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絶望世界  作者: 春夏秋冬
第1章 『避難都市脱出』
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第13話 『攻防戦』

 車両の上下で繰り広げられる戦闘は、室内のみ一時的な安息が訪れる。


 未だに上の方では激化が進み、銃声を聞くたびに犇々と恐怖が伝わってくる。沙月さつきはルームミラーで後ろの状況を再度確認する。先の『Z』の侵入で怪我人の有無を確かめるためだ。 


 ゆい、南奈なな舞花まいかの三人は『Z』に襲われそうになるも、匠海たくみの参戦により怪我はなかった。恐らく問題なのは、その横にいる生徒の方。友達が窓ガラスを破った『Z』に引き摺り下ろされて、追いかけるように飛び降りようとしていたくらいだ。


 精神面を考えると立ち直れるかも分からない。


「ひでぇ…有様だし、状況が何も、入ってこねぇ。俺が床で、ごほごほ…転がっている間に一体、何人死んだんだ?」


 薄い呼吸の中で危機から救ってくれた匠海が、揺られる体を座席に預けながら尋ねる。近くにいた、というよりかは唯一話したことがあるのが ゆい しかいなかったため、彼女は荒い呼吸を整えて唇を開く。


「教師はさっちゃん以外に残っていないの。卯鶴生徒会長さんもあの少女が撃った流れ弾が当たって負傷しました。後は…見ての通り、みんな恐怖で怯えているの」


「あの野郎が、追いかけてきたのか。じゃあ…今、天井から聞こえる足音や銃声は…?」


「神室さんが戦っています。私達が『Z』の脅威だけで済んでいるのは、神室さんのおかげです」


 匠海は座席に置いた『Z』の死体を目にして、色々と感じることがあったのだろうが、それ以上は何も言ってこなかった。


 窓の外を見る。バスが動いているせいで『Z』が集まり、その数は次第に増えていっている。まだ侵入してくるのが一体だけで済んでいるけど、この量が一気に押し寄せてきたらどうすることも出来ない。今は何故か保ってられているが、時間の猶予はあまり感じられない。


 それに。


「この学園から出ることも難しいかもしれねえ」


 この車両の重量だとしても、群衆を突破できるとは思えない。序盤は押し退けられるも、中盤で徐々に人の圧に負けていき、終盤では完全に止まってしまう。


 恐らく先生である沙月もこの事には気付いていると認識する匠海。一体、どのような方針を立てているかを聞いた方が良さそうだったため、覚束ない足取りで運転席の方へ歩き出した時だ─────。


 再び、今度は左から前回とは比にならない強い衝撃を受け、数トン級以上の車両が片輪だけ一瞬宙に浮く。外にいるのは数も未知数の『Z』だが、これ程の衝撃は数体だけで成せるものじゃない。

 今ので車両の側面は凹み、スライドドアは歪んで密封能力を失われた。それに着地した瞬間の縦の揺れは車両に大きな負担を与え、走行には未だに影響はなくとも何度も受けるわけにはいかない。


「みんな、怪我はない!?」


 沙月がかける言葉に遅れて返される声。南奈達を含めて前に避難した詩織達にも特に目立った外傷はなかったが、匠海だけは呻き声を上げる。重傷を負っている彼が不意に襲う衝撃に耐えられるわけもなく、右側の座席に体をぶつけてしまい吐血していた。


 傷口を押さえながら、口周りに付着した血を拭いながら、動けない体を丸める。ゆい は苦しむ彼にハンカチで口周りに残った血を拭き取り、背中を摩ってあげる。


「もうすぐ死ぬ奴に構っても仕方がない、ぞ…」


「命の恩人に冷たい態度なんて出来ないの。たとえ、もうすぐ死ぬと分かっていても助けられた分を最後まで恩返しをさせてくださ──


 更に右側から衝撃を受け、今度は右の方のタイヤが浮いて体が左へ持っていかれる。反射的に匠海の体に掴まり、それに対して彼は座席に掴まってなんとか左へ叩き付かれずに済んだ。


 その中で、そうでない人もいた。衝撃で脆くなった窓ガラスから外に投げ出され、無惨に食い殺される生徒を目撃する。


 今の衝撃で車両自体が変形したのか、側方の窓ガラスが罅割れてしまった。軽く叩いただけで崩れ落ちそうなくらい脆くなり、次の侵入時には無傷で入られる可能性がある。


「ッ!?」


 ゆい は窓の外を見て後悔した。自分の脳内で過った悪夢が現実になろうとしていたからだ。


「来る!!」


 叫んだ時には既に後方の窓から四体の『Z』が侵入してくる。やはり柔らかい強度では侵入時のダメージは望めず、ましてや着地も成功して四体の体はほぼ無傷で立ち上がった。

 ゆい達の存在は確認されている。侵入した直後の悲鳴で位置も把握されており、立ち上がった『Z』は完全にこちらを見る。


「「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」」


 左右の座席を踏み付けて進み、障害物のない通路を進み、匠な連携で近付いてくる。対して迎い撃つのは匠海ただ一人。傷口から垂れる血が床を汚しながら震える体に喝を入れる。

 その手には斧。倒すには最低限、振り落とす工程が必要である。一体の『Z』相手には有効打を決めれるが、複数の場合だと確実な一手は怯ませる程度しかならない。


 でも、諦めるわけにはいかなかった。たとえ、たった一人の大切な人を守れなかったとしても、助ける命が後ろにいる。


 後ろを見ると、絶望するみんなの姿があった。勝てない。今の彼では対処なんてできない。そんな視線もあったかもしれない。


(勘違いするなよ。別に勝とうなんざ思っていない…まぁ、勝ちにも色々あるがな)


 座席を支えに両足を勢いよく蹴り上げ、通路を進む二体の『Z』を怯ませる。右から攻める『Z』には斧をすかさず振り落として絶命させるが、もう片側から攻め寄る『Z』には攻撃の手段はない。




 ─────だから、左腕を噛ませた。




「郷道さん!!」


 ゆい は叫んだ。ウイルスは男性にとっては無害でない。噛まれれば細胞が壊死していき、悶え苦しみながら死んでいく。外の世界で何度も見てきた噛まれた男性の末路。

 噛まれた箇所によって時間に猶予はあるが、それでも足を噛まれた人は1時間で死に至った。腕ならその半分くらいか、またはそれ以下か。


 どちらにせよ、彼はもう助からない。その事実だけで頭が真っ白になった。


「新鮮な肉だぞ!どうした、もっと味わってみろよ!」


 パキパキと骨が砕かられる音が聞こえながら、匠海はその腕を『Z』の頭部に巻いて離れないように固定する。最初に蹴り飛ばした二体が再び襲いかかり、持っていた斧を投げ付けて一体は頭部に刺さる。

 もう一体には手ぶらの状態で挑むしかなかった。しかし、彼の構えに攻撃的な意味を持つには、あまりにも意志が足りないように見える。


 ほんの数秒の経過。ゆい がその意志が全く別の意味を表していた事に気づいた時には、既に右腕を噛み付かせていた。


「一体…何を……」


「あぁ?当然だろ、みんなを守るために決まっている」


 疑問に笑みを浮かべながら言った。匠海の命そのものは長くはない。だから、怖いものがなかったのかもしれない。


「美味しいよな?美味しいに決まっているよな!生きた人間を食えているんだから美味しくないわけないよな!もっと食え、もっと貪れ、もっと頬張れ、骨の芯までしゃぶってみろ!」


 声を張り上げるのは注意をずっと自分に向けさせるための囮行為。痛みが爆発している中で悲鳴さえも我慢し、一歩ずつ確実な足取りでへゆい達から離れるために歩む。


 彼の行動の意図が少しずつ分かり始める ゆい。最初から四体を倒す算段を放棄して、自らの命とともに『Z』をこの密室の空間から離そうとしていることを。


「ご、郷道さん…」


 彼は大切な人を失って、心に大きな傷を負った。それでも生きることを諦めずに、前を向いて自分の弱さを背負って生きようと誓い、その誓いも打ち砕かられて、ゆっくり死を待っていたのに。

 安らかなとは無縁の死には無慈悲と感じる。彼は十分傷付き、絶望した。最後くらい何か望むものがあったっていいはず。


 それが堪らなく胸を締め付ける。他人には変わらないのに、他人事で済まそうとは思えなかった。


 だから、心の底から『報われてほしい』。そう思っていた。


 初めて抱く感情ではないはずなのに、十年という長い年月で感覚が麻痺していたせいか。自分とは思えないくらいの感覚だった。


 すると、視界の端で何かが蠢いた。


「ァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」


 突然の叫び声と共に、手足が垂れ下がった『Z』が匠海の首に噛み付いてきた。彼が打撃で倒したはずの『Z』が復活してしまったのだ。


 首は不味い。血管が集中する箇所の一つで、出血でもすれば死は繰り上がる。悲鳴さえも上がらず、即死を覚悟していた ゆい だったが、彼は倒れなかった。


 そればかりか、再び歩き出したのだ。座席に体を預けなければ今にも倒れそうなくらい、弱々しい足取りで進むことをやめない。もはや何を動力に動いているのか分からない人型ロボットのような。


