表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶望世界  作者: 春夏秋冬
第1章 『避難都市脱出』
8/14

第7話 『脱出の手立て』

 教師達が隠したかった気持ちも、なんとなく分かる気がする。


 この学園の唯一の安全圏を失えば、生徒達は冷静でいられるわけがない。パニックを起こせば正確な判断どころか、死をも受け入れてしまうことだってありえる。


「ごめんなさい。黙っているつもりはなかったは言い訳になるわ…。私達だけの問題じゃないし、私達だけでどうにかなるような状況じゃないのも理解していた。でも、どんなことが起きるか怖かった…皆の顔が絶望に染まると思うと躊躇ってしまった…本当にごめんなさい」


 沙月さつきは申し訳なさそうに深々と頭を下げ、責任感や恐怖などの感情が混じり合う、震えた言葉を口にして謝罪する。


 納得してもらおうとは思わない。どんなに非難されても許しを乞いてはいけない。生徒達を、その気がなくても騙そうとした事には変わりなく、命の危険に晒そうとしていたのだ。


 結局、言うことを躊躇ったのは、自分に責任を押し付けられたくないと無意識に働いた心の表れなのかもしれない。


「沙月先生だけの責任じゃありません。わたくしを含めた先生方にも言うタイミングはいくらでもありました。同罪です…許されないことをしたのはわたくし達も同じですから沙月先生だけが責任を感じる必要はありません。…皆さん、本当に申し訳ありません」


 それに続いて謝辞を述べた詩織(しおり)が頭を下げると、先生方も一斉に声を揃えて万謝する。


 誰一人として責任を押し付ける選択肢はなく、行動力を与えてくれた沙月に敬意を抱いている。自分にも大切な家族の安否が心配にも拘わらず、生徒達の救出を優先した彼女の心を折ってはならない。


 しかし、行動を起こした詩織と先生方は、同時に生徒達の顔色が窺えないことに恐縮する。現状を示す情報が視覚と聴覚なら、視覚を失うだけで大部分の情報も得られなくなる。それが不安や恐怖を積もらせ、逃避反応を引き起こす。


 それでも、彼女達が勇気を持てたのも前に立つ沙月が逃げなかったからだ。


 長い沈黙が続く。決断は一つとは限らず、複数の可能性だってゼロとは言えない。どんな答えが返ってきても受け止める覚悟でひたすら待つ。


「…枝邑(えだむら)先生、卯鶴(うずる)生徒会長、他の先生方も顔を上げてください」


 雲雀(ひばり)から離れた男性の声に沙月達の心臓は縮み上がり、肩がびくつく。反射的に体が動いたとはいえ、失礼な態度をとったことに後悔しながら恐る恐る顔を上げる。


 どんな顔を、されているのか。

 自分はどんな顔でそれと対面すればいいのか。


 色々と考えている内に、生徒達の顔が視界に広がる。


 深刻そうだ。けれど、どこか吹っ切れたような顔が一面に並ぶ。沙月の横にいる ゆい達にも視線を向ければ、同じような表情が返ってくる。


「え、っと…」


 困惑の色が滲み、それからの言葉がなかなか出てこなかった。生徒達の表情の意味を考え込めば、言葉を見つけるどころではない。



「確かに安全な場所がないと告げられた時は驚きました。俺達は窮地に立たされている…その現実を受け入れるの簡単じゃありません。その不安の中で、俺達は何に縋ればいいのかも分からない。だけど、そんな俺達の窮地に先生方は、命を張ってまで助けに来てくれた。見捨てる考えだってあったはず…この人数を助けるのは生半可な覚悟じゃ無理だからだ。それでも、来てくれた。誰も責めるものか…俺達を見捨てなかった先生方に何を非難するって言うんだ。ここに希望があるっていうのに」



 その言葉が覚悟していた沙月をや優しく包み込むように、緊張していた体が弛緩する。直後には涙が滲み出て、想像した状況にならなかった安心感から膝が崩れ落ちる。


「そうだよ、沙月先生。私達はまだ希望は残ってるもん」


「あぁ、やってやりますよ。枝邑先生達と俺達だけでここから脱出する手立てを考えましょう」


「そうと決まれば準備を急ぐよ。出来る限り夕方までには、この学園から脱出しないと夜が危険よね?」


 皆、協力的に行動を起こして職員室内が少し騒がしくなる。男子は武器になるような物を集め、それを使いやすいように簡単な接着または補強して製作する。防具に関しては雑誌や教科書を代用して、足や腕に装着していた。


 一方の女子は食料となる物を片っ端から鞄やらリュックに入れていた。だが、その八割を占めているのは携帯食料なので空腹を満たすには少し物足りないと思うのは我慢すべきだ。


 生徒達は生きるために動く。未来のこと、これからの自分がどうなるのか不安でも、目の前の状況から目を向け、一致団結に取り組む姿勢に。


「ありがとう…皆ぁ」


 滲んだ涙を拭き取りながら感謝する沙月に皆は笑顔で返す。他の先生方も嬉しさを分かち合い、詩織は安堵の胸を撫で下ろす。


 それと同様の気持ちが ゆい達にも流れ込む。沙月達に向けられる生徒達の視線が身勝手な責任の押し付けられるのではと思っていたからだ。


 しかし、そうはならなかった。


 生徒達の心をまとめ上げる一人の生徒。不良っぽく、雲雀に対して威圧的な態度で接する人。感じが悪いと思っていたが、恐らく彼がいたからこそ、ここは無事でいられているのかもしれない。


 彼の指示で生徒達が動いている。それはずっと観察していたら分かったこと。ここで籠城する選択肢を取り、両側の窓を段ボールや机で塞ぐことも彼の言葉が他の生徒達を突き動かしたのだろう。


 そんな彼でも沙月達を必要としたのだ。根本的にあるのは積み重ねてきた信頼関係。沙月や詩織にはそれがある。今日会ったばかりの男性の存在力と比べれば、より大きなものだろう。


 ゆい達にも沙月が必要だった。頼りになる以前に敬愛する恩人であり家族であって数少ない信頼を寄せている人物。衝撃的な事実には確かに驚いたものの、それだけで関係が壊れたりはしない。


