出町柳京介
母さんは、ボクが悪い子に育たないように、ルールを教えてくれた。ルールは幼さから社会性を形作ってくれて、正当性を学ばせてくれた。だけど、必要以上にルールを守り、他人に強要すると、社会性とは別の何かが顔を覗かせるのは、教えてくれなかった。それを知ったのは、身をもって知ることになったのは、小学校高学年の頃だった。
ボクは正義マンじゃない。かと言ってルールを順守し、押し付ける男じゃない。そう今は言い聞かせないと、あの時の、まるで汚物でも見るような目線に支配されてしまう。ボクは、それに怯えているんだ。
唐突だけど、ボクには好きなものがある。それは雲母ちゃんというアイドルだ。容姿はアイドルなだけあって可愛い。愛嬌も抜群で、愛され属性。ちょっと抜けているところもあるけど、エンターテイメントに関しては造詣があって、何も持ち合わせていないボクにとって雲上の星のような存在だ。
ボクは雲母ちゃんを応援したい。何もないからこそ、持っている人間を押し上げたい。推しを上げたいって言いかえるのもいいのかもしれない。だってその方が・・・いや、これはよそう。現実なんて見ない方が楽だ。
雲母ちゃんはアイドルはアイドルでも、売れてないアイドルで、万人に愛されるアイドルではない。どっちかというとニッチだ。だって地下アイドルだしね。それでもボクは彼女が好きなのだ。恋愛的な意味ではない、ワンチャンスあれば恋愛に発展するかも、なんて微塵も思っていない。だって彼女はボクの希望の星だもの。ボクみたいなのが星を汚すのは違う。
ボクは一番星である彼女を応援するために、出待ちをして、応援の言葉を伝えていた。それで彼女が元気になればいいななんて思っていた。でも、彼女はボクの事を怖がっていたみたいで、何回目かの出待ちで、ボクはスタッフと揉みあいになって、打ち所が悪かったのか、死んだみたいだ。
それで雲母ちゃんがボクに、世界を救うためのスキルをくれたんだ。このスキルで雲母ちゃんが望むことをしてあげようと、叶えてあげるんだ。
ボクは次の世界で変わるんだ。
「おいキョウスケ、あいつを止めとけ」
「うん」
トーマスが目を付けたのはひ弱そうな女性だった。服も薄汚れているし、靴もすり減って吐きつぶした感じだ。そういった人の見わけをつける目敏いのがトーマスなんだろう。
人の多い大通り、見つけた獲物に対して、トーマスは後をつけ始める。ボクは更に後ろからゆっくりと歩きながら、タイミングを見計らう。
トーマスが女性に十分に近づいて、今まさに、女性の懐から財布を抜き取ろうとした瞬間に、ボクはスキルを発動させる。女性はまるで身体が固まったかのように硬直してしまう。
トーマスはスリの腕はそんなにない。ボクのスキルがあってこそ成り立っていると言っても過言じゃない。なのにトーマスはボクより偉ぶる。実行する人間の方が偉いんだと。ボクはメインではなく、引き立て役なのだと。
この世界はボクみたいな人間が途中から参戦して一人でやっていくのには厳しかった。元居た世界は恵まれていたんだと思い知らされた。助けてくれる親もいない、行政機関は腐敗しているし、市民権があっても、まともな職につけないと奪って生きるの選択ししかなくなる。
ボクはそうなった。
あの女性はウサギで、ボク達は狼なんだ。
ボクが目をつけている間は、女性は何もできずにむざむざと財布を盗られて、逃げていくトーマスを見ているだけだ。
トーマスが路地の角を曲がったのを見てから、女性に対してのスキルを解除する。落ち合う場所は事前に決めてあるので、少しだけ騒ぎになり始めている大通りを後にした。
「おいなんだこれ? ギラじゃないよな?」
トーマスと裏通りで落ち合って、儲け分を確認していると、財布の中は大量の十円玉だった。トーマスは転移者じゃないので、十円玉の事なんて知らないだろう。ボクは何か嫌な予感がした。
「ねぇ、捨てたほうがいいよ」
「はぁ? なんでだよ。ギラじゃなくても、これは銅貨だぜ? どちらにせよ儲けには変わんねぇよ」
十円硬貨を手に取って、表裏をまじまじと確認しながらそんなことを言う。この異世界転生先で別の転移者と出会ったことはない。なぜなら転移者はほとんどが迫害されているから、どこかで奴隷になっているか、魔物に喰われているか、名を遺した転移者はいないだろう。ただ、いたであろうという痕跡は残っている。それは業が深い人物が残した帝国だったり、戦場痕だったり、色々あるけど、ボクが直接見たのはない。
だからこそ、日本円硬貨を始めた見たボクは警戒せざる負えなかった。なのにトーマスはボクの言うことを効かない。駄目だ。ここにいちゃ駄目なんだ。ボクは直感を信じて、この路地裏を駆け足で抜けた。トーマスが何か言っていたけど、聞こえない。
確かにトーマスはボクに良くしてくれていた。取り分はトーマスの方が多かったけど、寝床を譲ってくれなかったりしたけど、それでもボクを迫害して、殺害するなんてことはしなかった。奴隷業者に捕まる寸前だったボクを助けてくれたのは感謝している。だけどこの日のボクは鬱憤が溜まっていて、それが爆発したんだと思う。
トーマスを置いて遠くまで来てしまった。どうなったのだろうか。無事なのだろうか。今になって冷静になるのは馬鹿らしいかもしれない。ボクはそういう性格なのだ。後になって悔やむのだ。あの時の選択を悔やむのだ。
トーマスを拠点で待つか、それとも迎えに行って謝ろうかと考えていると、ボクの肩を大きな手で掴まれた。
おそるおそる後ろを振り返ると、屈強な兵士が仏頂面で立っていた。
あぁ、終わった。