「あぁ……あっ………ぁぁ……」


 掠れる意識の中で、それでも己の使命を体に叩き込む。『Z』の頭部を腕で押さえ込んでいた力が徐々に失われていき、次第に暴れる『Z』に対応できなくなる。刻々と限界を感じる匠海は最後の力を振り絞り、意識を覚醒まで持っていった。


 ズタズタと死体を踏みながら割れた窓枠に足をかけ、身を乗り出そうとする。体が半分出ても、落ちるにはもう半分が両腕のニ体の『Z』が窓枠に引っかかって出てこない。

 逆に引っ張られる事によって匠海と『Z』が引き剥がされそうになる。バスに取り残すのは不味いと思った彼は左腕に噛み付く『Z』を無理矢理、それこそ肉が窓枠に取り残されようともお構いなく引っ張る。


 唯一左腕の方は『Z』を掴んでいたため、引っ張られた個体は車外に放り出され、宙吊り状態となるも引っ張られる力の方が強い。しかし、隙間ができた事で少し腕の位置を変えることが出来た。後は右腕に噛み付く『Z』を引っ張り出す手順で、拾い上げた手斧の刃を窓枠に引っ掛け、後は気合いと根性だけで力を加える。


「……ぁあ」


 一瞬のタイムラグが発生する。


 視界に空が広がり、自分がようやくバスの外に身を投げられたことを理解する。右腕が軽い。噛み付いていた『Z』が反動で匠海の腕から離れ、バスに取り残される事なく、一緒に放り出されて空を見上げていた。


 地面と背中合わせ、いつ自分が地面に叩き付かれるか分からない恐怖。それも首に噛み付いている『Z』とともにと思うと、尚更ゾッとする。


(あぁ、俺は死ぬんだな。痛いだろうなぁ…きっとめちゃくちゃ痛いだろうなぁ。でも…不思議なものだ。野洲川先輩を失った時よりも怖くねぇ。……なんだ、死って怖いものじゃねぇんだな。死って…寂しいだけなんだ。────俺は終わる…だから)


「後は…任せた……神室」


 匠海が見つめる先に屋根からはみ出した状態で倒れる雲雀とそれを嘲笑うように蔑む少女の姿があった。戦闘で負けていたのだ。経緯はどうあれ、彼でも倒れせない少女相手に彼女達では勝ち目はない。


 結局、自分の行為も無駄になるかもしれない。それでも願うしかないのだ。


 僅かな可能性を信じて。


(彼女達を守ってやってくれ…)


 一つ、自分に出来ることがあるとしたら。匠海は持っていた手斧を投げ付ける。最後までやられっぱなしでは後味が悪い、なんて狂人に対しては笑い事で済まされるに決まっている。


 少女には届かないことは理解している。だから、託すのだ。


「勝て」


 誰でもない、雲雀にそう言う。


 その直後、背中が地面と接触した。豪快に地面に叩き付かれた匠海は回転する視界の中で、手斧を掴む雲雀が逆襲の一手を繰り出そうとしていた。

 一瞬の笑みの後は全身の痛みが顔を歪ませる。骨は砕かれ、腕はひん曲がり、感覚そのものが麻痺を起こし、意識が闇へと落ちていく。ようやく止まった時には車両は遠くなり、周囲には『Z』の大群が車両を追いかけていた。倒れる彼を無視して。


 匠海はその数の多さに驚愕した。百、二百と制服を着た『Z』の中に手足を失った個体もいて、数時間前までの日常が本当に崩れ去ったのだと改めて実感する。

 それと同時に、この数をバスの元へ行かせるの危険すぎると感じた。前から後ろから壁が迫っているようなものだ。当然、車両は大破してしまう。


「…………」


 覚悟はとっくに決まっていた。こうする以外に道はない事を薄々思っていた。


「野洲川先輩…今から行きま、す」


 もし、自分がもう一つ出来ることがあるとしたら。これが雲雀に、ゆい に、沙月達に最大限の恩返しとして意を込めて、最後の力を振り絞る。


「ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 けたたましい叫び声は聞く者の注意を引かせる。それは涎を垂らした人肉にしか興味ない化物だとしても例外ではない。

 匠海を通り過ぎた『Z』は蜻蛉返り、これから通り過ぎる『Z』は目標を変えて、たった一人の餌を求めて襲いかかる。


 その耐え難い光景を前に彼は笑った。


「────────────────」


 全身を食らい付かれる。絶叫をしているつもりでも、声なんて出ていない。喉を噛み千切られたついでに舌まで持っていかれた。何もかも『Z』に対してはご馳走だ。皮も筋肉も神経も臓器も血管も骨も、食欲を満たすため咀嚼される。


 薄れる意識はもはや痛覚を共有できていない。次々と歯が食い込む感触も僅かなもの、現実との情報は遮断。


(あぁ、もっと…生きたかった、な……)


 最後にそんな悔しさを噛み締めながら郷道匠海は死んだ。







「あ〜あ、弱いのに出しゃ張るから死んじゃうんだよぉ。でも、郷道匠海(変態ちゃん)のやった事って無駄なんだよねぇ。だって、彼女達を守ったとしても私がいる限り、何も解決した事にならない。それなのに自ら死を選ぶなんて、現実を否定したくて逃げたに決まっているのぉ。臆病者にはピッタリの末路だよぉ。あはははははは!」


 一部始終を見ていた少女と雲雀。黙り込む彼に対して少女は匠海を愚弄する。腹を押さえながら無邪気に笑う姿は本当に『Z』とは思えない程、どこにでもいる少女にしか見えない。


 しかし、だからと言って怒りが芽生えるのに相手の性別、年齢は問わない。


「黙れ」


「ん〜?」


 本意で言っているからこそ雲雀の怒りは強く表れていた。斧を握り締める力が増した分、メシメシと骨が軋む。少女が煽ってきている事は分かっているつもりだが、それでもその態度が許せなかった。


「彼の意志を笑うな!自身を身代わりにして彼女達を守ったことは簡単に出来ることじゃない。彼がどんな思いで決断したのか、君は知るよしもないが死を選ぶのは何も逃げるためだけじゃない」


 匠海の意志を紡ぐ。それが自分に出来る唯一の弔い。託された重みを受け取った雲雀は再び少女に挑む。


「……」


 少女の反応がない。恐ろしく、人を嘲笑っていた狂人が黙り込むと違和感を覚える。何か企んでいるじゃないかと思うくらい緊張が走り、身構えしまう。


 それ程、少女に植え込まれた印象は強いのだ。


「…少し、ほんの少しだけ感情が揺れたよぉ。まさか、この私がそんな言葉に揺さぶられるなんて、まだまだ人間を捨てきれていない証拠なんだろうねぇ。まぁ、そんな事はどうでもいいのぉ」


 気持ちをすぐさま切り替えて、こちらとの会話を一度切って空気を作り変える。


「それにしても英雄ちゃんは勝手なんじゃないの?あの臆病者ちゃんとはそんな心が通じ合うほどの仲でもないでしょうにぃ。勝手な妄想で評価を上げても仕方がないんじゃないのぉ?」


「かもしれない。俺と彼との間にはまだ壁があっただろう…信用に値するかなんて簡単に頷くにはまだ足りなかった。でも、彼の勇姿を見た。偽りの気持ちだけで出来る事じゃない。彼の正義感は本物だった…それだけあれば充分だ」


 直接、匠海の勇姿を見たわけではない。それこそ、勝手な妄想と否定は出来なかったが、彼の正義のある行動が一人の女性を救ったのは紛れもない事実だ。


 その助けられた一人の女性は、過去の影響で他人を信用できずに日々を過ごしていた。様々な困難、きっと数え切れない怖い思いをして、ようやく学園生活を送れるまで回復しても他人との接点を拒絶した。


 そんな少女性が他人である匠海に『悪い人ではない』と断言したのだ。信用の有無は曖昧だったが、それでもあの行動が女性の気持ちに変化をもたらしたのだ。


 充分すぎる。女性の取り巻く環境に希望を持たせたのだから。


「あれが勇姿ぃ?ただ痛みつけられただけの居ないも同然のあれがぁ?ははは、頭がおかしいよぉ英雄ちゃん」


 少女は雲雀と違い、直接関わっている人物だ。彼の表情や行動をよく見ているからこそ、笑いは腹を押さえるほど込み上がってくる。


「なら、証明してみてよぉ。あの臆病者ちゃんの勇姿が繋げた、その斧で私を倒してみなよぉ!」


 戦闘のタイミングは少女から始まり、雲雀に銃口が向けると同時に発砲する。数メートルとはいえ、弾道を予測するには打たれたからでは遅い。かと言って撃たれる前に避ける事は、二丁持ちにはすぐに対応される。


 結論から撃たれる直前に前へ踏んだ。


 体勢を低くすることで被弾範囲を狭くし、それに対応された弾が放たれるも手斧を翳して真っ向から受けに行く。手斧に弾が触れる瞬間、弾道を予測して少し斧刃に角度を付けることで軌道をずらす。