「さっちゃん、立てる?」


 三人は倒れ込んだ沙月に近寄り、心配そうに見つめる ゆい 、舞花(まいか)と手を差し伸べる南奈(なな)


「ありがとう。南奈、舞花、ゆい」


 南奈の助力で立ち上がる沙月はお礼の後、視線を一人佇む雲雀に向ける。色々と彼には聞かなければならないことがたくさんあるが、ひとまず今回の件について触れてから人物像を探ることにする。


「貴方にもお礼をしないといけませんね。ありがとう…」


「いえ、お礼を言われるようなことはしていないです。貴方なりの言うタイミングを奪ったのですから混乱したと思いますし、覚悟も不十分だったかもしれません。申し訳ありませんでした」


 雲雀は一度、頭を下げる。


「ですが、俺が出る幕ではなかったと思います。貴方が職員室に入った瞬間の生徒達の反応を一目見れば分かりました。信頼されているからこそ、生徒達にも希望が残されていた…これが欠けていたらもっと悪い事態になっていたかもしれません。でも、そうならなかった。貴方が積み重ねてきたものが人の心を動かしたのです」


 これまで沙月が生徒からの悩みの相談を受けて、それに答えてきたことで生徒からの信頼を積み重ねてきていた。


 ゆい達にとって他人と関わり続ける彼女の姿に、何度か不安を感じていた。自分達に構ってくれないことに嫉妬するくらいに。


 私情で相談に乗ることが理解出来ず、ずっと仕事だから仕方がないと言い聞かせていた。


 しかし、今日。その彼女の存在が深刻な状況下でも希望として照らされ、皆の気持ちが一つとなった。


 これが枝邑沙月えだむらさつきなのだ。その人柄が ゆい達を救い、再び前を向いて歩く勇気をくれた。


「なんだか、そこまで言われると気恥ずかしいわ。…でも、私は言うことを躊躇っていたのかもしれない。言わなくちゃ言わなくちゃって思って…いつ、どのタイミングで言えば良いのか…正直、分からなくなっていた。だから…このまま、嘘を付き続けて誤魔化せるじゃないかって思っている自分もいた」


 沙月からしては希望に満ちた顔を前にすれば、言い出せるものも言い出しづらくなる。


「そんな時に貴方の言葉が私の心を動かしてくれた。貴方が言ってくれたおかげで…過ちに気付いて言えることができた。でも…言った後、本当に怖かった。非難されるんじゃないかって、震えていたわ。今回はたまたま良い方へ状況が運べたかもしれない。それでも…理由はどうあれ、私は皆の命を脅かしたのは事実よ。そして、何より貴方を利用する形で切り出してしまったこと。卑怯ものだわ…私」


 徐々に暗い顔付きをする沙月。雲雀の言葉に嬉しさがある反面、拭い切れない自分が犯した事実が心を澱ませる。


 愕然と、痛切なまでの罪悪感に責められ、徐々に俯く沙月に ゆい達はそっと寄り添って服の裾を掴む。


「…さっちゃん」


 今はその呼び掛けが酷く辛かった。彼女達の優しさに甘えてはならない。皆と同じ立場である三人にそう思われる資格がない。だからか、顔は上がらずに俯いたままだった。


「形はどうあれ、貴方は自分の意思で事実を告げたことには変わりありません。俺はあくまでも推測を述べただけですから…あまり、悲観的になりすぎて自分を責めるのはやめた方がいいです。彼女達が心配しています」


 雲雀に言われて、そこで初めて三人と視線を合わせる。すると、心配そうに見つめる ゆい達を前に沙月は昔を思い出す。自分が付いていないと彼女達はずっと泣いていた。不安から、恐怖から、もしかしたら沙月自身にも。


 そんな彼女達にずっと寄り添い続けた自分の立場が逆転したようであった。


 もう支えているのは自分だけでなく、ゆい、舞花、南奈といつの間にか互いが支え合っていたことに気付く。沙月は三人にありがたみを感じながら、


「そうね。私がしっかりしないと…ゆい達だけじゃないもの、皆の命を預かるんだから心配させてちゃ駄目よね。過去にいつまでも囚われているのもいけないわ」


 上着を脱ぎ捨て、シャツを腕捲りして意気を燃やす沙月。生徒が事実を受け入れてくれたことに感謝をしなければならない。


「そうとも限りません。過去は経験の遺産です。そうやって人は強くなっていき、同じ過ちを繰り返さないようにするものです。貴方は変われる…今よりももっと強くなれます」


 過去は経験の遺産。雲雀の言葉の中に込められた意味が沙月の心に心地よく響く。それは昔、亡くなった祖父が口癖のように聞かされていた言葉だったからだ。


 失敗した経験、悲しい経験、苦しい経験も次に活かせば、きっと新しい自分になれる。今よりも強く、もっと強い自分に──と。


 懐かしさが溢れる沙月は雲雀の前で畏まった態度で見つめる。依然として彼の正体は掴めてはないが、一つだけ確かなのは今の状況には彼が必要なんだということ。


「ありがとう。まだ、話したいことは山のようにあるけど今は悠長にしていられないわ。貴方だって目的はあるはず、こうしている場合じゃないのも理解している。…それでも、お願い。わがままだけど…どうか私達に力を貸してほしい」


 改めて沙月は雲雀に協力を懇願する。一方的に話を進めて彼から断るタイミングを奪おうとしているのかもしれない。


 身勝手だと思い、申し訳なさが顔に現れる。


 それでも、彼は必要だった。あの勇敢な姿を前に確かな希望が差し込んだ。結局、彼を利用する形なのは変わらないが、彼の優しさには甘えたい自分がいた。



「私からもお願いします」



 不安から解き放ったのは雲雀ではなく、ゆい の声だった。


「私だって出来ることなら、さっちゃんの負担を少しでも減らしたいの。けど、私が脚を引っ張ることは目に見えている。…だから、神室さんが私達を助けたように今度はさっちゃん達を助けてほしいの」


