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絶望世界  作者: 春夏秋冬
第1章 『避難都市脱出』
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第6話 『絶望の浸り』

 不可解な現象を目撃する。


『Z』がリミッター解除をすること自体に驚いているわけではない。神栖かみすゆい達にはその不可解さは分かるが、外の世界を知らない楠原絹代くすはらきぬよ結菜ゆいなには全てが驚きに溢れている。


 しかし、そんな ゆい達も『Z』が()()()()()ことには驚いているのだ。事態を把握している神室雲雀かむろひばりを除いてだが、彼にも明らかな動揺は見られる。


 それは、ゆい がこの目で確かめ、同時に新しい理想像が出来た瞬間でもあった。


『Z』は未だに飛んで来ており、ゆい達を恐怖に陥れている。雲雀がどのようにあれに立ち向かうのかは分からないが、何とかしてくれるという心情が不安を掻き消してくれる。


 注意するべきことは、ナイフでは絶対に打ち落とすことは出来ないこと。威力の問題以上に『Z』はナイフで減速させるような質量ではないからだ。


 まずはそこを理解して、雲雀は落ちてくる『Z』に厚い靴底を食らわせる。


 前へ蹴り飛ばすのではなく、比較的に自身のダメージが少ない横へ。背後にいる ゆい 達のためにも落下時点をとにかく移動させる。

 まだ、活動する『Z』は地面に叩き付かれても生きているのであれば、ナイフを投擲してその活動を停止させる。


 今はそれが限界だった。それでも、迷いのない行動力は彼女達に生存の希望へ導いているのは確かだ。


「凄い…」


 傍観する ゆい はただ驚きを漏らす。戦法といい、戦闘能力といい、場所や状況に合わせて自分が有利に展開できる戦局を的確に見つけている。


 一つ一つの動きに無駄がない。彼が動く度に何かが大きく変わっていくような気がした。憧れる気持ちが更に膨れ上がってくる。


「ゆい!」


 雲雀が動いたことで恐怖心から少し解放された綾代南奈あやしろなな九条舞花くじょうまいかが ゆい の元へ駆けつける。


南奈(なな)ちゃん、舞花(まいか)ちゃん…」


「大丈夫ですか!?怪我とかしていないですか!?」


 舞花は ゆい の体をくまなく触り、怪我の感触を確かめる。つい数秒前にも雲雀から同じ事を言われたのを思い出すと口元が少し緩んだ。


「大丈夫だよ、舞花ちゃん。神室さんが守ってくれたから」


「本当に?」


 大丈夫だということを笑みも加えて頷く。ホッと息を吐く舞花の背後、南奈が戦っている雲雀を見つめていることに気付く。


 彼女にとって色々と複雑な思いだろう。彼がいなければ ゆい は間違いなく死んでいた。助けてくれたことには感謝するべきことなのだろう。

 しかし、名前以外の詳細がいっさい不明な男を本当に信用していいのかがいまだに不安となって押し潰していく。


(……分かんないよ…ゆい)


 思考はぐちゃぐちゃだった。親友の言葉すら信じてあげられない不甲斐なさが南奈を苦しめる。それでも自分が壊れそうになるのを必死に耐えながら、彼女は ゆい に視線を向ける。


「ゆい、早くここから離れるぞ。万が一、あいつが逃したのがこっちに襲ってくるかもしれない」


「多分、神室さんなら抜かりなく目を光らせると思う。問題はこの騒ぎによって集まってくる『Z』が一番怖いの」


 舞花に手伝ってもらいながら立ち上がる ゆい は雲雀を信じ、死角からくる脅威を優先して警戒を強める。木々から突然に、ってことも考えられる中では流石の彼でも手が回らないだろう。


 その分、こちらが対処しないと彼の負担は大きくなる一方だ。ゆい は手に持った包丁を眺める。


 雲雀を見捨てる考えはない。誰もが生き残れる、その可能性を見出だそうと。


「でも、ちょっと待って…」


 すぐ横からの声に潜考していた ゆい が反応する。舞花の重たい言葉には額に浮かぶ汗の量が多くなるほど嫌な胸騒ぎを感じる。


「どうしたの、舞花ちゃん?」


「あのノイズの影響で『Z』の大半は校舎へ侵入したと仮定するとして、行き場を失った『Z』が次に向かうとしたら…」


「「──っ!」」


 震え出す声に気持ち悪い悪寒が背筋を駆け巡る。彼女の言葉の先を思い浮かべると、二人は思わず息を呑んだ。全身から危険を訴え、信号として次の行動へ導かれる。


 ゆい と南奈は校舎へ振り向く。舞花の予想通り、視界に広がるのは窓から覗く大量の黒い影。閉ざされた空間から脱出を試みる人のように乱暴に窓を必要以上に叩き続け、苦しそうな呻き声を上げる。