 それも二発を瞬時に対応する。


 少女は新しい雲雀の戦闘スタイルに身震いが出ずにいられなかった。簡単な事じゃない。少しでも角度を誤ると斧は弾の衝撃に耐えられず、破損してしまう可能性だってある。


 彼だって人間だ。一つ一つの弾の軌道を把握はできない。今のが直感での対応なら数発撃てば、いずれはその体に風穴が空くだろう。


 次が撃てれば──。


「これは、私の判断が裏目に出たかなぁ…ははは」


 初めて少女の表情に苦笑が浮かぶ。雲雀はもう懐まで移動しており、次の発砲までに銃口を向ける事はできなかった。その僅かな思考の切り替え、そこに少女の言葉の意味が詰まる。


 メキメキと雲雀の拳が腹部にめり込み、その衝撃で足が宙に浮いたことで踏ん張りが効かず殴り飛ばされる。回転する視界と屋根を数回バウンドの中で二発、彼との距離が開いたことや不意打ちの射撃が可能になったことで連射する。


 しかし。


「わぁ…それは、やばい」


 その二発を避けるために雲雀は滑走して、弾道の下を通過する。せめてもう一発と引き金を引いた時、弾切れを示す音が響く。少女にとって、これは失態だった。


 リロードの時間こそ無防備になる瞬間だからだ。


 なんとかして体勢を整える必要があった。手足のどれか一本でも硬い屋根に力を加えることができれば、後は体全体で調整できる。一瞬ではあるも行動に移せるタイミングはあるが初動が遅れてしまった。


 だから続けて繰り出される足を上から下へと振り落とされる攻撃には、その身でもろに食らわずを得なかった。


 鈍い音が轟き、少女の視界が明滅する。沈む車両のボディーに攻撃の威力を物語り、意識は体の状態を気に掛ける。


 吐血こそないが、胃液が口から出ていた。痛みこそないが、感覚的に違和感を覚える。


 足を打ち込まれた背中なのか、ボディーに打ち込まれた胸や腹なのかは分からない。しかし、損傷はしていると判断した少女は、一旦距離を取ろうと雲雀の足を強引に振り解く。


「逃がすか」


 彼の猛威から逃れられない。伸びた手が腕を掴まれたと思いきや、視界に映る空が黒色に塗り潰される。またもや、うつ伏せの状態からボディーへ叩き込まれたのだと理解したのはすぐのことだった。


 ポタポタと鼻血がボディーに落ちていき、噛み合わせも悪かった。女性としては、その端正な顔立ちを傷つけられたことへ怒りを抱くのだが、少女は違った。


(無理矢理振り解いて、こっちの体勢が悪かったとはいえ…向こうもそれなりの体勢だったよぉ。柔軟がいいって怖っ!)


 怒りどころか、むしろ状況に似合わず狂っているように楽しそうだった。


「でもね、そもそも殺す気がない攻撃じゃあ…私を倒す事はできないよぉ!」


 腕は固定されても手足の自由は健在。小さな動きで雲雀の体重をもろともせずに、上へ飛び跳ねた少女はすかさず弾切れの銃を向ける。雲雀にとってその行動の意味が分からなかった。脅しにしても怯むには、空のマガジンを見ている時点で思惑は外れる。


 すると。

 カツン、と雲雀のすぐ側で一つの音が鳴る。空のマガジンが彼の視界に映った瞬間。


「────ッ」


 発砲と同時に手斧で防御に転ずる。次の一手を仕掛けようとしたタイミングだったためか、角度まで調整はできず、斧刃に撃ち込まれた弾は持ち手にまで衝撃が伝わってくる。


 拘束から振り解いた瞬間にマガジンを入れ替えていたのだ。戦闘中に、それも相手の目の前で悟られることなく装填した少女の強さが示される。

 完全に不意をつかれた彼は、一瞬は怯むも腕を掴んだ手は離さなかった。


 そればかりか、攻撃の手を休めない。


 直立の状態に戻ることが出来た少女は伸びる拳を右肘で防御。それを受け流して片方の足を軸に半回転し、銃のグリップ部分で雲雀の膝を砕きにいく。

 しかし、その一撃は硬い刃に阻まれる。反応速度が速く、それに対しての対応力が異常なほどに早すぎる。あらかじめ、どこにどんな攻撃が来るのか、分かっていないと不可能なレベルだ。


 ましてや人間には限界がある。『Z』である少女は身体能力が大幅に上がり、人間の反応速度で避けれない銃弾なども容易く避けれる。雲雀の攻撃も銃弾と比較すれば、それほど脅威を持つものでもない。


 はずなのに、防がれたと認識した瞬間に死角から襲う蹴りに、対応すら出来なかった。


「あ、っぐ!」


 頭部に打ち込まれた一発は一つ一つの動作を遅延させる。体は支えきれずに倒れ込み、付いこうとした片手は間に合わず、結局は腕で支える始末。

 たとえ、『Z』だとしても知性を持つことは脳の機能は生きていることになる。彼は初めから少女のそれを認識した上で、ずっとチャンスの瞬間を窺っていたのだ。


 そして、最大の不覚。脳へのダメージは無防備の時間を延ばす。少女の表情に明らかな危機感を現していた。


(あっ、これ…やばいかも)


 次の攻撃に守る手段はなく、自身が受けるダメージとしては初めて致命打になるかもしれない。それこそ、背中の骨を折られれば、体の自由はきかなくなる。


 チェックメイトだ。



「「「ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」」」



「ッ?!」


 雲雀の視界外から奇声が響く。少女への攻撃を割り込む形で乱入してきたのは数体の『Z』。下を見向きもせずに、屋根にいる彼を目掛けて跳躍してきた。


 幸いに標的は動いていた為、直接被害が出るのは数体のうちの一体だけだった。彼はその一体だけを鷲掴みにして、他の個体は屋根を越してしまいバスから落ちていく。


 しかし、雲雀の体勢が大きく崩れる。掴んだ『Z』が暴れたのではなく、足元にいた少女が彼の意識が外れた一瞬を狙って膝を蹴っていたのだ。これが隙を作り、少女が銃を向ける姿を目撃する。背中から落ちていく体をすかさず捻り、掴んでいた『Z』を少女へ投げ付ける。


 視界を遮るように投げ込まれた『Z』を少女は払い除けると、雲雀は既にナイフを投擲していた。投げ付けた勢いを利用して回転し、転倒せずに体勢を整える。


 少女はナイフを撃ち落として回避するが、瞬時に近付いた雲雀はそのナイフを蹴り付ける。今までの投擲よりも空気を裂いていくような速度は、撃ち落とすにはあまりにも狙いを定める時間が足りない。

 こんな行き当たりばったりな攻撃手段でも、的確に顔面を狙らわれていたことが怖い。まるで最初から、いや最初からこれを狙っていたに違いないと思えるくらいに。


 少女は『Z』の恩恵をフルに使って、ナイフを掴み取っていく。これはあくまでも戦略。本当に注意することはナイフを取ってから。


 そう理解しても視線がナイフに集中したことで、雲雀という存在を一瞬見逃してしまう。


「やっぱり詰めてくるよねぇ」


 少女が視線を向けたというよりも目の前に飛び込んで来たような。案の定、縮地法で距離を詰めに来た。反射的に一番信頼している銃より先に手にしたナイフで応戦しようとする。

 デメリットを含めて素手の雲雀は避けるか、手首から上を掴んで止める以外の防御手段はすぐには見つからない。躊躇う時間が彼の選択肢を絞っていき、不利な状況が積み上げられていく。


(さあさあ、どっちぃ?避けるのぉ?受け止めるのぉ?それとも死んじゃうのぉ?)