「………私も ゆい と同じです。南奈はまだしも私達は守られる側です。武器を持ったとしても誰かのためではなく、自分の身を守ることしかできないと思います。不本意ではありますが、貴方の力が必要です」


 続けざまに舞花が頭を下げて、自分達の情けなさを強調する。


 南奈は目を見開いた。ゆい ならまだしも舞花までも懇願するのは流石に驚いたのだ。


 しかし、冷静に考えると彼がいない方が今後が心配だと思えた。大勢の生徒が名乗りを挙げたところで、戦闘はただ運動神経が良いだけでは務まらない。


 生半可な度胸では恐怖に打ち勝てない。対して雲雀は不審者ということだけを除けば、万能性はとてつもなく高い。利用するならまさしく今である。


「…あたしからもお願いする。はっきり言って、寄せ集めだけじゃ根本的な解決にはならない。あんたがいるだけで大きな戦力になる。だが、勘違いはするなよ…あんたは他の人よりも少し能力面が高いだけで信用したわけじゃないからな。仕方ないだけだ」


 雲雀に反抗的だった二人からまさかの行動に目を見開く ゆい。とは言ったもの、本音が漏れている時点ではまだ警戒の対象には変わらないのだろうが。


 四人に頭を下げられた雲雀の反応を窺う。本来の目的が不鮮明である以上、断られる可能性も高く心臓の鼓動は高鳴っていた。そもそも期待や希望を彼が背負い込むにはあまりにも身が重すぎているのかもしれない。


「頭を上げてください」


 沈黙の末、彼は唇を開く。


「…確かに皆さんが言うように、俺には目的があってこの学園にいます。ですが、目的を優先して人命救助を疎かにするのは俺達の教訓が許さないです。小さい力ではありますが、出来る限りのサポートをさせていただけたらと思います」


 その言葉がどれほど沙月に希望を持たせたことか。


 顔を上げると胸に手を当てた雲雀が佇み、改まった姿勢を見せている。嘘を付いているようには見えない穢れのない赤い瞳。それが四人を見つめ、彼女達からの次の言葉を待っている。


「──ッ本当にありがとうございます。感謝してもしきれません。…それで、えーと神室さんと呼んだ方がいいのかな?」


「呼び方はなんでもいいです」


「うん」


 希望が繋がる。それだけで、沙月は嬉しかった。


「…それじゃあ、現段階で私達が考えている脱出の手立てを説明するわ。何か不満や提案があるのなら言っても構わない。とにかく案は複数あった方が緊急時にも動きが取れるからね」


 先生達が考案した作戦がどういうものか、雲雀や ゆい達は沙月に注目する。


 鳴海学園の脱出となると十メートル以上もある囲壁を登る案は論外として、唯一の出入口である四箇所を通ることは必須条件になってくる。


 確かに壁を登る案は移動距離も抑えられ、生徒達には楽な脱出方法と認識されるかもしれない。


 しかし、十メートルの壁を登るには工夫が必要なのだ。移動用バスに関しては最大でも六メートルが限界であり、今ある脚立などを組み合わせても安定性に欠けてしまう。仮に、それを安定させるために試行錯誤しようと思うと、時間とコストがかかる。


 別の手段で校舎からワイヤーやら縄などを張って壁の間を移動する発想もある。これは校舎と壁の距離が近くても五百メートル以上もある中では、木々を中継して張っている暇もない。


 囲壁が高いのも『Z』の侵入を防ぐための対策なのは理解しているつもりでも、内部からの感染となるとその高さが仇となってしまっている。


 なんにせよ、沙月の話を聞かない限りはそれ以外の方法が膨らまない。


「枝邑先生、俺達にも聞かせてもらってもいいっすか?意見は多い方がいいですし」


「じゃあ、私も聞きます。女子目線、主に非戦闘員の意見も参考にしてもらえたらと思います」


 そこに、リーダー的ポジションにいるであろう男性と彼の後ろでひょっこりと顔を出す黒髪ポニーテールの女性が話に加わる。二人が言うように意見の多さや様々な視点での意見は大切な情報源にもなってくる。


 こうして参加してくれることに感謝の意を込めて沙月は二人を受け入れる。


「それで、失礼ではありますけどお名前を教えてもらえないかしら?ごめんなさい…なかなか生徒全員の顔と名前を覚えるのは難しくて」


 高校生だけでも一万人以上もいる中で一学年の名前を覚えるのも一苦労なのだ。ましてや他学年までなると顔や名前が曖昧どころじゃ済まない。


「まぁ、無理もないっすね。俺は三年の郷道匠海(ごうどうたくみ)だ」


「匠海さん、先生なんですから礼儀正しく!わ、私は大学二年で、名前は野洲川柚季(やすかわゆずき)です。よろしくお願いします」


 彼の態度に対して柚季は礼儀正しく頭を下げて終える。外見に似合わないおっとりとした彼女持ちの匠海、大学生と聞いても歳下と思うくらいの若々しい柚季とともに並んで沙月からの説明を待つ。


「ありがとう…郷道さん、野洲川さん。それじゃあ、改めて説明するわね。私達が考えている脱出の手立ては…バス専用駐車場にある最後の一台で校門まで突っ走って脱出することなの。恐らく、この大勢の生徒を一気に脱出できる唯一の方法だと思うわ」


 五十人もいる生徒を運ぶ手段として自動車が最適な方法と判断した沙月達。


 徒歩の道のりを考えても、長すぎる距離ではいくつかの危険に遮られ、一つずつ対処すれば時間を浪費してしまう。


 出来る限り手数を少なく、生徒の負担が少ないような方法となるとかなり絞り込まれる。自動車の発想に行き着いたのも頷ける理由だ。


「あ、あの…確かにバス専用駐車場なら、ここから遠いっていう感覚じゃないですけど直進距離でも三百はあるはずです。いくら校舎を沿って走るとはいえ、この人数が一斉に動いたら『Z』に気付かれてしまうのではないでしょうか?」


「一度に全員が動くよりも三班くらいに分けたほうが良さそうですね。この大勢では俺達の目が行き届かなければ、指示の伝達も悪くなります。メリットは少なからずあるかもしれないが、デメリットを考えると危険すぎる」