 その量の異常さは恐怖の質を変えた。爆発的に溢れ出す汗を拭う手さえ動かせないほどに。


 しかし、そんな恐怖に浸っている暇さえない。広がる光景には『Z』の他にも、恐怖に何もできず怖じ気づいて腰を抜かす絹代(きぬよ)結菜(ゆうな)が壁際に凭れていた。


 背後に『Z』がいることにも気付かず。


「絹代さん、結菜さん!逃げてぇええ!!」


 生死が分かれる時に女性の身振りを気にしている場合じゃない。ゆい は声を荒げてまで彼女達に危険を知らせる。


 ガシャァァァァンッ!!


 窓は打ち続けられる強打に耐えれず、甲高い音を立てながら『Z』が解き放たれる。ゆい が危険を知らせたおかげで二人は押し潰されずに済んだが、依然として危険なのにはかわりない。


 数倍の数を目の前に恐怖で腰が上がらなかったが、じりじりと後退ったことでなんとか生き延びていた。しかし、立っている『Z』の方が早く、その距離は徐々に縮まっていく。


「行かなくちゃ…」


「えっ?」


「ゆい!!」


 咄嗟の判断で自分は走っていた。彼女達を救わんと、包丁を手に駆ける。


 勝てるかどうかの云々の前に ゆい自身『Z』との戦闘経験はなく、護身としていくつかの護身術を学んでいる程度で実際は不安だった。前へ踏み出す度に足にかかる重みが増して、少しでも進むのを拒んだ。


 歯の根に痛みが走る。力みすぎる歯軋りが恐怖を示し、心情がどれ程追い詰められているのか訴えてくる。


 体は嘘を付けない。自分が思っている以上に正直者だ。それでも、無茶も無謀も理解していて恐怖を噛み締め、自分の弱さを受け止める。


 嫌な怖気は力ずくで押さえ付け深呼吸し、沸騰する脳に落ち着きを取り戻す。


 ゆい は一体の首元に狙いを定め、眼光鋭く睨み付ける。一突で仕留めなければ命の危機は自身にも降りかかる可能性にも動じず、二人から一番近い『Z』の首に刃物がめり込ませる。


 手先から伝わる肉の感触は非常におぞましく、鼻にくる刺激がさらに不快さを覚える。初めて生身に刺した感想を口にするのなら、可能なら二度と味わいたくない感触と答えるであろう。


 そのぐらい、嫌なものだった。


 衝撃で後ろへ倒れる『Z』から離れ、尻餅を付いている二人を無理やり脇を掴んで集団から離す。


「絹代さん、結菜さん。こっちへ」


 包丁は倒れた『Z』の首に刺さったままで取り返すことは出来なかった。攻撃手段となる武器を失い無防備となった彼女は逃げることに徹する。二人は最初こそ引きずられていたが ゆい の声で自らの足を動かし始める。


 ただし、声は二人だけに届いたわけじゃない。


 一瞬の隙に死の叫びが近付く。勢い良く、真っ直ぐこちらに走ってくる。恐怖から生まれる表現を自覚する時間さえない。


 にも拘わらず、ゆい の脳裏には目前に迫る死に対しての感情ではなく、両腕に掴まる二人の安否だけが何よりも支配する。無意識に、その二人を後ろへ投げ、身を盾にすることを選ぶ。


 ──想像する。

 もし、手足を噛まれたら…悲鳴やら抵抗やらで自我が削られていくのだろうか。


 ──想像する。

 もし、『Z』になってしまったら…南奈と舞花はどんな顔をするだろうか。それこそ、最も恐れる感情が生きる意味を見失わせるのでだろうか。


 負の想像が止まらない。純粋な力不足が自信や選択肢を奪う。足掻いたとしても足りないものは補えない。手が届かない。



『それでも先の見えない未来を掴むために俺は自分の弱さと向き合い、仲間のために人類のために戦い続けると決めた』



(────ッ諦めてたまるもんか!)