 優位に立つ自分に浸る少女を他所に雲雀に動きがあった。掌を翳して、防衛手段を取る。


(受け止めるんだぁ。なら私はそれ相応の対策で今度こそねじ伏せてあげるぅ)


 グリップに加わる握力が増して、足腰にも力が入る。どんな手段で止めようにも確実に仕留められるパターンを組み上げ、雲雀の絶望した顔が脳に浮かび上がる。


 しかし、彼が取ったのは少女も予想しなかった行動だった。


 手首を掴んでナイフからの脅威を避けたところで、少女に刺されて仕留められるというのが考え。それで、終止符がうたれると思っていたのに。



 まさか、刺されながら逆に手を掴まれるとは思ってもみなかった。



(反応が遅れ────)


 ナイフを持った手は掴まれ、銃を持った手も掴まれた少女の体は動けない。銃を撃つのに必要な引き金を引く指の力でさえ、加えることも出来なかった。

 その一瞬の硬直が雲雀の次のステップを踏ませる。左前隅に少女を崩し、右手を引くとそこまま後転するように体勢を移して腹部を蹴り上げる。


 天地が逆になりながら投げられた少女と彼は目が合う。何かを交わすこともなく、次の攻撃を移すために雲雀が立ち上がったところを、右膝を撃ち抜く。


 打ち負かされぱっなしの少女ではない。最初こそ驚きはあったが、冷静さが削がれたわけではなかった。隙を見せた彼に撃つことも視野に入れて、着地も綺麗な形ですることができた。


 よろめく彼は倒れず、唯一の遠距離武器であるワイヤー銃を振り向き際に発砲する。その鉤爪は少女のどの部位にも貫かれることはなく、肩近くを通り過ぎていく。


 そんな奇襲が失敗したかのようなミスショットの真意が明らかになったのは、通り過ぎたはずの鉤爪が左手に刺さった瞬間だった。


 たった一つの動きで当たるはずのないワイヤーが意志を持ったかのように、逆側の左手へ吸い込まれていったのだ。


 とはいえ、弛んでいるワイヤーには引っ張る力はない。左に持った銃を完全に脅威を消せたわけではない。


 張られる前に銃口を向けて、引き金を引いた時だ。


 カチン、とハンマーの音だけが残り、乾いた音は放たれなかった。異変に気が付いた少女は銃を銃口マズルからグリップまで異常箇所を探していると、装填したはずのマガジンが無くなっていたことに気付く。


 装填したのは一、二分くらい前のこと。その間に雲雀と接触した時は────たった一回の取っ組み合い。両手を掴まれたあの一瞬で、マガジンキャッチに手を掛けていたことになる。


(何も気付かなかった…!?いや、そもそも私には重さを感じる感覚なんてない。それを利用されて、挙げ句には充填された弾を自ら隙を作って撃たれたってこと?)


 あまりにも得策とは言えない。最早、賭けだ。あの隙で少女が致命傷になる箇所に撃たなかったのは、もっと楽しみたいという私欲のため。これさえも見込んでの行動なら、今後からより駆け引き勝負の場面が多くなる。


 そればかりか癖から性格まであらゆる情報が雲雀にとって攻略本になりえるのならば、開放的に出していた少女からしては防御の選択を取る方が増える可能性が高い。


 驚き、焦燥の感情が蠢く中でワイヤーに引っ張られた少女の視界は回転する。雲雀は腰に固定した状態で巻かれるワイヤーを更に自分の腕に巻いて引っ張ることで、手首で強弱を付けて対応を少し遅らせる。


 そんな意図で引っ張った雲雀だったが、単純な力勝負ではまず勝てない。バランスを崩したものの持ち直した少女もワイヤーを引いて、綱引き状態となる。モーターを回転しても微動だにせず、逆に引き摺られていく。


 このまま続いても形勢の逆転は望めない。攻撃を仕掛けるのは当然の結果になる。


 少女も仕掛けられることは分かっているが、なにせマガジンが入っていない銃では接近してくる彼に射撃もできない。


 だから、少女もまた前へ進む。


 誘われるがままに膝を撃ったとはいえ、右膝を負傷したことで雲雀の動きが悪くなっていた。それでも足を引き摺るというようなことはなく、きちんと足踏みをしている。


(その我慢がいつまで続くかなぁ!)


 右から蹴りをお見舞いする少女。その狙いは負傷した膝を壊すこと。なんとしても自分が優位に立てる状況を作り、快感を覚えたい。


 意図はともかく、負傷した膝を狙ってくることを予測していた雲雀は弛んだワイヤーを間隔をあけて掴む。そこだけを張った状態にして蹴りを受け止める。


 その衝撃で互いが反発し合い、よろけるも。


 少女は彼の姿勢が低くなったところを上から拳を叩き込もうとする。すかさず、その腕にワイヤーで巻いて体を少女の懐に飛び込み、勢いを利用して一気に背負い投げに持っていく。


 受け身で衝撃を和らげようとも硬い屋根では吸収しきれない。何か壊れる音が聞こえたが、それで降参するほど甘くはない。


 体を捻り、足を回し、腕を曲げて、雲雀の頭部と膝に回し蹴りを入れる。背負い投げをした直後だったためか、攻撃モーションからの到達時間を見誤ってしまった。


 それでも、偶然の産物は大きい。少女の腕はさっきの衝撃で折れていたことで十分な回転力を得られていなかった。そのおかげで首は吹っ飛ばなかったものの、スノーノイズのような視界の不具合は起きる。意識さえも飛びそうになる程の衝撃に上半身から倒れ込んでしまったのだ。


 硬くて冷たい表面を肌に感じながら、続けて迫る殴りに足で受け止める。これが続いても負傷箇所の多い雲雀は現状を維持するのも難しければ、決定打を決められない。


 勝敗の形を変えるしかなかった。ワイヤーを大きく引っ張ると少女が最初に巻かれた腕を持っていかせる。体勢が崩れたところを蹴り上げて屋根から少しでも離す。


 少女は感覚がないのに怖気が走るのを感じ取る。ここまで表情に変化あったのは蹴り飛ばされた方向にあったからだ。運転席側に蹴られるには今いる位置から距離があったため問題はないが、その逆はどうだろうか。


 慣性が働いて前に進むバスに対し、少女の体は徐々に後方へ流れていき、着地時点が地面へと移り変わる。手足が付かなければ前へ飛ぶことが出来ず、物を捕まって踏ん張ることも出来ない。

 それ以前に絡まったワイヤーで身動きがしずらい点も行動に移せない理由の一つでもある。


(全部の行動の一つ一つが、これに繋げるために狙っていたってこと?!キレたよ…私は。初めから殺意を持って戦ってなくて、ただ逃れるために動きを封じようとしていたなんて…最低ぃ!私とはお遊びだったのね!)


 行き場のない片思いの殺意を踏み躙られ、感情が初めて怒りを表した。


(なら、一緒に道連れだよぉ)


 不敵な笑みを浮かべる少女は、繋がっているワイヤーを強引に引っ張る。『Z』である少女は空中にいようが、力が半減しただけで人を投げるには十分な力を持っている。足を負傷していたことで踏ん張る力もなく、屋根から両足が離れ、抵抗も虚しく少女よりも先に後方から落ちていった。


「ッ!!」


 しかし、彼は地面には落ちなかった。咄嗟の機転で右で握り締めていた手斧で窓ガラスを割り、窓枠に引っ掛けるという強引な手段で難を逃れたのだ。


「やっほぉぉおおい!!」


 少女と雲雀はまだワイヤーで繋がっている。上を向いた時には少女が持っていたナイフが斧を持つ肩に刺さり、弛んだワイヤーを輪状にされるとそのまま彼の首に通して締め付ける。


 まだ幼い体つきでも体重はある。少女の体重が首に集中的にかかり、締め付けは増し、呼吸困難に陥り、メシメシと軋むような音が聞こえる。

 これでも十分危険な状態ではあるが、最初にナイフで受けた肩では保持は難しく、動かすことも痛みと痺れで今すぐともいえない。


 もう片方で窓枠に掴んで耐えるしかなかった。


 それは、あまりにも痛々しい光景だった。綺麗に割れたわけではないガラスは窓枠にも破片は残り、もう片方で掴む手を徐々に苦しめていた。血は溢れ、先の戦闘でナイフを自ら刺されに行った手だからこそ、出血の量は多い。握力がなくなるのも時間の問題だろう。


 雲雀は考える。この状況を動かす大きな一手を──。


「うんうん、英雄さんは確かに強いよぉ。中距離なら望みはあるかもだけどぉ、近距離は間違いなく今の私では勝てない。それが分かっただけでも大きな収穫なのぉ。でもねぇ、残念。もっと楽しめると思ったのに、最後はやっぱり死んじゃうんだぁね」


 少女はギリギリ車両のボディーに足を掛けていた。そのおかげで彼の首を締め付ける力を調節でき、その気になれば殺すことも容易いほど命を握られている。


 更に増したことで、意識が狩ら取られていく。体全体に行き渡らない酸素は徐々に抵抗力を奪い、少女の思い通りに事が進み始める。


 逆転の一手は一向に見つからない。既に思考さえも回っていないのだから、見つかるものも見つからない。


 すると。


 不意に絶望的な状況下で掠れる視界の中、窓に人影が映り込む。誰とかまでは分からなかったが、その人影が割れた窓ガラスから身を乗り出して、雲雀に手が伸びる。


「誰かなぁ?誰かなぁ?私達の戦闘に乱入してくるなんて余程死にたいのぉ?貴方なんて簡単にへし折ってあげるんだからぁ。覚悟して────……おい、待て!やめろ!!」


 危機迫ったかのように声色が変わり、ワイヤーに強弱が付いて少女が動いたのだと分かった。


 すると、カチっと音が聞こえる。その瞬間、左にかかっていた重さがなくなったのだ。腰に固定していたワイヤー銃が外れたとだと理解するには刹那のこと。


 僅かに緩んだことで呼吸が確保でき、沸騰する意識で少女の拘束を振り解く算段をひねり出す。


 負傷した肩は腕相撲のようにずっと力を加えるということが出来なくとも、瞬間的な力を引き出す分には時間が経てば難しいことではない。だから、少女の制服の裾を掴むと一気に体をボディーに打ち付け、怯んだ隙に大きく緩んだワイヤーに腕を通して首の拘束を解く。