 柚季の主張を骨組みとしながら雲雀が思考していた提案には最もな意見がいくつも並ぶ。確かに出来る限り数が少ない方が陣形を組みやすく、迅速な行動が可能となる。


「別に先生方が全てを背負う必要なんてないさ。俺達だって武器があれば戦える。負担を考えている暇があるなら、俺達を使っても問題はないだろ?お互いにフォローすればいい話だ」


「フォローするのは有難いですが、君達は戦闘経験のないただの一般人だということを忘れないでください。本来なら守られる側にいることを理解して無理をせず、危険と判断すれば先生方を頼るんだ」


 匠海を含む男子達の協力があろうと雲雀、先生方はそれに頼ってはならない。自分達に負担がかかるのは大前提で彼は匠海に告げる。


 それに自分の名前を出さなかったのは、まだ信用されていないことを踏まえて言葉を選ぶ。味方である主張をすることは逆に不快な思いをさせるかもしれないからだ。服装からしても怪しいのは周囲が示している。


「赤の他人が本来なら口を出すなって言いたいが、お前は偉く先生方に頼られているから今回は大目に見るが…これだけは言わせろ。俺達は先生方が不在でも生き延びることが出来たんだ。俺達には生き残れる知識がある」


 詰め寄ってくる匠海を前に雲雀は怖気つく様子は見られない。それでも側から見れば、匠海の一九〇センチとそれよりも低い雲雀との体格差では、どうしても弱く見えてしまう。


「匠海さん、そんな喧嘩腰にならないでください。威圧的な態度もダメっていつも言っているでしょ?」


「いや、だって野洲川先輩、こいつは仮にも不審者ですよ?ぺこぺこ頭を下げて隙を見せたら、何をしでかすか分からない存在なんです。威圧して当然」


 柚季が仲裁役に買って出て、威圧的な態度を見せる匠海に注意する。不審者に無防備な背中を見せる彼女に匠海は肩を掴んで移動させ、雲雀との距離を離しながら睨み付ける。


「それでも協力してくれることには感謝はしないといけません」


「俺は気にしていませんので大丈夫です。しかし、これだけは言わせてください。先程、貴方は俺達は生き延びることが出来た。俺達には生きる知識があると仰っていましたが、『Z』に対して自信を付けるのが最も危険です。それは、けして…抱いてはいけない傲慢な心…。それが自らの選択肢を奪いかねない。だから…その自信は彼女を守ることだけに使ってあげてください。彼女を大切に思うなら」


「野洲川先輩は俺が守る。絶対にだ。そんなことお前に言われなくても分かってるわ」


 赤の他人にかける言葉とは思えない気遣い。確かにゆい達からしても絶望的な状況下で生き残れたことに自分を誇ってはいけない。それは『Z』の警戒を解いたことにもなるから。


 自信から劣等感に変わった時、自分に降り掛かる感情を制御できるのか。それが過ちだと気付いた時には、大切なものを全て失った後なのだろう。


 ゆい達は知っている。


 誰もがその絶望から抜け出せずに、悪へ堕ちてしまったことを。


 雲雀はそれも理解していた。


「………そ、れに…た、確かにお前の言うように俺達は戦闘経験のない一般人だ。…状況が急変すれば役には立たない。だが、お前は枝邑先生や卯鶴生徒会長のお墨付きの強さなら、理由はどうあれ協力の意志があるってなら正直ありがたい。べ、別に信用したとは違うぞ?今がこういう事態だからこその一時的な協定関係、ここから脱出すればお前は赤の他人だ」


 匠海の横で上出来と頷く柚季。ちらちらと彼女の様子を窺いながら、苦しそうに重たい唇を開き続ける。それでも、小さな抗いで全てを受け入れると自分の威厳を保てないと思い、あくまでも不審者として自分よりも格下という位置付けで後半からはキツめに言い切る。


 何回か柚季を見る彼の姿に本当に悪い人ではないと分かる。ただ、プライドは高いが。


「それで、さっちゃん。ここを脱出したらどこに向かうのですか?」


 他人の会話に聞き入れること自体に時間の無駄にしたと思い、挙手をして脱出後の方針について舞花は沙月に尋ねる。


 現状を第一に考えなければならないが、今後についても確かな情報を把握しておきたいのだろう。


 外の状況も分からない中で、脱出後の安全が保障されたわけではない。勿論、過去の出来事で対策を練られている可能性もある。しかし、現状ではヘリの音も、都市全体に流れる警報やアナウンスもない。身近であるはずの警察のサイレンさえも聞こえない。


 悪い予感が舞花の体を震わせる。


「とりあえず、近くの避難所に向かうつもりだわ。ここが壊滅的な被害になっていることを把握出来ているかは分からないけど、私達のような素人よりもプロの方が何かと安全とは言える状態にはなるわ」


 避難所は自衛隊が所有している施設で大体は駐屯地に所在しているため、自衛隊による保護が約束せれる。設備の充実さに加えての銃による制圧力、輸送ヘリなどでより安全地帯へ人を運ぶことだって出来る。


 そして、何より駐屯地に行けば少なからず、この避難都市内がどのような状態かの情報が聞ける目的も含む。


 問題は。


「でも、さっちゃん。近くと言っても十キロの道のりに国道、県道、バイパス道路しかない大通りを進むってなると時間がかかると思うんだけど。壁に遮られて町の様子は分からないが、もし…この騒ぎが町にまで広がっていたら交通網は普通なら麻痺しているだろうし。そうなれば身動きがとれないじゃ」


 南奈の懸念はまさに深刻な問題として沙月達を悩ませていた。


 避難都市を壁で囲っている分、より多くの避難民を収納するためにマンションなどを高く建築する方法でなんとか押し込み状態で保てている。それが一気に車での大移動となると当然大通りなど車が通行できる道は異常な渋滞が発生する。


 もっと怖いのはその渋滞が緩和されない恐れがあることだ。現状、自衛隊や警察が出動の有無が分からない中でそのまま渋滞が続けば、人々は必然的に徒歩で向かうことを選ぶ。車は放置され、進行するバスに立ちはだかって大きな影響を及ぶ。