 結末を受け入れまいと拾い上げるガラス片を固く握り締め、対峙しようと試みる。一番の脅威である口元にさえ触れなければ、ある程度の生存は約束される、はず。


 気迫を張り、威嚇を見せる。生物ならそれで退散してくれるなら救われたかもしれない。相手に『恐怖』という感情を持つ生物ならの話だが。


 涎と血が混じったものが垂れる口を避けて、頬にガラス片を刺そうとした時だ。



 ──眼前で、『Z』の頭に矢が刺さるのを見た。



 その直後、力を失った体は勢いだけはそのままで、しかし矢の衝撃で激突は免れて横へ逸れる。


「ゆい、しゃがんでぇっ!!」


 誰なのか、はっきりと認識する前にその指示に腰を落とす ゆい。頭上を矢が通り過ぎたのを感じた。鋭く響かせながら空気を裂き、横から襲うとした新手の『Z』の頭を貫く。


 事態はまだ動く。

 光を反射させる何か長い物が目にちらつく。それが刀だと理解するのは正面から疾走する二体の『Z』の頭が舞った時だった。


 黒髪。舞花とは違って腰まで伸びた艶めく光沢を放つ。体型は細身だが、長身とあって女性の魅力を引き出している。その女性は低い位置で髪を結ぶローポニーテールが、風に吹きつけられる度に纏められた髪がなびく。


 ゆい はその人物に心当たりがあった。直接的な接点はなくとも聞いた情報と照合して、その容姿、髪型、『生徒会長』と縫われた腕章にはっきりとした名前が浮かび上がる。


「う、卯鶴詩織(うずるしおり)生徒会長さん!?」


「無事で良かったです。皆さんは下がっててください。ここは、わたくしが時間を稼ぎます!沙月先生、あとはお願いします!」


 日本刀を持ち直し、構えをとる。武術でいう型というものなのか、凄愴な殺気をはらんで地面を蹴った。


 その間に一歩だけ踏んで『Z』の懐に潜り込む。急かさず胴から首へ斬る。血飛沫が女性らしい起伏に恵まれた体へかかろうとも、攻撃を休ませることなく次から次へと。


「ゆい!」


 詩織が稼いでいる間、ゆい に抱き着く女性。生徒として抱き締めるのではなく、我が子のように力強く胸に寄せる。


 先程の詩織と比べると身長は少し上で、起伏はやや乏しい体にスーツを着こなす。さらに茶髪で顔周りの髪を部分を引っ張ってルーズ感を出しているツニヨンスタイルが、また清純さを引き立たせる。


「さ、さっちゃん…痛いよ」


 枝邑沙月(えだむらさつき)。ゆい達に家族や生きる意味をくれた命の恩人である心配性の母親。母親と言っても血は繋がっていないが、どんな時も味方であり続けて支えてきてくれた大切な人。


 その彼女は、この混乱で離ればなれになった ゆい の温かみに触れながら再会に涙する。


「良かった…本当に良かった。生きてた、生きてたぁ。ごめんね、傍にいられなくて…」


「私も、さっちゃんが生きてて…良かった。でも私だけじゃない、南奈ちゃんや舞花ちゃんも同じ気持ちだよ」


 今すぐにでも泣きたい。それでも、足りないものがある。


「「さっちゃん!」」


 ゆい は沙月の肩を叩いて、視線の先を追わせる。彼女が二人の姿を目に映した瞬間、訪れる激情が涙腺を完全に崩壊させる。それは、二人も同じだった。


 南奈と舞花は沙月の胸に飛び込む。強く、強く抱き締め、もう離なさまいと体が表現しながら再会に泣き叫ぶ。ゆい はそんな二人の姿に我慢していた涙が頬を伝う。乾ききれない量の涙が口に含み、水っぽくて少し甘い味が残るも気に留める余裕もなく。


 泣いた。泣き叫んだ。不安や恐怖などをすべて吐きながら。


「もう、大丈夫だからね」


 沙月の優しい言葉が安心感に包むのは、母親だからこその恩恵だと思う。意志にさえ逆らう離れない手は自分が子供だった頃を思い出させ、懐かしいさに触れる。



「感動の再会に水をさすようなことは避けたかったのですが、少し相手の量を甘くみてました!沙月先生、すぐにここから退散しましょう」



 息を切らした詩織がそんな言葉を吐く。もともと、この混乱の中で泣きじゃくるのが場違いすぎる。時と場所を選べなかった自分達を反省する。


 日本刀には大量の血が滴るのではなく、こびりついて真っ赤に染まっていた。相当の数を斬ったのは刀や死体の数を見れば分かる。


 沙月は感動の再会を惜しみながら、ゆい達を胸から離すと弓を構える。


「ごめんなさい、卯鶴さん。こんな時こそ先生である私が、ちゃんとしないとね」


 鞴から選択した三本の矢を取り出すと一本は左へ、もう二本は連続して『Z』に放つ。左へ放たれた矢からは簡易的に作られた鏑矢で音が発し、大半の数はそちらへ誘導することができた。


