えっ」
かつてないほど強い語気で、エレミアが言った。
思わず驚くと、エレミア自身の方がもっと驚いたような顔をしていた。
そして慌てたように、言葉を紡いだ。
「……あ、う、えっと。そんなに急ぐことじゃない、でしょう。それに、きっと無理矢理見つけようとしなくても、素敵な人がすぐ、見つかるよ」
「えー? そうかなぁ」
「絶対、そう」
「なんでそう言い切れるのさ!」
本気で不思議に思って、そう訊ねると。
エレミアはあ、とか、う、とか呻き、視線をあちらこちらに彷徨わせて。
それから、意を決したようにこう言った。
「だって……だって。ジャンが、あなた自身が。素敵な人、だから」
彼女の色の薄い瞳、その視線がまっすぐに俺を貫く。
頬は僅かに色づき、小さな唇は、やんわりと綻んで。
「……へへっ、照れるじゃんか! ありがとな」
口下手な彼女らしく、端的で、かつ色々と、突っ込みどころの多い答えだったけれど。
頬をぽりぽりと掻きながら、俺はそんな風に返した。
俺はエレミアの笑う顔が好きだ。
彼女の透き通った瞳が、何の恐れもなくまっすぐ前を向いているのを見るのも好きだ。
それはそうだ。
だって初めて会ったとき、彼女は常に下を向いていた。
表情は暗く、いつもどこか申し訳なさそうにしていた。あんなに、誰よりも美しい魔法を使う人が、だ。
俺はそれが嫌だった。
いつも、もう少し自信を持っても良いのに、と思っていた。
日課のお祈りの時間に、彼女のことをついでに祈ったりもした。
そして出会って5年、エレミアはこんなに素敵な笑顔を浮かべるようになった。
良かったなぁ、と思う。
でもあんまり素敵すぎるのでやめてほしいとも思う。
最近、彼女の笑顔を見る度、胸の奥底が疼いて居心地が悪くなるので。