 最悪の場合、徒歩の移動も考えられる。時間帯だけあって夜になると、徘徊する『Z』の発見がしにくいため行動を控えなければならない。一時的な安全な場所で一泊することも視野に入れる必要もある。



「…ちょっといいか?」



 匠海が手を挙げる。


「今さらの提案なんだが、そもそも学園の外に出ることだけが唯一の脱出法じゃないだろ。この学園の全校舎には屋上があるんだ、出ることが難しいなら屋上で助けが来るのを待った方がいいんじゃないか?断然、こっちの方がリスクを考えると安全だと思うが」


 唐突に第二の脱出法が提言される。すると、周囲からは賛成派の意見がいくつも飛び交う。校舎の移動となるが階段を上るだけという事で、多少の危険性があるも駐車場までの道のりを考えるとまだ安全性が高いと至ったのだろう。


 こうなれば後は簡単だった。

 それまで固まっていた駐車場に向かい脱出する案は生徒達の中から徐々に消えていく。焦れば焦るほど思考が単調になってくる。より楽な方へに思考が傾くのも精神面を考えれば、当然と言えるものなのかもしれない。


「でも、何百万人もいる壁の中じゃ救出まで時間はかなりいるし…。それに、食料だってここにある物じゃ足りないわ!どうなるか分からない中で留まるのは危険すぎる!」


 沙月は広がる屋上案に危機感を覚えながら、説得を試みる。


「確かに食料問題はどうしようもない。だけど、これ以上ここに立て篭もるのも、左右が窓じゃ…いつまで待つかも分からない。屋上なら見渡しもいい、侵入経路も限られている。それに、屋上なら上空に救難を送れる。発見もしやすいし、救出だってしやすい。大移動するよりか、こっちの方がより長い安全が確保される」


 匠海は知らない。ここにいる殆どの者が知らないこと。


「…でも、それじゃあ」


 雲雀や ゆい達、沙月と詩織、教師達にはその案に喜ばしい感情が抱けない。


 なぜなら、あの存在が壮絶な拒否反応を示していたからだ。


 もし、あの存在が逃げ場所のない屋上に現れれば、果たして生徒達を守ることができるだろうか。


『Z』を投げるほどのパワーを持ち、まだ不明な能力も合せれば、果たして勝てるのだろうか。


 雲雀がいたところで状況は好転するだろうか。


「それはいけません。屋上に行けば逃げ道がありません…もし『Z』が扉を破壊すれば皆の命が危うくなります!」


「扉は三ヶ所しかないんですよ、会長。それならそこだけを頑丈に塞けば解決になるのでは?」


 仮に扉を塞いだところであの存在に対して効果があるのか分からない。余程、頭が回るものなら扉からではなく、校舎をよじ登って侵入してくる可能性も否定できない。


 それが救助隊と被るタイミングで襲ってくれば、最悪なものだ。とにかく、あの存在がいる以上は学園に留まることはできない。


 問題はどう生徒達に説得をするかだ。あの存在を見たのは ゆい達や雲雀、沙月に詩織、他の先生方、話に参加していない絹代(きぬよ)達と少人数。数としては心もとないが、沙月と詩織の二人がいることは大きい。


 本来ならあの存在に一番詳しい雲雀に説得をしてもらいたいも、不審者の身には説得力はゼロだろう。


 時間を有する。日没までに生徒達を説得しなければ今日の決行は難しい。これは沙月や詩織、先生方の説得が試される。


「南奈、舞花、ゆい、貴方達は少し休みなさい。騒動から何も口にしていないでしょ?水分補給するだけでも違うと思うから」


 ここまで来るのに走りっぱなしだった ゆい達には、少しでも休んでもらいたい。


 ここから、激しい言い争いになるだろう。結末を知りたくて緊張しながら聞き入れては休憩にもならない。沙月の思いを汲み取って、南奈は行動する。


「分かった…さっちゃんもあんま無理はしないでな。舞花、たぶん資料室にミネラルウォータがあると思うから取ってきてくれるか?」


 床に大量に置かれた空の段ボールをすでに確認済みである南奈は舞花にお願いする。彼女自身が動きたいが雲雀から目を離せないことを舞花は了承した上で何も文句は言わない。


「えぇ、分かったわ。とりあえず、三、四本くらい持ってくるね」


 万を超える生徒の教える為に集められた五十人以上の教師を入れる職員室。それと隣接している資料室には備品の他に非常食といったものが置いてあり、資料室としてはかなり広々している。


 その広さとあって非常食が置いてある場所は誰も把握できていない。


 しかし、悩んでも仕方がない。入ってからそれらしい棚を探すしかないと、舞花は電気も点かない資料室に入る。


 新築された職員室とは一変して、少しカビの匂いを漂わせる空間のような気がした。息の詰まりそうな苦しい呼吸に耐えながら自分よりも高い棚に付けられた札を見る。


 入口の光でうっすらと明るいも、札を見るには少々難儀なものだった。奥に行けば行くほど光は届かなくなり、異常な広さを実感する。だだっ広いとは聞いていたが、ここまでになると戻って手伝いを求めた方が効率的。


 なのだが。


「駄目よ。二人ともあんなに頑張っていたんだから、私も何か役には立たないと。緊急時に使うから手前の方と思いましたが、ないとなると奥?」


 今、自分がどの辺りにいるのかも曖昧気味な舞花でも着々と奥へ踏み入れているのは分かる。棚に置かれる段ボール類を中心に確認するが何列にも並んでいると往復の時間が勿体ない。


 どこかに絞ろうにもどこに絞ればいいか分からない現状では、この方法で突き通すしかないようだ。


「この校舎自体が増築していますから、ここまで手入れが行き届いてないのかな。…平成元年からの学園の歴史資料があちこちにあったり、学年ごとの備品だってバラバラに配置されて……あれ?」


 ここで舞花の歩みが止まり、薄暗い空間を見渡していくと「やっぱり」と呟いて入口の方に目をやる。


 校舎自体が増築工事されたのは今から九年前。七年の月日ならここまで大量の埃は被るだろうが、それにしては教師の行き来がない。足元に散乱した段ボールや教科書のような分厚い物が進行を妨害する。流石にこの状態を放置するようなことはしないだろう。