 それでも、誘導に失敗した一体の『Z』がこちらに襲いかかろうとする。それを読んでいた沙月が放った矢は殺傷を目的としたのではなく、動きを制限することを目的に太腿に一本ずつ射貫き、バランスを崩し転倒する。


 頭を狙わなかったのは勢いを持った個体に矢を貫かれても、減速はするが数秒の間は生きている。その分、距離を伸ばして転倒されては沙月達の位置を考えると接触は免れない。


 彼女の強みは叔父から受け継いだハンターとしての業。野生の勘や運動神経などとその培った能力を持っている。その中で弓の使用に関して動く物体には適応値が高く、距離の把握や風向きによる修正も早い。


 だが、何が起こるか分からない。常に可能性を考慮して行動したとはいえ、予想外の事態には対処が遅れることだってありえる。


「なっ!?」


 転倒した『Z』の背後から新たな『Z』が姿を現す。隠れていたわけではなく狙ったわけでもない、偶然が生んだ強襲が詩織の顔を歪ませる。


 沙月の攻撃に合わせて前進していた詩織。既に刀の領域に踏み込んでおり、どの角度からという選択肢は限られてくる。最も得策といえるのは斬りつけるよりも、刺した方が素早く対応できる。


 頭をフル回転させて見出だした攻撃手段を実行しようとするが、ある問題点も浮上する。刃先の位置は地面に近く、この状態からでは致命傷の胴体より上が狙いづらくなる。


 それに、この勢いでは自身にも衝突してしまう。


 更に沙月もその対応は難しい状態だった。矢を放つことはできるが、威力不足では完全には仕留められない。先程のような太腿を狙ったとしても衝突を免れなくては意味がない。


(このままじゃ、詩織さんが危ない…!)




 その時、遠くの方からモーター音が聞こえてくる。




 時間が経過する度、徐々に近付く音に疑問に抱く者もいれば、その正体を確信している者もいた。



「神室さん!」



 ゆい の呼び声に答えるかのように、ワイヤーの鉤爪が『Z』の足に突き刺さった。次の瞬間には、足が地面から離れ顔面から勢いよく硬いアスファルトへ激突したのだ。


 それが、よほど打ち所が悪かったようで、そのまま動かなくなる。生死の一瞬が終わり、死の解放から止まっていた呼吸を吐きながら尻餅をつく詩織。


 一方、巻かれるワイヤーを目で辿る沙月はこちらへ振り向く男性を捉えていた。誰から見たって不審者と確信できる服装には目の色を変え、鏃を向け、弦に矢をつがえる。


「ま、待って!さっちゃん射たないで!彼は…神室さんは敵じゃない、私達を助けてくれた命の恩人なの!」


 弓を構える沙月に対して矢を掴んで放たれないように阻止する ゆい。過去の経験を南奈と舞花の口からある程度聞いていたため、二人と同様に今の ゆい の精神状態を心配していた。だからこそ、その言動には戸惑いが浮かび上がる。


 誰よりも傷付いた彼女が、誰よりも他人を怖がっていた彼女が、見ず知らずの人を庇うことが信じられなかったのだ。


 もう一度、雲雀を見る。鉤爪付のワイヤーは手元まで巻かれ、動かなくなった『Z』を鉤爪で突き刺したまま豪快に振り回して空からの猛威を叩きのめす。アクションはそれ以外にも続き、今度はナイフの代わりに筒状の物を投げ付ける。


 数秒後、小規模の爆発音と閃光を放ち、遠目でも一瞬の目の眩みが発生する。


 それが確認されると雲雀は体をこちら向けて走り出す。あれほど空からの猛威が連続して降りかかっていたのに、それも止んで安全な時間が流れる。


 この時間が何を指しているのか。沙月の判断が固まる前に ゆい が先に動く。


「さっちゃん、卯鶴生徒会長さん、他の先生方も!今のうちにここから離れよう!」


 迷いのない判断力で誘導する彼女に、生徒達も走り出す。出遅れた沙月と詩織には南奈と舞花が手を引いて少しでも距離を離していく。並走する雲雀、沙月は生徒とは明らかに異なる服装を前に戸惑いを隠しきれずにいる。