 待ち望んだ酸素を大量に確保して、晴れて自由の身を取り戻した雲雀は次の手段へ移った。それはシンプルかつ肝が据わり、少女にとっても理解の範疇を超えていた。


 思わず「は?」と声が漏れるほど驚愕する。


 唯一、落ちないように繋ぎ止めていた手を離してバスから落ちたのだ。当然、雲雀を支えに落ちずにいた少女の意志とは無関係に落ちていった。


 身を引き締めた瞬間、必然的に硬いアスファルトを強打するのは少女が先だった。最初に接触した左腕は元々動かないほどのダメージを負っていたが、完全に骨が砕けて使い物にならなくなった。


 もう片腕は、なんとか必死に受け身を取る雲雀の袖を掴む。


 この状況を作った本人なら、反射的に行動する者よりかは受け身を取ることも可能かもしれない。しかし、肉を引き剥がすような、焼け火箸で刺されたような熱い痛みには神経を刈り取られていく。

 少女とは同じ条件であっても痛覚があっては体勢を保つことは難しい。


 徐々に崩れる体勢はやがて衝撃を吸収しきれず、路面を弾むというより転がるように何度も回転する。その度に出血をしながら身体中に傷を増えていく。


 それが挫傷、切傷、擦傷。あるいは脱臼、骨折などと現状どれに当てはまるかも分からない。痛みだけが脳へ伝達し、挙げ句には耐え切れず死さえもイメージとして湧いてくる。


 割れたリヤガラスから覗く人影が遠くなっていく。意識がはっきりとしていくと視力も回復して、その人物の特徴が分かってくる。


「南奈…」


 パシュンッ、と雲雀は回転する視界の中でもう一丁のワイヤー銃を取り出すと、バスに向けて撃つ。鉤爪はボディーに撃ち込まれると引っ張る力が働き、それまでバスから遠ざかっていった身体が距離を保ち始める。


 転がる事がなくなったことで体勢を立て直し、厚い靴底で路面を滑るようにして相手の出方を窺う。


「本当に参ったよぉ、英雄さん!」


 いくらでも隙はあるはずだ。もう一度体勢を崩すことだって容易いくらいの逆転の一手だってある。


 しかし、現状は厳しい。片腕は衝撃で骨が砕け、両足は転がったことで酷い有り様で動きが悪い。全体的に見ても体勢を整えた彼とでは、この状況下はあまりにも不利なものだ。


「こんなにも心を揺さぶられたのは初めてだよぉ。私のやる事なす事ぉ、全部捻じ伏せられちゃうなんて傷付いちゃうよぉ」


 この期に及んで、まだ呑気に会話をするほどの余裕さがあることに敵ながら驚かされる。戦意は完全に削いでいるはずだが、反撃をしてこないとも限らない。


「君は強い。銃と格闘技を巧みに使い分けながら、あそこまで使いこなす人はそういない。俺も数カ所撃ち込まれたのは間違いなく実力だ。その強さを見込んで仲間になってくれたら、心強いのだが」


 話さないつもりだったが、少女と面と向かって話すチャンスがあるとしたら、今しかないと考えた雲雀。話さないことには少女の事を知ることも出来ないのだから。


「わーおぉ、まさか敵に褒められるなんて初めてぇ。英雄さんって変わってるね。敵に対してそんな事を言うなんて、私ってもしかして期待されちゃってる感じ?他の『Z』とは違うって思われちゃってる?」


「茶化すな。聞いているのは()()じゃない。俺は彼女の真意に聞いている…上から物を言うだけの()()なんかに、彼女を偽るな」


 雲雀の声に圧がかかる。だけど、少女というよりかは他の誰かに語りかけているような口振り。疑問を抱くのが普通なのだが、至って少女に疑問を抱いているような素振りはなく、会話をは続いていく。


「何も知らないのに、私の事を分かったようなに言わないでくれるかなぁ?そういうの鬱陶しいからやめてくれない?」


「…そうだな。俺が何を言っても君の心は動かない事は分かっているつもりだ。だけど…それでも、心のどこかで助けを求めているのなら、君の声を聞かせてくれ」


「………」


 少女から出かかった言葉が喉に詰まる。それが心境の変化に繋がったかは分からなくても、何か引っ掛かりがあっただけでも雲雀にとって望みが湧く。


 だが、()()()()()()()()()()


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 声の質には変化がないが、その口調から今までの少女とは別人格の存在を思わせる。雲雀はそれを聞いた途端に、怒りを表情に剥き出しながら少女の服を握る力がこもる。


「ふざけるな!貴方がしてきた事は身を持って知っている。彼女を含めて多くの人を弄んでいることも!」


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 もう一度言う。その気なら雲雀が少女を振りほどくことも容易い。そんな命を握られているのにも拘わらず、少女は尚も煽ってくる。彼の心を見透かしたように、気に食わない笑みを浮かべて。


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「貴方は…どこまでも狂ってる!彼女達の心の弱みにつけ込んで、それを利用し、無理矢理に従わせている。これのどこに全部を関与していないって言えるんだ!」


 何度も言うが目の前にいるのは先程まで死闘を繰り広げた少女のはず、なのに雲雀の怒りは積もるばかりで抑えが効かなくなっていた。


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 まるで、悪戯をしたお茶目な女の子のような軽い言葉が返ってきた。雲雀を刺激することになんの躊躇いもない。


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「…狂っている」


 もう一度言ったのは、少女の言葉が異常と感じただけではない。唯一掴めている片手で雲雀を引き寄せて、女性にとって最高の笑顔が目の前まで迫ってきたからだ。


 急に迫ってくると攻撃の動作と勘違いして、振りほどいていたかもしれない。それこそ、噛もうとすれば抵抗すると理解できるはず。


 それでも、少女は顔を近付けてきたのだ。怖いもの知らずもいいところ。


 傷がなければ、狂人でなければ、この状態でなければ、少女は普通の生活の中で見せていた笑顔にときめいていたのだろうか。


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 少女の中にいるもう一人の存在が、少女の顔を使って笑顔を絶やさないように一拍置いて。




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 次の瞬間、それまで雲雀の袖に掴んでいたところを腕に持ち直すと力いっぱい握り締める。表現として可愛いかもしれないが、それだけで骨は軋み、罅が入ったと感じるくらいの威力。

 当然、やられた側は反射的に彼女の腕に掴んていた手が離してしまう。そのまま、少女は地面に打っていく光景をただ眺めるしかなかった。


 歯軋りが止まらない。逃げたから、だけではない。


 不利な状況下で雲雀を殺さない選択をして、代わりに少女を傷付ける選択を優先したこと。それが怒りを爆発させる。痛みがないとはいえ、体には傷として残ってしまう。何よりもその体が自分の物ではないということが腹立たしい。


 捨て駒。その表現が一番正しい。


「くそ!!くそ!くそくそ!くそくそくそ!!」


 路面を転がる少女から離れていく雲雀は、何も出来なかった自分を責め立てる。何度も何度も車両のボディーを手が痛くなるくらいまで殴り続ける。


 冷静さを取り戻したのは数秒後のこと。その間に打ち込まれた数発の拳によってボディーが凹んでいた。それが怒りの度合いを示しているようで、物に当たったことに反省の色を見せる。


(怒りに身を任せても身を滅ぼすだけだ。あっちも気になるが今は彼女よりも ゆい達を安全な場所へ避難させないと)


 見上げると割れた窓ガラスの隙間には既に南奈の姿はなかった。


 あの人間不信の彼女が助けてくれたのだ。言葉をもっと選ぶべきだったのだろうが、なにせ雲雀からしては南奈の印象は良いものとはいえない。

 そんな彼女が取った行動は信じられない程に的確なものだった。状況を把握するにはあの場面だけでは不十分すぎる。それを一目見ただけで迷う事なく腰に固定したワイヤー銃を解いた。構造もしっかり理解した上で。


(確かに取り外しは素早さを重視してボタン一つで可能になっているが、これ以外にもボタンがあっては迷ってしまう。たまたま当たりを引いたのか?それとも以前にもどこかで見たことがあるのか?)