 入った時にそう気付くべきだった。


 ということは、ここは増築される前の旧資料室である答えに導かれる。


「引き返しましょう」


 間違って入ってしまったことに溜め息を漏らす舞花は気を取り直して、出口を目指そうとその時だ。


 ガタ、と。舞花の前方で何かが棚に当たったような音がした。『Z』のはずはないが、彼女の動悸に大きな変化が起きる。気持ちの悪い汗が何かの危険を知らせ、次第に音から離れようと後退る。



 ───しかし、背後からも忍び込まれていることを彼女は予測できなかった。



「んん!!??」


 突然、口を塞がれたと思いきや抱き着かれ、厭らしい手つきで胸やお腹辺りを揉まれる。変な声が漏れるも咄嗟の判断で相手の脛に一発蹴りを食らわせる。


 相手の苦痛の声を聞いてそれが男性であると分かり、声の調子から雲雀のものではないと確信した。


 舞花は前ではなく横へ逃げて、もう一人の存在を警戒する。薄暗いことで目で捉えるには困難だが、それは相手も同じ条件。息を殺して相手の動きを音で感じ取りながら出口へ近付く。


 すると携帯のライト機能なのか、明かりが二つ灯る。互いに場所の把握でもしたいのだろう。


 そのおかげで彼女も相手の場所を把握できたのは幸運なことだった。


(良かった…あまり頭の回る人じゃなさそう。とりあえず、こちらに明かりが向けられていない時がチャンスですね)


 今がそのチャンスだと、舞花は棚の隙間から覗き込みながら確認して出口により近付く。その明かりが一番近いところで男性の会話が聞こえる。小声で内容までは分からないが、なぜか興奮気味な印象があった。


(もう、走ってもいけますよね?)


 薄暗かった部屋も出口に近付くと仄かな明かりが安心さを覚える。ここまで来れれば後は走った方が良さそうだと判断した舞花は足音を立てる覚悟で駆ける。


 それは甘かった。




「舞花ちゃんって実は結構、馬鹿だったりする?」




「っ!?」


 出口の手前から男性が二人姿を現す。初めから誘導するための罠だったと気付いたときには既に遅い。


 口をハンカチで塞がれ、抵抗も虚しく押し倒される。さらに携帯を手に持った二人と最初に襲ってきた人も加わり、舞花の抵抗はもはや無意味に近かった。


 もう少しで出れそうだった出口は徐々に遠ざかり、薄暗い奥へと運ばれていく。叫ぼうにもハンカチがその声を打ち消し、舞花の目には涙が滲み出す。


 一体何をされるのか、そんな恐怖に埋め尽くされる。不安が、後悔が彼女に容赦ない攻撃として傷付けていった。


 男性達が止まったのは光も届かない暗黒の世界。そこに唯一、携帯のライトで照らされ、視界が確保されるも男性達の顔色が見えると悪寒が走る。


 息は荒く、舞花を見る目は明らかに厭らしさを交え、舐め回すかのように頭から足にまで見てくる。両手両足と拘束され、身動きが取れない舞花はいい晒し者だ。


「そんな怖い顔で睨まないでよ、舞花ちゃん。まぁ、そんな顔も可愛いけどね。でも俺もっと可愛い顔を知っているだ…それはね、快楽に屈した時なんだよ…えへへ」


 不気味に笑みを浮かべる男性の言葉に鳥肌が立ち、男性達の拘束から逃れようともがくが当然ながら力の差がそれを許さない。


「おいおい、そんな事言うから暴れるじゃねぇか」


「別にいいだろ。結局、脱がしたら暴れるんだから。言っても言わなくても変わらないし」


「まぁ、おかげでパンツが拝めたわけだ」


「まあまあ、そんなことより早くヤッちゃうぞー。気付かれる前に堕とないと」


 他の四人にも罪悪感などなかった。全員の心は目の前にいる女を犯すこと。



「んんんんんんんん!!!」



 スカートの中に手を入れられた舞花はハンカチ越しで叫ぶ。必死に抵抗しようにも男性達はお構いなしに太腿を撫で回し、制服の眺めに飽きた様子でそのまま服を剥がし下着を露にさせる。


 恥辱を受けた舞花は涙を流しながら首を何度も横に振る。しかし、男性達の手はさらなる絶景を求めて伸びていく。いやらしく撫でて揉んだりと体中の感覚を刺激され、嫌と分かっていても喘ぎ声が漏れそうになる。


(いや……いやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!誰か、誰か助けて!南奈、ゆい、さっちゃん!!)


 今すぐ誰かが来るはずがない。心配した南奈が来るまでの時間があれば、自分は自分じゃなくなるくらい滅茶苦茶にされているだろう。何も出来ないことが悔しくてしょうがなく、自分の不甲斐なさを呪う。


 次第に抵抗する力が失われていった。その諦めた意志が男性達に伝わると一人の男性が耳元まで顔を近付けて囁く。


「嫌がるのは最初だけだからね、舞花ちゃん」


「嫌っ!!」


 口元を押さえる力が緩んだ瞬間を見過ごさず、舞花はその男性に頭突きを食らわせる。不意打ちは効果抜群で男性は痛みに悶絶し、ぶつけられた箇所から血が出ており、そこが鼻だったことを知るのは数秒後だった。


 周囲の男性達もこの反撃には弄っていた手を止め、仲間の男性を心配する声が聞こえる。


「ちっ!このクソアマがっ!!」


 鼻血を止める間もなく怒りを露わにした男性はあろうことか、舞花の頬に平手打ちをする。執拗以上に何度も叩いて舞花の抵抗心を削いで、力の差を見せつける。


 手足を拘束されている彼女はそれに成す術がなく、小さな抵抗として首を動かして角度を変えることでダメージの蓄積を抑えていた。しかし、それでも皮膚から直接伝わる痛みに耐えられるわけではない。