「貴方は…一体……」


 合流した雲雀の情報だと、閃光発音筒(スタングレネード)の効果は数秒程度と短め。今は走るよりもどこかに身を潜めた方があの猛威に晒される心配はないかもしれないと話す。


 教師陣も今、起きているこの状況には動揺はしている。あの猛威を掻い潜るには森に逃げるか、校舎に逃げるかで選択肢が分かれる。しかし、森からも校舎からも『Z』は襲いかかってくる。


 すぐさま行動と行かなかったのは、これらの刺激が回避反応を生んでいたからだ。森に潜めるにしても、校舎に身を潜めるにしても徘徊する『Z』との遭遇率が格段に上がり、危機的な状態には変わりない事実が突き付けられている。


 けれど、雲雀は森や校舎を徘徊する『Z』よりも背後にいる何かの存在の方が危険と判断した。つまり、何十体ものの『Z』よりも遥かに超える脅威がいるという意味が込められている。


 実際に被害を受けたのはこの場にいる全員。特に ゆい達は死の寸前まで味わったくらいだ。本当は心のどこかで賛成の意志が固まっているはず。それを言動して表れなかったのは、やはり『Z』に対しての恐怖心が影響してくる。


 躊躇いも、また仕方がない事なのだろう。


「な、悩んでいても始まらないわ。どのみち、私達じゃ防ぎようがないのだから貴方の主張を尊重するわ」


 そんな時、意外にも沙月が雲雀の発言を支持した。彼女から見ても不審者と捉えても何の不思議もない。それほど、そう決断せざるを得ない事態が起こっていることに彼女も理解していた。


「…わたくしも賛成です。この状況で無理に抗うよりも隠れた方が賢明な判断かと思います。それに、我々には目的があってこの場にいますから」


 詩織も沙月の後押しで賛成に一票を入れるが気になる言葉に引っ掛かり、ゆい が尋ねようとした時。校舎の入口の前には同行していた教師達が、大きな身振り手振りで『急いで』と表現していた。


 話の状況を把握していないにも拘わらず、教師達は初めから校舎に入る前提で話が進められていたかのように。


「取り残された生徒を助けに来たのですか?」


 これらの情報からまとめて導かれる答えを告げた雲雀に二人は静かに頷いた。


「そうね。私達は職員室に逃げ込んだ生徒を救出するために第一避難所から来たわ」


 沙月は補足として全体に伝わるように話す。


「と言うことは…あたし達は偶然、職員室に向かう途中のさっちゃん達と出会えたってことなのか」


 仮に今の脅威から逃げられたとしても、沙月や詩織、他の教師も職員室に向かうことを切り出すのだろう。覚悟を決めた ゆい達、絹代と柚菜は雲雀の提案、沙月達の目的を呑むことにして今後の方向性が定まる。


 大勢に守られる側に立つだけで、ここまで心の圧迫感がなくなるのは緊張が解れた証拠なのだろう。


 目的地である職員室は中庭側にして中央に位置してるため、移動に数分とかかる。校舎はマンモス級の人口を誇るため大きさや間取りも特殊な構造となっている。


 一般の校舎なら一階に造られる廊下は一つが多いだろう。都会の学校なら、それ以上あるのかもしれない。それに比べてここの校舎には四つ存在する。そこに中教室並みの部屋がいくつもある分、入り組んでいることからそこまでの時間を要してしまう。


「……」


 ゆい はある程度職員室までの道のりを確認していると、ふいに疑問が割り込んでくる。


 数秒と短い効果時間の閃光発音筒(スタングレネード)はもうその効力を失っているはず、なのに攻撃の雨が降ってこないのはなぜなのか。


 横目で雲雀の顔色を覗くと、彼も背後を気にしながら攻撃の来ない状況に疑問を抱いていた。


「皆さん、こちらです」


 他の教師達と合流して再会に浸っている間もなく、校舎内の移動のため陣形が組まれる。先頭の詩織に誘導される形で生徒を守るように囲む教師達、一番後ろの沙月と雲雀は後方支援を担当する役割で校舎を進む。


 一階校舎は自分達の足音と『Z』の呻き声に溢れ、予想通りの危険さだった。やはり、あの時のはほんの一部に過ぎず、未だに底知れない数が徘徊しているのだ。


 死角である曲がり角の箇所は、特に立てる足音を極限まで少なくして周囲の安全を確保していく。


 ここまでは順調だが精神面は追い詰められていた。時間の経過に関係なく襲う血生臭さ、喰い殺されことで飛散した血と内臓が作り出す壁画などに。


 激しい嘔気を堪える度に体が無意識に前屈みになり、少しでも楽な体勢になろうとする。それでも容赦のない臭いと感触、視界に広がる残酷な光景には抗うことができず、精神は削られる一方だ。