 市販で売っているような品物でもない。それこそ、市民には認知されていない装備だ。ネットで調べようとも仮想の物や鯨といった海の生き物を獲るための大型の装置などが表示され、使い方どころか存在しないものとして扱われている。


 だからこそ、南奈がしたことには本当に驚かされたのだ。


 疑問を抱きながらも手斧を回収し、残ったワイヤー銃を使用して屋根まで登る。


「っ!!…あの野郎が!」


 高い位置に登ったことで更に遠くまで周囲を見渡し、作り出される事態の大きさを把握した。危機が去って、また危機が訪れる。


 ちらつく憎き相手の顔に雲雀の表情に再び怒りが浮かび、撃たれた箇所を気にも止めずに急いで運転席まで駆け寄る。


「枝邑さん!」


 ミラーのステー部分に片足を掛け、手で窓枠に掴む。中を覗き込むと血だらけの座席に沙月が周囲を警戒しながら運転していた。


「か、神室さん…!」


「このままだと学園中にいる『Z』がこのバスに襲いかかってきます。それで一つだけ聞きたいことがあるのですが、このまま駐屯地に向かうでいいのですか?」


 脱出後に向かう場所を話していた雲雀は、この状況下を見て沙月に問う。校門までそこまで距離はないのに、『Z』の量は増えるということは学園外でも状況は同じことになっている可能性は高い。

 駐屯地は校門から出て左折すれば、街を通って行ける。それが一番の最短距離になる。その道のりは険しく、恐らく辿り着くのはこの車両では無理だろうと考える。


 沙月もそれは理解しているはずだ。それを踏まえた上で、聞いている。


「…今のままで街に行くのは自殺行為です。きちんと準備した上で、行かないと何があるのか分かりません。だから……


 ドゴンッ!!!!と前触れもなくバスに衝撃が加わり、足場の悪い場所にいた雲雀は踏み外して宙吊りになる。車体は大きく左右に振られ、倒れないようにハンドルを切り替えしてバランスをなんとか保つ。


 逆さになった光景のまま後ろを振り向くと、『Z』複数体がバスの側面の後方寄りに身体を打ち付けていた。その影響で車体が大きく振られたのだろうと推測できる。


 思考を変えてきた。中にいる生存者を全滅させる目的は変えずに、バスの走行を不能にさせることにシフトを切り替えた。


 それも今度は彼女の意志により、狙いを定めて。


 第一、第二波を凌げたのは単純な人員不足によるもの。それでも車体は傾くが、当たり所はタイヤとタイヤの間だったことで走行自体には然程の影響は与えない。


 それと、焦ってハンドルを切り過ぎれば横転もあったあの状況を、冷静なハンドル捌きで対応した沙月の早さもあったからだろう。屋根で少女と戦闘していた時に体感して分かったことだ。


 ただ、次は確実に仕留めに来る。人員を集めている間に脱出の策を考案しなければ。


「やばい…さっきの衝撃で左後ろのタイヤがパンクしてるわ!」


「片方だけなら、まだ走行できます。ベアリングがやられていないだけマシで──ッ!!」


 会話すらまともに出来ない。前方から数体の団体が突っ込んで来て、ギリギリのところで正面衝突は避ける。しかし、外にいた雲雀は正面を避けれても、右端を擦るようにぶつかってきた団体は足場であるサイドミラーを破壊する。


 間一髪で巻き込まれずに済み、窓枠に避難した雲雀は周囲を警戒せざるを得なかった。バスから近い距離にいる『Z』は全て彼女の操り人形。それが数十メートルだろうと距離を詰める方法は通常の『Z』より彼女の方が豊富だろう。


(考えろ…考えろ考えろ考えろ!どうやったら校門まで辿り着ける…このままじゃバスも持たない。かといって、あいつに操られた『Z』を相手にする暇なんて)


 すると、後方からガラスの割れる音と車内から悲鳴が聞こえた。思考を切り替えて、直ちに助けに向かうために沙月に声をかける。


「枝邑さん!前、失礼します!」


 前屈みになっていた体勢を背もたれに背中を押し付け、雲雀が通る道を確保する。軽やかに通り抜けた彼の表情は恐れに満ちていたのを目に焼き付く沙月。


 ただ室内に入ったとはいえ、立ちはだかる人の壁に雲雀は圧倒される。侵入した『Z』から逃れるために前へ前へ移動する生徒達、沙月もこの壁に阻まれて ゆい達を助けに行くことが出来なかった。


「神室さん、一体どうやって…!」


 雲雀はすぐさま行動を移す。沙月が座る座席を踏み台して天井近くまで跳躍し、両手を狭まった壁に付くとそのまま体重移動で前へ飛ぶ。


 生徒達の頭上を通り抜けた彼は侵入した『Z』と対峙する。


「神室さん!」


 目の前に現れた雲雀に ゆい は叫ぶ。ただそれに応えている暇はなく、目の前にいる普通とは異なる『Z』を観察する。見た目からしては血塗れの破れた制服を着ている『Z』だが、ゆいの声に無反応で佇んでいるだけだった。


 ガシャンガシャンガシャンガシャン!!、続けざまに四箇所から犬型の『Z』が侵入してくる。いずれも後方で直接被害者は出ていないが、その『Z』も様子が変だった。人型を中心に並んで、こちらの様子を窺っていたからだ。



「……ひ、ひば………り…」



 ゆい達は息を呑み、鳥肌が立った。真ん中の人型の『Z』が掠れた声で確かに言葉を言い放ち、笑みを浮かべたのだ。目の前にいる彼をきちんと認識した上で、言っているいるようで不気味でならない。

『Z』になる前の転化の前触れだとしても、幾度も見てきた ゆい達からはあまりにもそれが異質な存在に見えていた。


 雲雀はワイヤー銃を取り出すと、引き金を引いて床に鉤爪を撃ち込む。何をするのか理解出来ないまま、銃を腰に固定するとワイヤーを手動で伸ばす。



「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!」



 今まで聞いたことないくらいの咆哮が鼓膜を劈き、車内が地響きを受けたかのように震える。耳を押さえながらジリジリと感じる威圧に後退り、対峙する雲雀の背中を見つめる。


 瞳孔を開きながら涎が飛び散り、女性としての振る舞いを一切感じさせない『Z』。それを合図に四体の犬型が同時に攻めてくる。器用に座席を踏み台に左右から二体、正面から時間差を狙う二体の構成で。

 一体だけでも普通の『Z』よりも厄介な個体が、四体も同時なんて絶望しかない。


 俊敏さが武器の犬型をどう対処するつもりなのか。


 雲雀が動いた。左の犬型にまずナイフを投擲して絶命。更に右は伸ばしたワイヤーを器用に操って首を縛り、そのまま正面から迫る一体目の個体に投げ付ける。

 隙を見せたことで飛び付く正面の二体目の個体には蹴りをお見舞いし、人型目掛けて蹴り飛ばす。人型はそんな攻撃に一振り、驚くほどの単純な行動の一つが犬型の胴体を切り裂く。


 身体が半分に裂かれた犬型の死骸は床に叩き付かれ、人型はこちらに向かって走り出した。雲雀は拘束した犬型を再び投げて怯ませようと試みたが、呆気なく避けられてしまう。軽快な動作を見て、ゆい達は身震いが止まらなかった。


 特に ゆい はその動きを見て少女の事を思い出していた。動きそのものが似ているわけではないが、『Z』なのに人間のように動いている点が少女と重なっていたからだ。


 唯一の違う点としたら少女には意志を持って行動し、目の前の人型には意志がまるで感じられないということ。まるで操られているような、そんな風に見える。


 避けられたことで雲雀は短い長さでワイヤーを張り、続けて繰り出される左から腰辺りを狙った蹴りを防御する。衝撃が加わった瞬間、彼の体は耐え切れずに真横のガラスへ飛ばされる。

 痛みに怯む間もなく、噛み付かれる寸前で飛び跳ね、天井を蹴って床へ移動する。人型が視線をこちらに向けるまでの数秒で、今度は彼から仕掛ける。


 あらかじめ輪を作って床に置いていたワイヤーを引っ張って人型の足に縛った。頭から床に倒れたことで反応が鈍くなり、すかさずナイフでトドメを刺そうと取り出した時だ。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」


 それを阻止しようと犬型二体が襲い掛かる。首をワイヤーで繋がれた個体には座席にひかっけていたワイヤーを引っ張って遠ざける。もう片方は首を掴んで阻止するが、暴れられ爪が雲雀の肉を裂いていく。それでも、けして離そうとはしない。

 そんな攻防で人型に一瞬だけ意識が向けれず、犬型と一緒に蹴られる。斜めから天井を背中で激突し、床へ落ちる。


「神室雲雀…」


 揺れる体を座席を利用して立ち上がる背中を見る南奈。一緒に蹴られた犬型の胴体には蹴られた衝撃で大きな凹みが出来ていた。骨を砕き、内臓を破裂させ、絶命していた。


 蹴りの衝撃を犬型がクッション代わりとなり、雲雀からは激痛と吐血だけで済む。


 人型がのそりと立ち上がる。ワイヤーで縛られた足は足首からなくなり、拘束を解いていたのだ。その断面を見ると無理矢理、引き千切ったような跡に怖気が増す。


 その近くで唸り声を上げ、座席からワイヤーで首を縛られていた個体が拘束を解いて現れる。二対一、依然と雲雀が有利に見える状況でも、肉体的ダメージの蓄積分を考えると劣勢に立たされている。