 更に恐怖は続く。くぐもった声を漏らす舞花の乱れた髪を戻して顔を晒したと思いきや、再び叩き始める。


 顔を確認するあたり余程の性癖の持ち主なのだろう。相手を叩いて屈服させ、恐怖に染まる表情を楽しんでいるのだ。


 この恐怖に舞花は昔を思い出す。過去にも今と似たような経験がある。言うことを聞かない。すぐに泣き喚く。不愉快などと。子供だから仕方がない所もあれば、理不尽な理由で罵倒や暴行を振るわれていたことが蘇ってくる。馬乗り状態で執拗以上に叩いて、怒りなどの感情を露わにして怒鳴る。


 子供にはこれ以上ない恐怖だった。


 絶望的な状況下の中で冷静を保っていても、少しのストレスで機嫌が悪くなって手を出してしまう。子供にはそんな大人の心境を悟れるほど賢くない。


 親なしの子供もあって、それを教えてくれる存在や守ってくれる存在もいないというのも、感情をぶつけるには良い的だったのだろう。だから必死に耐え凌ぎ、大人の圧力に怯えながら自分で学習していくしか生き延びる術がなかった。


 長い時間が経過し、それは克服したと思い込んでいたが、こうして同じ状況になると思い知らされる。自分は何も克服出来ていないのだと。


「や、やめ……」


 どうして叩かれなければいけないのか。そもそも、どうしてこんな寄ってたかって辱めを受けなければいけないのか。


 どうして、どうしてどうして。


 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。


(…あぁ……もう、どうでも……いい…ので、す)


 目を閉じて、現実から逃げようする。それでも神経の感覚が現状を示し、体に触れる指先が股座に向かって這っていくのが伝わり、変な声が時折漏れる。


 自分がこの後、どのような結末が待ち受けているのか。もう抵抗することも諦めた舞花にとっては最早、身を委ねる以外の選択肢はなかった。


 抵抗の意志が消えた彼女を前に、男性達は盛り上がって服を脱ぎ始める者や舞花の下着に手を伸ばす者、自身の性器を晒そうとズボンのチャックを下ろそ─────。









「覚悟はできているんだろうなァ…」








「「「「「────ッ!」」」」」


 一瞬の出来事だった。声が聞こえたと思いきや、舞花の両腕を押さえ付けていた男性が、引き剥がされて体が宙を舞う。何メートルも離れた場所まで投げられた男性は、棚にぶつかりながら床に叩き付かれて悲鳴を上げる。狭い間隔で並ぶ棚に置いてある物が衝撃で男性に落ちていく。


 それと同時に、投げられた拍子で持っていた携帯のライトが手から離れ、投げた存在を照らす。


 聞いたことのある声に閉ざした目を開き、その光景を目の当たりにした舞花は照らされた存在を目の前に感涙に咽ぶ。


 暗黒を好んだ黒服。

 獣じみた赤い瞳。

 信用できないと嫌悪して距離を置き、ここに来ることを伝えていないはずの彼が立っていたことに不覚にも嬉しさが感情を支配する。


 彼女の中で感謝の言葉が何度も何度も絶えずに言い続けられ、自由になった口からその存在の名前を口にする。



「神室、さ…ん」



「よくもやりあがったな!」


 投げられた男性を目で追った男性達は同志の仇を討つために、隠し持っていた折り畳み式ナイフで雲雀の腰辺り、顔を狙う。明確な殺意を持った二人からの同時二ヶ所の攻撃は、並の人でも避けるのは至難。


 それに対して雲雀が取った行動は顔を狙う腕を掴み、そのまま棚に打ち付けてナイフを握る手を無力化。更に腰辺りを狙う男性には顔面目掛けて横蹴りをして、二ヶ所同時による攻撃を攻略する。


 圧倒的な力の差。当然だろう。彼は『Z』相手に接近戦で挑むくらい能戦闘力が高い。全身が人間以上の力を振るうことの出来る『Z』とナイフで刺そうとする人間とではレベルが違う。


「う、動くんじゃねぇ!舞花ちゃんを傷付けてたくなかったら離れろ!」


 雲雀から一番遠い男性は勝てないと判断し、舞花を羽交い締めにしてナイフを突き出しては人質に取る。卑劣な手段をとってまで助かりたいのだろうが、そんな行為は彼にとって救出の手立てを探る時間を与えているようなものだ。


「───ッ!」


 すると、雲雀は息を呑んだ。ライト機能がオンのまま床に転がる携帯が二人を照らしていた。そこで初めて彼は舞花の状態を正確に判断することが出来た。はだけた制服から覗く下着。顔には叩かれた時にできた痣。


 そして何より頬には暗がりで距離感覚か掴めないことで、刃が触れた浅い切り傷。


「よくも…」


 ギリギリと、歯軋りを立てながら。




「よくも…舞花を傷付けたなァ!!!」




 初めて見せる雲雀の怒りの形相に舞花を含む三人は肩をびくつかせる。舞花を盾に脅して有利な状態にいるはずの男性は、その威圧さにナイフを持つ手が震える。

 本能的に彼の避けるかのように尻を着きながら後退っていく。それでも舞花を離さないのは彼の行動を抑制し、自分の優位を示すためなのだろう。


 それに。


「よ、余所見してんじゃねぇぞ!」


 まだ、動ける同志がいることも彼が完全に怖気付かず、優位を保とうとした理由でもある。


 もう一人の男性は掴まれた右腕の解放を諦め、なんとか反撃をするために左手で殴りかかる。当然、反撃は考慮していた雲雀は拳を握って先手を取った男性よりも先に重い一撃を頭に食らわせる。


 殴り飛ばされて一発ノックダウンした男性は倒れ込む。雲雀が放った一撃は勢いのまま棚に接触するが、その威力は棚全体を揺らすだけでなく、金属製の支柱一本を容易く折り曲げてしまう。


 壮大な音に舞花を人質に取る男性が怯んだ瞬間を見逃さず、ナイフでその上にある柔らかそうな素材が詰められた袋を落とす。舞花を傷付けないように隣に置いていた硬いポットを避けて、比較的ダメージの少ない方を選んだ。