 そんな中でハンカチで口を塞ぎながら先頭を行く詩織は、職員室前付近に集まる数体の『Z』を静かに殺傷する。そのおかげで周囲にも感付かれることなく一掃したことで、安全に扉の前まで移動することができた ゆい達。


 ここで、沙月が携帯を取り出して何かを打ち込む。光の反射具合で文字までははっきりと確認できなかったが、大事なことをしていることには違いない。


 すると職員室から物音が聞こえ、ゆっくりと扉が開かれる。そこには制服が赤く汚れた生徒達が顔を覗かせ、視界に教師達が映ると怯えの表情から安堵へと変わった。



「や、やっと…やっと来てくれたぁ…」



 一人の生徒が嬉しさのあまり倒れ込み、何粒かの雫が頬を伝う。それが周囲の緊張感を柔らかせ、嗚咽する声が広がっていく。その声に呼び寄せられる『Z』に沙月達は急いで職員室に入り、生徒達を落ち着かせる。


 生徒達を連れて行くには人数の把握をしなければならない。その数によっては作戦内容の変更も視野に入れる必要がある。


 生徒達の視線は助けに来た沙月達に向けられ、ゆい達が入室した途端、職員室内はざわめき始める。その後ろを歩く黒服を纏う雲雀にあまり良い印象を抱かないのは分かっていたが、ここまで全員が同じような反応をされると入りづらくなる。


「(神室さん、あまり気にしないでください)」


「(あぁ、大丈夫だ)」


 動じない雲雀は周囲を見渡し何かを確認した後、右手に触れていたナイフをそっと離す。

 

 中は最小限に点いた電灯により、薄暗い空間となって窓や扉には段ボールで覆っている。そこに片袖デスクを立てて、片っ端から塞いだ簡易的な防壁が並んいた。ただ、両端が窓になっている構造でこれだけの防壁では不安でしかない。


 勿論、何もしないよりかはあったほうがいい。絶望に瀕した状況下でも行動を移せることは凄いことだ。


「皆さん、無事でいてくれたことを嬉しく思います。すぐにでもここから離れたい気持ちは分かりますが、この大人数で移動となりますと作戦を練らないと安全に脱出できません。ですから、少しお時間をいただけませんでしょうか?必ず、誰一人として欠けることなく、脱出できるように努めます」


 代表者として沙月がそう告げるが、今の生徒達には雲雀という異質な存在に対しての方の不安が優先されていた。


 そんな中で、一人の外観がいかにも不良な感じの男子生徒が、生徒達の代弁者として厳つい顔で沙月に問う。


「なぁ、枝邑先生。助けに来てくれたことには感謝したいですが、そいつは誰ですか?見たところ生徒でもなければ警察の人でもねぇ。どう見たって放送で言われていた不審者じゃないですか?」


 返答次第では持っている手斧で何をするのか。男性の言葉が伝染して周囲の生徒達も武器を握り直し、反応を窺う。


 この流れは明らかにまずい。ゆい はそう判断して雲雀を守るように前に立つ。過去の嫌な記憶も蘇ったせいで、尚更周囲を警戒しながら代弁者を睨む。



「…えぇ、確かに彼は不審者だわ」



 下手に嘘を付いて追い込まれるのは、こちら側になる。沙月も理解した上で慎重に言葉を選ぶ。


「だけど、この不審者は悪い人ではないのも事実よ。私達がここに来る前、私の大切な家族を一人で何十体の『Z』を相手して守ってくれた。この目で見て、私は彼が悪い人ではないと判断したわ」


「わたくしも助けられた一人として彼が危険人物ではないと思います。危険を顧みず、助けてくれるために行動してくれた人を疑う余地なんてありません。だから、彼の強さがあれば、ここからの脱出の策も広がると思います」


 全生徒から慕われている沙月、鳴海学園の高校部を束ねる詩織生徒会長。この二人がここまで不審者の味方をすることで、驚く生徒達の中にちらほらとそれを信じる者が現れてきた。