 それでも彼の心が折れないことを知っている。どれ程の困難もナイフで断ち切ってきたのだから。ナイフを取り出して、再び前へ駆ける。


 犬型が立ち塞ぐように飛び付かれるも、無防備の首へナイフを斬り込んだ。出血と同時に声が途絶え、力が失った体は豪快に床を転がって動かなくなった。


「上だ!!」


 南奈の声が。


 反応した雲雀は見上げると、人型が目の前まで迫っていた。視界を覆うように襲ってきた犬型に気を取られている一瞬に、天井を這って上から奇襲を掛けるもよだったのだ。


 まんまと引っかかってしまい、絶体絶命の危機に晒される。


 それでも、ここまで追い込まれても彼の闘志はまだ燃え尽きない。


 一瞬の判断に委ね、両座席の肘掛けを掴んで仰向けに体を倒す。床と当たる当たらない際どい距離まで倒していき、人型と間隔を開ける。

 懐に飛び込まれては充分な攻撃に必要な力が入らない。ましてや、限られた空間の中での弱攻撃は不利な状況を作りかねない。


 だからこそ、自らが体勢を低くして距離を確保することでリスクを減らす。


 そして逆上がりのように上体を上げ、そのまま勢いよく人型の胴へ両足を伸ばして打ち込む。空中にいれば、体を踏ん張ることはできない。人型の体はくの字に曲がり、天井を打ち、床へ落ちる。


 互いに倒れて、立ち上がり睨み合う。正真正銘の一騎打ちが始まろうもする。邪魔をする犬型はもういない。命を背負う重みを背中で感じながら、もう一本のナイフを取り出す。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」


 動き出す前に雲雀が床を蹴る。人型は遅れて回し蹴りで対応し、恐ろしいことに範囲内の座席の上半分を破壊していく。進行方向に障害物が飛んできて、雲雀の体勢が崩れる。


 人間技ではなしえない『Z』の脅威。


 それでも避け切れない障害物を払い除け、スライディングして床を滑走する。股を潜る瞬間にナイフで支えにしている足を斬り込み、様子を窺う。


 筋肉を削がれたことで支えることが出来なくなり、倒れそうになるがなんとか両手で座席に掴んで体勢を保つ。その間に雲雀は立ち上がって次の攻撃もとい止めの一撃を仕掛ける。


 しかし、人型を仕留め切れなかった。仕掛ける直後に腕を振られて、避けるために全神経を集中させたからだ。


 まともに食らうことは許されない。座席を破壊させるほどの力を持つ人型の攻撃をまともに喰うと、間違いなく死を意味する。あれを目の当たりにすれば、怖気付くのは当然のものだ。


 しかし、それはあくまでも個人差によると思う。


 雲雀は好奇と捉えた。避けても攻撃の手は緩めない。身体を捻り、人型の腕の筋肉を一箇所だけ切り裂く。それだけで力を失った腕は意志とは関係なく動かなくなった。


「終わりだ」


 斬撃は確実に首を狙う。その瞬間、人型は薄っすらと笑みを浮かべると。


()()()()()()()()…」


 はっきりと魂が籠もった言葉を最後に、首の半分を斬り付けて絶命させる。倒れた個体を見つめて本当に死んだことを確認すると、急いで外の様子を見ていた。


 ゆい達も左右の窓から外を覗くと、大量と表すには甘いと思うくらいの『Z』が押し寄せてくる。エンジン音に誘われ、校舎や校門からとあらゆる方面から襲いかかり、逃げ場所がないという最悪な形となる。


「南奈ちゃん、舞花ちゃん…」


 圧倒される光景に声が震える。


 一体、何ができるというのか。


 これまでとは状況がまったく違う。頼みの綱である雲雀でさえも、悔しいそうに歯軋りをしながら俯く。


 手の施しようがないのだ。どんなに頑張っても今からでは遅い。実行しようにも一人では足らないし、時間も足らない。


 人型や犬型、そして意志を持った『Z』の襲撃がなければ、何か手を打てたかもしれない。


「くそ!みんな、何かに捕まれ!衝撃に備えるんだ!」


 雲雀は声を上げ、指示を出す。結果は変わらなくとも何かしないよりかは、形として残すだけで自己満足を得られる。自分は精一杯やれる事はやれた。そう言い聞かせば、楽になれると信じて。


 彼がそう思って言ったとは思えないが、どうしても悪い癖が出てしまう。


「大丈夫です。きっとなんとかなりますから…神室さんがきっとなんとかしてくれる」


「何があってもあたし達はずっと一緒だ」


 舞花と南奈は ゆい に抱き着く。それに応えるかのように ゆい も抱き着いた。


 命が終わる。そう確信していた。


 エンジン音に混じって『Z』の声が聞こえてきた。もうすぐそこまで迫っている。窓から視線を外しているため正確な距離までは測れない、それがかえって恐怖を倍増させる。


 いつ、どのタイミングで。

 もうすぐだ、と力んでもまだ来ない恐怖。


 視線を外すじゃなかったと後悔するくらいに。それでも顔を上げないのは単純に怖かったから。


 どんな死に方をするのか。頭の中で『Z』に貪られる自分の姿が映し出される。その横では同じように親友が、沙月が、生き残った人達が、雲雀が餌食になっていく。


 縁起でもないとは分かっているが、それが現実になるんだ。



「もう駄目……」





 ゴォォォオオオオン、と諦めかけた次の瞬間に外から鐘の音が響いた。それも一定の間隔で何度も轟き、その数秒の間に『Z』との衝突が来なかった。





 何が起きているのか。あれほど怖いと震えながら、顔を上げることを拒んでいたはず。なのに今は状況を把握しようと窓の外を見ていた。飛び込んできた光景に陰る瞳に光が灯される。


 周囲だけでなく、広範囲の『Z』がすぐ近くのエンジン音を見向きをせずに、鐘の音の発生源である時計塔へ一斉に走り出していたのだ。正面は衝突コースを外し、右や後方は方向転回して逆走、左はこちらに向かってくるもバスは進んでいたため逸れる。


「ど、どうして、時計塔がなっているの?だって…時間はまだ三時過ぎなのに」


 塔の象徴である時計の針は三時を少し回っている。時計塔の鐘が鳴るタイミングは昼の十二時と季節にもよるが時期的には今は六時。だから、今このタイミングでなるのは不思議でならない。


「……メンテナンスか?」


「そういえば、さっちゃんがメールで昼くらいから時計塔のメンテを行うから、時計塔には行かないようにって…」


 南奈が思い出したことで ゆい も、昼の会話を読み起こしていく。


「今…鳴らしているのは整備士の皆さんなら、このタイミングでってことは私達を助けるためでしょうか?」


「もう一つの可能性は、救難信号と見立てて鐘を鳴らしているか…ですかね。タイミングは偶然として、音を出すという事はそれだけ危険を伴います。それを理解した上での行動なのか、あるいはただのお馬鹿さんか。…真意は分かりません」


 舞花による推測と四つん這いの状態で近付いてくるメイドのしずくによる推測。どちらも人によって現れる行動だ。善悪など関係ない。


 しかし、これは紛れないチャンスだった。バスを囲う『Z』が時計塔に集中するため、より脱出の確率は格段に跳ね上がる。時計塔の生存者を無視すれば。


 雲雀の中で葛藤はもちろんあっただろう。窓に触れる手が握り拳になる瞬間も見ていた。


 もし、時計塔の生存者を助ける選択をするのであれば、ゆい達を含む全員の了承を得ることが。先程まで死の瀬戸際まで追い込まれた状況を再び味わいながら、助け出そうとすることに果たして納得できる人はいるのか。校門まで目前に迫って、遠い時計塔に引き返す選択肢を取る必要なんてあるのか。


 正義にもできないことはある。それを思い知らされる。


「…すまない」


 時計塔を見つめる視線を外し、雲雀は腰に固定したワイヤー銃で何か作業を始める。構造が分からない ゆい達にはその作業に興味を抱いて、手元を覗く。


「枝邑さん、速度はそのままを維持して下さい!」


「え!?で、でも、九十キロは出ていますよ?!このまま右折したら横転してしまいます!」


「それはなんとかしますので、とにかく小回りで右折して下さ──


 会話中に襲う舌を噛みそうなくらいの衝撃。前後に振られる体を踏ん張り、倒れないようになんとか耐える。鐘の音に釣られるとはいえ、多少の個体は反応が鈍いせいか残っている。

 それでも最初と比べれば、壁と衝突するわけではない。心の構えが少しだけ和らぐ程度にまで筋肉が緩む。


 雲雀の言葉を信じ、余計な蛇行をやめて一直線に加速する。衝突に恐れずにハンドルをしっかり持ち、周囲の状況は絶えず警戒する。


 校門が見えた。鐘の音に外から『Z』が入り込んでくる光景に、確かな確証が得られて気を引き締める。疎らな量に好機と捉えた沙月は急加速して校門に差し掛かる。


「みんな、掴まって!!」


 体が左に持っていかれないように、しがみ付いて身構える。ゆい達がそうしている横で一人、雲雀だけがワイヤー銃を外に向けて発射する。今までの倍以上の発射音にビビりながら、鉤爪がどこに刺さるのかを見届ける。


 学校名が刻まれた門柱に深く刺さると、残ったワイヤーを片腕に巻き付け始める。そんな作業をしながら体も座席を使用して固定、一拍置いて深呼吸する彼の姿に鳥肌が立つ。


 船が敵の船に不意打ちをかけるために、鎖を下ろして急旋回することで砲撃するシーンを映画で見た。


 あれは映画であって実際に実行するかは定かではないが、あのシーンを生身でするのは見たことない。それこそ映画だ。

 間違いなく馬鹿げた作戦だった。生身であれをしたら全ての重さがワイヤーに伝わって巻いた腕に掛かることになる。へし折れるなんて生温い表現の仕方しかできない。想像するだけで腕が痛くなる。