 上からの奇襲に一瞬雲雀から視線を反らした隙を狙い、距離を詰めて両手を掴む。そして、ナイフを持つ手を雲雀側に引き、拘束する腕を引き剥がし、舞花と引き離す。


 高校男子の体重を軽々と持ち上げると、投げ飛ばして更に引き離し、戦闘態勢に入る。投げ飛ばされた男性も抗いを見せ、棚を利用して床との接触は免れると無事に着地を成功させる。


「あっ、ぶねぇ!!このや……………は?」


 視線は常に彼へと集中しなければならない。黒い服を着ていることで闇に溶け込みやすく、動く輪郭を追うのは難しいものだ。


 だから、その接近には思考を停止させた。


 あまにも突然の奇襲に体は反応が出来ない。そもそも思考が停止していることで、予備動作すらもままらない。映画や漫画のように、こちらの態勢が整うまで待ってくれるという考えを持っている時点で、甘かったというわけだ。


 雲雀は男性の頭を持つと棚に一回打ち付ける。不意打ちとあって体の力が抜けた瞬間に衝撃が加わると、そのまま意識が吹っ飛んでいき、その場に倒れ込む。


 短時間で起きた圧倒的な制圧力に舞花は呆然とする。雲雀は全員の無力化を確認すると、舞花の上に乗っていた綿入りの袋をどかして優しく抱き起こす。


「大丈夫か?血は?とりあえず、傷口にハンカチを当てているんだ。それと、俺の上着を着たほうがいい。くそ、冷やせる物があるならいいのだが、俺が持っているのを顔に使うわけにもいかないし…どうすれば…」


 自分の持っていたハンカチを頬を当て、着ていた上着を全体に被せ、とにかく下着姿の彼女を隠す。反対側の頬の痣はハンカチを当てるだけで治るわけはなく、その痛みを緩和させる処置が出来ない。


 雲雀は周囲を確認しながら使える物を探し、舞花の様子も逐一確認する。ちらちらと見られていたことには若干の恥ずかしさはあったが、彼の優しさに何も言えずに舞花は借りる上着で体を深く包む。


 ずっと疑問が舞花を支配する。ここに来る理由の見当がつかなければ、助ける理由もないはずの彼が何故、と。


「ど、うして…私を……。助ける理由なんてないのに…?」


 舞花は呟いた。まだ恐怖に苛まれ、口元の痣が動かすたびに激痛を走らせ、ゆっくりとした口調で話すのが限界だった。


「君が助けを求めている顔をしていたからだ。理由なんて関係ない、俺が舞花を助けたいっていう気持ちだけじゃダメなのか?」


 雲雀は当たり前かのように、そう告げたことで舞花の頭は真っ白になる。


「俺ももっと警戒していれば良かった。怪しい行動をしている奴を何人か目撃したんだが、直接被害は受けないだろうと思ってしまった…俺の不注意だ。間に合うことが出来ず、その一瞬の猶予が舞花を一生消えない傷を負わせてしまった。本当にすまない…」


 彼が責任を感じる必要がどこにもない。他人事で終わらせば、そんな感情を抱かずに済む。なのに、どうして彼は自分の友が傷付いたかのような反応をするのか。


 分からない。彼を理解できない。


「あ、貴方が悪い理由はないと思いますけど…。それに貴方が来なくても南奈が助けに来たのですから、正直に言いますと、貴方もこの人達と同じとしか思っていません。身の危険は今も継続中です。ですが、助けられた事実はあるので流石に謝りますけど、それだけですから!」


 だから、彼女はこの態度しかできない。訳も分からない感情に混乱しながら強気の自分を見せる。どんなに早口でも言葉を紡がないと、何かの拍子で感情が制御できないかもしれないから。


「………」


 見つめられる視線に直視できず、体ごと背ける。


「なんですか!どうして、そんな目で私を見るのですか!ナンパですか!ざ、残念ですけど私は彼氏なんて作る気はありませんし、興味もありません!誰とも仲良くする必要はないと思っていますから!私には南奈、ゆい、さっちゃんとなっちゃんが居てくれれば十分です。それ以外は入れませんので、どうか諦めてくだ──」


「…舞花」


 すると、優しい声が舞花の言葉を遮る。


「自分を強く見せるのは悪いことじゃない。二人っきりだから怖いだろうし、警戒するのは当然かもしれない。だけど、それは同時に自分を苦しめているようなものだ。吐き出すタイミングが違えば、楽になるのもならないことだってある。それは…俺がよく知っている。だから、泣きたいときは泣いたって構わないと思う。幸い、今は俺と君しかいない…ゆい達にも迷惑をかけずに済む」


「───」


 それを聞いた途端、舞花の言葉がそれ以上出なくなった。


 ずっと雲雀は彼女から離れることを許されなかった。強く、強く強く腕に震えた手に掴まれ、強引に引き寄せられていたからだ。


 虚勢を張り続ける舞花の無意識による行動だとしても、それは彼女の本当の気持ちを表していたような気がした。それに、彼女の口から一度も『離れて』などと彼を突き放す言葉を吐いていないことも無意識に避けていたのかもしれない。


「な、泣いてなんかいません…。泣いて、なん…かぁ………」


 彼女は否定しているつもりでも沸き上がる安心感を抑えることが出来ず、雲雀の柔らかな言葉に、雲雀の心配そうな表情に、遂には涙が溢れ出す。


 次第に掴まる手が強くなっていき、自分の表情が見えないように更に雲雀を引き寄せる。


 ほぼ他人のような雲雀の胸を借りている自分が情けないと思うが、今だけは彼の存在がありがたいと感じた。


 だから、舞花は声を潤わせながら。


「あぁ、ああああああ…!怖かぁった、っ怖かったよぉ…神室さんが助けてくれなかったら、私…私ぃどうなっていたのか分からなかったぁ。本当に、本当に助けてくれてぇえっ、ありがとうございますぅ!…っ……ふ…っうぅ、ぁぁああああああ!」


 彼女の本音が雲雀の心を叩き、嫌がれる覚悟で背中を擦る。何も言わず、顔を覗き込もうとせず、雲雀はただ泣き止むのを待ち続ける。


 そんな背中の感触に温かみを感じ、舞花は泣き続けていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