 代弁者である男子生徒はこの状況の中心人物である雲雀を見つめると、こちらを睨みながら雲雀の前に立つ ゆい の姿も映る。


 ゆい自身も彼と目が合うと身構えながら、さらに威嚇さを強める。


「……はぁ」


 数瞬の間を置いて、男子生徒は観念したかのように視線を外し、ため息を吐いた。


「分かりました。あんた達がそこまで言うなら信じます。だが、信じるからと言ってお前はいちよう不審者扱いだからなぁ。心から許したわけじゃねぇぞ。あまり目立つ行動をされると、こっちが不安になるだけなんでねぇ」


 雲雀に指を差しながらそれだけ言い残した男子生徒は自分の持ち場である外の見張りを再開する。もっとしつこく問われるかと思いきや、意外にもあっさりとしたものだった。


 単に戦力になるからか、仲間割れにしている余裕ではないからか。


 仮とはいえ、認めてくれたことには感謝の意を込めたいも、全員が一致した意見と言えるような様子ではなかった。一部からは非難される言葉がうっすらと聞こえ、彼を除け者扱いをする者もいる。


 とりあえず、教室の一角に集まるために移動をする沙月達。


 この状況で雲雀を他の生徒に近付けさせるのは危険だと確信した ゆい は手を引っ張り、移動する沙月の後を追わせる。


 教師である八人と詩織生徒会長、雲雀に ゆい達を含め、第一避難所までの経路をタブレットに表示される地図で割り出す。


 合計で五十人の大人数での移動を考えると、何班かに分けた方が効率が良さそうだった。ただし、戦闘経験のある教師八人と詩織、雲雀ではせいぜい三班までが限界。

 それに必ずしも皆が安全に移動できるとも限らない中では、正確に情報と照合しながらルートを模索する必要がある。


「問題は私達が『Z』の居場所を正確に把握していないことについてですね、枝邑先生」


 教師の一人が顎に手を置きながら深刻な表情で発言する。


 政府は仮に『Z』が侵入した場合を想定して、町の至るところに監視カメラが設置されている。ここも例外ではない。非常時になると作動し、タブレットと連動して映像を視聴することが出来る優れもの。


 しかし、現状は学園のカメラは殆どが破壊され、砂嵐が続くだけ。


 操作していく沙月は変わらない画面に嫌気が差し、職員室にある紙の地図一択で他の教師や詩織、雲雀と話し合って進める。


「中庭を通った方が良いかもしれません。校舎となると死角も多いですから反応も遅れてしまいます。ですが中庭なら開けていますのでいち早く『Z』を目視できると思います」


「それは俺も賛成です。先の戦闘で多くの『Z』がこちら側の校舎に集まっているはず。下手に校舎を移動すれば高確率で遭遇します。幸いなことにこの職員室は中庭に面しているので、窓から出れば問題はないはずです」


 詩織の提案に賛同する雲雀は、改めて全員が持つ武器を眺めていく。遠距離に適したのは沙月の弓矢、他の教師は手作りの槍やバットといった接近戦を得意とした武器が主流。


 死角の多い校舎では不向きな面が多く目立つ。その反面、見通しのよい中庭は彼女達にとっても動きやすく、正確な判断する余裕のある環境が揃っている。


「そうね。中庭から通れば道路に出られ、そのまま………うん、より安全に到着できるわ」


 地図で道筋を指先でなぞり、不確かな『Z』の配置を予測しながら目的地までのルートを確認する。避難所自体もいくつも存在する分、一番の近場である第一避難所に向かうことが決定される。


 その話し合いに誰もが耳を傾け、決定していく内容に緊張が少し解れたようで笑みを溢す者が現れてくる。


 備えもない籠城を続けても希望は湧わず、不安が積もるだけ。時間が経てば生命の危険さえもありえる。そんな時に差した光には誰もに生命力を与え、それが原動力にもなる。


「(ゆい、少し聞きたいことがあります。あそこにある黒い固定電話はどこに繋がっていますか?)」


 雲雀が指を差す方には明らかに他の電話機とは違い、黒一色で統一された固定電話が置かれていた。しかし、ゆい はそちらに意識が向けられなかった。彼に意図せずに耳元で囁かれたことで、顔が真っ赤になっていたからだ。


 女性同士なら、ここまで鼓動も早くなったり、やまびこみたいに繰り返し声が響いてこないのに。男性だからか、彼だからか分からないが、意識してしまう。


 何も返答がないのは失礼なのではと、彼が指を差す物の存在を確認する。自分の顔が見られないように避けながら。


「(えっと…確か、各避難所に繋がっていた、はずです。詳しいことは分かりませんが、避難所で避難した学生を照合して、この人がいなかったら探すように伝えるための固定電話だとか…)」