 沙月が右折する。速度を殺さなかった車両は右車輪を浮せる。しがみ付いたはずの体は足から床を離れ、左に持ってかれそうになるほどの慣性が働く。


 それでも横転までいかなかったのは雲雀が耐えていたおかげだった。近くにいた ゆい は皮が引き千切らそうなくらいに締め付けられる腕を見て、顔を歪ませる。それだけで痛いと痛感するのに、彼の叫びが加わるだけで耐えられない。


 メキメキ、と音を鳴らして撃たれた箇所でもあるのか血が噴き出てくる。絶句する傍らで視線を落とすと、雲雀の足が床から離れないように南奈がしがみ付いている姿を目撃する。顔は下を向いていて表情までは確認できなかったが、彼女が自分の意思で誰かを助けるのは見たことがなかった。


「きゃっ!」


 驚いている刹那、縦方向の衝撃が襲う。浮いていた右側が地面に接触したのだと体で感じ取り、徐々に慣性がなくなったことでしがみ付いていた力が弱まる。


「い、行け……たぁ」


 直進になった道路や並列する壁を見ては緊張が解れ、ついに鳥籠の中から脱出できた喜びが現れると思ったのだが、逆に脱力感がして座席に座り込んでしまう。


「か、神室さん、大丈夫ですか!?」


 舞花が雲雀の腕を見るなり真っ青にしながら駆け寄る。その時には既に彼から離れていた南奈、あたかも自分は近付いてもいなければ、興味もないようにそっぽ向いていた。


 しかし、今はそれよりも鉤爪が戻ってきたことで、締め付けが解かれた腕が心配でならない。弛んだワイヤーに付着する血と皮膚が生々しさを与え、自分が今どんな表情でいるのかさえも、分からないくらいに酷いものだろう。


 そんな動揺にいち早く振り払ったのは舞花だった。応急キットを急いで持って、残ったガーゼや鎮痛剤を使おうとする。簡易的とはいえ、このまま放置では取り返しのつかないことにもなりかねない。


 ワイヤーを引きは剥がし、露わになった変形した皮膚を感触で確かめながらガーゼを巻いていく。汚れる手も気にせず、舞花は一心不乱に手を動かす。


「俺は大丈夫だから、他の人を手当てしてやってくれ…」


「何が大丈夫ですか!この場で一番怪我をしているのは貴方じゃないですか!いい加減、自分がどれ程の重傷なのかを分かってください!撃たれた箇所もあるでしょ?だったら見せてください!」


 ここは大丈夫そうだ。自分が入る余地はなさそうと思った ゆい は、止血剤とガーゼを手に運転席の横にいる流れ弾を受けた詩織しおりの元へ駆け寄る。


「卯鶴生徒会長さん、撃たれたところを見せてください。簡単ですけど、手当だけでもした方が治りも早いですよ」


「すみません…お願いしてもいいですか」


 上着を脱ぎ始める詩織に後ろを向いて、雲雀が見てないかを確認する。ワイシャツには広範囲に血が染み付き、張り付く体に苛立ちを見せると ゆい も手伝う。一つ一つボタンを外していき、そして露わになる紫の下着と素肌に。


「綺麗ですね………あ」


 あまりにも自然で無意識に出た言葉を慌てて口を塞ぐ。


「あ、ありがとうございます。でも、貴方も綺麗ですよ?」


「いえ、私は小さい頃から転んでばかりで体は傷だらけですので綺麗とはかけ離れています。卯鶴生徒会長さん、左腕を少し上げてください」


 撃たれた箇所は左腕で弾は貫通していたので、中毒や致死的な合併症などは問題はないと思う。


「傷口に止血剤を当てながらガーゼで強く巻きますので、痛いかもしれませんが我慢してください」


 そっと出来ればいいのだが、止血は太い欠陥を圧迫して少しでも出血量を減らす必要もある。故に強く巻く以外の方法は今の物では難しい。


「痛っ……はぁはぁ」


 ギリギリと歯軋りが聞こえ、痛みの程度が見て取れる。自分の腕と同じ傷もあってか、傷口が痛む。


「……わ、わたくしの事は卯鶴でも詩織でも構いません。もう生徒会長という立場ではありませんから、年上年下、先輩後輩なんて関係なく接してもらえたら嬉しいです」


 痛みに徐々に慣れ、喋る余裕が出来た詩織は ゆい にそう言葉を投げかける。学園での地位は学園が崩壊した瞬間になくなり、ただの生徒であり一般人となった彼女は『生徒会長』と呼ばれることに疑問に抱いていた。


 勿論、年齢差はある。ゆい も目上の人に対して、馴れ馴れしい態度も呼び方をするにも、今の仲の良さを考えると正直厳しい。それは相手から了承を得ても、遠慮するほど意識してしまう。


「とりあえず、これで処置は完了しました。縛ったとはいえ、あまり動かさないでくださいね…卯鶴さん」


 まずは、一歩踏み込み入れた感じから。


「…今はまだ意識しちゃいますけど、いつの日か親しくなったときには詩織さん…とか、愛称で呼び合えたらいいと思います」


「えぇ…その時はよろしくお願いします。ゆい さん」


 生徒会長という責任の重みを常に抱えながら生活し、家庭でもお堅い印象なんだろうなと思っていた。と言っても、全校集会での第一印象しかないため、キリッとした立ち姿に並べられる言葉が上品だとか。


 しかし、向けられる詩織の笑顔に ゆい は彼女の印象を改めることになる。


(…え、笑顔が素敵な女性だなぁ)


 その笑みは、それらを忘れさせるくらい美しいものだった。支持率が高かったのも、男女関係なく話題にされていたのも、こういうギャップがあったから好かれやすかったのかもしれない。


 ゆい の中でそういう結論に至り、血が染み込んだワイシャツは着させず、制服の上着を着させようとする。不快感と男性からの視線を防ぐため。本人もそれに同感してワイシャツはとりあえず ゆい が預かる形となる。


 腕を通して、ボタンを付けていく。制服に付着した血まではどうにもならず、代わりの物を探そうにも遺体から剥がすことは流石に躊躇う。


 とにかく、着れるものは着るしかない。何処かに向かう途中で綺麗な服を探そうと心に決める。


「それでは出来る限り、休んでくださいね」


「それはお互い様です。ゆい さんも怪我をしているのでしょ?」


 簡単な手当てを施し、立ち上がる ゆい に詩織は心配の声をかける。


「私のは擦り傷程度なので心配しなくても大丈夫です。それと、これは置いておきますね」


 ここに来る前に拾った刀を置いた ゆい は詩織を後にして、運転席にいる沙月の元へ向かった。その後ろで「ありがとうございます」という声を聞いて、小さく手を振り返す。


 正直、バレバレだと思った。心配させまいと少し嘘を付いたつもりだが、腕の傷は肉をごっそり持っていかれ、指の骨は折れ、何度も転んだことで挫傷や切り傷、擦り傷が激しい。けして、大丈夫だと言える状態ではない。


 ボタンを外したり、付ける際に骨折した指に痛みが走って中断する瞬間もあった。


 それでも強がって大丈夫と答えたのは、彼女に不安を与えさせないため。バレていても、痛みを紛らわせようと会話をする彼女に、更に不安を押し付けるのは精神を壊すのと一緒のことだからだ。

 それは、枝邑家に居候という形で住み始めたくらいで不安で夜も寝れなかった時に、沙月がたわいのない話で気を紛らわしてくれた。


 それを思い出して、出来る限りの会話を何とか成立させた。やはり、話したことのない人と話すのは、まだ勇気がいる。そう実感させられる一時だった。


「さっちゃん…これからどうするの?」


 運転席の隣まで寄ると血臭が鼻を突く。べっとりとフロントガラスやメーターに付いた血が生々しさを物語る。


 意を決して、沙月に今後の方針を尋ねる。目的地であった駐屯地に行くためには、校門を出て左折すれば近い。右折も行けなくもないが旧道ならではの道が狭く入り組み、山も上ったり下ったりの道順でかなりの長距離となる。左の方が国道やバイパス道路という大きな道路がある分、短時間で向かうことが出来るというわけだ。


 ただ、学園で起きた被害が街そのものにも影響が出ていれば、混乱が人の移動を作って大渋滞が起きる。そうなると短時間での移動は困難。最悪、立ち往生だってありえる。


 そういう話も教室でしていた。


「…家に行くわ。このままで行くにも駐屯地との距離はまだあるし、時間的にも夜は危険だから『Z』が襲ってこないとも限らない。万全じゃない準備で行けれるほど、甘くはないと思うわ」


 そう言って、旧道からも外れて悪路な山道へバスを走らせる。『Z』との接触を出来る限り減らす為に、薄暗い坂道をアクセルを踏み続けて進めていく。

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