「……」


「(神室さん?)」


 急に黙り込んだことで、何かまずいことでも言ったのだろうかと気になってしまう。



枝邑えだむらさん、少しいいでしょうか?」



 いきなり、雲雀が手を挙げる。彼が発言する度に注目度は増して視線が集中する。



「伺いたいのですが、先生方は本当に避難所に向かうのですか?」



 希望が見え始めて明るくなる空間に放たれる疑問の声に周りが静まり返る。空気の読めない不審者と認識されるのは至極当然のことで、数秒後には罵声が飛び交ったり、物が飛んできたりと非難の集中砲火を浴びる。


 自分が如何に火に油を注いだ行為をしたのかを理解しているのだろうか。第一印象が最悪の状態で、更に悪化させるような行為は控えるべきだった。


「おい、不審者。意見を述べるのはいいが、確証のない事をほざくんなら話は別だぞ?」


 外の見張りをしていた先程の男性が手斧を片手に、雲雀の胸ぐらを掴んで脅す。充満する殺伐とした空気に ゆい は、止めに入ろうと割って入ろうと動こうと来た時、舞花によって阻まれた。


 彼女が動いたところで状況が良くなるはずがないと確信していたからだ。首を横に振り、静かに待機をする。事態が悪化しようとも、その火蓋に関わることは避けたいのだろう。


 雲雀は目と鼻の先まで接近する厳つい顔を目の前にしても、表情に変化を見せずさらに続ける。



「違うならそれでいいんです。でも、おかしい点がいくつもあります。先生方の目的が職員室にいる生徒を助けることなら、()()()()()()()()()()()()()()()んです」



 ゆい達を含み、この場の全員が彼から告げられる言葉に唖然とした。沙月達以外は。


 南奈が言っていた。沙月達とは偶然出会えたようなもので、時間が少しでも違えば会うことすらなかったと。


 確かに沙月達の目的は違えど、再会までに様々な音が聞こえていたはず。その音に生存者の可能性を考えて、来てくれたのであれば、それはもう偶然のタイミングとしか言えない。しかし、雲雀はそれらを否定して『出会えるはずがない』と断言したのだ。


「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?その根拠のない言葉が皆を混乱させているんだぞ」


 男性にとって赤の他人であろうと、これだけは見過ごせない問題だった。怒りで掴む手がさらに力を増し、次の言動次第では手を出しかねない勢いだ。


「悪いとは思っています。けど、考えれば疑問に思うところがあるんです。先生方は避難所から来たと言っていました。地図を見ると、職員室に向かうのなら校庭側の道を通るよりも中庭を通った方が時間短縮にもなる。わざわざ入り組んだ所を通るより、見渡しの良い中庭の方が『Z』の対応も簡単なのに、そうしなかった。となると…そうしなければならない事態が起きていたことになります」


「……」


 雲雀は一拍の間を置いて、今度は核心的な内容に触れる。



「枝邑さん、もう学園(ここ)に安全な場所なんてないんじゃないですか?危険を犯してまで校庭側を走っていたのは、この校舎で最も近い脱出口である校門付近の状況を把握したかったのでは?」



 ……………………………………………………………………………………。


 全員の思考が、空白に塗り潰される。彼女達だけの問題ではなく、この場にいる生徒達にも関係する意味に息を呑んだ。


 何を、どう思って導かれた帰結なのか。デタラメだ。ゆい達の中から誰かがそう言えば男性の言動も変わったはず。


 なのに、納得している自分達がいた。雲雀の指摘を受け、改めて目的と行動の食い違いはあると思った。確かに自分達がその立場に立たされていたとしたら、生徒の安全を優先して最短距離で向かうに決まっている。


 考えれば考えるほど信憑性が増していき、否定をしたい気持ちが徐々に薄れていく。


 そして、全員の視線が満場一致で沙月達に向けられる。雲雀の疑問、皆の信じたくない気持ちに答えることができるのは彼女達だけ。


 集まる視線に一旦、沙月は深呼吸をする。その動作に体の筋肉が収縮して、心臓の鼓動が鳴り止まず、握る拳に力が加わる。


 それだけ、彼女の動き次第で感情が左右されるのだ。




「……えぇ、彼の言う通りだわ。第一から第六、すべての避難所が突破され、この学園に安全な場所はもう存在しないわ」




 重苦しく告げる現実に皆の思考は絶望に浸った。

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